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また、私しかいない世界で  作者: 井土側安藤/果実夢想
第七章――I forever with you.
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60――恐怖心に咲く兄妹愛

 悲鳴。

 女性のものだ。その声から山茶花達の誰かではないことは分かる。

 それでも体は迅速だった。せっかく心配して来てくれた男の人には悪いが、飛び起きるようにトイレから飛び出し、外の様子を確認する間もなく窓ガラスを突き破って外に転がり出る。それと同時に剣を引き抜き必要な筋肉に力を入れる。

 眼光はその異様な光景を目にした。


「な……んだ、これ?」

「おにーちゃん! 気を付けてください!」


 既に山茶花達も臨戦態勢。

 ルピナスとダウニーの姿はない。マルメロは既に詠唱を始めており、いつでも魔術を発動できる。


 ――そして、目の前で女性の左胸を喰らっていたのは人型をした泥の人形。

 全身を墨で塗りたくったような漆黒に光沢し、腕の先には短いが鋭利な体色と同じ色の爪。黒いシルエットをそのまま動かしたような怪物が、文字通り女性の心臓を口で引き抜き、咀嚼している。

 十中八九ゼレーネだろう。

 麻袋を放り投げるように捨てられる死体。

 命だったもの。

 普遍的に生きていたもの――守るべきものだった命。


 血が煮える。理性がぶっ飛びそうになるのをなんとか抑える。今にも、飛び出してしまいそうな心を握り潰す程強く。怒りを冷やし、精神力に変換しろ。その方が建設的だ。ああ……怒りに身を任せても意味はないと何度も思い知った。

 バルサミナに笑われない為にも、効率的に、そして確実に被害を最小限に抑えてあのゼレーネを倒す。


「ルピナスとダウニーは!?」

「ルピナスさんは民家の屋上、ダウニーさんは路地の影でそれぞれサポートです!」


 バルサミナもいない今、実質的な司令塔は俺だ。

 落ち着け。

 大丈夫だ。

 ネガティブなるな。

 前向きに考えろ。

 敵は小さい。だが見た目は当てにならないはずだ。小さいだけで脅威にならないような奴らが、この世界に跋扈する怪物だとは思えない。油断はするな。本体があるはずだ。

 そうなると、山茶花の盾は無意味だ。となると必要な役割は――


「山茶花は負傷者の治療を、それと並行して避難指示の援助を頼む!」

「でも……! いいえ、分かりました!」


 逡巡したが、首を横に振り、強い瞳で俺を見た。

 駆けだそうとする山茶花、だがその眼前に立つ人影があった。


「バルサミナ! 戻ってきたのか!」

「……そりゃ、あんなものが出ればな」


 あんなもの……? バルサミナともあろうものが、あの泥人形一体にそこまでの表現を使うだろうか?

 そう、案の定、”あんなもの”と言わしめるような存在が、森から這い出した。

 漆黒の毛皮に身を包んだ、黄色い斑点のような模様を携えた四足歩行の動物。ソレは俺が昔、動物園で見たジャガーの色彩を反転させたそのものだった。その体躯は本来のジャガーを遥かに越えており、そして何より異様なのは上空。

 漆黒のジャガーの背にある空間の裂け目の真上、雲上に一軒家ほど巨大な正六面体と高円の魔法陣。その透き通るような青の正六面体から、人の心臓を喰らう泥の怪物が産み落とされていた。

 今までの感じた事のない恐怖が刃物のように背中を撫でる。

 人智を越えた神話的恐怖が矮小な人間の精神を擦り潰す。

 だが所詮は怪物だ。

 生きているのなら、殺すことはできる。


「バルサミナ、山茶花と一緒に救助と非難指示を!」

「……分かった」


 その言葉を待っていたとでも言わんばかりに、何の反論もなくバルサミナは山茶花と共に怪我人の下へ向かった。今も泥人形はエサを喰らわんと民間人に襲い掛かっている。

 バルサミナの能力は非常に心強いが、それが最も生きるのはタイマンだ。こういう奴が相手だと数に対処しきれない。だから今はそのフィジカルを生かして要救護者の保護に当たるのがベスト……のはずだ。

 後は有象無象をなんとかしつつ、あの本体のジャガーを倒さなければならない。

 上空の正六面体は露骨に弱点っぽいが……


 敵意を向けた瞬間に、2、3泥の人形が俺に飛び掛かる。

 既に抜いていた剣で胴を撫でると簡単に切り裂けた。耐久力はないようだが、すぐに別の場所から補充され襲い掛かってくる。人海戦術、ゼレーネの癖に賢いことをしてきやがる。

 切り裂かれる度に、泥人形は悲鳴のような声を上げる。

 今更こんな奴らに感情移入なんてしないが、それでも悲鳴なんて上げられると気になってしまう。


「マルメロ! 試しにあの六面体になんか魔術打ってくれ! ルピナスはジャガーに銃撃を!」

「分かった! この距離なら――〈Enadory〉!!」


 マルメロの手のひらに収束するエネルギーが槍を形作る、それを構え助走をつけて上空へ投擲した。正六面体へ。

 だが槍は届かない。距離的な意味ではなく、投擲の瞬間に大量の泥人形が庇う様に重なって槍の速度を殺し防いだのだ。

 露骨に弱点だ。まあ、自分達を生み出す物を壊そうとするのだから、守るのは当たり前か。本体であるジャガーの弱点かどうかまでは分からない。


「ダメじゃホーズキ! あやつに攻撃は効かん!」


 屋上にいるルピナスのスナイパーライフルから放たれた鉛玉が胴体を貫通したが、少し怯むだけで何もしない。ただゆっくりと、森の中から歩いてくるだけ。本当に鈍足で、歩く気があるのかと問いただしたくなるほどに重い足取りだ。


「ボクのネクロマンスにお任せなの!」


 ジャガーの動きが止まる。

 止めたのはダウニーだ。ネクロマンスの力でジャガーの動きを止めていた。


「でかしたダウニー!」

「でも……止めるのが精一杯で、動かしたりはできないの……!!」


 足止めはできたがそれが数分保つか分からない。

 対策……倒す為の方法を探すなら今だ。地上からの攻撃で足りないなら、直接あの六面体のクリスタルを叩くか……?

 無論泥人形が阻むだろうから露払いは必須だ。


「ホーズキくんどうする!? あのジャガーの動きが止まっている間は泥人形が出てきにくくなるっぽいから今のうちになんとかしなきゃ!」

「ああ……なあマルメロ、空は飛べるか?」

「へ? あ、えっと……かなり高くジャンプはできるよ? ああ! それであたしの高火力でアレをぶっ壊すってこと?」

「安直だが、いの一番に脅威を減らすにはそれが手っ取り早い」

「じゃが、そうなるとマルメロは一番危険な場所に近付くことになるのう」


 その通りだ。


「その為の――」

「我らの露払いじゃよな。分かっておる。じゃが、こうは考えられんか? あの六面体を壊した途端に、本体なのであろうあやつが暴走するとかじゃ」

「それは……」

「自身の身を守る物がなくなれば、後は自分でどうにかするしかないじゃろ。その際の被害は想定しきれん。あのようなゼレーネは我も知らん。〈デルラ・ハンザー〉のように薄っすらとした記録はあるじゃろうが、今からそれを探したのでは到底間に合わん。ホーズキよ、ああいうのを相手にする時に考えるべきはリスクじゃ。そのリスクを最小限に留める為の策が必要じゃ」


 弱点と思われるモノを破壊した際のリスク……もしあのジャガーが暴れればひとたまりもない。単純な暴力程度なら俺ですら避けられるが、民間人は違う。避けられなかった人は肉塊になる。

 そのリスクを減らす為には……


「だったら、同時に本体に止めを刺す。あの六面体を壊すと同時にあのジャガーを殺す」

「ではそれを、誰がやるのじゃ?」


 バルサミナと山茶花には元よりあんな巨体を一撃で殺せるだけの火力はない。

 ルピナスの装備は二丁の拳銃のみ、ダウニーは首を横に振っている。マルメロはあの正六面体の破壊に集中しなければならない。


「やろうと思えばあの上空から狙えるけど、中途半端な威力になると思う」


 確実にアレを殺す為には……〈アズダハ〉の時の様に一瞬でやらなければ。

 残ったのは俺一人、だが俺にはそんな力は――力は、



 ――ある、だろう?



 〈ゼレーネ=リンファー〉。

 俺が最初に出会った、俺を襲った巨大な狼のゼレーネ。

 後で知ったことだが、奴はどんな獲物でも大口一つで呑み込むらしい。大人の人間一人くらいなら簡単に。俺はリンファーに傷を負わされている。

 だとしたら、ゼレノイドとしての力を使えるかもしれない。

 あの巨体を呑み込めれば、一撃で奴を倒せるかもしれない。

 だが、二つのゼレーネの力を同時に得ることなんてできるのか?



 ――できるさ、それに見合うほどの闇があればな。



 闇――?

 そうか、またあの気持ち悪い鉄の風に身を任せて、壁を心に纏い他者を憎悪するのか。

 その感情を守るだけの怪物と化すあの時間。

 その程度のことでこの状況を打破できるのなら幾らでも受け入れてやる。


「俺が行く」

「ほう? どうするつもりじゃ?」



 ――次はどんな闇がいい?

 嗜虐心か? 被虐心か? 哀れみか? オーソドックスに憎しみか?



「今の俺には、奴を一撃で倒せるだけの力がある」

「それはどういったものじゃ? ここで説明できるものか? できないのなら信用に値せんな」


 まただ、また。

 どうして俺を信用しない。

 お前らは俺を信用するんじゃなかったのか? その為の仲間じゃなかったのか?

 結局はそうだ。目に見えるものしか信用できない。自分の価値観しか信用できない。自分で納得したものでなければ信用できない! 所詮人間は自分のことしか考えられない生き物だ!

 分からない分からない分からない! お前らが何を考えているのか分からない!

 怖いんだ……他人が怖い。生きている自分が触れるもの全てが怖い。俺が他者に認識されているだけで心がキリキリ痛むんだ。

 こんな俺なんかを……どうせ、みんな……


「さあどうしたホーズキ! お主はどうやってあのゼレーネを倒すのじゃ!?」

「ルピナス……? 急にどうしむぐぅ!?」


「マルメロ……作戦はそのまま続行だ」

「ホーズキくん大丈夫なの――

「いいからやるぞ!!」

「っ、わ、分かった!」


 恐怖心が心を埋める。

 全てのものが怖くなる。

 心の平穏を保ちたいなら、俺は他の全てを壊すしかない。全てを呑み込み……遍く全てを。


「〈Alma〉!」


 マルメロが跳躍した。

 泥人形が行く手を阻もうとするが、ルピナスの銃撃とダウニーが使役する骸骨によって蹴散らされる。

 そのままマルメロは第三宇宙速度で六面体に到達し、全てを焼き払う炎の呪文を紡いだ。

 空を染める爆炎の色を感じたと同時に駆け出した。


「ガァ嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 咆哮、慟哭。

 怪物に肉薄する。

 心の内側、その源泉から溢れ出る、ドス黒いヘドロが噴出する。


 ヘドロが形作る獣の口は、たった一口で巨大な漆黒のジャガーを呑み込んだ。



 その瞬間。

 俺が見える世界は茜色に塗り替わった。



 ――子宮少女破滅近親相姦拒絶受諾会合暴力相違友人風評価値観醜聞逃避言訳純粋願望しかしそれらは君の欲望君自身のだから他人の都合は介さないし知ろうともしないが当たり前だろうそれでいいだからこそのこの感情だその欲動だ愛情だ。


「おにーちゃん、わたし、好きな人ができたんです」


「敦盛君……君は何か間違ってるよ。妹は妹だろ?」



 ああ……違う。

 山茶花は妹だが。

 妹だ。

 愛すべき存在だ。

 それを……それを……アイツは奪おうとした!!


 茜色の世界は誰の色だったのだろうか?

 もう今となっては思い出せないことだし、思い出したくもない。

 ただ、俺が山茶花を愛し、永遠に守ると誓ったことに変わりはない。

 たとえソレが、その感情が俺の中から産まれ、俺の中で育ち、俺の中にしかないものだとしても、それは構わない。

 もう戻れない。


「――あ、あれ……俺は」

「ゼレーネは倒されたのじゃ。お主の手によってな」

「ルピナス……じゃあ成功したのか?」

「ああ。避難も無事終了し、誰も今の光景を見ていない。バルサミナの超感覚が保証する」


 だとしたら、俺がゼレノイドだってことも、皆にバレたのか?

 いや、知ってたのか!?


「なんとなく察してはいた。人の身のままであの死神姫を倒せるとは思えんしのう。こちらから切り出すのも難しかったのでな、すまんのじゃ」

「俺も……俺も黙ってて悪かった。真っ先に言うべきだったんだ。ルピナス達を信用しているなら」

「その話はなしじゃ! 我もちょっとばかりは焚きつけたからのう!」


 はっはっはと笑うルピナス。

 既に肉まんっぽいものを頬張っているダウニー、申し訳なさそうに笑うマルメロ。


「なんだよマルメロ。そんな顔すんなよ」

「でも……あたし、ホーズキくんに甘えてばっかりで……その……」


 恐らく、俺の心の中の汚い部分を見て引け目を感じたとかそんな感じだろうか。

 ぽんぽん頭を叩く。

 自然に体は動いた。今までそうだったかのように。


「いいんだよ。誰にだってあるだろ? 心の闇みたいなの。それが吐き出されたかそうでないかだけの話だ。肌に当たる風がちょっと人より痛いだけだ。気にすんなよ」

「うん……」


 さて、後は山茶花、バルサミナと合流してまた後片付けか……


「な、馬鹿な……! ホーズキ、アレは誰じゃ?」

「え? 誰って……」


 驚愕の表情でルピナスが指差した方向を見ると、そこにいたのは眼鏡をかけリクルートスーツを着込んだインテリ風の女性だった。

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