アスランはにげだした!
「逃げるぞ」
「逃げる、ったって──」
「肉じゃなくても、このさい構うか。犬相手だ、投げれば何でも追っかけてくれる、ハズ」
肉、投げる、でハーピィはハタと気づいた。
届けるつもりで持ってきた干し肉が、右足にしっか、とにぎられていることに。
「コレ、返ス」
ひゅうっ、と近づきざまに足の爪を開くと、イテッ、とローブの男がうめいた。
落とした肉が、頭に直撃してしまったらしい。
「なに、これ。どっから?」
「いいから、それ放れ、ハリル!」
「ああ、うん。ほれ犬人間、これやるから向こう行け!」
ぶんっ、と放り投げられた肉の軌道を目で追ったグンタイイヌは、肉が飛び込んだ草むらへと四本足で駆け戻った。
手にしていた人間から奪ったものとおぼしき槍を落っことしていくあたり、知能も高くはなかったらしい。
肉に対するあの反応は、獣型の魔物ゆえか、それとも犬の習性なのだろうか。
街道を駆け去った人間のうち、ひとりが百メートルほど走ったところで足を止め、こちらを振り返った。
「さっきの女の声も、もしかしてあれか」
やや遅れていたもうひとりも、立ち止まる。
「どーした、アスラン?」
「さっきの肉、俺がハーピィに投げたやつだ」
「なんで、そんなもんが……うおっ!」
けげんに視線の先を追ったローブの男も、大剣の男が見つめている空からの追手の存在に、ようやく気がついたようだ。
「あー、たしかに。──ってか、せっかくやった肉を、食わずに返しにきたのか? そんな魔物がいるなんて、聞いたことねーけど」
そも、魔物に肉を与えて逃げる隙をつくる人間、なんて他にどこにいるのだろう。
ハーピィのすがたを見た者たちの中には、氷柱や雷撃を降らせてくる人間もいたが、食料を投げて去って行く人間は誰ひとりいなかった。
ハーピィが翼をはばたかせて近寄ると、ローブの男がひるんだ。
「あれか? あんなちんけな干し肉より、おまえらの新鮮な血肉を寄越せ、とかおもってんだろ」
ハーピィはまばたいた。
……今のは、ひとりごとじゃなく、自分に訊いたのだろうか。
「おもってナイ」
「おもってないらしいぞ、ハリル」
「何あっさり信じてんだよ、アスラン! あの爪見ろ、のどぶえ掻っ切れるぞぜったい」
「まぁ、爪は鋭いな。でも、猛禽類は牙の代わりにくちばしがあるから肉が食えるんだろ。あの顔で、俺たちの肉を食うように見えるか?」
「…………見えねぇ。見えねぇけど、魔物だぞ。魔物って、人間を襲う生きものだろ?」
それには、大剣の男も答えなかった。
あるかないかわからなかった警戒心が、にわかに強くなる。
──けれど、それが、ローブの男だけは何があっても傷つけさせない、という意志から発されていることも、ハーピィには伝わってきた。
それは、殺気とは違うものだ。