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また、私しかいない世界で  作者: 井土側安藤/果実夢想
第七章――I forever with you.
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77――あなたの名を呼ぶ

 朝、鬼灯達がサーヴァリアへ向かったのを見送ったバルサミナとルピナスは、ネルセットのギルド本部がある首都コーデックからは離れた郊外にいた。輸出作物の中心である稲作が盛んな田園地帯で、すぐ街から離れて行く毎に背の高い建物がなくなっていき、エリーマイルへ行く列車の為の線路がある方角とは真反対の南西の端に向かうと、完全に田園風景のみが広がる場所になる。

 ちょうどその手前くらいの地域にあるモダンなカフェ的なところで、二人はくつろいでいた。


「暇じゃな」

「……ん、ああ」


 テーブルに突っ伏して項垂れているルピナスと、優雅に紅茶を飲みながらネルセットで発行されている新聞を読んでいるバルサミナ。勿論、ただここで非番を謳歌しているわけではなく、ギルドからの依頼でこの地域の警備を頼まれていたのだ。

 ルピナスがトリガーハッピーだったのがバレて人のいないところに飛ばされたというのは別の話。


「……元はと言えばルピナスのせいだぞ。まあ、こうして美味い茶が飲めたのは感謝するけど」

「お主なぁ、本当に忍者か? どこの世界に忍者装束で呑気に紅茶飲んで新聞読みながら窓からの陽気な日差しに当たって惚けてる忍者がいるのじゃ」

「……ここにいるけど?」


 ティーカップを置いて店員を呼ぶ。


「……おかわり」

「かしこまりました~」


 若い女性の店員の動きを、暇な犬のように目で追いかけるルピナスはやがてはぁとため息を吐いた。

 何しろこれで十杯目。金はあるから別にいいとしても、バルサミナの代謝の異常さにルピナスは軽く引いていた。しかも、砂糖もミルクも何も入れない生のままでだ。


「あまり人の過去を探るのは趣味ではないが、お主まさか改造人間か何かか?」

「……まさか、ただの人間だ。まあ、ある意味ではそうかもしれないな」

「どういう事じゃ?」

「……毒を少量摂取し続ければ、次第に耐性がついていくって話、聞いたことがあるだろ?」


 新聞を畳んだバルサミナは紅茶を一口飲んで話し始める。

 ルピナスはその表情の微細な動きを見逃さない。どこか、顔が引きつっているように見えた。


「あるな。お主もそれだと?」

「……そう。あたしを暗殺者に育てた男がそうした。お陰で否応なしに薄汚い世界で生きることになったけど」

「自分の意志でなったのではなかったのじゃな。なるほど」

「……ああ。ならざるを得なかった。兄を殺されて、あたしだけ生き残って、助けられて。お前は軍に拾われて、あたしはそういう奴に拾われた。それだけの話だ」

「ホーズキがその苦しみを思い出させたから、ホーズキを襲った、というわけじゃな」

「ぶふっ……!? お、おまっ、お前、なんでっなんで知ってる!?」


 獲物を捕らえたルピナスはニタリと笑う。知らないはずもない、出発の前夜に鬼灯とバルサミナがお楽しみだったことくらい。

 今までにないくらい焦っているバルサミナ。どうやら行為の間は周囲への注意が散漫になっていたようだ。


「抜け駆けはよくないと思うのじゃ~」

「……襲ったのではない。ホーズキがあたしを受け入れたんだ」

「それがどういう結果を招くか、理解していないバルサミナではあるまい?」


 誤魔化すようにまた紅茶を口に運ぶ。

 いったいどんな言い訳をするのか、ルピナスは内心楽しみにもしていたが、返ってきたのは言い訳ではなかった。

 複雑そうな、触れてはいけないモノに触れてしまったかのような――


「……ホーズキとサザンカの絆は、あたし達が思っているよりも、深く、深く。それこそ、かえしのついた楔のように心に突き刺さっている」

「正常な兄妹の関係には見えんかったが、お主にそこまで言わせるとはな」

「……サザンカを守ることを使命的に考えすぎている。自分はサザンカを守る存在でなくてはならない、と。完全に内側にしか向いていない。あたし達にどうこうできる域を越えている。導いてやることくらいは、できるだろうけど」

「帰してやることしかできんか。歪んだままの愛情は実らん、そのまま元の世界に戻ったとしても長くは続かんのじゃろうな。結局は、我らの為にしかならんな」


 呆れるようにそう言った。自分に対しても、どうにもできない無力さに対しても。

 所詮は”他人”。

 危険な領域で繋がっている鬼灯と山茶花のようにはいかない。本当の意味で根底の心を動かせるのは山茶花だけ。


「……ホーズキもそういう決断をした。どうしてもアイツは、人の為になろうとすると自分の首を絞める。だから自分の為にだけ生きることにしたんだ。それが一番、サザンカの為にもなる」

「ホーズキの話をする時のお主、一段と生き生きしておるな」

「……ふん。当たり前だ、たった一人の、あたしのたった一人の――



 風が、動いた。

 何かに気が付いた素振りを見せたバルサミナ。ルピナスもまた、それに続いた何かを感じ取った。

 敵意。それも複数。


「……二人か。一人はエリシオニアで感じた事がある」

「あの蜘蛛ショタじゃな。よもや敵の幹部様直々にご登場とは」

「……あたし達だって分かってそうだな。わざわざこんな僻地にまで来たんだから」


 ふと、


「あのー、何か外にいるみたいで――え?」


 二人に何かを伝えに来た若い女性店員の顔が、斜めに切断されていた。

 そして、この店自体も斜めに、まっすぐ綺麗に崩れ落ちた。


「なかなか大胆なことをしよるのお」

「……美味かったのに、紅茶」


 満足に悪態を吐く暇もなく――


「バルサミナッ!」

「チッ、早いな。そっちは任せた」


 超感覚のバルサミナが気付いた時には遅いくらいの速さで、蜘蛛の糸がバルサミナの首を搦め取った。逃げる事を諦めたバルサミナは受け身を取ると、糸に引っ張られて数キロ先へ連れ去られていく。蜘蛛ショタはどうやらバルサミナがお好みらしい。

 しかしまだ気配は一人残っている。ダウニーが言っていたトードか? だとしたら戦いにくいな、などと考えていたが、どうも違うようで。

 立ち込める赤い霧。

 そう、それはまるでかつてエリーマイルを覆った〈ゼレーネ=デルラ・ハンザー〉の霧と同じもの。

 ルピナスはデルラ・ハンザーのゼレノイドを一人知っていた。ルピナスだけではない、鬼灯達も全員が知っている。


「意外と早く本性を現しよったな。のう? アザミ様」



 固い土の上に放り出されたバルサミナは全身の痛みに顔をしかめる。受け身は取ったがかなり強く地面に叩きつけられた。

 既に糸はなくなっている。

 だが確かに感じる、眼前に何者かを。

 立ち上がったバルサミナは土埃など気にせず、腰に差した短刀(えもの)を引き抜くと臨戦態勢に。いつでも殺せる準備はできている。


「おいらはクロッカス。直接会うのは初めてかな? お姉さん」

「随分乱暴なお迎えだな。もう少し目上の女性には優しくするものだと学ばなかったかお坊ちゃまは。ああ学べないか、ゼレノイドだものな」

「そんなお話をしに来たんじゃないんだ。おいらはね、お誘いに来たんだよお姉さんをね」


 言葉を無視してクナイを投げる。避けたクロッカスの横合いに潜り込み回し蹴り、腕で受け止めたソレを足で搦め取り体を固定し後頭部に短刀を突き入れ――それは背中から這い出した蜘蛛の足に阻まれた。

 すかさず距離取りじりじりと様子をうかがう。


「まったく……先に話を振ったのはそっちじゃないか。なのに御託無用みたいにいきなりくるんだから」

「お前の話、聴いてもいいことなさそうだからな」

「そう言わずにさ――おっと」


 手裏剣を撒きながら作物を貯蔵している蔵が多くある場所へ向かう。

 周囲に隠れる場所はない。

 だとするとやはり頼れるは近接格闘――だがあの蜘蛛の足がそれを阻む。まだ使ってこない蜘蛛の糸も、使われれば動きを大幅に制限する。もっとも、よっぽどの何かがない限りは、当たることはないだろうが。

 だからとりあえず今は遮蔽物のある所へ。まずは戦いやすい場を整えなければ。


「あ、今相手の攻撃が当たらなければ大丈夫だとか思った?」

「――!?」


 いつの間にそこにいたのか。背後にいたはずのクロッカスが目の前にいた。

 バルサミナの感覚であれば気が付けるはず。ユウガオはもう死んだのだから、あの時のような手品はできないはず。

 なのに何故?

 そう思っている内に、視界が赤いことに気が付き始める。


「っ、まさか……」

「そうそのまさかだよ。ね、だからこうして安全にお誘いに来たってワケ」

「なっ……」


 気が付いた時には既に首、手首、足首に粘着性の糸が絡みついていた。

 赤い霧。デルラ・ハンザーと戦った時と同じもの。あの霧は視界を完全に奪うものだった。だが今回のものはそれほどでもない。その代わり、第六感が全く働かない。恐らくゼレノイドとしての赤い霧の能力がそうなのだろう。これではバルサミナは、ただの少し強い少女にすぎない。

 大の字に四肢を引っ張られ完全に身動きが取れない。その状態で、クロッカスはバルサミナの腹を足蹴にした。


「ごっ、ほ――」


 無防備な背中をあぜ道に叩きつけられ肺の空気を引っ張り出される。

 朦朧とする意識。死にそうになることくらい幾らでもあったが、第六感がこれは本当にヤバいと告げていた。何かとてつもない嫌な予感がする。


「ねえお姉さん。おいら達と一緒に来てくれないかな?」

「……どう、いうことだ」

「分からない? 頭のいいお姉さんになら分かるよね。この状況でのこの言葉がどういう意味か」


 甦る――忌憶。


 本当にただの弱い少女でしかなかった時の、あの体験。

 自分にはどうしようもできない状況。

 目の前では殺されそうな兄。


 そして――


「いや……嫌だ……」

「分かってるよねそりゃ、でも一応言ってあげるよ。今のお姉さんにはその方が効きそうだからね。

 ――お姉さんにはさ、都合のいい人形になってもらうよ」

「助けて、おにーちゃ――


 頭の中に、入ってくる何かがあった。

 ずぶずぶと、頭蓋骨を簡単に突き破って先端が尖ったクロッカスの蜘蛛の足が脳の中に侵入していく。


「あ……あぁ、あぇ? ? ――――……?」


 体が強く痙攣しているのが分かる。

 意識が書き換えられていくのが分かる。

 何かを脳の中に流し込まれ、朦朧とする意識の中、ずっと一人の男を呼び続けた。

 決して来ないと分かっていながら。

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