76――一方通行
「ホーズキくん、無事だったんだね。よかったよ」
木漏れ日が照らす鬱蒼とした森林の中、茂みをかき分けて現れたのはソテツさんだった。
一人であるところを見るに恐らく――
「はぐれたんですか?」
「恥ずかしながら、そういうホーズキくんもどうやらはぐれてしまったようだね」
はっはっは、と笑いながらこちらに近付く。
もう間に合わない。『猫耳をつけたただの少女』だなんて誤魔化しはきっと効かない。コロナリアがゼレノイドだとバレれば、真面目そうかつ特殊な考えもなさそうなソテツさんは迷わず殺そうとするだろう。あるいは、情に語り掛ければ思いとどまってくれるかもしれないが……
「その子は……耳は飾り、という訳でもなさそうだね。ゼレノイドか」
「マルメロがゼレーネに襲われて、この子に助けてもらったんです。アンタもなんとなく分かりますよね、ゼレノイドの内にある感情が悪意だけではないと」
「君の言いたいことは分かる、しかし君も害を及ぼす可能性のある害虫は殺すだろう? 同じことだ。ソレ自体に意思があるかどうかなど我々には分からない。分からないと思うしかないだろう? 殺さなければ我々が死ぬかもしれないんだ」
「対話ができる存在を害虫扱いとは冗談も休み休みに言え……!」
無理だ。話して分かる訳がない。説得なんてできるはずもない。これからどうなるかなんて最初から決まってる。ここにこいつらが来た時から決まっていたことだ。
どうすることもできない。
俺にはどうすることもできない。
このままでは、どうすることもできない。
『――あるだろう? どうにかする”方法”が、一つだけ』
ある、確かに俺はその方法を知っていた。
だがそれをすれば山茶花達を危険に晒す可能性も――
『迷う時間はもう終わったんだよ。俺はもう後ろには下がれない。選択肢はない。自分で選んだろう、自分の為に生きるのだと。テメェの気に入らねぇもんは全部殺すのだとな』
そうだ。
俺の中の答えも、最初から出ていたはずだ。
俺が山茶花を守ったのは、俺の為。それはこれからも変わることはない。それ以外の守る意味を俺は知らないし知ることすらできない。俺は既に捨てたのだ、他者の意思を推し量る方法を。
だから――そう、殺すしかない。
心は消した。感情は消した。
気が付いた時には、手に持った剣が男の胴を背から貫いていた。
「ッ――ホーズ、キくん……君はっ……!」
「――――――」
まだ生きている。
這いずるソテツの首を刎ねた。
「――――、――――、――――――――」
死んでいく。
死んでいく。
感情が死んでいくのが分かる。
また殺した。殺した。
すぐに忘れようとして、返り血を見た。
「あ――――――」
ああああああああああああああああああああああああ!? 違う違う違う違う!! 山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ山茶花の為だ――――――ッ!!
俺が守る為の、山茶花の為だ。
見開いた瞳孔が死体を捉えて離さない。
雑草の上に転がる肉塊。
寸分の疑いもなく、間違いなく俺がこの手で自ら殺した。
一度殺したら何度殺しても同じだなんて世迷言だと思い知った。
一人殺す度に、背後から”何か”が迫ってくる。止まることを、平穏に生きることを絶対に許してくれない。殺した分だけ苦しめと言わんばかりの呪いが背中から這い出てくる肩を掴み肉に食い込む滲む血は俺の血ではない――俺が殺した、今まで殺した、俺のせいで死んだ人達の。
「にゃ?」
「――コロナリア。もう大丈夫だ」
「助けてくれた。にゃ?」
「ああ――助けたのか? 俺は。そう……か、よかった」
「これからどうする。にゃ?」
もう後には引けない。
胸糞悪い感情を死ぬ気で押し込めた。深呼吸、深呼吸、深呼吸。心を落ち着かせて周囲を見る。
そうだ。
俺が殺した者に、殺人に、優劣をつけている時点でおかしい。
誰が誰をどんな状況で殺したかなんて関係ない。人殺しは人殺しだ。
そうだ――だから、もう気にしなくていい。
これは全て山茶花の為。俺にできる最大限がこれなんだ。
「ゼレノイド達がいる場所へ案内してくれないか」
「分かった。にゃ」
深く眠っているマルメロを背負い、小さなコロナリアの背中を追って茂みの中を歩く。さっきまでずっと鬱蒼としっぱなしだったのが、少しずつ人が通る為の道になっていくのが分かる。足元を完全に覆っていた雑草がなくなっていく。道が道になっていく。
暫くすると、人の喧騒が聞こえ始めた。多くの気配も感じる。
完全に、森を抜けた――
「ここが……」
お世辞にも”文明”という言葉を適用できない原始的な集落が広がっていた。
直径十数メートルほどの円形の広場に家屋は藁? みたいなもので作られたものばかり。焚火の跡が幾つかあり、丁度いい大きさの石材に座って談笑する者もいた。寄せ集め感? 少し奥を見ると、森の向こうに同じような集落が見えた。円形の集落が点在しているのだろう。
と、俺に気が付いたのか一瞬、どよめきが広がった。
そりゃそうだ、集落にいた人たちは皆、犬耳や猫耳があったり、どこか人間にはない特徴を持った人ばかりだった。今までに俺が見たゼレノイドは、それらを隠している者が多かったからともかく、ゼレノイドだけの集落に人間の姿をした者が入れば驚くは分かる。
だから軽く力を使ってみた。肌の色が漆黒に染まり、影から黒塗りの怪物が這い出した。
それを見た一人、長い茶髪の女性が近付いてきて俺に声をかけた。
「ゼレノイドなのね。その様子だとここに逃げてきた、ようにも見えないけれど」
「まあ、お察しの通り俺が逃げてきた訳じゃない。アンタ等が逃げる時が来た」
「……話は向こうで聴くわ。ワタシはヒエニア、一応ここのまとめ役みたいなものね。案内するわ、付いて来て」
「ああ、俺が背負っているこの子が寝られる場所も用意もらえると助かる」
「……分かったわ」
きっとマルメロは人間であると分かったのだろう。
視線を感じながらヒエニアと名乗る女性を後に続く。
どうやらコロナリアもついてくるようだ。ヒエニアも何も言わないので俺も特に言及しない。
ただ、大人の数は極端に少ない。コロナリアも言っていたが、ほとんどが小さい子ども。振れ幅はあれど大体が山茶花と同じくらいの子ばかりだ。
「子どもが多いって、思ったでしょう」
「ああ、どうしてだ?」
「年長者の多くは自分達の解放を目指して外に出た、そうしたらどうなるかは、外から来た貴方ならよく分ると思う。それだけじゃないわ、ゼレノイドは大人になると寿命が急激に短くなるの」
「なに……?」
初耳だ、ゼレノイドにそんな特性があったなんて。
具体的には、二十回目の誕生日を迎えた後くらいから顕著になっていくらしい。数年もすれば老衰し始め死んでしまう。だから、コミュニティが崩壊しないように、子どもを多く設けたとか。
「ゼレノイドの一番の栄養ってなにか分かる?」
ヒエニアが苦笑いしながらそう訊いた。
その仕草でなんとなく察しが付く。そもそもゼレーネが、物理的にも雰囲気的にも、”空気が悪い”場所に現れる。それは人の心の闇も含めるだろう。ゼレノイドにはそんな心の闇が反応してなるものだから、つまりゼレノイドにとっての一番の栄養も……
「じゃあ……」
「そう、子どもの方が感受性が高いって言うでしょ? 昔ここに来たっていうゼレーネの研究者が遺した文献にね、”若いゼレノイドは高い感受性で悪意を摂取できるけど、大人になると慣れてしまいゼレノイド特有のエネルギー代謝が上手く働かなくなる”って書いてるの。稀に、感受性が高いまま育つ人はその例に漏れるんだけどね」
「その文献ってやつ、後で見せてくれ」
「分かったわ。でもその前に、ここの長に会ってもらう。そこで話を聴くわ」
そうして案内されたのは高床式の木製の小屋だった。
人が数十人ほど入れるスペースはありそうなくらいなのでそれほど小さくもない。とにかく、その中に案内された。
「長老、お客人です」
木製の扉を開けた先には古ぼけた本がびっしり詰まった大量の本棚に囲まれて座布団の上に座る男性の老人がいた。長い白髪ど髭は正にRPGに出てくる『長老』そのものの見た目だった。
「よく来たな」
「長老、病人がいるようで」
「うむ、毛布があったじゃろ、用意してあげなさい」
「はい」
しわがれた声。しかし生気に満ち溢れていた。
ここにいるという事はこの老人もゼレノイド。だが年を重ねても生きているという事は感受性が高いまま、という事はそれだけ元気だという事か。
「まあ座りなさい、コロナリアも」
「あ、はい。失礼します」
「にゃ」
ヒエニアさんにマルメロを預け、なんとなく正座で座ってしまう。意外とコロナリアもそうだったのでそうせざるを得ない。正直正座なんて十年以上生きて数回しかした事ないので数分も保つか心配だ。
だがまあ、そんな事も忘れるだろう。
「珍しいのお、外からゼレノイドが訪ねてくるなど。逃げてきたように見えない……というやり取りは既にやってそうじゃな」
「俺はホーズキです、よろしくお願いします。早急に、用件だけ言わせてください」
「分かっておる、御託は言わん。言いたい事を言いなさい」
「もうすぐここはギルドに攻撃される。俺達はギルドとしてまずこの島のゼレーネを出来るだけ殲滅する為に来ました。殲滅し終えた後は恐らく……」
「焼き払われるのがベターじゃろうな」
マルメロを寝かし終えた横でヒエニアさんが頭を抱えて崩れるのが見えた。遂にこの時が来たのか、と。
「それで、わしらに逃げろと」
「どこに逃げればいいのか、って言いたいのは分かります。俺はただ言いに来ただけです。何も知らずに殺される事が気に入らなかっただけです」
「ふむ、潔くてわしは嫌いではないぞ。じゃがまあ、どちらにせよわしらにもどうにもできん。逃げたところで同じじゃからな。みな、ここで骨を埋める覚悟はできておる、子ども達以外はな」
スノーフを容赦なく肉塊になるまで撃ち続けた奴等なら、たとえ幼気な子どもであっても冷酷に殺すだろう。その光景が用意に浮かぶ。考えてしまうと、胃が捲りあがるような気持ち悪さがこみあげてくる。
「少年よ、君は少し気楽に考える事を……いいや、余計なお世話じゃな。その強い感性がお主の正義感を生むのじゃろうしな」
「面と向かって言われると照れますね」
「自分で言うのね……」
さて、一応やる事はやった。だが、まだ終わってはいない。
なんとかゼレノイドの子ども達だけでも助けたい。子どもだからと同情を誘えば多くの人の心を動かせる……かもしれない。そうするには情報の発信源が大事だ。英雄だと持て囃されている俺が言うのもいいが、きっとあっちに戻れた時には、俺達は命令に背いた反逆者だろう。だとすればもっと上の、できるなら国の長のような人がいい。
アザミさんとルドベキアが第一候補、だがルピナスの言葉を踏まえるなら完全に信用できるとは言い難い。だとすると……エリシオニアの女王、リコリス。彼女の権力がどれほどのものかは分からないが、先進国の王ともなれば説得力も大きい、はずだ。それに、俺としては一番信用できる存在でもある。
「水が飲める場所とかありますか。喉が渇いたんすけど」
「ヒエニア、案内してやりなさい」
「はい。ホーズキさん、こちらです。コロナリアも」
「にゃ。コロナリアはこの子見てる。にゃ」
「ありがとなコロナリア。マルメロを頼んだ」
「にゃ」
まあとりあえず、上手くいくかはともかく目的はできた。後は早く山茶花達と合流して相談、そしてピアニーをなんとかする。こっちが一番骨が折れそうだな。あの憎しみを消す事はできるか……? あるいはまた――
『どうした?』
いいや、なんでもない。
俺はやりたいようにやるだけだ。




