38――山茶花とバルサミナ
エリシオニアはすこぶる広い。
それはもう徒歩では端から端まで歩くのに数週間以上はかかるほどだそうだ。
山茶花とバルサミナは歩き回れるだけ街を渡り歩き、色々な人に聞き込みをしていたが、その全ての治安はとてもよかった。それぞれの街に統治者がいる訳でもなさそうで、これだけ広い国をたった一人の女王が平和に治めている事にバルサミナは軽く戦慄を覚える。
自身の育った場所が吐き気がするほど治安の悪い場所だったこともあり、ほんの少しだけ羨ましさも感じた。もしこんな所で育っていれば、もっとマシな人生を送れていたに違いないと。
いや、そもそも――
「……チッ、馬鹿馬鹿しい」
「ど、どうしました? またおにーちゃんが何か……」
人が多く歩く街中を歩きながら、脅えた目で山茶花がこちらを見ている。
それ自体はどうも思わないが、変に誤解されるのも気持ちが悪い。
「……なんでもない。気にするな。それより、次はどこだ」
「あ、はい。えっと次は……南端にある『ノスケアニア』ですね。海が綺麗だそうです」
「……へぇ」
波止場があった場所はほぼ一面を壁で囲んでいたが、山茶花の口ぶりからどうやらそのノスケアニアはそうでもないらしい。山茶花の持つ地図を覗き込むと、確かに大きな海岸が広がっており、漁港と見られるものもあった。
ちなみにその地図は関所で配られた電子地図だ。細長いペンのようなものから、映像が空中に映し出されている。原理はまったく分からないが、ずっと文明未発達な場所で過ごしていたバルサミナにとって、こんなものを簡単に扱う山茶花には少なからず尊敬の念を抱いていた。
「……まだ歩けるか。午前中ずっと歩き詰めだろ」
「大丈夫です! こう見えて、ここに来てから鍛えてますから! 戦えるほどじゃないですけど……せめて、体力で遅れは取らないようにと思って」
「……関心。その調子で頑張って」
「はい!」
いつも兄の後ろについているだけかと思いきやこうして健気に頑張っている。
そんな姿を見ていると、少しずつ心の中に膿が溜まっていくように感じる。
忘れたはずの、粉々に破壊したはずの嫌な思い出が湧き出てくるように、感じる。
「バルサミナさん、おにーちゃんのこと、どう思ってます?」
「………………は? どう、とは?」
センチメンタルに浸っていたところでそんな質問をされたので一瞬思考が停止してしまう。
すぐにその意図を考えたがやはり分からない……というのは嘘だ。女三人に男一人、考えることは大体分かる。
「いや、その……おにーちゃん、ああ見えて女の人に強く肩入れしちゃう時ありますから……」
「……なるほど、未だない事柄への嫉妬とは、それだけアイツが好きなんだ」
「そ、そうです。好きなんです。そりゃおにーちゃんですから。好きなのは当たり前です。だからこそ、色んな女の人にホイホイついてっちゃったりしないか心配なんです。おにーちゃんは優しいですから」
確かに、助けを求められるとなりふり構わない所はありそう、いやあると確信。
山茶花の心配ももっともだと言えなくもない。
「……もし、あたしもアイツが好きだったらどうする?」
「っ! ほ、本当ですか!?」
「……嘘に決まってるだろ。誰があんな奴を。まぁ、まだまだではあるが多少背中を預けられるだけの度胸と実力はあると思うよ。仲間としてね」
「そう、ですか。ありがとうございます」
「……なんでサザンカがお礼を言うんだよ」
「い、妹ですから!」
顔を真っ赤にして狼狽するのを見ると少し可笑しくなって吹き出してしまった。
「あ、今笑いましたね!」
「……笑ってない」
「絶対笑いました!」
「……断じて笑ってない。神に誓って笑ってない。死んでも笑ってない」
「むぅ……」
こんな可愛い妹がいながら、自分やマルメロまで傍に置いてなんと罪な男なのだろうかとバルサミナは内心鬼灯が憎たらしい。毎秒憎たらしいが今はより強くだ。
だが、もし鬼灯に出会っていなければ、いったい自分はどうなっていたのだろうかといつも思う。
ギルドへ登録する際のルールもちゃんと調べてなかったし、元々友達が作りにくい性格だったので仲間なんてそうそうできなかっただろうし。できたとしてもどうせ喧嘩別れしていただろう。
だが鬼灯はそうはならなかった。
今現在はそうなっていないだけなのかもしれないが、そうはならないと思う自身がある。
否、正しくはそうはさせない、だ。
「……アイツは馬鹿だからな」
「それは言い過ぎですよ。ある意味では間違ってないですけど」
ノスケアニアに辿り着くまで三十分ほど歩いた。
その道のりは呆れるほど長かったが、ヴァイタルに列車を襲われた際に事故で死なないようにと配慮したものなので仕方がない。
いかなバルサミナとは言え列車の事故ではどうすることもできない。自分だけ逃げるならなんとかなるかもしれないが、山茶花もいるのだ。
「ふぅ、やっと着きますね。あそこがエリシオニアが誇る港町『ノスケアニア』です」
「……へぇ、急に風景が変わったね」
ずっと続いていたビル街とアスファルト道路が突然途絶え、建造物もまばらになってきたかと思うと少しずつ自然が増えてきた。
そのまま歩いているといつの間にか潮風が気持ちいい港町だった。
背の高い建造物は一切見当たらず、一軒家が二、三軒ぽつぽつと見えるだけだ。振り返ると凄まじい威圧感を放つビルの群れが見えたが、ノスケアニアの町の人々は慣れているのか全く気にしていない様子だ。
まるで全く違う国に入ったかのようにさえ錯覚する。
「海がよく見えますね。やっぱりここには壁がないんですね」
「……防衛とかどうするんだろうね」
「町の人に訊いてみましょう! ついでにヴァイタルのことも」
「……あ、ちょっと」
とことこと走って行ってしまう山茶花。
バルサミナ的にはあまり知らない人とは話したくないのだが、興味津々の山茶花は止められないようだ。渋々、散歩していたのであろう裕福そうなおばあさんと話している山茶花の下へ近寄った。
「あら、こちらのお嬢さんもギルドのお方ですか? お仕事お疲れ様です。どんなご用件で?」
「ありがとうございます! 『ヴァイタル』について調査を行っているんです」
「あら、そうでしたの。私達も噂には聞いていましたが、残念ながらお力になれそうにありませんわ。すいませんねぇ」
申し訳なさそうな顔をするご老人。
いえいえ! と山茶花が返し、本題に入る。優先順位が逆なような気がするが。
「ところで、エリシオニアの海岸線には『壁』がありますけど、この町にないのは何故なのですか?」
「ああ、それはですね、見ての通り港町ですので漁の為です」
「でも、水棲のゼレーネなどは大丈夫なのですか?」
「ええ、この辺りにゼレーネはいないんですの。彼らは清浄な空気を嫌いますから。ここの空気は綺麗でしょう?」
試しに深呼吸してみると、確かに肺が綺麗になったように感じるほど、空気がおいしい。
事前に調べていたことでもあるが、エリシオニアはここまで高度に発達していながら大気汚染を一切していない。どうも、今の王女よりも前の古代に治められていた旧エリシオは甚大な大気汚染と無理な開発で人が住めなくなり、最期は地盤沈下でほぼ全てが海に沈んだらしく、その教訓からきているようだ。
全ての動力源は地下から採掘された『マナ』。魔術師にとっては魔力の源だ。
「もちろん、それで慢心しているわけではなく、この街の地下にも警備ロボットが配備されていますから。いざという時の対処は可能です」
「なるほど……! 貴重なお話しありがとうございました!」
「いえいえ。お仕事頑張ってくださいね」
「はい!」
おばあさんは去って行った。
勉強熱心なのか、山茶花は聴いた話を全てメモしていた。
「ゼレーネは清浄な空気を嫌うという話ですから、ゼレノイドで構成されているヴァイタルも他に比べて活動規模が小さいのかもしれませんね。聞き込みをしていても大体のそれっぽい事件が癇癪を起してちょっと暴れただけのものばかりですし」
「……それもあるかもしれないね」
ゼレノイドが全てにおいてゼレーネの条件に当てはまるかは分からない。
だが、情報や状況から考えると確かにそう考えられる。
ここ数日は目撃情報もないようだし、もうエリシオニアを出ている可能性だってある。
とは言え、ここに来た目的はあくまで調査なのだからそうであっても問題はないだろう。少しでも全貌が掴めればそれでいい。
「あれ、バルサミナさんちょっと柔らかくなりました?」
「……別にそんなことは全くもってないしあり得ないけど」
「ホントですかぁ? ちょっと声色も優しかったですよ」
「……気のせい。断じて気のせい。絶対に完璧に遍く全ての可能性を踏まえて気のせい」
全くもって油断ならない。
だからこういう少女は苦手なのだ。昔を思い出して。
「……ほら、変なこと言ってないで次行くよ。ここの警察や軍にも問い合わせないといけないし」
「やっぱりちょっと柔らかいです」
「……っ、まあ、長くいればそうなるのも仕方ないでしょ。あ、今笑った」
「笑ってませんよー!」
「……」
「バルサミナさんが怒ったー!」
だが、たまにはいいだろう。
昔を思い出したとしても、この少女が幸せになればいい話だ。
自分のような未来を辿らなければいい話だ。
逃げる山茶花を追いかけるように歩き出した。




