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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ライトノベルダーク

作者: インク

 Light(ライト)『光』『明かり』『軽い』『脚光』『娯楽的な』

 Novel(ノベル)『小説』

 Dark(ダーク)『闇』『暗い』『濃い』『邪悪な』『わかりにくい』

 ()く音と()く音が交差する。

 少年は物語を書いて、少女は絵を描いて。

 魔界と人間界の境界に建てられた小さな家の小さな部屋で。

 お互いのノートを交換して、いつものようにはじまる品評会。


「相変わらず、下手な絵だな」と少年。

「相変わらず、退屈なお話ね」と少女。

「なんだと」

 人間の少年は不機嫌な視線を少女に向けます。

「なによ」

 魔族の少女は魔族特有の金色の髪を長く泳がせながら、(あお)い眼で少年を(あお)ります。

 二人の間に火花が散りました。

「お前の描いた絵には物語性がないんだよ。だから俺がこれにストーリーを考えてやるよ」

 そう言って少年は少女の絵から受けとったイメージを元に短い物語を書きはじめます。

「キミのお話って全然情景が浮かんでこないんだよね。だから私の絵で補強してあげるよ」

 そう言って少女は少年の書いた物語から授かった景色を、丁寧に紙に描きはじめます。

 昨日と変わらない、おなじみの光景。

 少年は言います。

「俺がいつかプロの作家になったら、お情けでお前に挿絵を担当させてやるよ」

 少女は返します。

「私がプロのイラストレーターになったら、私のコネで出版社の人にキミを紹介してあげるよ」

 作家を目指す少年とイラストレーターを目指す少女。

 毎日のように、そんなやりとりをつづけていました。


 ライトノベル。

 胸躍る物語と目を奪われるイラストの融合した最高のエンターテイメント。

 世界は今、かつてないライトノベルブーム。

 若者たちは作家あるいはイラストレーターを目指し、日々、切磋琢磨して投稿を繰り返していたのです。


 ある日のこと。

 魔界と人間界から大人がやってきました。

 人間の大人は少年に言います。

「この話を書いたのは、きみかい?」

 大人の手には原稿用紙。タイトルを確認すると、それは確かに少年の書いた物語でした。

 少年はうなずきます。

 一方、魔族の大人は少女に言います。

「このイラストを描いたのは、あなた?」

 大人の手には一枚の画用紙。そこに少女の描いた絵。少女はうなずきます。

 大人たちは声を揃えました。

「今すぐデビューしよう」

 少年と少女はお互いに向きあい、目を見開き、思わず抱きあいました。

 地道な投稿がついに報われたのです。しかも二人同時に。

 少年は言います。

「だったら、表紙や挿絵はこいつに担当させて下さい」

 その言葉に少女は強くうなずきます。

 人間の大人と魔族の大人はお互いに向きあい、目を見開き、思わず笑いました。

「冗談を言ってはいけないよ。どうして魔族なんかと」

「そうよ。人間なんかと仕事ができるわけないでしょ」

 少年と少女の真剣な声を、大人たちは笑い飛ばしました。

 無理もありません。

 人間と魔族。

 異なる種族が一つの作品を生み出すなど、世界が許すはずないのだから。


 読む本によって書いてあることが違うので、はじまりはいつだったのか、何が原因だったのかは誰にもわかりません。

 確かな事実として、人間と魔族はずっといがみあっていました。

 そんなことより世界は今、かつてないライトノベルブームです。

 楽しい物語を書く人と素敵なイラストを描く人はどれだけいても足りません。

 人間界で少年は物語を書いて書いて書いて、魔界で少女は絵を描いて描いて描いていました。


 人間の大人は少年に言います。

「また増刷が決まったよ。やはり私の目に狂いはなかった。きみは天才だ」

 魔族の大人は少女に言います。

「あなたがイラストを担当した作品だけ、明らかに予約の数や初動が違うのよ。あなたはうちの宝よ」

 お互い、デビューして順調に評判を上げていました。本当は少年は少女にイラストを担当してほしくて、少女は少年の物語にイラストをつけたかったのですが、日々の忙しさがその想いを忘れさせたのです。

 いえいえ、そんなことはありません。

 忘れられるはずなどないのです。


 仕事場で少年は発売したばかりの新刊の表紙と挿絵を確認します。

 上手い、けど、どこかしっくりこない。微かな違和感を覚えてしまう。

 かつて少女が描いてくれたイラストたちは、打ち合わせをしたわけでもないのに自分の想像そのものが具現化されていたのに。

 ふと、少年は机の引き出しから一枚の絵を取り出します。

 ずっと昔、少女が自分の物語のために描いてくれたもの。

 少年はしばらく、それを眺めていました。


 仕事場で少女はイラストの担当を任された小説を読みながら頭を悩ませていました。

 魅力的な物語、なのに、情景が浮かんでこない。

 かつて少年から読ませてもらったストーリーは、たちまち自分をその世界に引きずり込んで、描くべき景色を与えてくれたのに。

 ふと、少女は机の引き出しから原稿用紙の束を取り出します。

 はじめて少年が新人賞に投稿して、一次選考で撃沈したもの。

 あのとき少女は少年以上に落胆し、そして怒りました。

 審査員の目は節穴で頭は空っぽなのだと、わめきました。

 それくらい大好きな物語。

 読み終わるまで、少女はその世界に浸っていました。


 ある日、少年の書いた作品が映画になると決まりました。

 出版社は大喜びで大騒ぎ。

 それなりにこの会社に貢献できていると思った少年は、おもいきってお願いしました。

 次の作品は、彼女にイラストを描いてもらいたい、と。


 ある日、少女がイラストを担当している作品のアニメ化が決定しました。

 出版社は活気で溢れます。

 関連する仕事をたくさん依頼されました。

 その勢いでおもわず少女は口にします。

 彼の作品に自分の絵をつけたい、と。


 人間界。

 大人は少年に言います。

「気持ちはわかる。だけどそれは無理だ」

 少年は()きます。

「彼女が魔族だからですか?」

 大人は首を横に振りました。

「そうじゃない。きみにはわからないだろうけど、イラストレーターの寿命はとても短いんだ。神絵師なんてもてはやされても半年後にはほとんど消えてるし、長続きしても三年が限界だ。たしかに彼女の絵は人気がある。同時にそろそろ飽きられつつもある」

「そんなの──!」

 少年の言葉を大人は(さえぎ)ります。

「心配しなくていい」

 大人はそう言うと、手招きで誰かを部屋に呼びました。

 活発な雰囲気を(まと)う、美しい人間の少女。

 大人は言います。

「イラストレーターの寿命は短い。だけど、ごく(まれ)に才能を消費されない本物もいる。きみの目の前にいるその子がそうだ」

 人間の少女は、少し照れた様子で少年に微笑みました。


 魔界。

 大人は少女に言います。

「気持ちはわかるけど、それは無理よ」

 少女は訊きます。

「彼が人間だからですか?」

 大人は首を横に振りました。

「そうじゃない。あなたにはわからないでしょうけど、作家の寿命はとても短いの。仮にヒットを出せたとしても、ほとんどの作家は次を出せずに消えていくの。あなたの幼なじみの作品も今度映画になるみたいだけど、断言してもいい。あれが彼のピークよ。間違いなく一発屋。だけど、九割の作家はその一発屋にもなれずに消えていくんだからラッキーなほうね」

「そんなの──!」

 少女の言葉を大人は(さえぎ)ります。

「心配しないで」

 大人はそう言うと、手招きで誰かを部屋に呼びました。

 魔族特有の不思議な雰囲気を纏う、美少年。

 大人は言います。

「ライトノベルはイラストで決まる。だけど、ごく希に優れたイラストとの相乗効果で優れた物語を書きつづけられる作家もいる。あなたの目の前にいる彼がそれよ」

 魔族の美少年は、朗らかな視線を少女におくりました。


 人間界。

 幸か不幸か、人の少女との相性は、ばつぐんでした。

 思っていた以上の、想像の少し上をいく魅力的なイラストをいくつも描いてくれたのです。

 それは少年の創作意欲を向上させました。


 魔界。

 幸か不幸か、魔族の美少年との相性は、悪くありませんでした。

 文章そのものから世界が浮かび上がってくる感覚をひさしぶりに思い出せたのです。

 それはとても懐かしく、同時にいくばくかの寂しさを少女に与えました。


 ある日、少年の仕事場にて。

「ねえ」人の少女は少年に言います。「私たち、付き合おうよ」

「突然、なに言い出すんだよ」少年は(いぶか)しい顔つきになります。

「だってさ、私たちって相性いいじゃん。作品とか……作品とかの」

「これからも作品だけのつきあいでいこう。面倒なことになりたくない」

「面倒なことって? どういうこと?」

 挑発するような声で人の少女は少年を背後から抱きしめ、わざとらしく体を密着させます。

「あのいまいちなイラスト描いてる魔族の女と知り合いらしいけど、それと関係あるの?」

「……別に、ないよ」

「だったら、いいじゃん。ねえ」

 人の少女は少年の首筋にくちびるをあてて、()から樹液(じゆえき)をなめるように舌をのばします。

「酔ってるのかよ!」

 少年は人の少女を振りほどいて、距離を取ります。

「未成年だよ。酔えるわけないじゃん」

「なにがしたいのか知らないけど、少し頭を冷やせ」

 怒った少年は、部屋から出ていってしまいました。

「ふむ」人の少女はペロリと指をなめます。「攻められるのに弱いタイプとみた。あと一押しかな」

 そう言って、不敵に笑います。


 ある日、少女の仕事場にて。

「なにか僕に手伝えることはありますか?」

 約束もないのに訪ねてきた魔族の美少年は、少女にそう訊ねます。

「ありがとうございます。特にないですね」

 と少女は答えます。

「…………」

「…………」

 そこはかとなく気まずい沈黙が室内に漂います。

「あの、他になにか?」少女は困った様子で小首をかしげました。

「そうですね、では、先生にお礼を言わせてください」

「お礼……ですか?」少女はさらに首をかしげます。

「僕の小説が好調なのは先生のイラストのおかげです」

「いえいえ、とんでもない」言いながら、少女は両手を小さく振ります。「先生の書くストーリーが素敵だからですよ」

 少女と美少年はお互いのことを先生と呼びあっていました。

「本当に、尊敬しているんですよ」美少年は少女の肩に、そっと手をおきます。「こんな華奢な体で、あんな大胆なイラストが描けるなんて、今でも信じられない」

「いえ、そんな……先生だってすごくスリムじゃないですか……」

 返す言葉に迷って、少女はただ、目に映る事実だけを口にしました。

 無意識に少女の肩に手をおいていたことに気づいた美少年は、はっとして手を離します。

「すみません。失礼なことをして、気を悪くなさらないでください」

「あっ、大丈夫です。全然気にしてないです」

「それはよかった。でも、少しは気になってほしかったかな」

「えっ?」

「いえ、なんでもないんです。お忙しいのにお邪魔してすみません」

 僕がお役に立てそうなことがあれば、いつでも遠慮なくおっしゃってください。そう言葉を残して、美少年は去っていきました。

 その後ろ姿に少女は不思議な余韻を覚えたのでした。


 翌日。少年の仕事場。

「デートしようよ」

 まるで自分の部屋のようにくつろぎながら人の少女は言いました。

「仕事しろよ」

 少年は相手にしません。

「デートしたい! それがダメならショッピングが温泉か遊園地!」

 来客用のソファーの上で不機嫌なニワトリみたいにジタバタする人の少女を見て、これが今一番人気のイラストレーターの姿だと思うと情けなくなりました。

「どうして俺にこだわるんだよ。デートしたいなら同業者にいくらでもいるだろ。それにお前って──」

 黙っていればかわいいのに、という言葉を少年は飲み込みました。

 人の少女は、ぼそっと「……三行目」とつぶやきました。

「え? なに?」

「二百十七ページの三行目。自分の書いた本の内容くらい覚えとけ!」

 顔を真っ赤にして、本棚から少年の書いた本を一冊引き抜き、それを少年に投げつけて、人の少女は部屋から出ていきました。

「……なんだんだ、あいつは」

 とりあえず少年は、該当の箇所まで本をめくります。

 二百十七ページの三行目。そこにはこうありました。

『そんなの説明できたら、こんなに苦しんでない。気づいたらこうなってたの。いつの間にか、あなたが特別になってたの!』

「…………」

 少年は、ため息をついて本を閉じました。本の表紙では人の少女が描いた愛らしいヒロインが笑っています。

 少しの間、少年はその絵を見つめていました。


 少女の仕事場。

 扉を開けると、一瞬、入る部屋を間違えたのかと思いました。

 花、花、花。

 部屋中がさまざまな花で(いろど)られていたのです。

 その理由はすぐにわかりました。

「あっ、おかえりなさい」

 お花屋さんが少女に振り返ります。エプロンをつけた魔族の美少年でした。

「……どうしたんですか、これは」

「僕の実家、花屋なんですよ。実は僕、フラワーデザイナーの資格も持ってまして」

「……へえ」

 少女は飾られた花々に目を向けます。それらは確かに学習と修練に裏付けされた、見る者を楽しませるよう設計されている秀麗(しゆうれい)なデザインでした。

「勝手にこんなことをしてすみません。お仕事の邪魔になるようでしたらすぐ片づけますので」

 いくらなんでもやりすぎたのではないかと、魔族の美少年は今さら不安になりました。

「いえ、邪魔だなんてとんでもない。すごく嬉しいです」

「本当ですか!」美少年は花が咲いたように喜びました。

「はい、もちろんです」

 少女は魔族の美少年に気をつかったわけではなく、本心からそう言いました。

 まるで物語の世界に導かれたようなこの美しさに、少し酔いしれていたのです。


 さらに翌日。少年の仕事場。

 制服姿の人の少女は少年に言います。

「ねえ、学校いかないの?」

 その問いに少年はこう答えます。

「義務教養は家庭学習でとっくに終わらせてるし、必要な知識はそのつど本を読んだり取材してるから必要ない」

 人の少女は言います。

「私と同い年じゃん。一緒に学校いこうよ。楽しいよ?」

 少年は答えます。

「お前、定期的にこの話題出してくるけど、何度言われても俺の答えは変わらないぞ」

 人の少女は言います。

「だったら、はじめてのこと言うけど──魔族とは一緒になれないよ?」

 作業をしていた少年の手がとまります。

「なにが言いたいんだ?」

 人の少女は冷静に、それでいてどこか攻撃的な態度で言います。

「私だってバカじゃないよ。あんたが誰を想ってるかくらいわかるよ。だけど人と魔族は一緒になれない。昔からそうだし、法律でも禁止されてるし。じゃあ私、学校いってくるから」

 言いたいことだけ言って、少女は逃げるように出ていきました。

「…………」


 少女の仕事場。

 テーブルを挟んで、少女と魔族の美少年は紅茶を楽しんでいます。

 美少年はおもむろに、こう切り出します。

「例えば、例えばですけど、先生と組むようになってからこれまで僕が書いた物語は全て先生を想って書いたものだと言ったら、どう思われますか?」

「え?」(きよ)()く問いに、少女はティーカップを落としそうになりました。「それはまあ、なんというか、光栄……です?」

 精一杯言葉を選んでも、うまく返すことができません。

「では、それが例えばじゃないとしたら──?」

 美少年は身を乗り出して、距離を詰めます。

「どうしたんですか先生、なにかあったんですか?」

 いつもと様子の違う魔族の美少年に、少女は困惑を隠せません。

「あなたはその鋭い感性を全て創作にぶつけている。だから誰よりも、作品に感情が(あらわ)になる。だからわかるんです。あなたの中心には彼が──あの人間の少年がいることを」

 体内でスパイスをかじったように、少女の身体はぴりりとふるえました。

「なにをおっしゃりたいんですか、先生」

「僕はあなたとの関係を前進させたいと考えています。だから嘘偽りのない僕の気持ちと、そして僕の秘密をあなたに伝えたい──どうか聞いてください、僕の──」

「──すみません、急用を思い出したので失礼します」

 立ち上がり、頭を下げ、急ぎ足で少女はその場から離れました。

 本当は急用などありません。強いていえば、魔族の美少年から離れることが急用でした。


 さらにさらに翌日。少年の仕事場。

 制服姿の人の少女に、少年は押し倒されていました。

「……お前、なに考えてんだよ。早くどけよ」

「本で読んだんだけど──」人の少女は息を荒くして言います。「作家には二種類いるんだって。経験すると想像力がなくなって才能もなくなるタイプと、経験することで想像力が刺激されてもっと才能が伸びるタイプ。あんたはどっちかな。試してみようよ」

「とりあえずそれを書いたやつに文句言いたいから、その本を持ってきてくれ」

「……これがおわったらね」

 人の少女は制服のボタンを外しはじめます。

「おい、やめろ。そんなことしてないで学校いけよ」

「今日、学校休み」

「じゃあどうして制服着てるんだよ」

「男って制服好きじゃん」

「偏見だ」

 人の少女は制服のボタンを全て外しました。少年は目のやり場に困っています。

 とにかくこの状況から脱出しようと大きく体を動かすと、バランスを崩した人の少女が布団のように覆いかぶさってきました。

 トーストの上のハムとチーズみたいに、二人はぴたりとくっつきます。

「百六十二ページの七行目」と人の少女は言いました。

「そこには、なんて書いてあるんだ?」

「──『俺は彼女のなすがままにされることを選んだ』──って」

「嘘つけ、そんな文章を書いた記憶はないぞ」

「だったら、書き直さなきゃね」人の少女は少年の腕を掴んで、その手のひらを自分の胸にあてます。「ねえ、私に取材してみてよ」

 手のひらに伝わってくる、とてつもなく激しい動悸。熱い体温。真っ赤な顔。潤んだ瞳。

 人の少女が、ふざけてこんなことをしているのではないと、少年はやっと理解しました。

 かちゃん、と仕事場の扉の開く音。

 少年よりも先にそこに振り返った人の少女は、やってきた相手にこう言いました。

「……ねえ、入り口の看板が読めなかったの? 『魔族立ち入り禁止』って書いてあったと思うんだけど」

 突然の来客は深くフードを被っていました。だけど、その奥にある金色の髪と碧い眼は隠しようがありません。

 魔族の少女が、そこにいたのです。

 ひさしぶりの再開。しかし、碧い眼に映ったのは、考えもしなかった光景。

 誰も悪くないのに、それでも、ひどくうらぎられたような感情に支配され、少女は「ごめんなさい」とだけ残して背を向けて走り去っていきます。

「おい、待てよ──!」

 叫ぶ少年の口を、人の少女の口がふさいでしまいました。


 少女の仕事場。

 その泣き声に気づいて、魔族の美少年は部屋の扉を開きます。

 深く傷ついた少女が、椅子に深く腰かけ、両手で顔を隠して泣いていました。

「こないで! お願いだから今は一人にして!」

 美少年は少女からの要求を無視して、近づき、前に立ちます。

「人間にひどいことをされたんですね」

「そうじゃない。私が勝手に悲しんでるだけ!」少女は強がります。

「勝手に悲しむなんてことは誰にもできません。そこには必ず相手(りゆう)が存在します」

 美少年は、少女を、ぎゅっと抱きしめました。

「すみません。でもこうしていないと、あなたが崩れてしまいそうだったので」

 魔族の美少年の胸に顔を(うず)める少女。

 少しだけ、ほんの少しだけ、悲しみが(やわ)らぎます。

 しかし、妙な違和感が自分の顔にあたっていることに少女は気づきます。

 それはなんなのか想像を巡らせます。大胆な仮説を立てます。

 まさか、でもこの感じは確かに──答を知るために、少女は自分の顔にぶつかっているものを、ぎゅっと掴みました。

「……あぅ」と美少年は、ほんのり甘い声をもらしました。

 それは美少年──にしてはやわらかすぎる、胸。

「……先生、もしかして」少女は美少年に訊ねます。「……女の子、なんですか?」

「──はい」と魔族の美少年、改め、魔族の美少女は答えました。

「……え? え? ええ!」

 少年と人の少女との一件で動揺していたところに、それなりの時間を共に活動してきた作家が男性ではなく女性だと明かされ、その事実は少女を混乱させました。

 動揺に混乱が加わり、錯乱します。

 それでも一つだけいいことがありました。とりあえず、涙はとまりました。

「でも先生、名前は──」

 魔族の美少年改め、魔族の美少女は、ありふれた魔族の男性的な名前を名乗っていました。

「もちろんペンネームです」

「声だって低いし──」

「練習したんですよ」魔族の美少女は胸をはります。「地声はこんな感じです」

 そう言って、魔族の美少女は簡単な歌をうたいました。それは女の子の声でした。

「どうして、男性のふりを?」

「女の子にモテるからです」

「……はい?」

「女の子にモテるからです」

 これは迷信の(たぐ)いですが、かつて魔族は魔法が使えたといいます。

 魔族の少女には、魔族の美少女の言葉がある種の呪文に聞こえました。

 つまり、なにを言っているのか理解できないのです。

「確認ですけど、先生は女の子だけど、女の子に好意を寄せられたい、と?」

「はい」

「なるほど」

「先生」と美少女。

「なんでしょう」と少女。

「付き合ってください。ずっとあなたのことばかり考えています。一目ぼれでした」

 言葉の順番が逆なのではと思ったものの、もはやそんなことは些細な問題です。

「いえ、その、えっと……」

 少女は同性愛に偏見はなく理解もあります。ただ、現時点で少女自身にそういう属性はありませんでした。

「わかります」と美少女は、なにかに納得するようにうなずきます。「人の少年のことが忘れられないのですね。でも相手は人間でしかも男です。先生は魔族の女の子、そして私も魔族の女の子。どちらが相性いいかは考えるまでもないでしょう」

「……いえ、考える余地はそれなりにある気が」

 なんだか性格まで変わってしまったような、あるいはこれが彼女の本性なのか、どちらにせよ少女は魔族の美少女とどう向きあうべきなのか判断できず、逡巡(しゆんじゆん)するしかないのでした。


 一方その頃、少年は出版社で直談判していました。

「次の作品がベストセラーになったら、その次の作品からイラストレーターは彼女にしてください。お願いします」

 少年は頭を下げます。

 大人は訊ねます。

「彼女というのは、きみのおさななじみの魔族の少女のことかい?」

「はい」

「仮にミリオンセラーになったとしても却下だ」

「どうしてですか?」

「人と魔族の歴史についてここで講釈するつもりはない」

「いがみあってない人や魔族だっていますよ」

「ああ、極めて少数だがな」

「結婚してる人と魔族だって」

「ああ、さらに少数だがな。加えて、どちらの側でも違法行為だから、あらゆる社会的な制限を課せられることになる。魔族と結婚するくらいなら強盗になってくれたほうがマシだって意見のほうが多いだろう」

「この出版社の本を買ってくれてる魔族だっているじゃないですか」

「顧客としては感謝している。それは嘘じゃない」

「だったらもっと歩み寄れるはずじゃないですか。魔族なんて人と比べて眼が碧くて髪が金色で肌が少し白いくらいじゃないですか」

「それだけ違えば十分だろう」大人は苛立ちを隠さず言いました。「結局、なにが言いたいんだ、きみは」

「人と魔族で一つの作品をつくれたら、きっと世の中はもっとよくなるはずです」

 大人はうんざりした様子で天を仰ぎ、人さし指を窓際に向けました。あそこをよく見ろ、とでもいうように。

 窓際には一人の男性が、なにをするでもなく、ただ、椅子に腰かけていました。

「あの人が、どうかしたんですか?」

「彼はここの長老だ」と大人は言います。

「長老……ですか?」

 窓際の男性は目の前の大人よりも年上なのは確かですが、長老と呼ばれるほど年を重ねているようにも見えず、長老という単語からイメージできるような威厳も感じられません。

「うちが業界で最大手と呼ばれるようになったのは、ほとんど彼のおかげだ」

「えっ、そうなんですか?」

「そして一度倒産しかけた。ほとんど彼のせいで」

「えっ、そうなんですか?」

 大人は語ります。

「根っからの作品バカで、とにかくつくることに夢中で、そういう意思は作家にも伝わるものなんだろう。信頼関係が深まり、作品の質も上がる好循環ができた。当然、ヒット作も増えた」

 理想的な世界だ。少年は聞いていて嬉しくなりました。

「最年少で編集長を任された彼は、かねてよりの夢に着手した。つまり、人と魔族がタッグを組んだ作品を世に出すことだ。彼が中心となって、漫画、ライトノベル、映像作品で一斉に共同作品をリリースしたんだ。大々的に発表会を開いて、その当日に購入できるようにした。今では珍しくない販売戦略だけど、あの仕掛けを考えたのも彼だ」

 長老のエピソードは少年を高揚させました。しかし、不安も(くすぶ)ります。今現在、人と魔族が共同で作品をつくることは禁止されてはいないものの、まったく浸透していないのだから。

「まだ新人だった私も興奮したよ。もしかしてここから世界は変えられるんじゃないかって、希望が見えたんだ」そこで大人の声は沈んでいきます。「全ては思い上がりだった」

「…………」

 少年は黙って大人の声に耳を傾けます。

「人間側と魔族側からの異様なパッシング。商品は破壊され、店舗にも迷惑をかけた。長期的な展開を描いていた計画は、驚くほどのスピードで頓挫(とんざ)したんだ」

「……どうして」

 被害を受けたわけでもないのに、そこまで悪意を暴走させた人間と魔族の感情が、少年には理解できませんでした。

「ああ、私も同じ気持ちだよ」大人は肩をおとします。「人と魔族の軋轢(あつれき)は病気や呪いに例えられることが多いけど、私はむしろ睡眠に近いのではと考えている。どれだけ抗ってみせても最後には必ず負ける。耐えた時間が長いほど悲劇を生む可能性も高くなる。だったら最初からほどほどに受け入れていたほうが賢いんじゃないのかって」

 それは大人のあきらめでした。

 映画の公開も控えているし、次回作のプレッシャーはこれまで以上にあるだろう。今は自分の作品のことだけに集中しなさい。そう言って大人はどこかへ歩いていきました。

「…………」

 少年は長老と呼ばれる男性の元へいきました。

 長老は、まるで観葉植物のように、ただそこにいました。

「教えてほしいことがあるんです。俺もあなたみたいに人と魔族で作品をつくることができれば世界はいい方向に変れるって信じてるんです。だから──」

「悪いな少年」長老は、ぶっきらぼうに吐き捨てました。「よく聞こえん」

 ちゃんと聞こえてるじゃないかと少年は思いました。だけど、その一言が長老からの拒絶だということも理解できました。

 少年は長老をじっと見つめます。長老は窓の外にぼうっと目を向けています。

 まだこの人と語る言葉を持っていないと悟った少年は、一礼して編集部から出ていきました。

「どうだった?」

 廊下に出るなり、人の少女が近づいてきます。

 少年は首を左右に振りました。

「やった! 賭けは私の勝ちね。じゃあ今日から私と付き合って、学校にもいくこと」

「だからそんな賭けはしないって言っただろ」

 少年はとぼとぼと歩きはじめます。

「なによ。私のファーストキス奪ったんだから、それくらいは責任とってくれてもいいでしょ」

 人の少女は頬をふくらませて抗議します。

「あれは奪ったんじゃない。お前がおしつけてきたんだ」

「だったら、二十二ページの二十二行目」

「なんて書いてあるんだ?」

「『アイスおごって』」

「それくらい普通に喋れよ」


 一方その頃、魔族の少女は魔族の美少女に直談判されていました。

「私と付き合ってください、先生」

 魔族の美少女は少女の手を、ぎゅっと握りしめます。

「そんな……困ります」

 焼けるような美少女の視線から、少女は目をそらします。

「一度魔族の女の子を知ると、もう人間の男には戻れないと評判ですよ?」

「なんですか、それは」

 こほん、と咳払いをして、美少女は真面目な顔つきになりました。

「では、こういうのはどうでしょう。来月、私の作品と彼の作品が近い時期に出るのはご存じですよね?」

 少女はうなずきます。

「私にとっても彼にとっても、はじめてのイラストのない作品です。そこで先生にお願いがあります。私と彼の新作を読み比べて、もし私のほうが先生を楽しませることができれば、私とお付き合いしていただけませんか?」

「え?」

 そのとき少女の脳裏によぎったのは、その条件では少女(じぶん)に有利すぎるのでは? ということでした。美少女との関係を深めたくなければ少年の作品に軍配を上げればいいだけなのだから。

それに今でも少女は少年の存在と作品に想いを寄せています。

「……それでいいんですか?」

「かまいません。私は私の作品で、あなたの中の彼に勝ってみせます」

 魔族の美少女の瞳には、とても強い意志が宿っていました。

 これには真摯に応えなければと、少女は背筋を正します。

「わかりました。でも、結果はどうあれ、やはりお付き合いは難しいです」

「わかりました。では、もし私の作品が(まさ)っていたときは、先生の口から私のことを特別な存在だと言ってください」

「先生はもう十分すぎるくらい特別な存在ですよ?」

 美少女は微笑みます。

「一ヶ月後、もう一度その言葉が聞けると信じています」


 およそ一ヶ月後。

 まず魔族の美少女の本が発売され、三日後に少年の本が発売されました。

 その翌日。

 出版社からの電話で少年は叩き起こされました。

「とにかく急いできてくれ!」

 聞いたこともない緊迫した大人の声に、状況を推測することもできないまま、少年は出版社に向かいます。

編集部は戦場と化していました。

「いえ、決してそのようなことはありません」「はい完全に偶然です」「申し訳ありません。ただ今、責任者が外出中で、まだ確認がとれておりません」

 編集部の大人たちは全員、電話に向かってなにやら釈明をしている様子でした。

 少年の姿に気づいた大人たちは、一斉に彼に視線を集中させます。なんらかの説明を求めてくる鋭い瞳たちに、少年はわけもわからず怖気づきます。

「──こい!」

 いつもの大人に腕を掴まれ、人気のない会議室に連行されました。

「どうしたんです? なにかあったんですか?」

 少年の疑問に大人は、とにかくこれを読むんだと、一冊の本を渡してきました。

 魔族の美少女の新刊。少年も買っていましたが、まだ読んでいませんでした。

 未だになに一つ答が提示されない状況で、とにかく少年は本を開きます。

 開始数行で違和感に襲われました。

 正確にいうと、それは違和感ではなく、既視感でした。

 心臓が奇妙な鼓動を刻みます。

 一気にページをめくって、中盤、そして終盤を流し読み、最後の一行を目で追います。

 本を閉じて、目の前の大人と、目を合わせました。

「……これで、わかっただろう」

 少年は小さくうなずきました。

「きみの作品と内容が酷似してる。発売は相手のほうが先だ。つまり」大人は深刻な声と表情で言います。「きみに盗作疑惑が掛かってる」

「……盗作」それは自分には生涯、縁のない言葉だと思っていました。「──ありえません。あれは俺のオリジナルです」

 (やま)しいことはしていないのだから、少年は直ちに免罪を主張します。

「わかってる。きみはそういうことをするやつじゃない。だがこれはあまりに……」

 似すぎている。声にこそ出さないものの、大人は全身でそうつぶやいています。

 その気持ちは少年にも理解できました。自分のことでなければ、迷わず盗作を疑うくらい、同一のものに見えたからです。

「なにか、盗作ではないと証明できるものはあるか?」

「あれは俺がはじめて新人賞に投稿した話を一から再構築したものです。文体や表現は違いますけど、ストーリーは同じです。データも残ってます」

「……よし、少し光が見えてきたな」

 そう口にする大人でしたが、表情は暗いままでした。

 少年の無実を信じていても、それを世間に納得させる困難を理解しているからです。

 人間同士でも遺恨を残しやすい事例なのに、今回は人間と魔族の問題にまで発展しているのですから。

「ところで、その新人賞の内容やデータを誰かに話したり見せたことは?」

 少年は答えます。

「ありません」


 魔界。

 魔族の美少女の部屋に少女がやってきました。

「説明してください」

 普段は必要以上に礼儀正しい少女が、挨拶もなく二冊の本を美少女に見せつけました。

 美少女の新刊と少年の新刊です。

「私も驚きました」美少女は言います。「まさか、あそこまで似ているなんて」

「そうじゃありません」少女は声を上げます。「どうして彼の作品を真似たんですか」

「真似てはいません。確かにインスピレーションは受けましたが、それは私のオリジナルです」

 美少女は自分の新刊を指さしました。

「でも、私の仕事場にあった彼の原稿を読んだからですよね?」

「はい。とても衝撃的でした。なぜあの作品が受賞しなかったのか不思議です」

 美少女から、罪悪感のようなものは特に見受けられません。

「先生。私は彼と似ていると評価された作品を書けたことを、ある意味で誇りに感じています」

 少女は顔をしかめます。

「どうしてですか?」

「私はあなたが想いを寄せている彼という存在とその作品をこえたかった。私がこのたび上梓(じようし)した作品はそれができていると自負しています。さあ答えてください。私と彼、どちらが上でしたか?」

「今はそんなことを答えられる気分じゃありません。とにかく先生が彼の作品から着想を得たことで彼に盗作疑惑が掛かってるんです。先生の口からあれは元々彼のアイデアだったと説明してください、お願いです!」

「それは違う」

 背後からの声に振り返ると、魔族の大人がいました。

「それじゃまるで彼女が盗作したみたいじゃない」

「実際、そうじゃないですか」

「違う」大人は言いきりました。「盗作というのは文面や表現をそのまま移すこと。イラストで例えるならトレースがそれにあたる。でもアイデアの模倣は盗作ではないの。同じ木を見て描いた絵が盗作になるなら、誰も創作なんてできなくなる」

「そもそも彼のアイデアなんですよ?」

「その彼も元にしたアイデアが存在するかもしれないでしょ。それに作品として発表したのはこっちが先だし。でも会社としてこの件を荒立てるつもりもないから、あなたも冷静になって」

 大人は、そうたしなめます。

「荒立てるつもりがないのは、究明すれば彼のアイデアにたどり着くからじゃないんですか?」

「わかってもらえなくて悲しいわ」大人は目を閉じて、ため息をつきます。「あなたたち、もうすぐサイン会なんだから、体調の管理だけはしっかりね」

 そう言って、大人は背を向けました。


 人間界。

 結論を言えば、出版社が発表した少年の盗作疑惑への釈明は全て無駄に終わりました。

 確固たる証拠は捏造した卑怯な言い訳に違いないと断定され、疑惑はいつの間にか確証へと変貌し、怒りを発露する許可でも得たかのように、多くの魔族、そして一部の人間からのクレーム、嫌がらせ、誹謗、中傷、上映が近づいてきた少年の小説が原作の映画の公開中止を求める署名活動まではじまったのです。

 少年の無実を信じている人の少女は、少しでも力になろうと彼の仕事場を訪問します。

 しかし、そこに少年の姿はありませんでした。

 少年は姿を消したのです。


 数日後、魔界。

 予想以上に盛況な魔族の美少女のサイン会。

 ちなみに彼女はここでは美少年のふりをしています。

 ファンの中に可憐な少女が多いことに気をよくしていました。

 そんな今は美少年に扮している美少女の前に、サインを求めて次のファンが立ちました。

 フード姿のそのファンは、美少女の前でそれを外します。

 現れたのは、人の少年。

 否応なしに会場はざわつきます。

 足早に近づいてくる警備員に、問題ないと、美少女は手で制します。

「はじめましてですね、先生」かつてないほど男性的な声で美少女は言いました。

「そうですね」

「僕はあなたのファンです。新刊もいつも発売日に買わせてもらってます」

「俺もです」

「本当ですか? 嬉しいな」美少女は笑顔を作ります。「僕もあなたからサインをもらいたいところなんですけど、あいにく今はあなたの本を持ってなくて、それにここは僕のサイン会なので、せめて僕の本にサインをさせてもらってもいいですか?」

 魔族の美少女は少年の手から本を受け取ろうとしました。しかし少年はその本を離そうとしません。

「どうしました、先生?」

 首をかしげる美少女に向かって少年は「すみませんでした!」と深々と頭を下げたのです。

「……最近世間を賑わせている問題についておっしゃっているのなら、あなたの行為は見当違いですよ。うちの出版社からもあれは偶然の一致であり、あなたへの不快感も遺憾もないと発表したはずですが?」

「それでもご迷惑をかけたことに変わりはありません。すみませんでした!」

「お願いですから頭を上げてください──」

 そのとき、どこからか飛んできたガラスの瓶が少年の側頭部を直撃しました。

 少年はその場に倒れ、意識を失います。明らかに彼を狙った行動でした。

「誰です、こんなことをしたのは!」美少女は声を上げます。「警備の方、この中に不審者がいるようです。探してくだ──」

 警備員に応援を求めた美少女の声は固まってしまいました。

 手に二本目の瓶を持って、にやにやしてこちらを見ている警備員と目があってしまったからです。警備員が犯人だったのです。

「……どうして」美少女は絶句しました。

「当然だろ」会場の誰かが叫びました。

「盗作野郎には当然の報いだ!」別の誰かの声。

「人間はいつも魔族(おれたち)のものをパクってばかりだ。音楽や芸術も魔族のものを盗んで、勝手に名前をつけて自分たちのものにしようとした!」

 そうだそうだと、会場にいた魔族たちが賛同します。

「待って、みんな。冷静になって!」

 美少女の声は届いているはずなのに、倒れた少年のそばにいた若い魔族は彼の頭を踏みつけています。

「やめなさい!」

 美少女の警告にその若い魔族はびくりと、肩をふるわせました。しかしその目は、どうして人間の味方をするのかと、不可思議な色に染まっています。

 警察と救急車がくるまでの間、美少女は少年の壁となり、自分のファンから彼を守ることとなってしまったのでした。



 目を開けると、今にも泣き出しそうな少女と目が合いました。

 目が合うと、実際、少女は泣き出してしまいました。

「……よかった」と声と涙をこぼします。

「……どこだ、ここは」

 ほぼ確実に病院であることは察していても、なぜベッドに寝かされて、そばで少女が泣いているのかわからなくて、少年はそう訊ねました。そうすればここまでのあらすじを教えてもらえる気がしたからです。

 実際、その通りになりました。

 少年が魔族の美少女のサイン会で彼女に謝罪すると警備員から瓶を投げられて意識を失ったこと。暴徒と化したファンからずっと美少女が守っていてくれたこと。ちなみにキミは美少年だと思ってるだろうけど、あの魔族の美少年作家は本当は魔族の美少女だということ。

「……あいつ女だったのか……」少年は感慨深く遠い目をします。「まさか、ライトノベルの定番セリフを現実で口にする日がくるとはな」

「それでキミの盗作についてなんだけどね、あれも一応解決したというか、また別の問題が出てきたというか……」

 迷いながら、少女は話しはじめます。

 サイン会での事件後、魔族の出版社から発表があったのです。

 それはこのような内容でした。

 あの物語は、かつて人間の少年が我が社の新人賞に応募していたものとの共通点が多いことが判明した。そのことについて当該作家に聞き込みをしたところ、偶然目にしたその物語からインスピレーションを得ていたと認めた。

 ただし、だからといってあの作品が盗作の類いであるということではない。

 あの作品は当該作家のオリジナルであると確信している。

「それで、どうなった?」と少年は訊ねます。

「想像できる通りだよ。さっきまで魔族が人にしてきたことを、今度は人が魔族にしてるだけ。形勢逆転っていうか、形勢むちゃくちゃだよ、もう……だけど、私も人のこと言えない」

「どうしてだ?」

「私、すごく怒鳴っちゃって、出版社の偉い人に。人っていうか魔族だけどね、最初から彼の作品だってわかってたのに、どうしてもっと早く発表しなかったのって、そうすればキミもこんな目にあわずにすんだのに。もうあなたたちと仕事はできないから辞めさせてもらうって、全部捨てて飛び出して、それで──」

「──それで?」

「それで今、ここでこうしてる……」

「なるほど」少年はベッドに背を預けたままの体勢でうなずきます。「わかりやすい」

「ねえ」少女は言います。「私たちの憧れてた世界って、こんなだったの? ねえ、キミの目に今の私はどう映ってる?」

 一瞬でも目を離せば消えてしまいそうな少女に向けて、少年はこう語り出しました。

「……デビューして間もないころ、お前のことについて、編集の人に言われたんだ。イラストレーターの寿命は短い。どんなに人気のあるやつでも、三年が限界だって……お前もその一人だって」

「…………」少女は何も言い返しません。

「だけどその編集さんはこうも言ってた。ほんのわずかだけど、才能を消費されずに、ずっと一番でいられる本物もいるって……そいつが今、お前の目の前にいるって……」少年は目の前の相手をじっと見つめていいます。「……確かにそいつは今、俺の目の前にいるんだ」

「…………」

 少女は言います。

「キミについて、編集さんに言われたの。キミは一発屋だって」

「……ああ、よく言われてるよ」

「今度映画になる、あれ以上の作品を書くことはできないって」

「……それもよく言われてるな」

 少女は言います。

「……私、生まれてはじめて人を殴りそうになった」

「…………」

「キミは、はじめて書いた作品のこと覚えてる? 私は覚えてるよ。あの小説と呼ぶのもおこがましい、文字の墓地みたいな、めまいのするような言葉の羅列を」

「お前ひどいやつだな。俺は一応、怪我人だぞ。体だけじゃなくて心も傷つけたいのか?」

「だけどキミはあきらめなくて、毎日新しい物語を書いて、それがどんどん面白くなっていって、書けば書くほど面白くて──だから言わせない。あれがキミの到達点だなんて、誰にも言わせない。あんなのは通過点の一つだよ。キミの最高傑作は、いつだってキミの最新作だよ」

「……パクるなよ」

「──え?」

「……俺がお前に言おうと思ってた言葉をパクるなよ。イラストレーターにわかりやすく言うならトレースするなって言えばいいのか?」

 少女は、やっと笑いました。

「ずっとキミに言いたかったことがあるの」

「なんだ?」

「キミと一緒に作品をつくりたい」

「……だから人のセリフをパクるなって……」

「だけど、私たち、こんなことになっちゃったし、どうすれば……」

「それについては心配するな」少年はゆっくり起き上がります。「俺にいい考えがある」


 少年と少女には気づかなかったことが一つありました。

 実は病室の扉が少し開いていて、その隙間から様子をうかがっている人の少女と魔族の美少女がいたことに。

「……こんなの見せられたら、私の入る場所なんてないじゃない」と人の少女はこぼします。

「……僕には見せたこともない表情ばかりだ。結局、最初から勝ち目のない勝負に挑んでただけか」魔族の美少女は敗北を受け入れたのでした。

 そんな人の少女と魔族の美少女の視線がぶつかります。

「なによ?」

 怪訝な目をする人の少女。

「……人のお嬢さん、よく見ると素敵な容姿をしているね」

 新しい出会いを見つけた魔族の美少女。

 つづく。



 体調の回復と同時に少年と少女は出版社の窓際に向かいました。

 そこにただ座っている長老と呼ばれる人物に生気はなく、動く気配もありません。

「長老、お話があります」

「…………」

 少年の声を当然のように長老は無視します。

 かまわず少年はつづけます。

「俺たち、人と魔族で作品をつくりたいんです」

 その言葉に編集部全体がざわつきます。

 長老だけ、反応を返しません。

 かまわず少年はつづけます。

「だから、あなたの力をかしてください。お願いします」少年は深く、頭を下げます。

「お願いします」少女がそれにつづきます。

 短くはない沈黙が編集部のあちらこちらに染み込んでいきます。

 ようやく長老は、ぼそりと「……くれ」とつぶやきました。

「え?」

「いいかげんにして、くれ」小さな声ですが、はっきりと聞き取れました。「俺がどれだけそのせいで苦しんだと思ってるんだ!」長老は声を破裂させます。「必死になって夢を描いて、もう少しで手が届きそうだったのに、人権団体だの魔権団体だのからちょっとおどされたくらいで作家も編集も臆病風に吹かれて全部俺の責任にして逃げていった! どうせお前らもそうだ。今は『自分ならできる』『自分だけは特別だ』って根拠のない万能感に酔ってるだけだ。悪いことは言わない。俺からの最初で最後のアドバイスだ、あきらめろ」

 壊れたスピーカーのように大音量で(まく)し立てたあと、壊れたスピーカーみたいに静かになりました。

 その言葉を受けて少年は「すみません、長老」真摯にこう返したのです。「……よく聞こえませんでした」

 唖然(あぜん)とする編集部、そして長老。しかし長老が表情を戻すとき、その口元が微かに緩んだことを、少女だけが見逃しませんでした。

 そうして少年は、ゆっくりと語りはじめたのです。

「生まれてはじめて応募した新人賞はここではなく、魔族の出版社のものでした。当然、人の投稿は規約違反です。わかってて俺は投稿しました。理由はあなたの言うところの根拠のない万能感に酔っていたせいです。自分の作品には特別な力がある。その特別な力は、人と魔族の間にある不条理な垣根(かきね)を壊せるんじゃないかって、本気で信じていました。結果はもちろん、一次選考落選です。俺の作品はスタート地点に立つ資格すら与えられませんでした」

「…………」

 隣にいた少女は、そのときのことを思い出して、ぎゅっと服の(すそ)を握ります。

「自分の作品に世界を変える力なんてない──そもそも作品で世界を変えるとか、そんなの思うこと自体が間違ってるんだと理想を捨てました。だけど先日──ご存じかも知れませんが、俺の作品に盗作疑惑が持ち上がりました。ここにいるみなさんにたくさん迷惑をかけました。すみません」

 少年は編集部に振り返り、頭を下げ、再び長老と向きあいます。

「だけどその問題は思いもよらないかたちで解決します。俺の投稿と作品を覚えてくれていた魔族が無実を証明してくれたんです。だから俺は、またしてもこう考えるようになってしまったんです。作品には種族の壁を壊す力が確かにあるって。そして今回は小さいけど根拠だってあります。俺は作品に救われたんです。自分の作品と、魔族に」

 長老は、特に反応を示しませんでした。

「お願いします。力をかしてください、長老」

 少年は深く頭を下げ、少女もそれにつづきます。

 またしても長い沈黙がはじまると、そこにいる誰もが思いました。

 そうはなりませんでした。

「……一つ、言わせろ」長老が口を開いたのです。

「なんですか?」

「俺は長老と呼ばれるのが嫌いだ。まだそこまでジジイじゃない」

「では、なんて呼べば?」

「決まってるだろ──」その男は、にやりと笑いました。「──編集長だよ」



 数ヶ月後。

 魔界と人間界の境界に、新しい出版社がまもなく完成を迎えようとしています。

 所属作家は人の少年と魔族の少女。

 他にも──

「ねえ、麗しのきみ。今夜デートなんてどうだい?」

「……四十八ページ、一行目」

「なるほど。つまり、そのあとで……」

「……三百六十二ページ、十九行目」

「やれやれ、きみは本当に我儘(わがまま)だね、だけど、そこがいい」

 ──人の少女と魔族の美少女も加わりました。

「……すごいな、会話が成立してるぞ」少年は感心します。

「一度魔族の女の子を知ると、もう人間の男には戻れない……」いつだったか、魔族の美少女から聞かされた言葉を少女は思い出していました。

「おい作家諸君、机を運ぶの手伝うか、机で仕事をするか、どっちか選んでくれよ」

 そう言ったのは、人の大人でした。

「ねえ、軌道に乗るまでは安月給でいいけど、その代わり玄関に飾ってるあの壊滅的なセンスの絵画だけは私好みのやつに変えさせてもらうわよ。美的感覚が狂いそう」

 離れた場所からそう言っているのは、魔族の大人でした。

 編集長一人だとすぐにバテそうだからという理由で参加してくれることになったのです。

 だけど、少年の目から見て、人の大人は以前の出版社にいたときより楽しそうだし、少女の目から見た魔族の大人は、今のほうが、ずっと活き活きしています。

 自然と少年の顔から笑みがこぼれます。

「何かいいことでもあったのか?」

 ダンボールを抱えた編集長が横から訊ねてきました。

「うまく言えないけど、いま自分は正しいことをしてるんだろうなって気持ちになって」

「正しいこと?」

「だから人と魔族がお互いを尊重し合って──それが編集長の理想じゃないんですか?」

「ふむ」と言って、編集長は抱えていたダンボールを床に置きました。「よく勘違いされてるけど、俺が人と魔族の共同レーベルを立ち上げようとしたのは、多様性は素晴らしいとか(いが)みあいはやめようとか、そういう道徳的な動機からではないぞ」

「──そうなんですか?」

「種族的な問題なんて興味ないさ。気に入らない意見は受け流せばいいだけなのに、どうしてわざわざ受けとめて反撃しようとする(やから)が多いんだ。俺が共同レーベルを作ろうとしたのは、そっちのほうが輝けるやつらが少なくないとわかったから、それだけだよ。でもまあ──」

 編集長は言います。

「ずっと(くすぶ)ってたものを解決する糸口になり得るもの。それは詩や歌や音や絵や物語や映像やゲームだったりするとも思うんだ。作品ってのはそういう共通言語だと信じてる。だから俺はつくりつづけたいんだよ」

 少年は少し声を出して笑いました。

「編集長は、やっぱり編集長なんですね」

「当たり前だろ」何を言ってるだこいつは、という表情で少年を見つめます。「俺をなんだと思ってたんだ」

 そんな二人を離れた場所から見ていた少女も、やはり笑顔でした。

 

「よし、みんな、ちょっときてくれるか」

 編集長の声に、一同、ダンボールだらけの部屋に集まります。

「さて諸君、説明するまでもないことだが、我が社は業界最弱の位置にいる。すなわちここより下は存在しない。あとは上っていくだけだ。守りに入った出版業界をどんどん攻めていくぞ。うちの新人賞は人も魔族も大歓迎だし、インターネットも活用していくぞ」

 少年は訊きます。「なんですかその、インターって」

 編集長は答えます。「俺もよくは知らんが、簡単に世界中とつながれるツールらしい。普及すれば必ず大きな武器になる。というわけで今から勉強よろしくな」と前方に目を向けます。

「え? こっちに丸投げ?」と魔族の大人は眉をひそめました。

「この人、昔からこうなんだよ」人の大人は、どこか慣れた様子です。

「そして作家たちよ。当たり前だが出版社の未来はきみたちに掛かっている。幸運なことに、きみたちには勢いとあきらめない心がある。だから思う存分、作品で暴れてくれ。以上」

 人の少年、魔族の少女、人の少女、魔族の美少女は「はい」と応えました。



 魔界と人間界の境界に、小さいけれど何もかも新しい出版社が建ちました。

『A&H BooKs』

 魔族(Angel)人間(Human)の出版社です。


 ()く音と()く音が交差する。

 少年は物語を書いて、少女は絵を描いて。

 書いたものと描いたものが交差して。

 今、一つになって。

 Light(ライト)『光』『明かり』『軽い』『脚光』『娯楽的な』

    他にも『問題解決の光明』『出会い』という意味もある。

 Novel(ノベル)『小説』

    他にも『斬新な』『革新的な』『新しい』という意味もある。

 Dark(ダーク)『闇』『暗い』『濃い』『邪悪な』『わかりにくい』

    他にも『未知の』『神秘的な』という意味もある。

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