42――飽食のネクロマンサー
少年は他者へ与える死を覚悟した。
仲間に助けられ、ソレは阻止されたが、少年は誰かを殺さなければ二人の少女を救えなかった。二極の問い、度々人類に投げかけられる究極的な二択の設問。少年はソレを回避できたが、その設問の、天秤皿に載せられた少女達は未だそのまま。少年の助けを待っている。
なかなか戻ってこない少年に苛立ち気味の男二人が地下牢にいた。
痺れを切らし、何か娯楽はないかと辺りを見回し、はっと気が付いた。視線の先には磔にされた山茶花とマルメロの二人。下卑た笑みを浮かべながら、鉄格子越しに言葉をかける。
「――どうやら、大好きなお兄ちゃんは逃げたみたいだな。お前たち二人を見殺しにして」
それを聞いて、山茶花の表情が一瞬強張ったが、撃ちぬかれた健の痛みに耐えながらキッと、男を睨み付けた。
「いい顔だ。そうやって体と精神の痛みに耐える表情は実にそそる。まあ、もうじきそれも見納めとなる訳だがね。これからお前の顔は涙と血で彩られる極彩色のパレットと化す」
もう一人の男が、拳銃を構え、さっき撃った場所より少し上に照準を合わせる。本当に、タイムリミットになる毎に少しずつ撃っていくようだ。
その行為と、その後の自分の姿を想像し、背筋に走る悪寒と恐怖で山茶花はカタカタと震えだす。
「それとも……お友達が無惨な穴開き肉袋に変わる様を見てからの方が楽しいか……? 選んでいいぞ。お前がな。自分が先に苦しむか、お友達を先に苦しめるか。さあ、どうする?」
鬼灯が自分を見捨てるはずがない、見殺しにして逃げてなんかいない。絶対に助けに戻ってくる。死の恐怖に怯えながらも山茶花はそう信じ続けた。もう、隣にいるマルメロの様子を気にしている余裕はない。投げかけられた言葉の意味も正しく理解できない。
「まあ、答えないのなら俺が決めるか……さて――
「……ます」
「ん? どうするんだ? お友達の悲鳴が聞きたいか?」
「おにーちゃん……は、絶対に助けに来ます……!!」
男は深く腕を組んだ後、顔を抑えて笑いを堪える。
こんなに面白い余興は今年初めてだと言わんばかりに、無邪気な子どものように。
「馬鹿かよ!! 助けに来る訳ないだろ!? そんな都合のいい存在この世に存在しねぇんだ――あ?」
頭部に違和感を抱き、男はゆっくりと振り返る。
そんなはずはないと思いながら、そこにあるものを見た。そこにいた少年を見た。
「知らなかったのか。そういう台詞はフラグだってな」
「な――
「おにーちゃん!」
鞘に入ったままの剣で殴られ、男は気絶し地面に突っ伏した。
もう一人が銃を構え引き金を引こうと試みるが――その時、鈴の音が薄暗い牢屋の中に響き渡った。
「か……体が、動、か――」
首筋に何か違和感を抱いた途端、引き金にかけた手は止まり、それどころか体全体が動かない。
少年に続いて現れたのは陽気な鼻歌。その主である小柄な少女だった。巨大なリュックサックを背負った厚着の少女。複雑な幾何学模様が刺繡が施されたカラフルな民族衣装に身を包んだ少女。
「ちょっと眠っててもらうの」
少女がそう言うと、銃が男の手から離れ中に浮き、持ち手のところで当て身をされて気を失った。
突然のことで訳が分からないといった様子の山茶花とマルメロだったが、恐怖は去ったのだと実感し、体から力が抜ける。
「えーっと……」
「ダウニーなの」
「ダウニー、この鉄格子どうする? こっちの奴は鍵持ってないみたいだし。さっきの超能力みたいなので中の奴から鍵取り出せないのか?」
「ボクの術は、ボク自身が傷付けたものしか操れないの。あくまで『死体を操る』という意味を応用させているだけだから、どこにあるか分からない鍵は動かせないの。この力は数秒しかもたないし……でも」
ダウニーと鬼灯が呼んだ少女は、こんなこともあろうかとといった感じで両手を合わせて両目を閉じる。今からまた何かするのだろう。
「……! おにーちゃん後ろ!」
山茶花が叫んだ時には既に、いつの間にか気を取り直していた男が鬼灯に殴り掛か――
「――〈Cheiristeite〉」
その詠唱によって少女のリュックサックから飛び出した骸骨が、男の腹をその尖った腕で貫いていた。
「あ――ガ、貴様、殺したな。エリシオニアの法によって、裁かれるぞ」
「御託はいい。さっさと、正体を現すの」
「――………………――――……」
腹から血を流し力なく床に倒れた男の死体は、段々と濡れた紙粘土のように形が崩れ、やがて真っ白な塊――糸の集合体のようなものになって、再び別の形を形成した。
形作るは人の形。だが、先の大人の男ではなく、鬼灯よりも小さい、山茶花と同じ年にも見える少年だった。
「ユウガオの変装はどうやら、魂の存在を感じ取るネクロマンサーには効かなかったようだね」
顔立ちの整った、育ちがよさそうな少年の姿があった。白いワイシャツの上に紺色のブレザーを着た少年の姿をした何かは、やれやれとジェスチャーしながら鬼灯達に笑いかける。まるで世間話でもしているかのような声色は、少しの危機感でも与えるには十分だった。二対一のはずが、あまりにも自信に満ちた表情だった。
「おいらはクロッカス。ヴァイタルの一員だよ、よろしくね。ふむふむ、ユウガオに聞いていた通りの人だね君は」
「どういうことだ」
馬鹿にされているか? と鬼灯は思ったが、演説でもするように身振り手振りのクロッカスは鬼灯をこう評した。
「とても優しい人間だ。ああ、褒めているんだよ。その優しさのおかげでおいらの作戦が半分は成功したわけだしさ」
「やっぱり、毒を盛ったのはお前達だったのか」
「そう! そうなんだよね! ほんっと傑作だったよ! まんまとおいらの罠に嵌っちゃってさぁ! 毒のお味はどうだった? 美味しかったでしょ。でもま、あの忍者は想定外だったね。殺す訳にはいかないからこれ以上強くできないし、今回は引き分けということで」
「ふざけんな……お前のせいで、山茶花とマルメロは……!!」
「おお怖い怖い。その剣でおいらの心臓を貫くの? でも抑えてよ。全部ユウガオが始めたことなんだからさ。おいらはただユウガオの目的の為に毒を作り作戦を立てただけで、おいら自身に悪気はないんだよ」
「黙れッ!!」
今にも斬りかかろうとした鬼灯の腕を、ダウニーが掴んだ。
「落ち着くの、その異常な強さを持つ怒りは、十二分にゼレノイド化を引き起こすの」
「……ッ、クソッ」
そんな鬼灯を馬鹿にするようにニヤニヤと笑うクロッカス。
「ボクの骸骨が牢屋を壊すから、ホーズキくんは二人を助けてあげるの」
「……分かった」
「で、キミは何をするの? おいらと戦うの? どうやらずっとおいら達を追いかけてたみたいだけど、なんの目的?」
「この時を待ってたの。ルピナスさんのお陰でようやく、お前達ヴァイタルの尻尾を掴み、ボクの目の前に引きずり出せた。ボクの目的……? 教えてあげるの――トードを返してもらいに来たの!」
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「大丈夫か……?」
本当に骸骨が牢屋を素手で折り曲げて破壊したのには驚いたが、とにかく俺は山茶花とマルメロの拘束を解いた。特に山茶花の方は慎重に。足を撃たれているからな。
「わたしはいいから、早くサザンカちゃんを治療しないと」
「頼んだマルメロ。しんどいと思うけど、今山茶花を救えるのはお前だけだ」
「うん。任せて。でも、ホーズキくんもついていてあげて。サザンカちゃん、ずっとホーズキくんが助けに来るの待ってたから」
「ああ」
力なく呼吸する、弱弱しい山茶花の体を支えるように抱き留める。
冷たい体を温めるように、内から沸き上がる感情を抑えて涙をこらえながら山茶花を優しく抱きしめた。
「ひゅー、熱い熱い。骸骨さんも見てるのに」
こんな時でも忘れずジョークを飛ばしてくれるマルメロは本当に心強かった。
「ていうか、本当にこっちガン見してるな……」
『……………………』
あの後すぐに地下牢へ向かった先であのダウニーに出会っただけなので、これがいったいどういうものでダウニーが何者なのかは正直知らない。ルピナスの知り合いだとかバルサミナは言っていたが……
「ネクロマンサーって、言ってたよね」
山茶花の傷口に治癒魔術を施しながらマルメロが言う。
確かに、あのクロッカスという少年はネクロマンサーと言った。ネクロマンサーのイメージと言えば、あのおどろおどろしい雰囲気で死体を操る魔術師だ。事実、ダウニーも骸骨を操っている。ちょっと思っていたのとは違うがやはりネクロマンサーだ。
「ホーズキくんのいた世界はどうか分からないけど、死霊術死が使うネクロマンシーは、元を辿ればサマギの魔術師が使う魔術と同じなんだよ。ネクロマンサーは、サマギから遠く離れた国に住んでるんだけど、昔は同じようにサマギに住んでて、考え方の違いから出奔したのがネクロマンサー達って言われてる」
「なるほど。だから背と胸がちっちゃいのか……」
「それは関係ないしあの子にも失礼だよ! ってなんでわたしが下ネタに突っ込んでるの!? 突っ込まれる方なのに……そうか、ホーズキくんってされる方が好きなんだね」
「違う! ……いや、どっちもいける」
「え? 突っ込むっていう意味で『される方』って言ったんだけど……」
「ま、待て! じゃあ違う! 俺はノーマルだ!」
「おにーちゃん……さいてーです……」
流石は我が妹だ、足を撃たれて貧血で倒れているのにツッコむ気力があるとは。
いやそれはそうと、さっきも言ったように俺はノーマルで、別にそういうアレはないからな。
「本当かなぁ? ……今度無理やり押し倒してみよっと」
「ボソッと恐いこと言うな」
「ま、そうこうしているうちに、治療終わり!」
マルメロの言葉通り、山茶花の撃ち抜かれた健は完全に傷が癒えていた。
どうやら、失った血液までは再生できないらしく、すぐに病院に運ぶ必要があるようだ。
「あくまで、治癒魔術は人の自然治癒力を加速させているだけだからね。サザンカちゃんが覚えた魔術もこれ。現象の速度を加速させる〈Epitachynsi〉だね。とにかく、早くここを出た方がいいよ。あの……ダウニーちゃんだっけ? あの子がヴァイタルを抑えてくれてるんだよね?」
「多分そうだと思うけど。あ、骸骨がこっち来いって言ってる」
出口を指さしてこっちへ来いとジェスチャーしている骸骨に促されて牢屋を出ると、廊下の先にダウニーとクロッカスが見えた。
どうやら何か話しているようだが……?
と、ダウニーがこちらに気が付いたのか、クロッカスから距離を取り俺達を庇う様に骸骨を前方へ配置する。
「外には出さないよ? 折角上ではユウガオが頑張ってるんだし、その邪魔をさせる訳にもいかないし。キミの妹も死にかけなんだしもったいないよ。そのまま放っておくとどうなるのかな? 美しい雪うさぎを見せてくれるのかな?」
「悪趣味な奴だ……」
「ハハハッ! どっちにしたってホーズキ以外を生きて帰す訳にはいかないからねぇ!」
クロッカスが大きく腕を広げた瞬間、小柄な体躯、その背中から三対の蜘蛛のような足が飛び出した。先には光を反射する尖爪。
そして、いつの間にか俺達の周囲に張り巡らされた蜘蛛の糸。
ただ粘着質な糸というだけでなく、どう見ても体に悪そうな色の液体が滴っている。
「クロッカスは〈アーチェニー〉のゼレノイドなの。巨大な蜘蛛のゼレーネ、〈アーチェニー〉の特性を受け継ぎ、粘着質の糸を生み出し、体内であらゆる薬効を持つ毒を生成できる。気を付けるの、できるだけ息をしないようにするの。気化した毒を吸うと、弱ったサザンカちゃんには致命傷なの」
「そう言われても……!」
どうすればいいかなんて決まっている。
ああ、だけど、自分ができることを考えろ。そして自分の存在を弁えろ。一番の手段はアイツをぶっ倒すことだが、それは俺だけがやらなければならないことじゃない。感情に惑わされずに、落ち着いて。ダウニーのサポートに回れ。
マルメロの炎は……糸は焼き切れるだろうけど、あの火力を出せばこの狭い通路だ、俺達も焼けるだろうし、同時に詠唱の隙を埋めることができない。
「ダウニー、俺達はどうすればいい」
「……待つの。とにかく待つの。クロッカスからは手出ししてこないから、とにかく、待つの」
そうか、ルピナスも来ているんだ。
だとすれば、俺に残された手段は、ルピナスが来ることを信じることだけ。
俺ができたように、俺も信じれば、きっと答えてくれる。
だから今は信じて待て。
「つまらないなぁ、もっと暴れて踊り狂ってくれないとさ。まあ別にいいけど、後で衰弱した死体で遊ばせてもらうから」




