6――ただ、君の為に
タイやロードさんと一緒に民家へ忍び込み、家主に見つかってしまうというハプニングを経て。
俺たちは侵入した民家から離れたところまで逃走し、乱れた息を整えつつ何とか撒けたことに気づくと、盗賊団の拠点としている地下牢獄へと向かって歩き出した。
ちなみに盗んだ金銭は最初にロードさんが盗った分だけで、それは全て今ロードさんが持っている。
途中で家主に見つかってしまったため、タイが金庫に入っていた金全部を盗る暇はなかったのだ。
あの様子だとロードさんの反対を押し切って全ての金を盗んでいただろうし、そういう意味では逆によかったのかもしれない。
あくまで結果オーライに過ぎないわけだが。
「……」
俺は二人より少し後ろを歩きながら、さっき見た光景を思い出していた。
民家の家主は俺たちに気づき、複数の犬を呼び出した。
それも、ただ呼び出しただけではない。何もなかった場所に、突如として出現したのだ。
まるで漫画やゲームなどでよくある、召喚みたいに。
他にもある。
壁からいきなり出てきた縄のようなものは、一体何だったのだろうか。
複数の犬と同じように、何もなかった場所から伸びたのである。
何かしらの仕掛けがあったのかとも思ったが、あれはそういうのとは少し違う気がする。
俺の語彙力では、上手く説明できないけど。
「……あの。さっきの、何だったんですか? 縄みたいなものが、突然出てきたりしましたけど」
だから、俺はロードさんに訊いてみる。
すると、怪訝そうな顔をこちらに向けてきた。
「……んあ? お前、本当に知らねえのか?」
不思議そうに問い返してくるが、今まで見たこともないのだから仕方ない。
でも、俺の質問に対してロードさんがこんな反応をするということは、ここの人たちにとっては知っていて当然なのだろうか。
そんな風に思っていると、ロードさんが訝しみつつも説明を始めてくれる。
「さっきのは――魔術だ。俺らは盗賊だからあんま使えねえが、あの家主は魔術師系統だったみてえだな」
魔術。
つまりは、魔法。
昨日ロードさんに聞いてはいたが、まさか本当なのだとは思っていなかった。
にわかには、到底信じ難い。
だけど、先ほどの光景が魔術だったとすれば合点がいく。
……しかも。
ロードさんの口調や態度からして、ここには魔術なんてものが当たり前のように存在しているのはもう疑いようがない。
もしかして、これは――。
いや、結論を出すのは早い。
まだそうと決まったわけではないし、もう少し情報が足りない。
普通なら有り得ないであろう思考を巡らせていると、不意にロードさんが訊いてくる。
「気になってけどよ……魔術のことくらい常識だろうが、やっぱ知らねえの変だよな?」
俺の中にはない魔術という概念が、ロードさんたちには常識として通用している。
そう。知っていて当然のものを、俺は知らない。怪しまれるのも、当然といえるだろう。
でも、俺自身も何が何だか分かっていないのだ。
そして、何より分からないのは。
ここは、どこなんだ。俺は、どこからどこに来てしまったんだ。
そんな、あまりにも今更すぎるものだ。
だから――。
「あ、いや、ちょっと色々あって……」
俺は、そうやって誤魔化すしかなかった。
ロードさんはますます不審そうにしていたものの、それ以上は追及してこなかった。
再び無言になり、俺たちは帰路につく。
やがて、一時間以上経った頃。
俺たちは、ようやくアジトへ帰還した。
地下へ下りていくと、俺たちが帰ってきたことに気づいた盗賊団のメンバーが集まってくる。
「おう、お前ら。金は盗んできた。成功の祝杯をあげんぞ」
盗んできた金銭の入った袋を見せながらロードさんが言うと、一斉に歓声が巻き起こった。
凄い団結力だな、と改めて思う。盗賊団の仲の良さが、俺にも伝わってくる。
「祝杯って、俺未成年なんですけど」
「んなの分かってる。お前らガキはこっち」
そう言って色のついた液体の入った木のカップを渡される。軽く匂いを嗅いでみるとフルーティーな香りがした。
確かに、そりゃそうか。
と、盗賊団のみんなが円になるように座り、液体の入った容器を手にする。
それを見てタイも無言で座ったので、俺も戸惑いつつも同じようにしてみた。
ただただ、大して渇いてもいなかった喉が潤っていく。
だけど、俺の心の中は、ちっとも晴れやかなどではいられなかった。
「……山茶花」
水を口内へと流し込み、誰にも聞かれないような小声で、その名を漏らす。
俺は、本当にこんなことをしている暇があるのだろうか。
ロードさんは大丈夫だと、まだ可能性はあると、そう言ってくれたけど。
それでもやっぱり、安心なんてできるわけがない。
楽しそうに語らうロードさんたちを横目に、俺は山茶花への心配と不安で心の中を埋め尽くされていた。
§
翌朝。
起床するなり、俺はロードさんに呼ばれて牢獄の外に出た。
昨日言っていた通り、山茶花を助けに行くために鍛えてもらうのだ。
「まず言っとくが、奴隷っつーのは手続きとか色々必要なんだ。だから、身柄を拘束されてから引き取られるまでには、少なくとも七日は猶予がある。いいか、まだ時間はあるんだ」
およそ七日の猶予。
おそらく山茶花は昨日拐われたのだろうから、あと六日ほどあるということか。
「それまでの間に、俺がお前を鍛えてやる。戦えるようにならねえと、助けるどころか生きていくことすら難しいからな」
「は、はい、分かりました」
強くないと生きることさえ困難だという世の中に困惑しながらも、俺は頷く。
たった二日で、色々なことがあった。
昨日と一昨日で、俺の世界はぐるりと百八十度変わってしまった。
どうしてこんなことになったのかは未だに分からないけど、今はとりあえず山茶花を助けることだけを考えよう。
それからのことは、山茶花を救出した後で、山茶花と一緒に考えればいい。
「そういや、お前武器持ってねえんだよな? これ使え」
そう言って手渡してきたのは、やや小振りな短剣だった。
今更ではあるが、短剣などというファンタジーのようなものを受け取り、改めて俺が今までいた場所とは全然異なることを実感した。
思っていたよりは重いが、慣れれば簡単に振り回すことができそうだ。
ただ、あのとき襲われた狼みたいな怪物がまた現れたときに、冷静な対処ができるのかどうかが少し不安だけど。
「んじゃ、ぼちぼち始めっか」
ロードさんは口角を上げ、俺が貰った短剣と少し柄も大きさも違う短剣を構える。
心臓の鼓動が騒がしい。落ち着けるために深呼吸をし、俺も彼に倣って見様見真似で構えてみる。
こうして。
ロードさんによる、俺の鍛錬が始まった――。
正直、ロードさんの鍛錬は凄まじいものだった。
『鍛える』などと一言で言っても、それは俺の予想を遥かに凌駕している。
何というか、スパルタなのだ。途轍もなく。
俺や山茶花がずっと暮らしてきた場所とは明らかに違う過酷な環境のようだし、もしかしたらこれがここでの普通なのかもしれない。
が、ずっと平和な日常を過ごしてきた俺にとって、これ以上ないくらいにハードすぎた。
学校での体育なんて、かなり生温かったんだな……と、今なら思う。
「……ほら、立て。まだまだ、こんなもんじゃねえぞ」
体力が尽きて地面にへたり込む俺に、ロードさんは容赦なく叱咤する。
俺たちが行っているのは、体力をつけるために走ったり、ロードさんと剣戟を結んだりなどだ。
だけど、実際にはそんな単純なものではない。
走る距離は、具体的な数値は分からないものの、確実にメートル単位じゃないだろう。おそらく、一キロ以上はある。
斬り結ぶのも、こちらは全くの初心者だというのに、ロードさんは手加減してくれている様子がない。
さすがに本気でもないだろうが、苛烈であることに変わりはないわけで。
しかもなかなか休ませてくれないので、どんどん俺の体力が消耗されていく。
もう既に、俺の中に体力という概念が残っているのかどうかすら疑わしかった。
「はい……ッ」
ロードさんの言葉に、俺は体中に痛みと疲労を感じながらも立ち上がる。
ただでさえ訓練が峻烈な上、ロードさんの厳しさも相まって、俺の体はもうボロボロだった。
だけど、それでも。
俺は、諦めるわけにはいかない。弱音を吐くわけにはいかない。
絶対に、音を上げたりはしない。
俺は――山茶花を助けるために、強くならないといけないのだから。
今よりも、もっと。
誰よりも、強く。