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ガーデン  作者: 佐伯 蒼太郎
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冬の岩壁

誤まって二重投稿し、片方を消去したら、反映されなくなりましたので、

一度全てを消去して新たに作成しました。


ポイントを入れていただいた方には大変申し訳なく思います。

よろしかったらもう一度入れていただけると嬉しく思います。

(図々しい......)



 カーンと澄み切った空。

 高原をうさぎは逃げる。入道雲の下、少年はうさぎを追う。

 ランニング姿の少年は、高原を、山野草の花咲く高原を、逃げるうさぎを、どこ

までもどこまでも追いかけてもう見えなくなった。


「あっ!」


 森本は思わず声をあげた。

アイゼンがカランと音をたてて右足から離れて落ちて行った。

 冬の岩壁。アイゼン(靴に装着する金属の爪)がなければ遭難は確実だ。

 落ちてゆくアイゼンを目で追うと、数メートル下で岩壁から生えた五十センチほ

どの細い木に引っかかって揺れている。

 一瞬の安堵。しかし、いままで登攀してきたこの壁の難しさを思うと身体に震え

がくる。

 登るよりも降りる方がはるかに難しい。それでも取りに行かない訳にはいかなかった。


「どうした!」


 上でザイルを確保している宗像(むなかた)が叫ぶ。


「アイゼンを落としました! でも木に引っかかってます!」


「取れるか!」


「なんとかなりそうです! ザイルを緩めてください!」


 雪、ガス、吹きすさぶ大気、自らが吐き出す息、黒い岩壁以外はすべてが白一色

だった。

 壁の取り付きまで膝より深いラッセルをしてきた。そして今も横殴りの吹雪が容

赦なく吹きつけている。声が風に飛ばされるので二人とも叫んでいた。

 森本はホールド(指を掛ける岩の出っ張り)とスタンス(つま先を乗せる岩の出

っ張り)を探りながら、慎重に降りて行った。

 左足はアイゼンを履いているので、両足の長さが違ってバランスが悪かったが、

もし右足を乗せるためのスタンスに氷が張り付いていれば降りることが出来なくな

る。

 登って来たひとつひとつのホールド、スタンスを、忠実にトレースするしかなか

った。

 右足に神経を集中させた。つま先に引っかかりを感じる。そして次の左足、数ミ

リしかない細かいスタンスだが、ツァッケ(アイゼンの先端部)が引っかかれば大

丈夫だ。

 そう思って体重をかけた瞬間、『カリッ!』という音とともに左足が流れた。


 ひやっとしたが、右手の指は第二関節まで掛かっている。

 宗像の確保するザイルにテンションがかかる前に体勢を持ち直した。

 なんとか引っかかったアイゼンの所まで降りたが、そこは絶壁で、とても履き直

すことの出来る様な場所ではなかった。

 森本はアイゼンのバンドを口にくわえるとそのまま降りて来たルートを登り返

す。

 宗像の確保している狭いテラスにようやくたどり着くと、そこでアイゼンを装着

した。

 ツァッケに体重を預け、支点のハーケンから伸びたザイルで自分の身体を確保

し、その身体をテラスから空中に出して場所を空けてくれている宗像が嘲るような

口調で言う。


「なに初心者みたいなことやってんだよ、場所によっちゃ本当に命取りだぜ」


「面目ないです。アイゼンが緩むなんて........なんてこった」


「まあいいさ。こっから稜線までは今までよりも難しい。しまっていこうぜ!」


 傾斜が増し、ホールドはより小さくなってきた。

 最後の詰め。直径が4mくらいのボールのような岩が頭上にのしかかる。しかも

軽くオーバーハングしている。

 ルート図には人工登攀とは書いてなかったので、アブミと呼ばれるアルミ板とナ

イロンひもで出来た簡易はしごはザックに入ってはいたが、二人とも出そうとはし

なかった。


「これをフリーで登れって言うのかよ!」


 宗像の誰言うことのない言葉が、下で確保する森本の耳に風の音とともに聞こえ

て来る。

 難しさに挑戦する歓びの声とも、勘弁してくれというため息とも聞こえた。

 宗像はグランドジョラス、アイガー北壁とやってきた男だ。

 日本のこれくらいのルートはゲレンデのようなものだろう。

 しかし、彼くらいの腕をもった男でもため息を漏らすことに、森本はなんだか嬉

しくなった。それが彼特有の軽口だったとしても。

 案の定、宗像はスルスルと蜘蛛のように登って行き、森本に声をかけた。


「確保オッケイ!いいぞ、登ってこい!」


 なるほどホールドはしっかりしていて不安感はない。けれども身体は完全に空中

に露出されている。谷まで何百メートルあるだろう。もし落ちれば、下に着くまで

に何回も岩に叩き付けられ、ただの肉塊となるだろう。

 ザイルで確保されているのが分かっていても、ついそんなことを思わせる恐怖感

が湧く。

 恐怖感を持つと身体が固くなり、岩にへばりつこうとする。それが危険であるこ

とは百も承知なのだが、頭と身体が一致しなかった。それでも体力の限りを尽くし

て登りきると、目の前には稜線を行く登山道が見えた。


 二人は風雪を避けて岩陰に座り込むと、ザックからポットを出した。宗像は無地

のサーモス。森本のはアラジンのチェックのデザインだった。

 森本は登山をする人間の、あまりにもファッション性のないのをいつも気にして

いる。

スキーヤーを見ろ、みんなファッションに気を使っているのになぜ登山者は.....と。

 ポットに入った熱いココアは、凍えた身体を一瞬で溶かしてい

くようだった。

 森本は体力を使い果たしていた。


(ここで吹かれたら逝っちまうな)そう思う。


「やっぱり最近の予報は当てにならねえな」


夕べ、テントの中で天気図を書いていた宗像が言う。


「まだ富士山レーダーの方が良かったかもしれないですね」


「しかしこんなに降るとは思わなかった。さあ、早いとこ降りようぜ」


 宗像はそう言うと、クラストした稜線を、ザクザクというアイゼンの音をリズミ

カルにたてながら歩き始める。

 森本はその速さに付いて行くのに精一杯だった。

 テントに着いた時には雪の厚みが腰近くにまで達して、テントは今にもその重みで

潰れそうになっていた。

(着いたらバタリと倒れ込みたい)そう思っていた森本は「さあ雪かきだ」と言う

宗像の声に意気消沈した。

 1983年の冬のことだった。


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