68――それは視えない災禍の調べ
俺達がネルセットに帰った時には、事態は既に終わりを迎えていた。
あれだけ街にあった活気は見る影もなくなり、いや、それどころかほとんど人が見当たらない。民家の窓もカーテンやシャッターで締め切られており息苦しさが充満している。
まるでゴーストタウンだ、生気が全く感じられない。
「……なにかあったようだな」
「そんな馬鹿な、我の部下からはなんの連絡もなかったのじゃ」
そう言えば、ルピナスは部下の密偵に色々と探らせていたんだったな。だとしたら、この街で何があったのかも逐一報告するはず。それがないと言う事は、隠密行動のプロですら巻き込まれる異常事態が起きたんだ。
不気味な街をとにかく歩きながら、人がいないかを探す。
ゼレーネが現れて人が襲われたのだとしたら、被害の痕があるはずだ。
広い水路沿いに歩いて行くと、少しずつ透き通った水の色に赤い色彩が混ざり始める。生暖かい風に乗って、嗅ぎ慣れた血の臭いが漂ってきた。
小さく舌打ちを。軽く心がざわついた。川を染めるほどの大量の血。いったい何人が殺されたのか、考えるだけで胸が軋んでいく。
死体は見慣れたはずだった。
それでもこれは、眼を覆いたくなる光景だ。山茶花は耐えきれず、嗚咽を漏らしうずくまる。背中をぽんぽん叩きながら川の土手の下を見た。
全身に水膨れのような腫瘍ができた人間の体が並べられていた。腫瘍からは絶えず割れた水風船のように水が噴き出している。白衣を着た医者にも見える男性や女性が、その周囲で何かをやっている。あれでまだ生きているのか。
医者と並んでナーシセスさんの姿が見えたので土手に降りる。
「ホーズキか。帰ってきたんだな」
「ゼレーネですか」
「いや、原因は水路に流された毒によるものだ。水遊びをしていた親子連れが何人か犠牲になった。完全に水に溶けて気化はしないようだ」
近くで見ると、倒れている人は皆死んでいた。ナーシセスさんの言葉からしてもそうだろう。
だが、このご時世に水路に毒を流す奴がいるのか? この水路は別に生活水になっている訳でもなし、わざわざこんな所に毒を流しても、被害を被るのは一部の人間だけ。それでも、数十人が死んでいる。人を殺す事を目的にした狂人にとっては及第点だろうな。
「この毒がゼレーネによるものかは判断がつかん。一応、巨大蜘蛛もゼレーネである〈アーチェニー〉は毒を分泌できるが、そこまでの知能は確認されてない」
と、ナーシセスの言葉にダウニーが割り込んだ。
「ちょっと待つの、アーチェニーのゼレノイドであれば話は別なの」
「無論、ホーズキ達の提出したレポートは見た。『ヴァイタル』の一員であるクロッカスは〈アーチェニー〉のゼレノイド。粘着質の糸を生み出し、”あらゆる”毒を精製できる」
「そう、あのゼレノイドならこの所業ができるの。だとすると、ヴァイタルはまだこの近くにいるはず……」
「分かっている、その可能性も考えてネルセットに残っていたパーティが警備にあたっている。あたしもそろそろ行こうと思ってたんだ」
ユウガオは死んだ。
ヴァイタルの構成員が何人かは不明だが、少なくともクロッカスとトード、そしてクロッカスが言う『ボス』の三人。
トードと『ボス』の能力も不明。
「すまないな……お前達の調査結果をもっと生かすべきだったんだが、またこれだけの犠牲が出でしまった」
「明らかに、今までの動きとは違いますよね。俺達の時もそうだったけど、話で聞いていたただ暴れまわるだけじゃない」
「そう、そうなんだ。もっと分かり易い暴力への対抗策は幾つかあったが、こういう搦め手はギルドも予測できなかったよようだ。だが今回で、相手が本格的に私達と敵対する意思を見せたと言う事になる。確か、ホーズキを欲しがっていたんだよな、ヴァイタルは」
その言葉に一瞬動揺するも、平常心。なんとか落ち着いて当たり障りのない相槌を打つ。
ナーシセスさん達に、俺がゼレノイドであると話していいかどうか、まだ判断できない。この人が本当に味方かどうかは分からない。
「この事件も、奴らがホーズキ達が帰ってくるタイミングを見計らったようにも思える」
俺がゼレノイドであると知ったとして、お前は自分達と同じ凶悪な存在だとでも知らしめたいのだろうか。あいつらならそんな事に為に人を殺したとしてもおかしくはない。
ゼレノイドとは……そういう存在だ。今にも溢れそうな沸騰した鍋のお湯。少しでも揺らせば零れた心の闇が他人へ牙を向く。
俺もいずれそうなる。そうなるのだと思っていなければならない。
「ま、そこら辺はまだ憶測だからなんとも言えないな。で、帰ってきて早々こうなっちまってるけど、どうする?」
「どるするも何も、ヴァイタルがいる可能性があるなら、探しますよ。もしまだ俺を狙ってるなら好都合でしょ」
「そうか、分かった。何かあれば言えよ、私は暫くこの周辺にいるからな」
ふわっと浮かび上がるようにして、土手の上へジャンプするナーシセスさん。立ち去ろうとした時だった、慌てた顔のスーツを着た男が息を切らしながら俺達の前に来た。
「ど、どうしました?」
「はぁ……はぁ、緊急招集です。ネルセットに残っているギルドに登録しているパーティの代表者数名は、直ちに、サーヴァリアへお集まりください」
@
それは、緊急を有していると男は言った。
サーヴァリア――俺達がこの世界へ飛ばされた最初の国。奴隷を育成する学校があり、卒業した奴隷の売買によって成り立っている。闘技場や賭博場、きな臭い施設も多いが、不思議とネルセットよりも平和そうで活気がある。しかしそれも東側の首都圏だけ、西側に広がる荒野はスラム街が広がる無法地帯だ。
俺達はまた船に揺られていた。今回はネルセットからサーヴァリアへの直行便だ。代表者数名という事で、俺と山茶花、バルサミナで行く事になった。後はお留守番だ。
「そういや、ギルドってネルセットとサーヴァリアが運営してるんだったな」
「ルドベキアさんが言ってましたね……」
苦笑いの山茶花が答える。
最初は、ギルドはネルセットが運営しているものだと聞いていたが、実際はサーヴァリアがその実権をほとんど握っているとか。なんでも、俺達にエリーマイルへ行くように言ったあのギルドの一番偉いおっさんが汚い金を貰っているとかいないとか。
「……後悔してるのか」
「んな訳ねぇだろ。ギルドのお陰で俺達は飯食ってられるんだしさ」
「……驚いた、多くを助ける為なら別にいいとでも言うかと思ったのに」
相変わらず痛いところを突いてきやがる。
俺の心情の変化に気が付いていたのか。
「正直、今でも思ってる。世界中全て、理不尽な苦しみを負ってる人を助けたいってな。俺が自分が幸せだと思ってたから、そう考えてたんだ。でもやっぱり、俺は幸せなんかじゃなかった。山茶花が苦しむようなこの世界で生きる事が、俺にとっての幸せなはずがないんだよ」
「おにーちゃん……」
「だから、今は山茶花を守る事だけを考えたいと思えた」
この手で守ったものは幾つもあった。
だが、この手から零れ落ちたものも等しくあった。
俺がいた事で死んだ人間がいる事実は変わらない。お前は、誰も死なせずに他人を救える主人公ではないと突き付けられた。
「それでも、それでもさ、もし俺の目の前で誰かが助けを求めてるんなら、俺は助けるからな。もしその時は――
「……ああ、その時は手助けしよう。もうホーズキは、あたしが背中を預けるに十分な存在だ」
その眼に、言葉に、偽りは一切なかった。
バルサミナは両親を除いて初めて、俺に期待して、俺を育ててくれた人だった。そんな恩人に褒められたんだ。それが嬉しくないはずがない。
「バルサミナ……ありがとう」
「おにーちゃんとバルサミナさん、仲良さそうで何よりじゃないですか?」
「あんだよ山茶花、妬いてんのか?」
「ふん、おにーちゃんったらいっつもバルサミナバルサミナって、わたしは小動物じゃないんですからね」
「分かってるよ、山茶花が頼もしい事は何度も体験してる」
ローチュとの戦いだって、山茶花がいなければ俺は死んでいた。
イルウィカウ・ヨロトルの時も、山茶花がいたから死傷者が0人で済んだ。
「分かってるならいいんですよ。おにーちゃんはわたしのおにーちゃんなんですからね」
「……ふふ、まったくお前達兄妹は、時と場所を弁えろイチャイチャしやがって」
な――なんだと!?
「ふぇっ!?」
「……なんだよ」
「バルサミナが笑ったー!?」
「……笑うさ、人間なんだからな。笑った事を認めたのは本当に久しぶりだけどな」
「思えば、出会った当初に比べるとバルサミナさんの口調も柔らかくなったような気がします」
「確かにそうだな。俺達以外にもそう接してくれたら気が楽なんだけどなぁ」
「……黙れ、お前達二人は特別なんだ。そう易々と赤の他人に心を開くか」
それにしてもバルサミナがここまでフレンドリーになるとは……いや、これでフレンドリーは感覚がマヒしているな。あれだけ自分のプライベートを見せなかったバルサミナが見せた一瞬の隙だ、この機を逃さずにはいられない。
「バルサミナさ、毎朝山籠もりしてんだろ? 俺も着いてっていいか?」
「……っ、ふ、ふん。別に問題はない。だが覚悟しておけよ、あたしの朝練は超ハードだ」
「へっ、望むところだ」
「わたしもっ! わたしも行きますっ!」
「……さ、サザンカもか? べ、別にいいけど」
やっぱりバルサミナは山茶花に弱いようだな。
これからバルサミナを弄る時は必ず山茶花に傍にいてもらおう。
「おにーちゃんが変な事した時はフォローしませんからね」
「……ホーズキはあたしに何かしようとしてたのか」
「何故お前らはいつもそっちに持って行きたがる!?」




