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大丈夫と『怪物』  作者: とるとる映
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第一話

 風はキュルキュルと音を立て、外の木々は見たことのない角度まで倒れ、揺れている。窓はカタカタと軋み、曇天が時折地響きのような轟音と共に黄金色の糸を垂れ流していた。春先のよくある不安定な天気で、昨日まで何日も晴れていたことが嘘のような激しい雨だった。

 少女たちは薄暗い部屋の中、オイル・ランタンを囲むようにひっそりと座り身を寄せ合っていた。時折、 階下から何かが崩れるような轟音が聞こえる度に少女たちはその小さな体をびくっと震わせて互いに顔を見合わせ、また静寂が訪れると柱にかかった時計の秒針の音と誰かから布擦れの音が小さな部屋に響いた。

 そのうちに、ただ沈黙したままでいる退屈に耐えかね、恵理子は口を開いた。

「…一階にまだ人っているかな」

「いないんじゃないかな」

 と瑞樹が応えた。

「きっと私たちだけよ、逃げ延びたの」

「『きゃーっ!』とか、人の声みたいなの聞こえなかった?」

 ちょっとやめてよ、と由美が泣きそうな顔を恵理子に向けた。

「…冗談。きっと、テレビの音声とかじゃないかな?」

「きっとホラー映画ね…」

 瑞樹は幼い頃に家族みんなで見た「着信アリ」を思い出した。子供たちはみんなクライマックスには全然達してない前半部分ですでに恐怖で涙目になっていて、お母さんとお父さんが傍にいてなだめてくれた。でも今ここにいるのは自分と恵理子と綾と由美とハルの五人だけ。一番上の二人の姉とお母さんは『怪物』に喰われ、お父さんは知らない。お父さんももしかしたらとっくに食べられてしまっているのかもしれない。

「何馬鹿なこと言ってんのよ! そんなもの、もう有るわけないじゃん!」

 由美は髪をくしゃくしゃにかき回してヒステリックに叫んだ。

「何一人で盛り上がってんの…。冗談だって言ったじゃない」

 恵理子は鬱陶しそうに由美を見て、由美は顔を真っ赤にさせてわなわなと口を震わせた。

「こんな時に冗談なんて、フキンシンだわ!」

「静かにして」

 荒れた空気に落ち着いた声がかぶさった。

 少女たちはハッとして声の主を見る。綾が目をつぶって床に耳を当てていた。

「…変ね、何も聞こえない。静かすぎるわ」

 他の少女たちも耳を澄ませて部屋の外の様子を窺った。

「台所にはいないわね、恵理子ちゃん、トイレはどう?」

「ん、いない。瑞樹は?」

「階段は…微妙ね、ぎしぎし聞こえるけど、『怪物』の音なのか、ただ階段の木板が鳴って

いるだけなのか」

 五人の中でただひとり長髪で最も大人っぽい綾は、身を起こして他の少女たちにニンマリと笑いかけた。

「大丈夫。きっと近くにはいないわ」

少女たちはほっと安堵の溜め息をついた。

「…みんな、ごめん」

 蝋のように青白い顔をした由美が伏し目がちにぼそりと呟いた。

「元はと言えばわたしのせいだわ。わたしが逃げ遅れたせいで…」

 聞いて、恵理子は後ろから腕をまわして由美の肩を引き寄せた。

「ううん、あの時、わたしはみっともなく一番に逃げようとしたのよ。わたしが一番足が遅いのに」

 恵理子は由美を励ますつもりだったが、途中から自分の非が大きいことを思い出して、その低く抑えられた声は最後には震えてしまっていた。

「ごめん…、ごめんなさい。わたしが無理に逃げ出そうとしなきゃ…」

 由美は肩に乗った恵理子の手を柔らかく握った。

「そんなことないわ。大丈夫」

 二人はハッとして、声の主を探した。

 綾の膝の上に頭を乗せ、ぐったりと元気のないハルが、透き通るような薄い瞼をうっすらと開けていた。ハルは姉妹の中で一番優しい女の子で、お母さんの家事をよく手伝い、食べ物が少ない冬は食いしん坊の由美に自分の食べ物を隠れて分け与えていた。そのことをお母さんは知らないが、姉妹の中では公然の秘密だった。でも今の姿は深手を負った小動物のようだった。横向きにぐったりと寝そべり、両方の腕をだらんとだらしなく伸ばしたままぴくりとも動かなかった。そして、体のいたるところから出た血が服に滲んでいる。

 濁って生気の無い目が由美を恵理子の二人を順番に見つめた。

「ハル、ハル、…あなたは喋ってはいけないのよ」

 綾がその頭を優しく撫でた。

「うん、大丈夫。…お姉ちゃんたちとお母さんはいなくなっちゃったけど、でもきっとこれが最善だったと思う」

 本当よ、と言ってハルは綾の顔を見上げて小さく笑いかけた。

「それに、見て」

少女たちはハルの目線に従って、壁に懸かったガラスの割れた時計を見上げた。

 四時五分。

 ハルの目が、かすかに熱を帯びた。

「もう少しで夜が明けるね」

 綾がハルの額に手を当てた。

「そうね、みんなで朝を、一緒に迎えようね」

 ハルは綾の声に安心したように微笑み、半分だけ開けた目はまた虚ろに変わって空間の一点をぼんやりと見つめた。他の少女たちはハルの顔を心配そうに眺めることしか出来なかった。もともと小柄だったけど、ここを出れたとしてもこれからもっと痩せてもっと小さくなりそうだという印象を少女たちは受けた。

「私、水汲んでくるね」

「ダメよ、外に出てはダメ」

 腰を上げた恵理子を綾は厳しい声で引き留めた。

「大丈夫よ。扉を出たらすぐに隠し通路に入るから、アイツらにはバレないわ」

「ダメ。奴らは耳も鼻もいいから、きっとすぐに捕まってしまうわ」

「…私が飲みたいんじゃないの。ハルのために、私も何かしてあげたいから」

「でも…」

「でも私たちだって水を飲まないと、このままだと危険だわ。あんまり水分が少ないと朝日に身が焼けて死んでしまうわ。せっかくわたしたちだけでも生き残ったのに、そんなことはハルだって望まないと思うの」

 綾は衰弱しているハルをチラッと一瞥した。恵理子を止めるために反論するべきだが、後に続く言葉はどうしても浮かばなかった。確かに恵理子の言うとおりでもあると思った。誰かが危険を起こさない限り、全員一緒には助かれないかもしれない。

 それっきり誰も反論を上げす、結局恵理子は立ち上がりひたひたと音を立てないように慎重にドアの方へと近づいた。

「ちょっと待って!」

 瑞樹の声がこの狭い空間に刺さった。

 恵理子は扉に伸ばした手をとっさに引いた。びっくりしたというように顔をしかめる。

「……何だか、変に静かじゃない? 階段から音が何も聞こえてこないわ」

 瑞樹は耳を床に押し当てながら言った。由美も真似してみる。

「ホントだ」

「もしかしたらさっきの音、やっぱり奴らのだったかもしれない」

 少女たちはひそひそと囁きあった。

 外はまだ風が唸り、雷が遠くの方で光り、消えた。地響きのような不気味な音が遠くから伝わってくる。少女たちは固唾を飲んだ。

 壁掛け時計の音が、妙に大きくコチコチと部屋に響く。分針の位置はほとんど変わっていないが、秒針はいつもより早く動いて自分を急かしているように思えた。走馬燈は時間が遅くなるもの。だから私はまだ死なないだろう。恵理子はそう自分に言い聞かせた。恐怖に負けると身体が強張ってしまう。負けるもんか。「怪物」なんかに。

 コチコチ コチコチ

 

 コチコチ コチコチ。

 

 コチコチ コチコチ


 コチコチ コチ コチ


「…行ってくるわね」

                

 恵理子はドアノブを回す。秒針の音に混じって、扉の蝶番がギィっと鳴った。


 コチコチ  コチ  コチ

 

 コチ コチ  コチ  コチ


  コチ  コチ  コチ  コチ


   コチ      コチ


   コチ      コチ


 ズズッと、何かを引きずるような音がした。


「待って! ダメっ‼」

 瑞樹は叫んだ。

 

          コチ







                      



 恵理子の首に、毛むくじゃらの巨大な鉤爪が刺さった。

 ギギッギギッ、と、金属が擦れるような音を立てて、「あ…あぁ…」と呻く恵理子の頭にもう一本が髪をかき分けてゆっくりと頭皮にめりこみ、バキンッと頭蓋骨を通過した。瑞樹は反射的に蜘蛛の脚を思い浮かべた。恵理子は同じ姿勢のままぴくりとも動かなかった。オイル・ランタンの橙色の光に照らされて壁に映った無機質な影が、恵理子の心臓の鼓動に合わせてぴくぴくと細かく揺れていた。静かな恵理子はそのまま扉の外の闇にズッと引きずり込まれていった。

「扉を閉めて!」

 綾は叫んだが、自分はハルの頭を膝に抱えているし、扉の近くにいる由美は、「う、あ」と竦んで腰を抜かしている。結局、瑞樹が突進するようにしてドアを閉めた。弾き出された『怪物』が、血をすするようなジュルジュルと不快な音とともにドアの外でぎいぎいと呻いている。

 やがて怪物の気配は遠ざかっていった。


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