馬鹿にされるには理由がある
三寒四温
はい。高校生です。
タイトル見て なーに当たり前の事を言ってるんだと思った貴方は正解。 当たり前のことしか言わん
今日はバッティングセンターに行った。まあ僕は野球は出来ないんだけど、父が行くというので部活もないし、行くことにした。
父親は手慣れた感じで金属バットを握り淡々と打ち始めた。不安定な曲線を描きながら飛んでいく白球。
父は高校時代は野球部で、本当に野球バカだったらしい。僕の県では珍しく、甲子園初戦まで進んだらしい。らしいらしいうるせえな。体に染み付いた、というよりかは、その昔の経験が父の身体を操作してるかのように感じた。
何を思ったか、僕も打てんじゃね?と思ったので少し気だるそうな雰囲気を見せて、グリーンネットを越えて僕も金属バットを握った。こういう時、ほんとはやる気があるっていうのは、年頃を超えてきた人達ならわかるはずだ、と信じている。
1球目 空振り
2球目 突き指 後ろで見ていた父親にヘルプを求め
選手交代。
僕は見ていることしか出来なかった。
さっきのように父親が打つ。ポーンと飛んでいくボール。ぼーっと眺めていると僕の後ろから小学生が笑う声が聞こえる。被害妄想かもしれないが、その声は僕に向いているように感じた。ああ、ダサいよ。とてもとても。僕を馬鹿にしてくれ。
ほんとは僕も、人並みに運動出来るようになりたい、と、思ったことがある。神に恵まれて健康な身体をいただきましたので。まあこれが上手くはいかないんだわな。上手いこと神は社会をある意味で作っているらしい。
でも、たまに自分にも出来るかもって時あるじゃん?
それが例え初めてでも、ほとんどやってなくても、無理難題でも、やりたいと思う時がある。
環境に流されて、言い訳して、無理だからやらないと言って、馬鹿にされるからと言って、やらないのは自分は少しだけ虚しい。
下手に出しゃばって、馬鹿にされる悔しさは、やらなかった後悔に、勝るのだろうか。自分がおかしいのかもしれない。
馬鹿にされるのには理由がある。だって愚かで馬鹿なことをしていてマヌケでズブだから。
まあ気にしない。何が言いたいかって、出しゃばって、馬鹿にされても立ち上がれる人間は根っからのドMであり、僕もそこに属してっていう話。
人生五分五分