43――デストラクト・ドリーム
「……で? ゼレノイドってのは、何を見せてくれる?」
「ふふ……」
短刀を静かに構えるバルサミナの前方には、豊満な胸と強調された完璧なボディライン、それらを隠すようにだぼったい服装をしているにも関わらず一目で分かる妖艶さの女。
ヴァイタルの一員であり、淫魔のゼレーネである〈ヴァイストインク〉、その力を受け継いだゼレノイド。
ダウニー曰く、ゼレノイドとはゼレーネに殺されたはずの人間が、ゼレーネの細胞とその人間の強すぎる負の感情が反応したことによって蘇生され生まれるようだ。
このユウガオという女も、過去に起きた何かが原因で強い負の感情を抱き、ゼレノイドと化したのだろう。ダウニーから聞いた話では、”重い”せいで一度も男とうまくいったことがないそうだが、はたしてそれだけで死の淵から蘇るほどの感情を燃焼できるのだろうか?
かくいうバルサミナは、恋愛なんて一度もしたことはないのだが。
「……ふん、まあいい。今ここで貴様を殺すことは変わらんのだからな」
「右に同じね。私が欲しいのはあの子だけだもの。さあ始めましょう、辛くて痛い夢のひと時を――〈Demiurgand〉!」
魔術……? だが、特に変わったことは何も起きない。
はったりとも思えない。ヴァイストインクの特性は『魅了』。異性を意のままに操る力。この国の軍の動きが緩慢になっているのもこの力のせいだろう。
周囲にも伏兵がいる可能性がある。
バルサミナは最大限に周囲を警戒しつつ、ユウガオとの適切な間合いを伺う。
得物を持っている様子もなく見た感じでは丸腰。とすれば肉弾戦か……?
相手の手の内を探りながら、自分の手札を確認していると、ユウガオが手を軽く上に掲げた。
「な……っ、なんだ!?」
それに呼応するように大地が揺れ始め、ユウガオの背後のアスファルトが砕け散り、地面から巨大な真っ白で四角い箱が現れた。
見慣れないオブジェクトに困惑するが、その表面に複数ある均等に並んだ四角い空間を見て、嫌な予感がした。だが、そんなものが地面に埋まっているなんてあり得ない。あるいはこの国ならおかしいことでもないのかもしれないが、だとしたら何故、ユウガオがそれを扱える?
そう、それは巨大な砲台。砲門に据えられた大量のミサイルがバルサミナを睨んでいた。
あんなものを人の身で受ければ消し炭どころの話ではない。
だが、そんなバルサミナの驚愕など無視して、ユウガオは掲げた手を前に出した。それに合わせて大量のミサイルが全て、バルサミナをめがけて飛来する。
「チッ……メチャクチャだろこんなの……ッ!?」
瓦礫が舞い、粉塵が爆風で巻き上げられる。それに煽られてバランスを崩さないように必要最低限の動きでミサイルを避けていく。時折小さな砂利が肌を裂いたが、気にするような傷ではない。
全弾回避――姿勢を低く、今度はバルサミナ自身が砲弾のような速度でユウガオへ肉薄する。短刀を持つ手の動きは死神の鎌の如く、首を刈り取らんと確実にユウガオを狙う一閃。
だが、ユウガオのすぐ前の地面から這い出た壁にそれは阻まれる。
同じようにバルサミナの周囲の地面は隆起し、逃げ場を阻もうと壁を作る。
そんなものに阻まれるはずもないバルサミナはすぐさま跳躍し距離を取るが、中空の隙を狙ったのか、その柔らかい肌を何かが貫通した。
「カ――ハッ……!?」
体の中を空気が通り抜ける、吐血し、地面に叩きつけられた自分の体を確認する。喉からはひゅーひゅーと、空気が抜けたホースのような音がする。
「何が……」
「おっしいわね~、もう少しで心臓を貫けたのに」
何か、とても細いもので右の脇腹を貫かれていた。焼けるように痛いところからするに、これは刃物等の金属ではなく、レーザーだ。
バルサミナでさえ反応できないほどの速度でそれは放たれた。
「いや違う……まるで、最初からそこにあったはずなのに、あたしだけが気付いていなかったような……」
「怖いでしょ? 完璧だと思っていた自分の足場が崩されるのは」
「他人に貴様の過去を重ねるのはやめろ。不愉快だ」
「可愛くないわね貴方……少しくらい煽りに乗っかってくれてもいいじゃないの?」
だが、分かってしまえば簡単だ。
見えない所に何かがある、そう分かってしまえば気を付ければいいだけの話だ。さっきは飛んでくることを知らなかったから避けることができなかっただけ。分かっているのなら避けられる。それがバルサミナの超感覚だ。
馬鹿の一つ覚えのように、一度有効だった攻撃は何度も使おうとするユウガオに、バルサミナは戦いながら内心呆れていた。
バルサミナ自身も別にプロというわけではないが、ユウガオが戦い慣れていないことだけは理解できた。
「ユウガオ、一つ教えてやる。あたしに同じ攻撃は二度と通用しない」
「あっそ、やっぱりアンタ可愛くないわ。私の魅了も全然効かないし。言葉のキャッチボール全然しないし」
「どんなトリックかは知らんが、はっきり言っておく。貴様は弱い。ゼレーネと適合するだけの心の闇を抱えていたのだろうが、それは貴様が軟弱だったからだ。潔く死ねとは言わんが、ゼレーネに魅入られゼレノイドと化した貴様の勝手で、どれだけ多くの人間に迷惑をかけたと思っている。そう、迷惑なんだ!!」
「――――っ」
どうやら精神攻撃が効いているようだ。
戦いに慣れていなければ煽り耐性もないときた。戦う前に感じた異様な雰囲気もゼレノイドの力によるものだ。故に、バルサミナがユウガオを恐れる要素は万に一つもない。
「アンタに何が分かるのよ……私はッ! ただ幸せになりたかっただけなの! それをゼレーネなんかのせいで奪われて……気が付けばこんな体になってて、こうなった私が……いいや、私達ゼレノイドが普通の人間のように幸せになっちゃいけないの!?」
訴えるように叫ぶユウガオの姿は痛々しい。
煽り耐性もなければ精神も不安定だ。ダウニー曰く、ゼレノイドとはそう言うものであり、それが弱点だ。
もはやユウガオは、目の前のバルサミナを敵として見ていない。
いや、もしかすると最初から見ていなかったかもしれない。
ただただ、愚痴を聞いてほしかっただけなのかもしれない。
「前提は良しとしよう。だが、過程を間違えたな。貴様は妥協しただけだ。楽な方に逃げただけだ。幸せになる為に楽をしようなどと、片腹痛いにもほどがある」
「……もういいわ、もういい。アンタに説教されるなんて絶対に嫌よ! すぐに殺してあげる!」
「だろうな。あたしも同じ気持ちだ」
「どういう……?」
ユウガオの反応には答えず――バルサミナは韋駄天の速さで再びユウガオの眼前へ。同じように壁を作るがそのタイミングに合わせて横合いへ移動し回し蹴りを後頭部へぶち込んだ。
頭をトンカチで殴られたような衝撃を頭蓋に受け、前に倒れたユウガオだったが、怒りの感情が精神の支えになっているのかタダでは倒れない。間髪入れずに止めを指そうとするバルサミナの短刀を、虚空から出現させた歪な刀で受け止めた。
その歪さは意図したものとは思えなかった。誰かに折り曲げられたような刀身は人を斬るに値するようには見えなかった。
「そうか……」
そこで、淫魔のゼレーネ、ヴァイストインクの能力を思い出す。
ヴァイストインクは男の夢に現れ精を搾り取る。夢に囚われた男はずっと昏睡状態のまま抜け出すことはできない。そう、夢だ。
地面にあんな大質量のものが埋まっているなんてあり得ないし、地面がブロックのように一部分だけ這い出て壁になったりなんてもっとあり得ない。虚空から取り出した刀もそうだ。そういう能力だと言われればそれまでだが、相手はゼレノイド。元となったゼレーネの能力を受け継いでいる。
だとすると、ヴァイストインクの『夢』という要素と繋げる他ないのだから。自ずと答えは見えてくる。
脇腹の辺りを確認すると、あったはずの傷はなくなっていた。痛みは未だにあるが、傷痕はおろか破れたはずの服も再生していた。いいや、最初からそんなものなかったのだ。
そう、これは夢。
ユウガオがその力で作り出した『夢』という空間。
あの詠唱はこの空間を作り出す為のものだったのだ。
「夢見る乙女とはよく言ったものだ。どれだけ夢を自由に操れようとも、それはあくまで幻想だ」
「うるさい……うるさいうるさい!!」
「終わらせようか」
地面から槍が突き出てきたり、空から熱して鉛が降ってきたりしたが、それが全て幻想なのだと分かれば避ける必要すらない。ただ『痛いだけ』で、それ以上でもそれ以下でもない。
死ぬほどの痛みを耐えるくらい、バルサミナにとって歩くこととなんら変わりはない。
「嫌……来ないで……」
「動くな」
鎖鎌でユウガオを羽交い締めにし、地面に組み伏せると辺りの空気が一変した。
いやこれは、
「元に戻ったか」
周囲に人は一切いなかったが、遠くから聞こえてくる足音でユウガオの結界が消えたのだと確信した。ようやく軍隊が動けたのだ。ルピナスが手回しでもしたのだろうかと考えながら、暴れようとするユウガオを押さえつける。
「大人しくしていろ、貴様からは話を聞かないといけない」
「あっけないものね。でも……私の魅了が効いている男はまだ何人もいるわ」
「知るか。片手でも相手できる。そんなもので拘束を解けると思うな」
「……はぁ。ねぇ、ノリが悪いって言われない? アンタ」
「さあな。人の心の中なんて分からない。それこそ親しい人間であっても、心の奥底までは予測できない。どう思われていようが、知ったことではない」
そんな心の奥底で思っていることなんて、普通に暮らしていれば一生吐き出すことがないような感情だ。
そんなものを気にしていては生きていけない。
「……無駄話は終わりにしましょう。もう疲れた」
「ねぇ……もしかしてアンタ――」
「なんだ?」
ユウガオが何か言おうとしたが、すぐになんでもないと口を噤んだ。
応援がかけつけるまでユウガオは口を利こうとしなかった。




