44――繋いだまま離れた手
「おにーちゃんも……口、塞がないと危ないです……」
「ダメだ喋っちゃ。毒が回る」
だが、山茶花の言う通り、少しずつ体の力が抜けていくような感覚がする。捕まる直前のアレとはまた違う、じわじわと全身の血液を抜かれていくような感覚。段々と頭ふらふらとしてきて眠くなってくる。したことはないが、まるで雪山で遭難した人のようだと感じた。
今眠ってしまえば確実に死ぬと、体が強く訴える。
張り巡らされた糸の先、クロッカスは楽しそうに笑っていた。
「ねぇ、世間話でもしようよ。ずっとこうしててもつまらないし。と言っても話すことなんてあるかなぁ……」
「訊きたいことがあるの」
「ん? なあに?」
クロッカスの軽口に、ダウニーがそう答えた。
そう言えば、何故ダウニーがルピナスの連れなのかをまだ聞いていなかった。エリーマイルの人間ではないのだから、別の場所で出会ったのだろう。全く俺達のことを知らないのに助けてくれたりするのだから、別に何か理由があるのは明白だ。
「ボクは人探しをしてるの。ここに来たのもその為」
「ああ、さっき言ってたね。トードを返しにもらいにきたって」
トード? 恐らく人の名前だろうけど、ヴァイタルに連れ去らわれでもしているのだろうか?
「奇遇だよね、おいらも人探しをしていてさ。こう……そこで死にかけてるキミの妹よりも小っちゃくて、砂糖菓子が好きなんだ。見た目にこれといった特徴はないけど、見ていると温かくなるような可愛い子なんだけど、見たことない?」
「話を逸らさないでほしいの。あなた達のところにトードがいるのは分かってるの」
互いに互いと会話する気はないといった感じだ。
ダウニーは涼しい顔をしているが、その首筋からは汗が垂れているのが見える。厚着しているからではなく、同じく毒が回ってきているのだろう。気を保つのに精一杯のはずだ。
ダウニーの言葉を聞いたクロッカスは悪戯っぽく笑う。
「残念だけのトードの居場所は教えられない。彼女はおいら達にとっても大切な存在だからね。まあ正直なところ、ボスが怖いから会いたくないだけなんだけどね」
「ボス……やっぱりお前達を纏めるリーダーがいるんだな」
「おっと、余計なことを言うと怒られちゃうよ。やめやめ、やっぱり世間話はやめだ。他のことをしよう。そう――例えば、楽しい楽しいゲームとか」
背中から生える禍々しい蜘蛛の足を軋ませながらクロッカスは指を鳴らした。
「殺虫剤ってあるよね。キミ達が美味しく吸ってる毒はね、それと似たようものだよ。ヒトの体の神経を司る大事な部分を眠らせて、緩やかな死へと誘うことができるんだ」
気にしないようにしていたことを改めて再確認させられると、途端に全身が怠くなる。
聞かないようにしてもこの狭い通路では嫌でも人の声は響いてしまう。
「さて、キミ達は仲間が助けに来るのを信じて待ってるんだよね。だからさ、おいらは今からこの毒の濃度を少しずつ上げていく。タダで上げるわけじゃないよ。ちゃんとルールがある。さっき君に課したものと同じだよ。一定の時間が過ぎる度に毒は強くなっていく。そうする度に、おいらはキミ達にこう訊くんだ、『仲間なんて来ないから諦めなよ』って」
恐怖や怒りよりも、疑問を感じた。
何故こうもこの少年は、来ないことに拘るのか。偶然だと言われればそれまでだが、どうにも気になってしまう。
「もし諦めてくれたら、おいらの気が変わって、その妹さんを助けてあげるかもしれないよ。そうしてホーズキ、キミがおいら達の下に来てくれれば……
「はっ、ほざけ。んなこと万が一にもあり得ねぇな。ルピナスは絶対に来る。これだけははっきりと言っておく」
「だから来ねぇつったのが聞こえなかったのかクズがッ!!」
「……!?」
突然の怒号に思わずビビる。
意識が朦朧とし始めている山茶花や、隣にいるマルメロも同じ反応だ。いきなりどうしたんだ。
クロッカスは両拳を強く握りしめ震わせる。
「都合いいことばっかほざいてんじゃねぇよ……ないないない来ないそんなものは都合よく来ないんだよ来なかった来なかった来なかった!! だからこの力を手に入れたんだ!! お前らとは違うんだよ!!」
「なんなんだいったい……」
驚くしかない俺達に、ただ一人冷静なダウニーが耳打ちした。
「ゼレノイドは往々にして情緒不安定になってるの。元より不安定な感情から生まれたものだから、仕方ないの」
「そう、なのか」
先の自分を思い出す。
極限まで追い詰められて、そこでようやく出した最悪の結論。あのまま進んでいれば自分もゼレノイドとなっていたかもしれないあの感情も、今叫んでいるクロッカスと同じものだったのだろうか。
『どんなことをしてでも山茶花は俺が守らなくてはならない』、そういう強い感情がマイナスに働いて暴走しようとしていた。
「はぁ――はぁ――やーめた、もう飽きちゃった。どうでもいいや。キミを捕まえに来たのだってユウガオが言い出したことだしおいらは関係ないしー、全員殺しても文句は言わせないー。どうやらユウガオ、負けたみたいだしね、キミのお仲間に」
バルサミナだ。それを聞いて安心したがそれは一抹。
クロッカスが行おうとしていることは薄々感じ取れる。このまま毒の濃度を強くされれば死は確実だ。
「ハハハッ! いいよその顔。早く来てほしいんだよね、助けにさ。その感情が少しでも反転するとどうなると思う? 不信感だよねぇ! 見せてよそれを、裏切られた者の哀れな顔をさァ――!! ほら早くしないとキミ達は死ぬんだよ?」
「望むところなの」
「は?」
ダウニーは何を思ったか、懐から注射針を取り出した。
「ダウニー……何をするつもりだ?」
「仲間を信用すると言うのなら、ボクにその命を預けて欲しいの」
クロッカスに聞こえないように、ダウニーは俺達にこう言った。
俺達を一度仮死状態にして、その体をダウニーが操ると。
ダウニーはネクロマンサー。死体を操るなど十八番中の十八番だ。それは完全に死んだ者でなくとも、仮死状態の肉体にも適応されるらしい。毒が回りきる前に体の機能を停止させ、ルピナスが来るまで時間を稼ぐという作戦らしい。あわよくば脱出もする、と。
正直に言うと不安でしかない。ただ、このまま放っておいても死ぬだけだ。だったらもう選んでなんかいられない。それに、ルピナスが連れてきたのだから信用できる。
「私は……大丈夫、です」
「魔女的にネクロマンサーの手を借りるのは複雑だけど、ホーズキが言うなら大丈夫だよ」
「俺も反論はない。やってくれ」
「――分かったの。やっぱりホーズキくんは優しくていい人なの」
ダウニーから手渡された注射針で、俺達は自らの体に液体を注射した。
途端に、眠気が襲う。
マーブル模様にミキサーされる視界の中、ダウニーの詠唱を最後に意識は途切れた。
「――〈Kykloforia〉」
@
「何してるのキミ達……? 自殺?」
「心外なの。これもれっきとしたネクロマンシーなの」
「へぇ。で、それでキミは何をしたいワケ?」
ダウニーは倒れた三人を軽く見やると冷静かつ柔らかい態度を崩さぬまま、クロッカスへ向き直る。
「取引をするの」
「とりひき……? それはつまりどういうもの? 何と何を交換するの?」
『トード』という名の少女は、幼い頃から独りだったダウニーにとって命の半分と言ってもいい存在だった。どちらか片方でも欠ければ生きてはいけない、それくらいには大切な人だった。
毎日同じ時間に起きて、同じ時間に一緒にご飯を食べて、同じ時間に同じ遊びをして、同じ時間に一緒に風呂に入り、同じ時間に同じ布団で寝る。一蓮托生、まさに運命共同体だ。
だが、ある日突然、トードは姿を消したのだ。何も言わずに忽然と姿を消した。
ダウニー本人はトードが不快に思うようなことをした覚えもなければ、トードがダウニーに負い目を感じるようなことをされた覚えもない。
他に何もなかったダウニーにとって、生きる意味であったトードを失うことは死に等しかった。
他に何もなかったダウニーが取れる行動は、『トードを探す』以外にはなかった。
その為にはなんでもするし、なんでもした。
誰でも殺したし、なんでも壊した。
どれだけ心を痛めても、どれだけ悲しみに満ち満ちようとも。
決して心は折れるまいと、必ずトードとまた二人で暮らせる日々を取り戻そうと。
トードを探す過程で、トードがゼレノイドになりヴァイタルの一員となっていると聞きずっと追いかけてきた。
そしてようやく、この時がきたのだ。
たとえ掴もうとしいているものが藁だとしても、このチャンスを逃す訳にはいかない。
「さっき気が変わったと言ってたけど、もう一度考え直してほしいの。ホーズキくんを渡すから、トードの居場所を教えてほしいの」
「――――――マジ?」
「まじなの」
「ぷっ……くくく、あーっははははは!! マジで!? そんなことってあるの!?」
あまりの面白さに笑い転げるクロッカス。
対してダウニーはその表情を崩さない。向日葵のような笑顔にも、鋼の鉄臭さが混じっているようにも見えた。
「はぁ……笑い疲れた。やめてよね、そういうの。でもすごいよね。今の今なのに速攻で裏切ったんだからね……いや待てよ、おいらを油断させる為の演技の可能性もあるワケか……この状況でおいらがその提案に乗る確率が低いことは分かってるはずだし」
「ボクは本気なの。何も渡せとは言ってないの。どこにいるか教えてもらうだけでいいの」
「なるほど、そうしたら後は自分でなんとかすると。でも考えてもみれば、その三人にかける義理も、キミにはないようだしね。さっき会ったばかりなんでしょ? そうかそうかそうだとすれば教えてあげてもいいかもしれないけどボスが怖いな……」
腕を組み唸るクロッカス。背中から生えている蜘蛛の足も同じようなジェスチャーをしている。
そんなことはどうでもよく、ダウニーとして早く決めてもらいたかった。
「早くしないと助けが来るの」
「分かってるよ。教えてあげる、むしろ連れてってあげるよ。ボスは怖いけど話は聴く人だし、訳を話せばうまくいくかもね」
「じゃあ早速――
だが、どうやら間に合わなかったようだ。
「な、なに……? なんか揺れてるんだけどってまさか」
突如天井が廊下に沿って縦に裂けた。
そこから顔を出したのはルピナスと、武装した男達だった。
「そこまでじゃダウニー。最初に言った通り、勝手な真似は我が来るまでじゃ」
「分かってるの」
「我に負けず劣らず腹黒い奴じゃなぁ、いや、愛する者の為には手段を選ばんだけか。まあよい、それよりも貴様のほうじゃ。ゼレノイド」
崩れた天井から通路に飛び降り、クロッカスへ銃を突き付けた。
「鉛玉程度じゃあ、おいらは殺せないよ?」
「試してみるか? 我も一度この銃弾を試してみたかった所じゃ。ゼレーネの細胞を破壊する特殊弾なんじゃが、痛いぞ?」
それを聞いて初めてクロッカスの顔色が焦りへと変わる。
周囲は武装した兵隊に取り囲まれ、頼みのユウガオも既に倒された。絶体絶命だ。
「なーんて、まあ逃げられるんだけどね」
直後、クロッカスの体は再び形が崩れていく。
崩れたそれらは全て小蜘蛛に変わり、通路に空いた小さい穴などから逃げていった。
「ふむ、やはり逃げる手段はあったか」
「分かってたなら撃てばよかったの。そんなすごい弾があるなら尚更なの」
「いや、あれはハッタリじゃ。そんな都合のいい弾があるならゼレーネ退治は苦労せん。そのハッタリが効いたことを願いつつ、ホーズキ達の無事を祝おう。寝ているようじゃがな」
「正しくは仮死状態なの。サザンカちゃん? は早く病院に連れて行った方がいいの」
「そうか。おーいそこの、そのーなんだ、兵士! 話は聞こえたじゃろ、連れて行ってやってくれ」
ルピナスから事前に言われて連れてきていた救急用のロボットに乗せられて運ばれていく。
さて、とルピナスは地上へ飛び戻ると、ダウニーを待たずに歩きだした。まだやることは残っている。ダウニーもルピナスに続く。
ルピナスが向かったのは倒されたユウガオが拘束されている場所。とは言え、バルサミナにロープで雁字搦めにされて道の端っこに置かれているだけだが。
「バルサミナ……お主」
「……なに、なにか文句ある。これが一番ちょうどいい縛り方だっただけで、特に深い意味はないから」
ユウガオは必要以上に体のラインを強調する結び方で緊縛されていた。
特に、元々大きな乳房や臀部が更に協調される形になっている。
「これはホーズキ達がいなくてよかったのう……ややこしいことになってたじゃろうしな……」
「……それより、訊きたいこととかないの。ある程度の拷問なら教えられてるけど」
「お主はもうよいのか?」
「あたしの質問には何も答えなかった」
ふむ、と数秒試案したルピナスだったが、すぐに腰の拳銃を再び手に取るとそれをユウガオへ突き付けた。
つっけんどんとした態度だったユウガオの顔色が青ざめていく。
「サーヴァリアが勝手に作った条約的には、ゼレーネは見つけ次第即殺処分じゃ」
「ま、待ってよ! 私はゼレノイドであってゼレーネじゃないわ!」
「同じじゃろ。まあ、どうせ逃げるんじゃろうけど一発撃っとくかのぅ」
乾いた銃声が響いたが、鉛玉がその豊満な肉体を貫くことはなかった。
「……消えた?」
「さ、全部終わりじゃ。色々あったがお疲れ様じゃな」
「……結局、奴らに振り回されただけのような気がしたけど」
「いいや、十分じゃよ。今まで尻尾すら掴めんかったヴァイタルメンバーの素性が二人も割れたんじゃからな。ダウニーもいるし」
それはいい、それは別にそれでよかったが、バルサミナとしては気になることがまだあった。
「……ルピナス、貴様はどこで何をしていたの?」
「何って、呼びに行ってたんじゃよ、この国の兵士達を」
いつもと変わらないルピナスの飄々とした様子だったが、やはり、バルサミナにだけ分かる筋肉の微細動で笑っていた。
「……それにしては遅かった」
「無茶言うな。我だって万能ではない。色々と説明しないといけないこともあったのじゃから仕方ないじゃろ」
「……この国に来たのも、私達を追ってきたのではなく別の目的が――」
「そこまで我を疑う理由はなんじゃ? お主も、何か理由があって我の腹の内を探ろうとしているのじゃろう?」
「………………」
バルサミナは答えられなかった。
答えられなかった。
「折角皆無事に終われたのじゃから、今は喜んでおいた方がいいと思うがな」
「……やけに含みのある言い方ね」
「気にしすぎじゃよ。なあダウニー」
「もっと気楽に生きた方が楽しいの!」
「さあホーズキ達が行った病院にでも行くかの」




