7――嵐は、すぐ間近に
「……ちょっと、訊きたいことがあるんですけど」
ある日。
数時間ほど鍛錬をし、凄まじい疲労に苛まれた体を休ませている途中。
壁に背を預けて地面に座りながら、俺はロードさんに訊いてみる。
「ロードさんは、何で奴隷についてそんなに詳しいんですか?」
そう。奴隷には手続きが必要なことや、引き取られるまでに七日ほどかかることなど、ロードさんは色々俺に教えてくれた。
だが、そもそもどうしてそんなに知っているのか、単純に気になってしまったのだ。
「はっ、そんなの聞きたいか……?」
そしたら、ロードさんは躊躇いがちにそう問い返してきた。
俺は「言いたくないことなら別にいいですけど」と添えて、頷く。
「……俺にはよ。昔、息子と娘がいたんだ」
すると、ロードさんは若干俯き気味でボソリと語り出す。
「でもよ。ある日突然、俺の子は殺された。ずっと平和に仲良く暮らしてきたってのに、いきなりその日常は崩されちまったんだ」
ロードさんが既婚者だったということも驚いたが、それ以上に子供がもう死亡してしまっているということに、俺は驚愕を隠しきれなかった。
だったら、ロードさんの妻は、今頃どうしているのだろうか。
いや、子供二人がそんな状態なら。そして、夫のロードさんがこんなところにいるのなら。
妻が誰なのかは分からないけど、おそらく無事では済んでいないだろう。
「んなの、許せるわけねえだろ。だから、俺はやっちまったんだ。とんでもねえ怒りに自分を支配されちまってよ、我を失って――殺しちまった。復讐ってやつを、俺は自分の手で果たした」
家族を殺害され、どれだけ悲しかったか。
平和を侵されて、どれだけ苦しかったか。
日常を壊されて、どれだけ憎んでいたか。
実際に経験したことはないから、完全に理解できるわけじゃないけど。
でも、もし山茶花が目の前で殺されたら、俺も同じようなことをしてしまうかもしれない。
「いくら相手を憎んでいたっつっても、殺人であることに変わりはねえ。だから、俺は奴隷として拘束されちまったんだ」
そこまで聞いて、ようやくロードさんがどうして奴隷に関して詳しいのかを悟った。
自分自身が奴隷になっていたなら、詳しくても何らおかしいことではないだろう。
「……と、ちょっと話しすぎちまったな。ほら、休憩はもう終いだ。さっさと再開すんぞ」
「あ、は、はいっ!」
珍しく物憂い一面を見せたロードさんは、すぐに一転して笑顔を取り戻した。
あまり話したいことではないだろうし、これ以上訊くつもりもない。
なので、ロードさんに次いで俺も立ち上がり、再び鍛錬を行う。
少しでも自分のことを語ってくれたことに、妙な嬉しさを覚えながら。
§
そして――。
俺が〈サーヴァリア〉とやらに来てから、およそ七日が経過した日の夜。
ついに明日、俺は山茶花を助けるために奴隷学校へと忍び込む。
そう、作戦決行は明日に差し迫っているのだ。
鍛錬中の六日間で、俺はロードさんから色々なことを教わった。
まず、初日に俺を襲った巨大な狼は〈ゼレーネ=リンファー〉と呼ぶらしい。
更にあの狼だけでなく様々な怪物が存在するらしく、それら全ての総称として〈ゼレーネ〉と言うようだ。
他にどんな怪物がいるのか分からないが、できれば俺の前に現れないでほしいと願うばかりである。
もちろんロードさんによる鍛錬を六日間行い、俺にも多少の体力や戦闘力は叩き込まれた。
人並み以上には戦えるようになったかもしれないけど、だからといって油断も安心もできない。
それどころかむしろ、今の状態で大丈夫なのか、本当に山茶花を助け出すことができるのかなどなど色々なことを考えて畏縮してしまう。
タイと二人きりの部屋で、そんなことを思考していると。
「……おい、ちょっといいか」
不意に、背後から声をかけられた。
後ろを振り向けば、いつの間に来ていたのか部屋の扉のところにロードさんが立っていた。
「はい、何ですか?」
問うと、こちらに歩み寄りながら答えてくる。
「お前、妹を助けた後はどうすんのか決めてんのか?」
「いや、特には……」
ここら辺に何があるのかを、俺はまだあまり知らない。
そのため、どこへ行けば完全に逃げることができるのか到底見当もつかないのだ。
山茶花を助け出す際、おそらく奴隷商人か誰かが追いかけてくるだろう。
だからどこかに逃げないといけないのだが、どこへ逃げるべきかは決められずにいた。
ここ、盗賊団のアジトへ逃げ込むというのも考えはしたけど、もし見つかった場合ロードさんたち盗賊団が危険な目に遭ってしまうかもしれない。
俺だけならまだしも、山茶花は運動が得意ではないので、長時間逃げ続けるのも難しい。どこかに隠れたりせずに走り続けていれば、途中で捕まってしまう可能性のほうが高いと思う。
そうやって心の中で思案していると、ロードさんは続ける。
「……〈サーヴァリア〉からずっと東に行けば、〈サマギ〉っつー国がある。そこから北にある港から、〈ネルセット〉っていう国に行け。そこにあるギルドに身を置けば、もし〈サーヴァリア〉が追っ手をよこしても手は出せねえだろうぜ」
――〈サーヴァリア〉に〈サマギ〉、そして〈ネルセット〉か。
初めて聞く国名が一気に複数出てきて頭がこんがらがりそうになるが、ロードさんの言っていることは理解できた。
執拗に追跡されたとしても、そこまで逃走できさえすれば大丈夫ということだろう。
だけど、それはつまり。
その〈ネルセット〉という国に辿り着くことすらできなければ、俺たちが逃げ切ることは不可能にも等しいのかもしれない。
ならば、死に物狂いでその国に行くしかない。
俺は――俺たちは、捕まるわけにはいかないのだから。
「ありがとうございます。この数日、色々面倒を見てもらって……」
俺は、そう言ってロードさんに頭を下げた。
いきなり見知らぬ場所に来て困惑していた俺に、ロードさんたち盗賊団は親切に住む場所を貸してくれて、色んな知識を与えてくれたり、まともに戦えるように鍛えてもくれた。
何から何まで、俺はロードさんたちに迷惑をかけっぱなしだったのだ。
俺は、感謝の言葉しか見つからない。
明日は、山茶花を助けてからだと礼を言う暇もないだろう。
だから、今お礼を言っておいた。
その短い言葉に、たくさんの感謝を込めて。
「今更、礼なんかいらねえ。お前は、さっさと妹を助けて逃げ延びろ。絶対、死ぬんじゃねえぞ」
ロードさんは若干赤く染まった頬を隠すかのように背を向け、立ち去っていく。
何だろう。少し照れていたような気がするのだが、気のせいだろうか。
まあ、あのロードさんだし、さすがに気のせいか。
……俺は、絶対に死なない。山茶花のことも、絶対に死なせない。
心の中で、俺はロードさんの言葉にそう返事をした。
たとえ言葉は届いていなくとも、その想いはきっと通じているだろう。
そう、信じて。
「……」
もちろん、そのつもりだ。それは間違いじゃない。
でも、怖くないと言えば嘘になる。
俺には経験も勇気も力も、何もかも足りない。
こんな俺が、無事に山茶花を救うことができるだろうか。
絶対に死なないなどという胸中の想いとは裏腹に、そう危惧せざるを得なかった。
「……どうした?」
と。そんな不安に駆られていると、今度はタイが声をかけてきた。
どうやら危惧していたことが、少し表情に出てしまっていたらしい。
「いや、まだ踏ん切りがつかなくてさ。成功するかどうか分からないし、それに成功しなければ妹がもっと危ない目に遭うかもしれないから」
男らしくないことは分かっている。
格好悪いことくらい分かっている。
でも、怖くて当然だろう。俺はずっと、平穏な日常を過ごしてきたのだから。
「……情けないやつだな、ほんとに」
タイは、ジト目でそう漏らす。
俺が答えるより早く、タイは更に続ける。
「……ロードに鍛えてもらったんだろ。だったら、ちょっとは自信持ったらいいんじゃないの」
「そ、それは、そうだけど……」
タイの言うことも一理あるとは思う。
しかし、相手がどれだけの手練れか分からない以上、過度の自信は死へと繋がる。
そんな気がして、俺は憂いてしまっているのだ。
「はぁ……仕方ないな。それなら、オレも一緒に行くよ。あんたらのこと、守ってやれるし」
「な……ッ」
驚いた。
俺が一人で行くものだと思っていたから、まさかタイがそんなことを言ってくるなんて。
だけど、逆に言うと。
女の子に守られるほど、俺は情けなかったということか。
「べ、別にいいよ。俺が山茶花を助けるってのに、俺がお前に守られてどうすんだ」
もしそれで山茶花を救うことに成功したとしても、あまり格好はつかない気がする。
何というか、とことん格好悪いな、俺。
タイにまでそんなことを言われてしまえば、もう俺は覚悟を決めるしかない。
「分かった。俺は絶対に死なないし、誰も死なせない。明日、無事に逃げ延びてやるよ」
「……ははっ、それでいいんだよ」
そう言って笑顔になるタイを見て、俺はようやく理解した。
これはタイなりの応援であり、タイなりに俺を元気づけてくれているのだ――と。
「でも明日、やっぱりオレも行く。一人より二人のほうが、成功する確率も上がるし」
「そっか……ありがとな」
正直一人だけで上手くいくか分からなかったし、タイの申し出は素直に嬉しかった。
タイと一緒なら、何だか案外あっさりと作戦が成功するような気がする。
俺は謝意を胸中に抱きながらも、来たる明日に備えて早めに就寝した。