67――前に進めばいい
帰りの船の中。
俺は一人、一番後ろで端っこの席で窓の外を眺めていた。この行為に意味はない。ただ、人の顔を見たくないだけだった。
エスティパがあるペルリード大陸からの船は特に座席の指定がない。そもそも、わざわざこんな危険な場所を出入りする人間なんてそれこそギルドの人間か、サーヴァリアの憲兵くらいしかいない。サーヴァリアの憲兵もいないので、今回は俺達だけだった。だから都合がいい。
チラッと前の方の座席を見ると、広い船内の中、ほとんどがみんなバラバラに座っていた。山茶花とマルメロは隣り合って座っていたはずだ。
かなり気まずい空気だが、明日になれば消えるものだ。
それにこれは仕方ないことだ。これからをどうするかが大切なんだ。
「ホーズキくん」
「おぉっ!? なんだよダウニー、びっくりするだろ」
「ごめんなさいなの。でも、ちょっとお話をしたくて」
きっと、スノーフのことについてだろう。
またルピナスの差し金だろうか? ルピナスとダウニーは仲がいいからな。あり得ない話じゃない。
でも今は、そんな気分じゃない。
「悪いけど、今は……ちょっと」
「そんなのいいの。ボクの話を聞いて欲しいだけなの。すぐ終わるの」
どうやら、無理にでもここに居座るらしい。ダウニーは頑固なところがある。どうやっても聞いてくれないだろう。なら仕方がない。ダウニーの方も俺が真面目に聴かないと分かっているだろう。
だが、ダウニーの口から出た言葉は意外なものだった。
「ありがとうなの」
「え……?」
「ゼレノイドを庇おうとしてくれたことが嬉しかったの」
そうか、確かダウニーは行方不明になった友人であるトードという少女を探して旅をしていた。その少女はゼレノイドになったことを知ったから、ヴァイタルを追っていたんだ。
だからダウニーは何よりも、ゼレノイドが迫害されるこの世界を恐れていたんだ。
「ボクも、あんな光景を何度か見てきたの。あんな、ただ手にナイフを無理矢理持たされた弱い人間を一方的に嬲るような行為を、何度も止めたいと思ったの。もしあれがトードだったらと思うと、寒気がして止まらない。だから力を、この力を手に入れたの。どんなことがあってもトードを助けられるこの力を」
ダウニーは己の手を見た。
その手はただの、幼い少女の手の様に見えたが、今の俺なら分かる。大切な人を守る為に浴びた血の痕が見える。その為に手をかけた命の痕跡が見える。
少女は呆れたように笑った。
「はは……ルピナスは容赦ないの。ボクもあの時ホーズキくんと同じことをしようとしたけど、まさかルピナスが銃を突き付けてくるとは思わなかったの」
「ルピナスが…」
「多分、それだけ切羽詰まってたの。彼女達の言い分も分かるけど、あの時助けなかったことは、”正しいことではない”のは確かなの」
「ああ……でも、正しさを成すことが、齎す責任を俺は考えなかった。だから、俺がスノーフを庇った所で結末は最悪だったろうな」
「それでも、ボクは助けることが正しいと思うの。妥協なんていらないの。自分の全てを捨ててもいいの。責任なんてどうでもいいの。何も考えない馬鹿なヒーローの方が、ボクは好きなの」
だから、あの時の自分を恥じなくてもいいと言ってくれた。
その言葉に偽りはない。
最後に幸せになるのは、自分の為に生きた人間だと笑ってくれた。
「それと、謝らないといけないこともあるの」
「なんだよ」
「ヴァイタルの、クロッカスと対峙した時……あの時、仮死状態にしたホーズキくん達とトードで取引しようとしたの」
「なんだ、そんな話か。俺がしようとしたことと同じじゃねぇか」
ダウニーに出会ってから、マルメロ以上に真にマイペースな奴で掴みどころがないと思っていたから、この驚いた顔は国宝にしたいくらいに可愛い。
実際、あの直前の俺の行動を考えれば、精神状態を差し引いても、今ダウニーが言った行為を責める事はできない。それに、ダウニー自身が今、誰かを救う事に妥協はいらないと言ってくれたところだ。
否定なんてどうしてできようか。
「お、怒らないの……?」
「気にすんなよ。ま、次やる時は事前に言ってくれよな」
「も、もう……二度とする訳ないの」
ダウニーは笑っていた。
きっと、俺達といた中で、一番。
「……だから、その、これからは本当の仲間としてよろしくしてほしいの」
「ああ、いいぜ。当たり前だろ。言われなくなってダウニーは仲間だよ」
「~~~! これ! これあげるの! お近づきの印!」
ダウニーはデカいリュックサックから特大のハンバーガーを取り出して押し付けてきた。
甘いケチャップの香りと、バンズの香ばしさがするだろう。きっと。
受け取って袋を外す。ハンバーグの香りがしたのだろう。多分。
大口を開けて頬張った。
このハンバーグは、美味しいものなのだろう。ダウニーがくれたのだから、当たり前だ。
だが俺は――俺は、
「おいしい?」
「ああ、クッソうめぇよこりゃ」
嘘を吐いている訳ではない。
これは美味しいものだ。俺も何度も食べたから分かる。これは絶対に美味しいものなんだ。そういう味がするはずのものなんだ。
「ホーズキくん……その、ね。もしかしてホーズキくん、味覚、なくなってるの?」
核心を突かれて体が強張る。
とは言え、ダウニーにはすぐにバレるだろうと思っていた。ダウニーの食事に関する感覚は超人並みだ。昨日の昼から、俺の味覚がなくなっている事なんてすぐに分かっていただろう。レーションを食べた時の俺の反応は明らかに不自然だった。その晩の酒場でも。だからずっと疑っていたんだ。
「昨日倒したゼレーネ、〈イルウィカウ・ヨロトル〉。スノーフもあのゼレーネのゼレノイドだったの」
「じゃあやっぱり、イルウィカウなんちゃらのゼレノイドにもなっちまったのか、俺は」
「多分。ホーズキくんの『味覚』が消えた。そして、ホーズキくんはスノーフが盲目ではないかと疑っていたの。つまり、彼女が失ったのは『視覚』。恐らくゼレノイドの力を使って、人形を生み出して視界を確保していたの」
だから見えているような振る舞いだったのか。
「この仮説が正しいとすれば、ホーズキくんの手に入れた力はあまりにも強大。ともすれば、国一つ滅ぼすことなんて簡単な代物なの」
「気を付けろって事か」
「うん。元のゼレーネのように人形を生み出し、生命のストックを作り出せるなら、〈アズダハ〉の能力と合わせて使い方によっては無敵なの。それは、頼もしいけど、ゼレノイドの力を複数宿すデメリットが気になるの」
確かに俺がダウニーから聴いた話と、俺自身で調べた中では、複数のゼレーネの特徴を受け継いだゼレノイドは未だ確認されていないらしかった。
しかも、これは最初から気になっていたことだが、ゼレノイド化の条件は『強い心の闇があること・ゼレーネの細胞を取り込んでいること』そしてもう一つ、『死亡すること』があったはずだ。これに関しては、ローチュに滅多切りにされた時に一度死んだものだと思っていたが、だとするとそれ以降のゼレーネの力を取り込んだことに説明がつかない。あれ以降、俺は明確に死ぬような目にはあっていない。
「それらについて、知っている者がいるの」
「ソイツに訊けば分かるのか?」
「多分」
「どこにいるんだ?」
「サーヴァリア。サーヴァリアの地下深く、牢獄の最深部に投獄されている研究者なの」
ここで、サーヴァリアが出たか。
まあ、かの国にはもう一度行かなくてはならない。だとしたら丁度いい。他の用事の間に暇があれば次いでとして行ってみよう。牢獄の最深部にいるような奴に面会ができたらの話だが。
「他の場所は大丈夫なの? 目とか、触覚とか」
「それは大丈夫だ。目もちゃんと見えるし、感触もちゃんとある」
そう、こんな風に柔らかいものは柔らかいと感じられる。
しかしこれはやけに柔らかいな。生八つ橋みたいな感触だ。そう言えば女子小学生の胸の柔らかさは生八つ橋と同じだと聞いた事があるが、丁度そのくらいだな。つまり今俺の手が触れているものは女子小学生の胸か。そうか。
「あっ……ホーズキくん、そんなに擦っちゃ――やっ、お腹に、響いちゃうよぉ。おりてきちゃうぅ」
「あああああッ!? マルメロおおおおお!!」
「キャー! 犯されちゃうよぉー!」
何が気まずい雰囲気だ!
マルメロはいつも通りじゃねえか!
バルサミナの蔑むような目も、ルピナスの生暖かい視線も、山茶花のブチギレてる顔も、話が終わったら気にせず食い始めるダウニーも、おろおろしているシクラも。あーもう! いつもと一緒だ!
悩んでようが、悩んでなかろうが、皆こうして、いつものようにいてくれる。
こんな幸せなことが、永遠に続けばいいのに。




