頑固者
廃刀令、というものがある。
名前の通り、刀の帯刀を禁じるという法令だ。
明治において、武士という存在は目の上のたんこぶとなっていた。軍隊は民衆からの徴兵制となったことで、武士は必要とされなくなり、また武士たちに払う家禄というものが政府の財政を圧迫していたのだ。その為に、秩禄処分を行い、そして先述の廃刀令によって武士、この時においては士族という存在を消そうとしていた。
しかしこの廃刀令、こんなところにも影響を及ぼしていた。
「最近は刀を打っても売れねえなぁ」
そうぼやくのは、とある刀鍛冶の男だった。
もう壮年も通り越し、顔につく皺も目立ってきた。しかし、老いを見せるのは表面だけで、刀を打つ技量は一切の陰りを見せない。
彼は職人である、と自らを自負していた。そのため、自分の作った刀の中で売り物として売った物以外は、弟子でもそうそう触らせることもなく、また職人である以上一級の刀を打つことが使命と彼は考えていた。事実、彼の刀はどれも一級。迂闊に触れるだけでもぱっくりと斬れてしまう代物。それだけいいものであるからして、かつての幕末の動乱時では彼の刀はたいそう売れ、よく使われたという。
しかし、時は明治である。時代は変わった。
戦場では銃剣というものが使われるようになり、刀の出番は次第に奪われていった。
今では、もはや時代遅れの産物以外の何物でもなかったのだ。
「そうとはわかっていても、おいらはこれしか知らんのだ」
と、彼は注文もされてない刀を今日も打つ。ここら辺が、職人故の頑固さとも言えよう。
「親方、大人しく生活用品作った方がいいんじゃないんすか?」
と、弟子たちは何度も言うが、彼はどうにも受け付けない。
「おいらは包丁や髭剃りの打ち方を知らん。おいらが知っているのは、こいつだけだ」
そんな言葉とともに、頑なに刀を打ち続けている。
弟子たちはこれを年寄り故の頑固だと、呆れて見ているしかできない。
だが、まだ見ているだけならマシである。弟子の中には、そんな彼を見限って彼の工房を去っていく者もいた。
「るっせえ! 来るもの拒まず去る者追わずだ! 去っていきてえんならとっとと去っていけ!」
彼は厳しいが決して弟子を見捨てたりしない。逆に弟子たちが決めた事を否定するということも彼はしなかった。だが、いざ弟子たちが去っていくとなると、その職人の背中にも一抹の寂しさが見え隠れしている。
それを吹き飛ばそうと、彼は余計に刀を打ち続ける。一心不乱に打ち続ける。そうしてできた売れない一級品は、もう百を超えようとしていた。
しかし時代の流れというのは悲しいかな、もうあの刀が必要とされた時代戻ることは無いのである。
無用の長物はたまるばかり。行き場もなく、置き所も無くなっていく。
そして、静かに朽ちていくのを待つだけ。
「もうやめたらどうだい師匠」
そう彼に言葉をかけたのは、とうの昔に彼から独立した一番弟子だった。
「あっしも、先日、刀を打つのをやめたんだ」
とくとくとお猪口に酒をを酌みながら、一番弟子は零す。
「いつまでも時代に逆らっていたって、売れねえもんは売れねえんだ。いつまでも、職人でいられねえ。俺たちは、職人であるというだけじゃ、生きていけねえんだ」
彼は、その言葉を黙って聞いているしかなかった。ただ、酒を飲むその手はどことなく震えている。
「結局、あっしたちはもはや必要とされなくなっちまった。士族たちと同じように、俺たちも変わっていくしかないんだ。今を生きるためには、今に向かって変わっていくしか、ねえんだよ……」
それは、悲痛な心からの叫びだった。弟子自身も不本意であるだろう。言葉の節々に苦渋が滲み出している。
だが、それは師匠である彼を止めることはできずとも、怒りを買うには十分すぎた。
「だからなんだってんだ!」
怒声とともに飛んできたお猪口が、弟子の額で弾ける。一筋の紅が垂れていた。
しかし、弟子は一歩たりとも引くことはなく、敢然とした様子で師匠の前に立ちはだかる。
「いい加減にしろよ師匠! 現実を見ろよ! もう、あんたの生き方じゃ、生きていけねえんだよ! 」
「るっせえやい! お前の言葉にもう耳もかすもんか! でてけ! 出てけ! いや、おいらが追い出してやる!」
どちらも我を譲らない頑固者、次第に口論は熱を増し、取っ組み合いの事態になってしまった。危うくというところで他の弟子達が二人を止めたが、一番弟子は「あんたのことなんかもう知るか!」と捨て台詞を残し、彼も彼で「勝手にしろ!」と喧嘩を売るように啖呵を切る始末。
今まで呆れて見ていた弟子達も、この事件を機に師匠に見限りをつけることが一気に増えた。彼の周りはだんだんと淋しくなり、あれほど活気あった工房も閑古鳥が鳴く始末。
「誰もいねえ方が静かでせいせいするわい」
と、彼は気にもとめようとはしなかったが、その背中には以前に比べて覇気も、威厳も無くなっていた。一抹の隙間風が吹いているよう。
それでも、彼が刀を打つのをやめない。いや、以前にも増して刀を打つのに没頭していく。自らの全てを刀に込めるかのように。
彼はそれしか、生き方を知らないのである。
時代は下り、九州での大きな戦を最後に士族達の抵抗は終わりを告げる。もはや、その国に武士という存在は殆どいなくなってしまった。
それでも、頑固者の彼は相変わらず刀を打ち続けて……いなかった。
いや、もうこの世にすら、彼はいなかった。
九州での大戦が終わりを告げた数日後に、彼もまた息を引き取っていた。工房で刀をまた一本打ち終わったところで、亡くなったという。
武士達の反乱が終わったと同時に、彼の時代への叛逆も終わったのだった。
あれほど打った刀は、結局一本も売れずじまいだった。今じゃ錆つきをみせるものもあり、見るも無残といった様子だった。
「あっしが言うようにしておけば、こんなに淋しく終わらなかったんだろうに」
彼亡き後の工房に訪れた一番弟子は、彼が残した刀の山を前にして、そう呟いた。工房は彼が修行していた頃の面影はもうなく、ただ朽ちて行くのを待つだけといった様相だった。
もはや、彼もここに来ることは二度と無いだろう。何もかもが思い出という、形の無いものになってしまった。
それでもせめて、目に残るもので形見に何か残していこうと、錆びれた刀の山の中から手についたものを一本引き抜こうとした。
その時だった、指に鋭い痛みが走ったのは。
見れば、指が刃に触れたのか、パックリと割れて血が溢れていた。あまりの鋭さに絶句するが、よく思い返してみればあの男の刀はいつだってそういう代物だったじゃ無いか。
かつて誰もが求めたほどの、一級の代物だったじゃないか。
『おいらの刀にさわんじゃねえ!』
いつだったか、師匠が言っていた言葉が蘇る。あの頑固者のめんどくさい拘りだ。
けれど、今思い返してみればそのこだわりは、自分の作品に対する自信でもあったのかもしれない。
あの男は、そういう人間だったのだから。
「……おいおい、死んでも相変わらずらしいな」
脳裏にこだまするのは、鉄を鍛えるあの音。もうここでその音を聞くことは、無いだろう。