突風
「シィ! あっちに、何かいる」
急に立ち止まった大剣の男が、後ろから来るもうひとりを押し止め、右前方を指さす。
上空のハーピィからは、彼らからものの五メートルほど先におばけうさぎの子どもがいて、親のすがたを探してきょろきょろとあたりを見回しているのがはっきりと見えた。
大剣を抜くまでもなく、ローブの男が手にした杖の一撃で伸せるにちがいない。
けれど、すがたが見えていない人間たちは身を固めて警戒している。
相手が子どもの魔物だとわかれば、逃げずに、今度こそ攻撃するのかもしれない。
そんな光景は、あまり見たくはなかった。
『おかあさんにはすぐ会えるよ。動かないで』
やや高度を下げ、風に囁きをのせる。
声が届いたらしく、おばけうさぎの子の長い耳がぴくぴくと反応した。
『そばにいるのは人間。近づいてはだめ!』
とたん、二本足で立ち上がっていた体がうずくまった。
ガサ、と拍子に草が揺れる。
と、大剣の男が意を決したように、一歩を踏み出した。
「行かないデ。子どもダカラ、襲ってコナイ」
男は足を止め、首を左から右に巡らせた。
「おいハリル、聞こえたか?」
「なんだろ。女の声みたいだったけど」
「子どもだって言ったよな?」
「さっきの、クマみたいなデケーウサギの?」
どうやら、ことばが通じたらしい。
大剣の男は、ローブの男の腕を引いて方向転換をした。
しかし、ますます街道から遠ざかっていく選択に、ハーピィはあっけにとられる。
人間には危機回避のための本能というものがないのだろうか。
しかも、五百メートルほど先にある木は、メガスズメバチの巣だ。
巣に近寄るものがいれば、たとえ相手がドラゴンであったとしても、彼らは集団で襲いかかる。
空を飛べない人間があえてそちらへ向かうなど、自殺行為としかおもえない。
ハーピィは人間たちの進行方向の十メートルほど先をめがけて急降下した。
草に足が触れるや否や、ガサバサという音だけを残し、いっしゅんで飛び去る。
「うわああ、今度は何だッ」
ローブの男が跳ね上がって尻餅をついたのが、高速で動くハーピィの目にはしっかりと見えていた。
すこし離れたところで止まって見ていれば、膝を折ってしばらくじっとしていた大剣の男が、首をひねりつつ立ち上がる。
「ただの突風、かな」
「いいや、ぜったい何かいる、何かいる!」
「気配はないけど。じゃあ、向こうに進むか。でもまた、街道に出てしまうぞ」
「あー、なんかでかい鳥がいたもんな。あれに追っかけられたら、今なら五秒で力尽きる。アスラン、骨は拾ってくれ」
「ふざけるなよ。断固断わる。両手両足が引きちぎられても、俺はおまえをぜったいに死なせない。おまえは、魔王を倒す男だ!」
ぺんぺんと尻についた枯れ草を払いながら、ローブの男が立ち上がった。
その顔は、心なしか、赤くなっているように見える。
「そりゃ、おれは天才だけど、ただの魔法使いだし。お姫様を救い出しに行く勇者は、あくまでおまえなんだからな、アスラン」
「おまえがいなきゃできない」
「それはそうだな。そうだけど──おまえの兄貴が生きて戻ったのはあれ、片手片足しか引きちぎられずに済んだからだ。両方持ってかれたら、アイテムを使って逃げることもできないんだぞ。それに、両方とも義手に義足じゃ、ダンスも踊れなくなっちまう」
「それは困るな……」
ダンス、って何かしら。
踊るといえば、ハーピィは火炎孔雀の求愛の踊りくらいしか知らない。
一時期、おなじ木を住処にしていたガルーダの姉妹は、その踊りがいたく気に入ったらしく、ともに消えてそれっきりだ。