『旅人の水』
おいおまえ、と足の下から声がした。
高度をやや上げて『見張り一号』の役目を果たしていたハーピィは、視線を落とす。
大剣の男は名をアスランといい、ローブの方は名をハリルというらしい。
声の主はハリルで、こちらを仰ぎ見ている。
自分を呼んでいる気がしたのは、当たっていたようだ。
「ナニ?」
「近くに魔物はいるか? とくに、そのへん」
街道の右脇にある大岩を、指さしている。
大岩の影の湿った土は、ブラックワームが好む住処のひとつだ。
今のところすがたは見えないが、土の下からひょっこり顔を出す可能性もなくはない。
「今はイナイ」
「今は?」
ハーピィは、ひらり、とその大岩の上に降り立った。
爪が立たないので居心地はよくないが、天敵の鳥型を恐れるブラックワームが出てくるのを防ぐには、そうするのがもっとも手っ取り早い。
「コレデ、ずっとイナイ」
ハーピィに向かって、ハリルがなぜか立てた親指を見せた。
それから、大岩の周囲を身をかがめて半周する。
「あったー! ヒカリソウだ。これで、旅人の水が買える~」
突き上げた手には、裏側が銀色にかがやく草が根っこ付きでにぎられていた。
岩場でよく見かける美しい草だが、そんな名前がついているとは初耳だ。
「……タビビトのミズ?」
もう半周したハリルは、どことなくがっかりとした様子でうなずいた。
「そ。ふつうの水とおなじ量でも、重さが半分しかないふしぎな水だ。それを飲めば、疲れた体もふしぎと軽くなるという、旅の必需品!」
立ち止まっていたアスランが、おもいだしたように腰にぶら下げた水袋を口に運ぶ。
ハーピィの視線に気づいて、彼は笑った。
「ちがうよ。これは、水場で汲んだただの水。旅人の水は便利だけど、お金がないと買えないから。あのヒカリソウを売れば、一〇ガルになる。この袋いっぱいの旅人の水は一二ガルなんだ」
ということは、あの草を売っただけでは、水は買えないのではないだろうか。
ハリルは、ヒカリソウがもう一株なかったことにがっかりしたのかもしれない。
ハーピィは、南東にそびえる山を振り返った。
あそこのてっぺんには、ハーピィの友だちの薄羽ドラゴンが住んでいる。
決して山から下りては来ないのでハーピィから訊ねて行くのが常だが、途中の岩場に、そのヒカリソウとやらが群生しているのだ。
あそこに行けばいっぱいある、とおしえたところで、人間にあの岩場は登れないだろう。
仮に登れたとしても、行って戻るだけで、軽く三、四日はかかるはずだ。
「先に、行ってイテ」
「は? ハーピィ?」
「採ってクル」
「おーい、餌でも見つけたのかー?」
翼を大きくはばたかせると、いっしゅんで人間が粒になった。
もう、答えたところで声は届くまい。
あと数十分で日も沈むが、草を採って戻るのに、ハーピィなら十分とかからないはずだ。