45――傍観するデウスエクスマキナ
目を覚ますとそこは病院だった。
この世界に来てから二度目の病院の天井に、仕方がないとは言え自分への情けなさを感じずにはいられない。バルサミナはああ言ってくれたが、このままでいいとは思えない。山茶花を守る為には、まず自分の弱さに向き合わなければ。
ところで、
「その人は誰なんだ?」
ルピナスとダウニーはともかくとして、もう一人、知らない男性が病室にいた。
ぴちっとしたスーツを着込んだ背筋がピンと伸びて静かな表情の礼儀正しそうな初老の男性。程よく伸びたふさふさのヒゲも相まって、どこか執事っぽい感じがした。
俺の質問にルピナスが答える。
「この方はエリシオニアの女王の執事殿じゃ。話があるらしい」
「マジか」
確かにまあ色々あったが……正直役に立ったのはバルサミナやルピナス達だけだしな。
いやいや、やめだ。前向きに考えよう。仲間の功績は全員の功績だ。バルサミナならきっとそう言うだろう。と思ってチラ見する。
「……何か私のことを心の中で考えたな?」
「バルサミナは優しいなって考えた」
「……………………は、はぁ!? 馬鹿かお前は! この場でなければ殺してやったのに」
バルサミナは突然褒めると狼狽するっと……覚えておこう。
「……殺す」
「ガチトーンで言うな! っとそうだった。で、その執事さんが何の用ですか?」
俺達の漫才に特に不快な顔をすることもなく、その冷静な表情を崩さぬまま話し出した。
「はい。今回の事件に関して、リコリス女王陛下が直々にお話になりたいとのことで、皆様をお迎えに上がりました」
「女王直々に……」
「ご安心ください。観光協会の職員殺害に関しての容疑は既に晴れております」
ニッコニコでピースしているところからするに、ルピナスが裏で手を引いてくれたのだろう。
やっぱり頼りになる。
「行きたいのは山々ですけど……バルサミナ、山茶花達は?」
「……もうすっかりよくなっている。流石は先進国エリシオニア、医療技術はずば抜けている。マルメロは複雑そうな顔してたけど」
「はは……だろうな。俺ももうこの通り大丈夫だし、有難くお邪魔させていただきます」
それを聴いた執事さんは、車を手配してくると言って去って行った。
と、病室にいる面々を見てふと思った。
「ルピナスさんとダウニーも来るのか?」
この二人は偶然エリシオニアで会っただけで、ギルドとは無関係だ。今から向かうのだってギルドの一員としてだし……そう考えていると、ダウニーがとことことベッドに近づいて来た。
ベッドで体を起こして座っている俺の伸ばした脚に、掛け布団ごしにさりげなく置かれた手の温もりにドギマギする。この少女には山茶花やマルメロとは違った可愛らしさを感じた。こう、小動物的な可愛さの中でも有無を言わさず心を締め付けてくるようなあの感じだ。
「ホーズキくん、ボクからお願いがあるの」
「な、なんだ?」
「ボクも連れてってほしいの! ボクの探している人はヴァイタルの所にいる……ホーズキくん達といればまた彼等に会えるかもしれないから……だからお願いなの! ボクも仲間に加えてほしいの!」
今にも泣きだしそうに瞳が潤んでいた。
ダウニーにとってトードとは、真に大切な人だったのだろう。大切な人と離れ離れになる不安は俺も嫌というほど味わった。
その苦しみを放っておくことなど、できるはずがない。
「当たり前だダウニー。お前の大切な人を助け出す為なら、俺達は幾らでも協力してやれる。俺は……頼りないけど、山茶花やマルメロ、バルサミナは心強い。ああ任せろ、ギルドには俺から言っとくから」
「ありがとうなの! 大好きなの!」
――だい、すき……だとッ!?
もちろんその真の意味は理解できる。できるがこんな幼気な瞳で見つめられながらそんな言葉をかけられて思春期の男の心が耐えられるか!? いや、耐えられるはずがない!!
「……あ?」
まあ、そんなことを考えていたらバルサミナの怒りを買ってしまうので抑えるしかないのだが……
「ホーズキ。我も同じく、お主らに着いていきたいのじゃが、無論断るようなことはないよな?」
「ルピナスさんもなのか!?」
「ダメなのか?」
「いや、ダメって訳じゃないけど……」
「あと、さん付けはよせ。もう我は人の上に立つ者ではない。年長者としてならともかく、人間として払われる敬意はないしのう。呼び捨ててよいぞ」
その尊大な喋り方で言われても説得力はあまりないが、まあ本人がそう言うのなら別にいいか。
「じゃあ……ルピナス、それとダウニー。これからよろしく頼む」
「よろしくなの!」
「ふっ、ようやく『雪原の餓えた狼』たる我が二丁の愛銃が吠える時が来たのか……」
「……どうしたルピナス。頭でも打ったのか」
突然中二病テイストなことを言い出したルピナスにバルサミナが辛辣に突っ込みを入れる。
それにしても♰スノーダスト・トリガーハッピー♰って……
「ルピナスはこう見えて銃を両手で持つとスイッチが入って周りが見えなくなるの」
「安心しろホーズキ。味方を撃ったりはせん。ただ我は己が内の獣を開放するだけのことじゃ……」
頼りになるのかならないのか分からないな!
できるだけ一丁だけで戦ってもらうようにしよう。
「……狼とは言い得て妙ね。羊の皮を被った狼め」
「はっはっは! そう褒めるでない!」
楽しそうに笑っているみんなを見ていると、本当に全員無事でよかったと思う。
もし、もしだ、どこかで判断を間違えていたら……本当に、俺が下した判断は全て正しかったのだろうかといつも思う。あの時こうしていれば、そう考えたことは今まで生きてきた中で幾度もあった。だがこの世界でそれはきっと許されないことだ。
一瞬でも間違えば、大切な人が死んでしまう。この世からいなくなってしまう。
その悲しみは嫌というほど味わった。
その度に俺は、もうこんな思いをしたくないと心に誓ったはずだった。
でも、俺の目の前からは沢山の人が消えていった。
俺の力だけではどうにもならない。だから助けてくれる仲間がいる。それは理解している。けれどもやはり、俺は強くならなければならない。ずっとこのまま、井の中の蛙のまま全てが終わるなんてのは、我慢できない。
そう考えた先にふと、あの時、ゼレノイドになりかけた時に頭の中に響いたあの声を思い出す。
冷たい鉄のようなのに、優しく包み込まれるような、本当なら気持ち悪いはずの生暖かい風が妙に心地よく感じる憂鬱な時の心のような、ドロドロとした快感が脳髄に染み渡っていく感覚。
あれは本当に間違ったものなのだろうか?
ゼレノイドとは……彼等は自らの心の闇を受け入れた。自分の最も弱い部分と向き合ったからこそ、ああなったのではないか?
「……ホーズキ」
「っ! なんだ、バルサミナ」
気が付くと、病室には既に俺とバルサミナだけだった。もう皆外へ向かってしまったらしい。
俺を見るバルサミナの表情はいつにも増して暗く沈んでいた。
やっぱり、俺の心は見透かされているようだ。
「俺は別に、また闇に囚われようとしていた訳じゃない。なあバルサミナ、ゼレノイドは本当に悪なのか? ゼレーネの力を得ることは人にとって悪いことなのか?」
「……改めて訊かれると正直分からない。でも、さっきまで戦ってたアイツ等のようになりたくはない。少なくとも、あたしはね」
「そう、だよな。それが普通だよな」
でも、とバルサミナは言葉を区切る。
今まで見せたことがない、バルサミナの優しい笑顔だった。
「ホーズキがそれでいいのなら、あたしは何も言わない。ゼレーネの力を良しとして、それで誰かを守ろうとするのなら、それはホーズキの判断だ。あたし達ができるのはホーズキをサポートすることだけ、ホーズキ自身の判断は何人も覆すことはできない。今、あたしが仲間として言える言葉は、これくらい」
「バルサミナ……ああ、そう言ってくれるだけでも嬉しいよ」
「……さ、辛気臭い顔してないで、早く行くぞ」
「ああ!」
@
無駄に横長な黒塗りの高級車。
運転手席以外は広々としており、俺達全員が余裕をもって座れるだけのスペースはあった。椅子はもうそれはそれはふっかふか、そのまま沈んでしまいそうなほどだった。
そんな車に揺られて数十分。
俺達は女王が住んでいると言う邸宅へ招き入れられた。
「おお……!」
「意外と普通じゃな」
「ルピナス……」
感動をぶち壊すルピナスのコメントはともかく、庶民の俺としてはこんな城みたいな屋敷に入るなんて夢のようなことだ。
おしろいのように真っ白な壁は、夕焼けのオレンジ色を反射して黄昏に燃えていた。
無数の窓の向こうにはモダンでシックな部屋が見える。
確かに、『機械国家の女王が住む屋敷』としては、普通という評価もあながち間違いないのかもしれない。
前面強化ガラス張りのビル群の中に突然現れたメルヘンチックな建造物。だが確かにここは女王の住む屋敷だった。
「どうぞ、お上がりください」
「ありがとうございます」
横にも縦にも馬鹿でかいエントランスホールは圧巻だった。
煌びやかなシャンデリアは既にその光を灯しており、俺達を迎えるように数十人のメイドが待っていた。だが、そのメイドの全員が、分かりやすくアンドロイドだった。
俺が昼間見た、人の肌をもったアンドロイドではなく、鋼鉄の腕を露出させた機械の人間だ。
そのまま俺達は、女王が待つ部屋へ案内された。
豪勢な食事が用意されているらしい。正に至れり尽くせりだ。
「陛下、お客人をお連れしました」
ノックされたドアの向こうから、「入って」という少女の声が聞こえた。
ドアをくぐり中へ入ると、そこには長大な机に人数分の皿やフォーク等々と、そしてその前には息を呑むほどの大量の料理が並べられていた。レストランなんて行ったことはないが、それでも分かるくらいには豪華だ。
「しゅ、しゅごいのぉ……じゅるり」
「待つのじゃダウニー、飛び掛かってはいかんぞ」
目をキラキラさせて料理を眺めるダウニー。食べることが好きなようだ。
長い机の上座には、ちょうど山茶花くらいの小さな少女がちょこんと座っていた。
ただし異様だったのは、顔の半分以上、特に左側に機械が取り付けられていた。よく見ると腕も機械だった。
所謂、サイボーグというやつだ。
「座っていいよ」
リコリス女王に言われ、俺達は席に着く。
執事が女王の後ろに立つと、女王は立ち上がった。体を動かす度に、ぎこちない金属音が部屋に響く。ある種の痛々しさも感じるそれは、見ているには辛いものもあった。
「私はリコリス、『エリシオニア』の女王。この度はこの国の危機に立ち向かい、それは排除してくれたことを大いに感謝する」
鈴の音のような声はまるで直接脳に響くかのようだった。されど心地よく、思考の隙間に涼しげな風が吹くような。
ふと、山茶花や他のみんながこっちを見ていた。いったいなんだと思ったが、どうやらリコリスの言葉に何か返せということらしい。
そう言えば一応俺が代表者だったな……
「俺達は当たり前のことをしたまでです」
「そういうところ、すき」
「え……?」
思ってもみなかった返答に困惑するしかない。
それはどういう意味なんだ……?
「くるしゅうない、のような意味だと捉えて頂ければ」
少し申し訳なさそうに執事さんがそう言った。
とりあえずありがとうございますと言うと、満足そうにリコリスは頷いた。無表情だったが。
「食べていいよ。お腹空いたでしょ」
軽く首を傾げてそう言った。
一々仕草が可愛らしい。
ただ、食べたいのは山々だが、俺は……恐らく山茶花達も少しだけ抵抗があった。
そう、もしまた誰かに化けたヴァイタルが毒を盛っていたらと考えると、料理に手を付けることに恐怖を感じてしまう。
そう思っていると、女王がわざわざ俺のすぐ横に来て言った。
「話はじいから聴いてる。だから今から毒が入ってないっていう証拠を見せる」
そう言って、女王は自らの機械化された左半身、その腕から、バルサミナが持っているペン型の電子機器のように空中に浮かぶ半透明の画面を映し出した。
「これは、対象物に含まれる成分を検出できる機能。彼女が持ってる『LKE』にも同じ機能がついてる」
「……そうなのか。というかこれそんな名前だったのか」
あんなにドヤ顔で使っていた割に全然使いこなせてないじゃんか。そんなこと考えてると後で恐いのでやめておこう。
「……ホーズキ」
「はい。ごめんなさい」
とにかく、女王はそれを使って俺達に、目の前の料理が安全であることを知らせてくれた。
どこか申し訳なさも感じてしまうが、女王は気にすることはないと優しく言ってくれた。その後も、わざわざ椅子を移動させて俺のすぐ横に座って、料理を口にしたり、俺に色々と今までの話を訊いてきたり、どこか懐かれているような気もした。
やはり、心は少女なのだろうか? だが、事前にギルドから聴いた情報によると、エリシオニアの女王リコリスは自身の体を機械化することで寿命を延ばし、数え切れない年月を生きているらしい。それは何千年とも、何億年とも、それ以上とも言われている。
もし本当に何億年も生きてきたとなると、この世界での生物の進化の過程は知らないが、俺のいた世界で億を超えるほど昔となると恐竜がいた時代にまで遡る。それくらいか、それ以上昔から幾星霜も生き続けた人間の心は、いったいどうなっているのだろうか。
少なくとも、常人でいられるような気がしない。
それとも、独りじゃなければどれだけ長く生き続けても心をヒトのまま保っていられるのだろうか。
ただ、そんなデリケートなことを訊く勇気はない。
「この後はどうするの?」
ふと、リコリスがそう俺に訊いた。
目的はほぼほぼ達したので、予定を早めて明日にも帰ると伝えると、リコリスはこう言った。
「なら、丁度明日、この上空に”現れる”天空都市に行くといいよ」
「天空都市!?」
天空都市ってまさか……あの?
「レイピテル。現世を監視する上位存在、『天使』が住まう楽園。何か、面白い話が聞けると思うよ」
どこかで聞いた覚えのある突然飛び出したファンタジーな存在に、俺は驚きを隠せなかったが、『現世を監視する上位存在』、『天使』と聞いて、俺は本来の目的を思い出した。
そうだ、俺と山茶花は元の世界に帰らないといけないんだ。
この世を監視する天使達なら、俺達が帰る手段を知っているかもしれない。




