39――絶望回帰
案の定だった。
いや、マルメロにしては結構真面目にヴァイタルの情報集めを頑張ってはくれている。
知らない人にもなんの臆面もなく話しかける姿は非常に頼もしい。しかもだ、エリシオニアはサマギと仲が悪く、戦争をしていた年もあったくらいだ。そんな、本当なら怖いはずの場所に放り出されてもそんなことは気にせずにいられるマルメロの胆力が羨ましいくらいだ。
マルメロも成長している。
それに比べて俺ときたら……いや、やめておこう。マイナスに考えるのはよくない。ああよくない。前向きに考えよう。そうでないと頑張っているマルメロに失礼というものだ。
しかし、だ。
それらを差し引いても、というか恐らく分かってやっている。
俺があまり役に立っておらずマルメロがすごく頑張っている、だから少しくらいセクハラしてもいいよね? と顔に書いてある。
なのでそうさせない為に俺も色々頑張った。
ただどうも上手くいかない。やはりもっと人と関わっておくべきだったと、この異世界に来る前の俺を恨んだ。
偶然話しかけた人が顔に傷がある死ぬほど怖いヤクザみたいなおじさん(すごく機嫌が悪い)だったり、好青年だと思ったらAIが搭載されていないアンドロイドだったり。マルメロの策略で間違えて女湯に突入したり……ん? 三つめはわざとだろ、だって?
………………薄々気が付いてはいたが。
いやしかし、待ってほしい。脱衣所が男湯と女湯で同じなのはおかしいだろ!?
「などと供述しており、今こうして警察のお世話になっているわけです」
「どう考えてもマルメロのせいだ……」
「まあいいじゃん! どうせ来ようと思ってたし! 前向きに考えようよ前向きに!」
「あぁん?」
「……ご、ごめん。流石にちょっとやりすぎました……マジでゴメンなさい……」
「ま、反省したのなら許してやろう」
まあ、実際は男湯の脱衣所から風呂場に繋がる扉を魔術で女湯へ繋げていたとかなんとからしい。
「そう言えばさ、意外と銭湯はアナログだったよね。というか銭湯があることに驚きだね」
「まあ確かに、急に出てきたもんな。近代的な建造物が」
俺が住んでいた町にも似たような銭湯があったのを覚えている。
山茶花が赤ん坊の頃からよく一緒に行っていた。確か、小学生に上がった時くらいにはもう一緒に風呂に入ってくれなくなったような気がする。今考えてもあの時の拒絶は心が引き裂かれるような思いだった……今となってはいい思い出だが。まあ、すぐにまた一緒に入るようにはなったが。
「あ、今サザンカちゃんのこと考えてたでしょ」
「また心読みやがって……」
「顔に書いてるし」
そんな風に話していると、部屋の扉がノックされ、刑事っぽい人が入ってきた。
さっきまで取調べを受けていて、自分達がギルドからの使者であることを伝えて、銭湯での出来事を死ぬほど謝った。
案外すんなりと受け入れてはくれたし、銭湯にいた女性からちゃんと謝ってくれれば訴えはしないと言ってもらえたのでそれでなんとかことは収まった。
というわけで、本当ならバルサミナ達の担当だったが、来てしまったので俺達がエリシオニアの警察にヴァイタルについて訊くことと相成った。
――――――――と、いうことがあったんだよ」
「……へぇ、随分と楽しそう」
「バルサミナ……? おこってる?」
「……いいや。あたし達も楽しかったから。ねぇ、サザンカ」
「はい!」
少しだけ心配ではあったが、どうやら山茶花とバルサミナは互いに心が開けたようだ。
思ったよりも絡みが少ない二人だったので、見違えるほどに仲睦まじい様子は目の保養だ。
「……なにジロジロ見てるの? まあ、今回はマルメロに非があるのは確か。ここでは抑えて。あと銭湯突入はこの前やったから、どうせやるんならもうちょっとバリエーションを加えて」
「はーい!」
「やめろバルサミナ変なことを吹き込むんじゃない!」
まあ冗談はさておいて、と俺から目を逸らすバルサミナ。
いつの間に使い慣れたのか、懐から取り出したペン型電子機器を取り出してホログラムのノートを空中に映し出した。
「……情報を共有するぞ。とりあえず、まずはホテルに」
「ああ、そうだな。半日歩きっぱなしだったから休みたいしなぁ……」
ホテル……マルメロ……うーむ、嫌な予感が。
「流石に今回は自主規制しまーす」
「偉いぞマルメロ。これで安心して風呂に入れる」
「偉い? じゃあそのご褒美に――あー痛い痛い! 頭グリグリやめてー!」
「……バカやってないで、早く行くぞ」
さっさと歩いていってしまうバルサミナと山茶花を追いかけ気味にホテルへ向かった。
道のりは簡単なものだった。
なんでも、件のホテルはエリシオニアの首都でもある大都会”ランドマート”にある超高層ビルの超高級ホテルらしい。超VIP待遇なのは少し怖かったが、ギルドがやっていることを考えるとこれくらいは当たり前だとか。
何しろ、バルサミナ曰くギルドという名の砲台の弾として俺達はゼレーネと戦っている。毎秒死んでもおかしくない戦場に身を置くのだから、どうせ死ぬなら贅沢してもいいだろう、という考えらしい。
最初考えていたギルドのイメージからは遠く離れたきな臭い何かを感じていたが、ここまで来たらもう引き返せない。
それに、死んで帰るつもりなんて毛頭ないのだから。
そんなわけで、超高級ホテルの手前までやってきた。
頭の中に思い浮かぶのは必要以上にデカい部屋とデカい風呂とデカいベッド。トランポリン並みの弾力と暖かな羽毛布団……ギルドの宿舎も無論悪くないが、それよりも数段上のグレードなのだ。心躍らずしてなんとする。ああ、楽しみだなぁ。
「あ、あの!」
と、今からホテルの自動ドアをくぐる、その瞬間に背後から女性に声をかけられた。
一瞬誰か分からなかったが、よく見るとエリシオニアに来る時の客船の乗務員さんだった。
「……どうかした?」
「先ほどお客様方が船を降りられた後に、お座りになっていた座席に忘れ物がありまして」
そう言われて、俺とバルサミナは目を合わせるが、分からないという顔をしている。
山茶花もマルメロも身に覚えがないようだが……
「……他の客のものかもしれないけど、一応確認しておこうか?」
「そうだな。チェックインまで時間あるし、行くか。じゃあ、お願いします」
「かしこまりました。ではこちらに」
乗務員のお姉さんに促され、向かった先はエリシオニア観光協会の事務所だった。
待合室に案内され、今からその忘れ物を取ってくると言われて待つことにした。
この道すがら、忘れ物について考えたがやはり全く思い出せない。
「なあバルサミナ。もしかしたら、あの乗務員さんがヴァイタルで、これは罠ってのはないよな?」
「……この部屋にトラップらしきものはないし、建物の周囲や中に待ち伏せているような人気は感じない。もし、あの女がそうであったとしても、私一人がいれば抑えられる。まあ、もしものことがあればマルメロに暴れてもらうか」
へへへ……とマルメロは怪しく笑う。
恐らくあの炎を出す魔術でここを爆破するつもりだろう。
本当に最後の手段くさいな……まあ、そうならないようにするだけだが。
それに、疑いすぎても疲れるだけだ。ゼレノイドが人の姿をしている可能性がある以上、隣に座る人間を敵だと思うのも仕方がないかもしれないが。
「遅いですね、あの人」
少し心配げに山茶花が呟く。
その落し物とやらをなくしてしまったのか、だから今探している最中なのか。そう考えたとしてもかなり待った。
「……これ以上は待てない。呼んで来る?」
「ああ、そうだな。俺が行ってくるよ」
事務室の扉にノックをして、ノブに手をかけた――
『キャーッ!?』
オーソドックスな悲鳴と共に、ガラスが割れるような音。
俺は思わず扉を開け放ち、その声の下に駆け寄った。バルサミナ達も後に続く。
うす暗く埃っぽい、それでいて広く乱雑に散らかっている事務室。明かりはブラインドの間から覗く陽の光だけ。その微かな光が、ソレを照らし出していた。
「これは……」
乗務員さんは腹部をハサミのようなもので何度も乱雑に切り刻まれたかのような傷を負って、大量の血を流して倒れていた。
口元も赤く染まっている。顎を砕かれて、口の中も同じように刻まれていた。生々しい傷痕から血と肉の中身が見える。破れた配線のように腸が引きずり出されている。
あまりに惨い死体。
「うぷっ……」
山茶花が口元を抑え目を逸らす。
俺ももう見ていられない。見ていたくない。
「……無理はしないで、ホーズキ。とにかくこの国の警察へ連絡しよう」
「分かった……」
この国での通信機器はあのペン型の電子機器だ。
連絡をとろうとしようとしたその時だった。
「動くな!」
「なっ……なんだ!?」
うす暗い事務室の中が突然目を刺すような光に照らされる。
思わず顔を手で覆い、その光源を見る。
武装した、軍人のような男達が数人。窓からも、まるで俺達を包囲するようにこちらに機関銃を突き付ける。
「動くな。君達には殺人の容疑がかけられている」
「――チッ、嵌められたか。私としたことが」
バルサミナが深く舌打ちする。
どうやら、この女性を殺した犯人が俺達だということになっているらしい。
「ち、違います! 俺達じゃ――むぐぅ!?」
「……無駄に喋ると自分の首を絞める。今は大人しく捕まる……と言いたいところだけど、この状況は言い逃れするには分が悪すぎる。私達がこの女性と事務所に入る所は目撃されているだろうし、ここに人がいなかったことは、観光協会の人間が分かっているはず。まんまと蜘蛛の巣まで案内されて、哀れなエサ四匹はのこのこ食われにやって来たってわけ」
「呑気に詠んでる場合かよ……!」
「……まあ、ここは一旦強行突破で突っ切るしかない。ギルドに連絡を取って弁護士でも送ってもらいましょう」
ここはバルサミナの言う通りにした方が確実だな。
少し無茶だが、マルメロが魔術で道を開けさせつつ、窓から逃げる……というのが作戦だ。山茶花は俺が抱えて走る。
「行くぞ――」
「ああ……分かっ、た……」
「……どうした!?」
途端、体に力が入らなくなった。
まるで自分の体から魂が抜けたみたいに、ストンと体の全てが下に落ちた。それと同時に、耐え難い腹痛が腸の中を浸食していく。嗚咽を漏らし、目じりからは涙が滲む。
見やると、山茶花とマルメロも同じように倒れていた。バルサミナだけが無事なようだった。
「……まさか、船でのアレは」
「バルサミナァ……! お前だけ逃げろ……! ギルドに連絡を取るなら一人でも問題ないだろ……!」
「――了解した。幸運を祈る」
やっぱり、バルサミナは判断が早くて助かるぜ……ああ、クソっ。視界がぼやけて……耳もだんだん聞こえなく、なって――
@
「おにーちゃん! おにーちゃん!」
「ん……ああ?」
「よかったぁ……やっと起きた……」
目を開けるとすぐに、涙でぐしょぐしょの山茶花の顔が見えた。
何も考えず、つい癖で頬を撫でてしまう。
「あ……おにーちゃん」
「山茶花……ってここはどこだ!? マルメロもいるのか!?」
今の一連の動作を見られていると非常に不味いと思うのだが。
「いますけどーイチャイチャしてるところ悪いけどここ牢屋なんですけどー」
心底不機嫌そうなマルメロの姿に一安心、したと思えばその発言に安心は取り消される。
そう、ここは牢屋だと言うのだ。
辺りを見回してみると、確かに牢屋。テレビとかでよく見る鉄格子で廊下と区切られた簡素な部屋だ。地面が素なのでひんやりと冷たい。
しかし何かがおかしい。俺達以外に牢屋に入っている人間が一人もいないのだ。
それどころか驚くほどに人気がない。
看守すらいない。
「なんなんでしょう、ここ……何もなさすぎて、逆に不気味です」
「ああ。ただまあ、法には厳格な国だって話だし、いきなり処刑されるようなことはないはずだ」
「サマギは正にそれだねぇ」
自嘲気味のマルメロ。
あの時のことを思い出して思わず苦笑してしまう。
「少しくらい見習っても罰は当たらないと思うんだけどねー、サマギの女王はほんっと頑固だからさ」
「頑固というか自分の言ったこと絶対曲げなさそうだよな」
「そうそう! そうなんだよね。そこが可愛い時もあるんだけど――
どうやら、談笑している暇はないようだ。
どこかの扉が開け放たれ、二つの足音がこちらへ近づいてくるのが分かる。
山茶花とマルメロは固唾を飲んで足音を待っていた。
現れたのは二人の男。どちらも軍服のような服装だ。
「出ろ、お前たちの処分が決まった」
「おい、待てよ。裁判とかあるんだろ? いきなりはおかしい――ゴッ、ふ。おい……いいのかよ」
「おにーちゃん!」
胸倉を掴まれたまま、壁に思いきり叩きつけられた。
肺の空気が押し出されて、少し血の味がする。
下卑た笑みを浮かべる二人の男は、まださっきのあの症状が残って動きにくいのをいいことに俺を散々痛めつけた。踵が鳩尾に食い込み、何度も壁に叩きつけられた。
額を伝った血が目に入り、左目の視界が赤に染まる。
この二人の目は明らかに、何かがおかしかった。血走ったような、正気でないような。
二人は、俺が完全に動けなくなったのを見ると、山茶花とバルサミナを取り押さえ、どこかへ連れて行こうとする。
「やだっ! 離してよ!」
「おにーちゃん!」
動きたいのに、動かなくてはならないのに、体は全く言うことを聞いてくれない。
それどころか、頭を打った衝撃なのかまた視界がぼやけてくる。なんとか気を失うことだけは避けるが、体が動かないのは変わらない。
暫くすると、男の一人が戻ってきた。
動けない俺を引き摺って、同じくどこかへ連れて行く。
そこは別の牢屋の前だった。十字型の鉄の板が横に並んで立てられている。十字のそれぞれの端にはベルトが取り付けてあり、恐らく首と手首、足首、補助として腕の関節を固定するのだろう。
それはまるで罪人を火あぶりか串刺しにするかのような処刑台。
山茶花とマルメロはそれに固定されていた。
ぐっと涙を堪えていたが、それはあまりに細く脆く、すぐにでも瓦解してしまってもおかしくはなかった。
体の底から沸き上がった怒りで無理やり体を動かしたが、すぐに羽交い締めにされる。
「取引をしよう。簡単な取引だ」
「……取引だと?」
「ああそうだ。この二人を助けたければ、誰でもいい、人を殺せ。その腰に提げた剣でな」
その言葉に耳を疑う。
そんなことができるはずがない。俺達はそんなことをしにここに来たんじゃない。
だが――
「断れば、どうなるかは分かるだろう?」
「ふざけんな……できるわけが」
乾いた銃声。
山茶花の健を、鉛玉が貫いた。
「ぎっ、あああ!? いだい゛、痛いよおにーちゃん……! おにーちゃん……」
身の毛がよだつ。
血の気がなくなる。
自分の痛みであるかのように胸に穴が開く痛みが。
「これは余興ではない。大切な妹を生かしたければ、代わりに誰かを殺せばいい。簡単な話だろう? このままでは綺麗な肌がチーズフォンデュのようにドロドロに溶けることになるぞ。断るか、殺しに失敗する毎に下から少しずつ撃っていく。最後は頭だ。終わった後は縦笛みたいになってるかもな」
ドロドロとした何かが心の中に溜まっていく。
そうだ、山茶花とマルメロを助ける為だ。その為に仕方がないことなんだ。どうしもようない。俺の力ではどうしようもないのだから。俺がやるべきことは一つだ。俺が山茶花とマルメロを助ける為に必要なことは誰かを殺すこと。関係のない誰かを、誰でもいい誰かを殺すこと。それで山茶花とマルメロは助かるのだから、俺はきっとそれをするべきなんだ。
「分かった……だから、もう、やめてくれ」
「ならさっさと行け。そこの階段を昇れば地上へ出る。タイムリミットは十分だ。それまでに一人でも殺せ。一人殺せば一人助かる。次の十分でまた殺せ」
重い足取りで階段を上る。
上った先にある戸を開ける。
すぐに、人が多く闊歩するのが見えた。
見えた。見えた。殺すべきだ。山茶花とマルメロを助ける……為に……俺は――
剣の柄を握りしめる。
これを抜いて、目についた誰でもいい。それを殺せば、山茶花とマルメロは。
――だが本当にいいのか? 殺したが最後、戻れなくなるぞ。
だが殺さなければ、二人を助けることはできない。
もうどうしようもないんだ。
俺には結局、どうしたって正義のヒーローみたいな軌跡は起こせない。俺には何もないのだから。ただただ平凡で、普通の人間だ。それはつまり虚無なんだ。中身に何もない。事実俺が得意なことは何もない。誇れるような物もない。
そんなただの普遍的で本当なら有象無象の一部でしかない俺に、いったい何ができるんだ?
だから、俺ができることは。今できることは殺すことだけ。意味のない殺人をすることだけ。
――だが本当にいいのか? 殺したが最後、戻れなくなるぞ。
ならどうすればいい。
俺にどうしろと言うんだ。
――そのままでいい。
は? どういう……
――お前の心の虚無的な在り方。
自分を卑下し、他人を棚に上げる考え方。
究極的に卑屈なお前の精神性が、オレをその身に力を与える源とならん。
さあ、嵌れ坩堝に。
お前の心の中、その闇に純粋に従え。
お前は虚無で、何もない。生きている価値も何かを成し遂げる力もない。ただ生きるだけの肉の塊。そんなお前ができることは絶望に身を任せることだけだ。
真っ暗な闇の中――伸ばした手の先にあったものは、




