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また、私しかいない世界で  作者: 井土側安藤/果実夢想
第六章――I wanted to die with you.
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57――終わらない怨鎖

 何度気を失えば気が済むんだ俺は、と自分に呆れた。

 目を覚ますと見えたのはテントの屋根、と山茶花の顔。この角度的に、俺は山茶花に膝枕をしてもらっているのだろう。

 起きかけで思考が上手く働かない俺は思わずその頬に触れていた。

 とても悲しい顔をしていからだろうか。


「もう、怒る気にもなりませんよ」

「ごめん……でも、あれしか方法はなかったんだ。俺がゼレノイドになるしか……」

「そのことなんですが、おにーちゃんの体が、わたしが最初に見た時は〈アズダハ〉のような蛇の鱗があったんですけど、すぐに元の人間の肌に戻ったんです」


 そう言われ自分の手を、腕を確認する。

 確かにあの時、俺の体は一部分が鱗に覆われ始めていた。だが山茶花の言う通り、今の俺の体にその痕は全くない。


「おにーちゃんの傷が全て癒えているのは私が治したからと言って、あのことは黙っています。安心してください」

「ありがとう山茶花。やっぱりお前は細かい気遣いができて偉いな」

「もう、おにーちゃんったら……」


 膝枕のまま頭を撫でてやると子猫みたいな声で喜んでいる。

 ローチュの言葉で心配していたが、本当に無事でよかった。山茶花のことだから自分の事なんて気にせず俺に付きっ切りになっていてもおかしくはなかったが、怪我はどこもしていないようだ。


「ローチュは……アイツはやっぱり普通の人間”だった”んだ」


 自分の手を見る。

 腕にはまだあの気持ち悪い感覚がこびり付いている。肉を断つ、固い神経を引き千切る感覚。あの最後の瞬間、確かにこの手でローチュの心臓を貫いた。

 『死』は確かにローチュの救いになったはずだ……いや、俺自身、それを確信できていない。ただ、あの笑顔は不幸せな人間のものではないと、それだけは言える。


「おにーちゃんは正しかったと思います」

「ありがとう山茶花」


 俺自身は自分をどしても否定したがっているようだったが、山茶花がこう言っているのだから、認めざるを得ないだろう。俺はきっと、間違ってはいなかった。


「バイオレットは……みんなはどうした?」

「生存者の捜索と後片付けです。ダウニーさんが頑張ってくれてます。バイオレットさんは、特に怒ったりはしてませんでしたよ」

「よかった……まあ、その様子だとバルサミナは怒ってるだろうな」

「それがですね、様子がおかしいんですよ」

「バルサミナが……?」


 アイツに対して様子がおかしいと言わしめるなんてきっと明日は雪に違いない。

 あのリアリストでクールなバルサミナが、いったいどんな風におかしいと言うんだ?


「妙にソワソワしてるような、何かを気にしてるような……わたしも、またおにーちゃんが無理したってバルサミナさんに言ったらきっと怒ると思ってたんですけど、おかしくなったのはそれからです」


 ナチュラルに、バルサミナが怒ると分かっていてわざと言ったような言い回しに聞こえたが気のせいだろう。それはともかくそれはすごく気になる事だ。あわよくば後々何か言われた時にネタにしてやれば……殴られるか。


「外、出ますか?」

「そうだな……」


 テントの間から垣間見える外は既に明るかった。あれからそう時間は経っていないだろう。

 名残惜しいが山茶花の膝枕とはおさらばし体を起こす。どこかが軋むだろうかと考えていたが、予想に反して驚くほどに滑らかに動いた。どこも痛くないし、むしろ軽いくらいだ。戦っている時には蓄積されていた疲労もなくなっている。

 これもゼレノイドの力なのか。


「バルサミナも気になるけど、とりあえずみんなを手伝いに行くか」

「そうですね。ギルドのエスティパ支部からも手伝いに来てくれているらしいですが、それでも足りていないようでしたし」

「エスティパ……? あー、あれか、ゲルダンの隣にある国か」

「そうです。今日と明日はそこに泊まるそうです」

「分かった。じゃあとりあえず出るか。ちょっと暑いしな」

「ですね……あ、ヘンタイの目です。今汗ばんだ私の体を見ていましたね」

「何故分かった」

「ヘンタイ!!」


 よし、山茶花も元気だし安心だな!!

 襲い掛かる妹から逃げながらテントから出た。やはり暑かったが、中よりはマシだ。相も変わらず照り付ける太陽と、青い空は白々しい。

 ただ、昨日に比べると血生臭さはあまりしなかった。ここは街中のようだったが、シミはあれど周囲に死体の姿はない。

 かつてここらじゅう一帯に覆いかぶさるように転がっていた死体を思い出す。

 あれだけあった命だったものが、こうも綺麗になくなっていた。

 そして命はたった一人の少女の手によって簡単に奪われた。

 それぞれにやりたい事や思いはあっただろうが、それらはほんの少しのすれ違いが生んだ間違いによって磨り潰された。

 胸糞悪い。

 ローチュはどこで間違えた。ローチュの家族は、兄は、親友は、どこで何を間違えた?


 そんな風に考えながら歩いていると、前からバルサミナが走ってきた。思わずビビって逃げようとするが様子がおかしい。山茶花がいっていた様子がおかしいともまた違ったものに見えた。

 バルサミナにしては珍しく少々息を切らしながら俺の前で立ち止まる。


「……やっと起きたか。色々話したいことはあるが後だ、ユウガオが見つかった」

「マジかよ、どこだ!?」


 バルサミナに案内された所に向かうと、潜伏でもしていたのであろう民家の壁際に追い詰められたユウガオに迫るピアニーが見えた。

 そう言えば、全く影も形もなかったから忘れていたが、ローチュを手引きしているのは『ヴァイタル』だと言う話もあったか。ユウガオがローチュと接触したが、他の例に漏れず殺されそうになったのだろう。戦うにしても、あの性格にユウガオの幻覚を見せる能力は分が悪すぎる。


「止めないと……!」

「……待て、止める必要はない。奴を生かしておいては、また何かしでかすだけだ。殺しておいた方がいい」

「っ……」

「いいか、性善説などないんだ。ユウガオも簡単に人を殺せる、ローチュと同じだ」


 俺が止めないといけない理由はそこにはない。

 ユウガオが善人か悪人かなんてどうでもいいことだ。


「違う、俺が言いたいのはピアニーのことだ!」


 バルサミナの腕を振り払い、今にもユウガオを殴り殺そうとするピアニーの前に割って入る。

 流石に手を止めたピアニーは、怒りの形相で俺を睨み付けるが、退くわけにはいかない。正に蛇に睨まれた蛙のような気分だ。視線だけで殺されてもおかしくはない。それだけピアニーの心に渦巻く怨嗟は強大なものなのだろう。

 だが、


「殺せばもう、二度と戻れなくなるぞ」

「あたしはそれを望んでいる。だから退け」

「なら俺を殺せ。ゼレノイドは人間だ。ユウガオを殺せるのなら俺も殺せるはずだ!」

「世迷言を……!! そんなに死にたければ殺してやる……!!」


 これで本当に正解だったのかは分からない。

 正しい回答など、どこにもないのかもしれない。

 それでも俺の前には、俺が歩く道には常に選択肢が伴われる。それは他のみんなも同じだろう。意思を持った生物が辿る道は一本道だが、幾らでも分岐点がある。

 俺が今、こうして生きていられるのは誰に対する『正解』なのだろうか。

 寸での所で、ピアニーはその拳を止めていた。

 俺の後ろにいたユウガオの姿は既にない。逃げたのだろう。


「ピアニー……」

「お前は自分が何をしたのか分かっているのか!? それがどれだけ多く人間を苦しめると思う!? あたしなんてどうでもいいだろ!? あたしが一人が人間じゃなくなったところで誰が困る……?」

「別に俺は正義の味方じゃない。俺が嫌だから止めた、それだけだ」


 既に、ピアニーに先のような気迫はなかった。


「勝手にしろ……後で後悔してもあたしは知らない。帰るぞバイオレット。後片付けは大方終わっただろ」

「エスティパには行きませんカ?」

「気分が悪い。ここに居ても、いい事はないからな」

「分かりまシタ。では皆サン、またどこかでお会いする事があればその時はよろしくお願いしマス」


 スタスタと歩いて行くピアニーを速足で追いかけていくバイオレットを見送った。

 森の中へ入った行ったから、またあの港から帰るのだろう。

 本当に、これでよかったのか。いつまでも考えている事が馬鹿馬鹿しくなるくらいだったが、それでも、どう前向きに考えても心は晴れない。

 胃の中に異物があるような感覚がずっと続いて落ち着かない。


「バルサミナ、やる事はもう残ってないのか?」

「……あ、ああ。ピアニーの言った通り大方終わった。後はギルドの方でやってくれるそうだから、これからエスティパに向かおうと思う。ユウガオについては……あたしの方からそれとなく報告しておく」

「そうしてもらえると助かるよ」


 何か言いたげたバルサミナの表情には気が付いていたが、精神の疲弊までは治っていなかった俺は何も言わなかった。

 早く、ゆっくりと休める場所で眠りたい。



 ユウガオは必死に逃げた。

 ただただ、生きたいとだけ願って逃げ続けた。もはや考えられる事は究極的な生への欲求のみ。それ以外の事を考えたら最後、死んでしまいそうな気さえした。

 ローチュに何度も追いかけまわされ致命傷を負わされ、追手来なくなったと思えば、隠れていた所をアイツ等に見つかって。もし鬼灯が助けてくれていなければ死んでいたのは間違いない。

 どうして自分ばかりがこんな目に合うのか、そんな事は考えるまでもなく思い当たる節は幾らでもある。これまで好き放題やってきたツケが回ってきたのだ。それもこれも全部、この力が悪い。ゼレノイドなんかにならずにあの時ちゃんと死ねていれば、こうして苦しむ事もなかったのに。なまじ中途半端に生きてしまったせいで、生きざるを得なくなってしまっていた。自ら死を選ぶ勇気なんてない。

 それなのに、この世界はあまりに窮屈すぎる。


「ホーズキ……」


 ポツリと、彼の名前を呼んだ。

 例に漏れず、彼とも上手くはいかなかった。まずそもそもそれ以前の問題だが。ゼレノイドになる以前にも男性と上手くいった事なんて一度もないし、ヴァイストインクの力を手に入れて、ゼレノイドになってからも一度もない。

 『魅了』の力を使って得た偽りの関係なんて虚しいだけだ。ただのお人形遊びだ。

 なのに、神様はこの力をユウガオに与えた。

 なんて残酷な神なのだろうか。笑うしかない。心の底から一番求めた物は手に入ったが、それは紙粘土でできた張りぼてだった。


「……とりあえずまたどこかに身を隠さないと」


 そう、もう戻る場所はどこにもない。

 これは最後通告だった。

 これで失敗すればもう後はない。


 奴は弱者に容赦はない。

 どんな事でも誰かの上に立てない人間は蟻のように踏み潰す冷酷な人間だ。


「でも……もう限界ね。これ以上生きても意味はないか」


 だとしても、死にたいとも思わない。

 だからこうして身を隠し、何も答えが定まらないまま老衰していくだろう。誰かが変えてくれると勝手に期待して、そして何も変わらずに死んでいく。それでいい。誰とも関わらずに、自分だけが誰も知らないところで苦しむだけならそれでいい。

 なのに、なのに何故、どうして神はこんなにも残酷なのだろうか。


「ユウガオ。見に来て見たが、どうやらその必要もなかったな」

「……ふふっ、ホント、笑うしかないわね。どうしてこのタイミングでアンタと出会うのかしら、ハイドランジア」


 ハイドランジア。

 ヴァイタルの実質的なリーダー的存在だ。人とは思えない凄まじい筋肉質の大男が、顔が半分以上隠れた大きいフードを被った幼女と、白くのっぺりとした仮面をつけた褐色肌の少女を連れていた。その二人もヴァイタルのメンバーだったが、ユウガオはその詳細までは知らなかった。ただ、フードの方があのダウニーが探しているトードであることは知っている。

 ハイドランジアは呆れたような笑みを浮かべながらユウガオへ近付いて行く。


「やめて……来ないで……」

「言ったはずだ。弱者に価値はないと。生きる為には強さが必要だ。それがない者に与えられるのは死だけだと」


 走って逃げるような元気はもうない。

 泥に足を引っかけて倒れてしまう。

 ハイドランジアの一歩一歩が、死へのカウントダウンだった。


「嫌だ……」

「ならば戦え。そしてオレに打ち勝て。さすれば、お前の『強さ』が証明される。だが、戦おうとすらしない者に、かける情けがどこにある」


 持ち上げられた足が鳩尾を踏み抜いた。

 それだけでも血と一緒に胃の内容物を吐き出すほどだったが、ハイドランジアもゼレノイドだ。『ネイディジャッガル』と呼ばれるゼレノイドの力を受け継いだハイドランジアは、触れた物を”破壊”する力を持つ。

 そう、破壊。壁に触れれば壁が割れ、肌に触れれば肌は裂け、肉が破裂する。

 鳩尾を踏み抜かれたユウガオは、弾け飛んだ自らの腸に目を向けないようにしながらも、のたうち回る痛みに耐えきれずもうどうする事もできなかった。

 ただ、死にたくないと考えるだけで、生きたいと考える事はできなくなっていた。


 生への欲求を失った者は脆い。


「なんで……私はただ、幸せになりたかっただけなのに……」


 蹲るユウガオの頭を蹴り飛ばした。

 頭骨ごと脳が破壊され、ユウガオは死んだ。


「なりたいだけでなれる訳がないだろう」


 涙を流す死体を踏み躙りながら、ハイドランジアは冷たくそう言った。

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