8――いざ尋常に
――翌朝。
今日は、作戦の日だ。
決行するのは昼なのだが、あまりにも緊張しすぎて早起きしてしまった。
時間を確認していないから正確には分からないけど、おそらくまだ五時か六時辺りだろう。
上体を起こしてみると、俺だけでなくタイも既に目を覚ましていた。
俺が起床したことに気づくと、タイが声をかけてくる。
「……起きたのか」
「ああ。緊張しちゃって、あんまり寝られなかったよ」
奴隷学校とやらに侵入して山茶花を助け出すわけだし、緊張するなというほうが無理な話である。
とりあえず、昨日のうちにロードさんと作戦を話しておいた。
それに必要な道具も用意したし、ある程度の準備は既に完了している。
あとは、個人的な心の準備だけだ。
「……なあ、タイ。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
そこで、ふと気になったことを訊いてみることにした。
昨日から疑問に感じていたことだが、タイミングが合わなくて問えずにいたのだ。
「ロードさんってさ、何で俺に色々してくれるんだろうな。所詮、俺なんか他人でしかないわけだしさ」
そう。ロードさんは狼に襲われている俺を助け、盗賊団に入れた。
そして山茶花が奴隷になっているということを知ると、わざわざ俺に戦闘力や体力をつけるために鍛えてくれた。
狼から助けてくれたのは、危ない目に遭っていたからという理由で充分ではあるかもしれない。
しかし、だからといって鍛錬までしてくれる義理はロードさんにはない。
ロードさんがそこまでするメリットは、一体あるのだろうか。
「……ロードの過去の話、聞いたんだろ。あいつは、ホーズキとオレたちを子供と重ねて見てるんだよ」
言われて、少し納得した。
ロードさんは優しい。あそこまでの人格者は、他にはあまりいない。
だからこそ、亡くなってしまった子供の代わりに、俺たちの面倒を見てくれているのだろう。
いや、それだけじゃない。
同じような境遇の人たちを集めて盗賊団などという組織を率いているのも、その優しさ故か。
「……」
俺は、改めて失敗するわけにはいかないと思った。
ロードさんも、タイも、他の盗賊団の人たちも……他人である俺のために色々としてくれたのだから。
それなのに失敗なんかしてしまったら、申し訳ないどころの話ではない。
そして、絶対に誰も死なせない。誰かが死ぬようなことがあってはならない。
俺は、もう覚悟を決めた。
無事に山茶花を助け出し、タイと一緒に逃げてくる――と。
そう、誓ったんだ。自分自身に。
§
やがて、ついに昼が訪れた。
俺とタイの二人は、奴隷学校にまでやって来ていた。
ちなみに、タイがついて来ていることはロードさんには話していない。
内緒で来てしまったが、よかったのだろうか。今更そんなことを考えても遅いわけだが。
最初、奴隷学校がどんな建物か分からなかったけど、タイの案内で着いた場所はとても大きな施設だった。
しかもそれは、この間ロードさんやタイと一緒に民家に忍び込みに行ったときに見た、中心にそびえ立つ建造物だ。
あのとき説明を誤魔化されたのは、俺に配慮してくれたのだろう。
妹を拐われた場所だと知ってしまうと、俺も気が気じゃなくなるだろうから、と。
「……行くぞ」
奴隷学校の校門に立っている二人の見張りを陰から確認しながら、タイは小声で言った。
ロードさんによると、どの時間帯も厳重な警備があるのだが、学生が昼食を取り人でごった返す奴隷学校なら学生に扮して潜入できるとのこと。
奴隷学校前には、校門にいる見張り二人以外には誰もいない。
つまり、あの二人さえどうにかできれば、とりあえず中に入れるというわけだ。
壁伝いに近付き、ナイフの柄で後頭部を殴打し気絶させ無力化させる。
誰かが来ないうちに、俺たちは早急に奴隷学校の中に入る。
すると、すぐさまタイが学生用の制服を手渡してきた。これを着て学生だと装えば、おそらくすぐに捕まることはないだろう。
「……見るなよ……?」
「わ、分かってるって!」
背を向け合い、お互いのほうを見ないようにしつつ学生服に着替える。
すぐ後ろで衣擦れの音がして振り向きたい衝動に駆られるが、必死に自分を抑えて更衣に専念する。
そして更衣を終えると、タイがこっちを見ていることに気づく。
「お前、もしかしてオレの着替えを――」
「み、見てない。見るか、そんなのっ! さっさと行くぞっ」
ちょっとした冗談のつもりだったのに、タイは若干頬を赤く染め、そっぽを向いてしまった。
まあ、本当に見られていても困るんだけども。
何はともあれ、俺たちは奴隷学校内を歩き出す。奴隷商人などが交渉を行うという、談話室を目指して。
奴隷学校と言うからには、正直もっと小汚いイメージを抱いていた。
しかし、実際に中に入って歩いてみると、イメージとは正反対で驚かされてしまった。
白という清潔感のある色を基調としており、汚れなんかは全く目立たないくらいに綺麗である。
ここがどういった施設なのかを聞かされていなかったら、普通の学院だと思ってしまうだろう。
そんなことを考えつつ、みんなは昼食のために食堂へ行っているのだろうけど俺たちは談話室へ向かう。
見た感じ学生たちと年齢もあまり離れてはいないみたいだし、制服のおかげかちゃんと学生だと思われているようだ。
とはいえ、油断も慢心もできない。
いつどんなハプニングがあるのかも分からないわけだから、できるだけ急いだほうがいいだろう。
ロードさんと同じく、かつて奴隷だったというタイが導くまま階段を上っていく。
二階と三階を通り過ぎ、四階へと足を踏み入れる。
廊下に出る前に、タイは角から様子を窺う。
「……っ!」
すると。
タイは右腕で俺を制し、廊下を指差す。
「どうした?」
「……あそこ、警備員がいる」
言われて廊下の先を見ると、何人もの警備員と思しき男性が並んでいた。
やはり、さすがに警備員が一人もいないわけないか。
しかも、結構な重装備をしている。正面から立ち向かうと、楽にはいかなさそうだ。
だが、それは既に想定済み。
ロードさんと立てたのは、催涙ガスを発生させる煙玉を廊下に投げ入れ、無力化したところを無理矢理に突破する……という作戦だ。
だから、その煙玉を取り出そうとする――と。
「……オレが囮になる。ホーズキは、壁をよじ登って窓から侵入して」
「……え?」
唐突に告げられた提案に、俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
何故ならそれは、ロードさんと一緒に立てた作戦に反することだったから。
「な、何でだ?」
「無力化するだけじゃ全然足りない。オレが引きつけておいたほうがいい」
確かに、一理あるだろう。
でも、そんなの危険すぎる。
もしかしたらまた警備員が何人かやって来るかもしれないし、いくらタイでも一人で囮になるのは無謀と言える。
「だめだ、タイ。お前だけを囮になんかできるわけないだろ」
「……警備員は人数も多いし重装備で、催涙ガス程度じゃ大して意味ないんだよ。だから、誰かが囮になってあいつらを引きつけたほうが成功する可能性は高い。それなら、見ず知らずのオレより、あんたが妹を助けに行ったほうがいいに決まってる」
あの警備員たち一人一人がどれほどの実力を持っているのか、俺には分からない。
元奴隷だというタイの言葉は妙に説得力があり、俺は反論ができなかった。
「大丈夫。オレは――絶対に死なない」
最後にそう言って、タイは廊下の奥へ向かって煙玉を投入する。
更に短剣を構え、警備員たちへと駆けていった。
もちろん心配だ。やはり、そんな危険な役回りをさせてよかったのかと不安になる。
だけど、タイは山茶花を助けるために勇気を振り絞ってくれたのだろう。
それに、死なないと言ってくれた。
だったら、俺は彼女を信じて、この作戦を成功させるために動くしかない。
そう結論づけ、再び一階へと戻る。
そして、俺は急いで裏庭に回り込む。
当然と言うべきか、裏庭にも警備員が配置されている。
問題ない。俺も煙玉は持っているし、気絶させてから突破すればいいだけ。
煙玉を思い切り投げると、警備員は催涙ガスに巻き込まれ、煙が晴れたときには目が痛むのか双眸を手で覆っていた。
間髪入れずに駆け出し、こちらに反応する間もなく警備員に手刀をお見舞いする。
まともに戦っていたら、さすがに俺では苦戦を強いられてしまうだろう。
しかし、生憎とまともに戦ってやるつもりはない。一刻も早く、山茶花を救い出さなくてはいけないのだから。
「……よし」
一息し、俺は壁に向かう。
今までの俺なら、壁を登って四階まで行くことなんて不可能だっただろう。自分でも信じられないことだったが、たった一週間鍛えられただけで、ロードさんも驚くほどに俺は急成長していた。一応、俺が唯一誇れることと言えば持久力だ。それを踏まえても、自分の中に秘めていた才能が――なんて、今は考えている暇はない。
俺は壁に両手をつき、足を上げる。
そして――できるだけ早く、尚且つ落ちないよう慎重に、を心がけつつ。
高くそびえ立つ奴隷学校の壁を、よじ登った。
廊下のほうからは、男の怒号や剣戟の音が聞こえる。
タイが言っていた通り煙玉だけでは足りなかったのか、戦っている途中のようだ。
不安に駆られてしまうが、俺も覚悟を決めなくてはいけない。
誰かに見つかる恐怖と焦燥感で指を滑らせないように、心を落ち着かせ、ほんの少しの壁の窪みにかけながら上を目指す。
やがて、ようやく四階に到着して。
俺は、外から思い切り窓ガラスを突き破った。
そうして転がり込んだ先は、何やら豪奢なつくりの部屋だった。
すぐに立ち上がった俺は、とあるものを見て。
思わず、絶句してしまった。
金縁で横長の椅子が二つ机を挟んで並んでおり、一人の男の対面にとても人相の悪い男が腰掛けていた。
そして――。
「――山茶花……ッ」
そう。俺が、その姿を見紛うわけがない。
俺の妹――山茶花が、人相の悪い男の隣に座っていたのだった。




