『夜のとまり木』
街道をかける風が、ザアザアと葉を鳴らす。
毎日、変わらない景色。
街道のシンボルとも言うべきジャイアントツリーを訪れるのも、風だけになって久しい。
葉っぱが一枚、ひらりと落ちていくのが、せめてもの変化だった。
退屈が、まぶたをとろとろと落としにかかる。
眠っているうちに、今日は明日になるかもしれない。
けれど、明日もまた、おなじ一日がつづくだけ。
──そうおもったとき。
「ひー、はー、はー。もー、だめ。休む。休むったら、休むからな、おれは!」
とつぜん聞こえた人の声に、ピクリと聴覚が反応した。
耳は、顔の横に左右一対。
位置も、形も、顔にあるパーツは、至って人間のそれと変わりない。
ちがうのは、肩から先の羽根に覆われた白い大きな翼。
それと、木の枝を掴む、鷲によく似た鋭い爪を持つ両の足。
──そのすがたを見た人間は、おどろきと恐れとほんのすこしの親しみとがない交ぜになった顔で、『ハーピィ』と口走った。
意味はわからない。
けれど、おどろきと恐れだけでなく、ほんのすこしの親しみが込められたその呼称は、きらいではなかった。
人の話し声なんて、聞くのは何日ぶりかしら、とハーピィは首をひねる。
よくはわからないが、もうかれこれ三百日か、ひょっとしたら五百日ぶりくらいかもしれない。
眠気も吹き飛んだ目を眼下に向けると、人間のすがたがふたつあった。
ひとりはべったりと地面に座り込んでいる。
もうひとりは、今ようやく木陰に入ってきたところだ。
頭上の枝に手を触れた男の肩口から、背中に背負った大きな剣の柄がのぞいている。
「これは例の、『夜のとまり木』かな」
「なんか、実が成るのか?」
「……残念ながら。クリエツァ王国領の西の端にある、街道のいわば目印だ」
「あそ。食えねーなら、どうでもいい」
「ここを過ぎればいよいよバルカナン半島を出て、未知の魔物がわんさかいる土地に入る。だから──たしかに休めるのは、今のうちかも、と言いたかったんだ」
会話が途切れたとたん、さみしさがわく。
声を──とくに、息が乱れた様子のない、落ち着いてひびく、耳に心地いい方の声を、もっと聞いていたかった。
彼らはどこから来て、どこへ行くのだろう。
どうして、旅をしているのだろう。
なんでもいいから、もっと声を聞かせてほしかった。
ふたりでいると、会話ができていいな、とおもう。
ハーピィはいつもひとりで、だから歌うことしかできない。
歌うのは、大抵、さみしさをまぎらわすため。
だから、人間たちの声を聞くと、いつもウキウキしてきて、自分も話したくなるのだ。
でも、話しかけることはできないので、そんなときも、せめて歌を歌う。
そうすると、ひとりぼっちではない時間が、すこしだけ長くつづくから──
そうだ、歌おう。
ここで休んで行くのなら、ちょうどいい。
声を出すべく、うつむいていた顔を上げたとき、はずみで翼の触れた枝葉がカサリと鳴った。
とたん、刺すような鋭さで、大剣の男がこちらを振り返る。
視線が、正確に交わった。
人間から放たれる緊張感は危険なものだ、とハーピィは知っていた。
知っていたはずなのに、人間に出会うのはひさしぶりで、すっかり忘れていたらしい。
でも、いっしゅんで思い出した。
歌え、と電撃のごとく、頭の奥で誰かが命じる。
とっさに、口を開く。
男も、口をぱかっと開いた。
知っている……その口から出てくる声は、悲鳴か、威嚇、そのどちらかだと。
──けれど、男は大口を開けたまま、なにも言わなかった。
ただ、いっぱいに見開いた目をこちらに向けているだけ。
木の実のようにまん丸で、つややかで、見たことのない感情が浮かんだ瞳だ、とおもう。
その目を見たハーピィも、なぜか金縛りにあったように、歌えずにいた。
恐怖も、憎悪も、一切こもっていない瞳を向けられたのは、初めてかもしれない。