31――空を切る想い
「――!? はぁ……はぁ、なんだ今の……?」
体中に流れる嫌な汗、服が体に張り付いて不快だ。
原因は言うまでもなく、夢の顛末。
一面の荒野に建つ無数の墓を磨き続ける謎の少女に首を絞められ殺された夢。首に触れると、夢だったはずなのに少し息苦しく、首筋が痛みを発する。
周りを確認して、夢だった事に安心して一息。だが周りには人が誰もいない。窓から外を見た。赤い霧に包まれているとは言え昼は明るい。まだ真っ暗なところを見るに、深夜だろう。だと言うのに誰もいない。軍隊だからって誰も休まず働きっぱなしという事はないだろう。それとも、俺を気遣ってこの部屋を使っていないだけか?
途端に、一人でいる事が怖くなった。
今まで必ず誰かと一緒にいた。それが今、俺の傍には誰もいない。情けないとは思ったが、怖いものは怖い。しかもさっきの夢もあって、手が震えていた。
居ても立っても居られなくなり部屋を出る。廊下は薄暗い明かりだけで、やはり人気はない。
「明かりが……」
会議室の方へ進むと明かりが見え、喧噪が聞こえてきた。きっと何かあったのだろう。それで、みんな集まっている。
近づくにつれ、その何かが割と大きな事だと分かり始める。何かをしきりに叫ぶ声や、誰かが泣き叫ぶ声。この声に、聞き覚えが――山茶花の、声!?
嫌な予感を第五感が大声で叫んだ。
ふざけるなと言いたいが、今はまず確認したい。全速力で走った。
「山茶花!」
「おにーちゃん! ま、マルメロさんが……!」
マルメロが、どうしたって?
ボロボロと大粒の涙を流す山茶花。マルメロの姿はない。
「マルメロは……どこだ?」
「鬼灯さん。こちらです」
昨日会ったキリさんが、重い面持ちで戸を指した。
「何があったんですか」
「見た方が早いです」
もうなりふり構っていられなかった。
指された扉を蹴破るつもりで中に入る。
そこには――瞳孔を限界にまで開いた、血塗れで傷だらけの、動かないマルメロがいた。
「な――んだよ、それ。何があったんだよ!!」
「落ち着け」
救護班と思しき男に殴りかかる勢いで問い詰めた俺を、バルサミナはぶん殴った。
「マルメロはまだ生きている。静かにして」
「あ……あぁ」
思考が冷やされた途端、これは自分のせいではないかという思いが、津波のように押し寄せてきた。
もしあの時、寝ずにみんなと合流していれば……?
もしあの時、マルメロを呼び止めていれば……?
そもそも、もっとマルメロの話を聴いてあげていられれば……?
「ホーズキ。何を考えているのかしらないけど、お前のせいじゃない。マルメロは自分でゼレーネに挑んでこうなった」
「でも……それは、俺がちゃんと止めていれば……」
外の赤い霧の中で魔術を使えばどうなるか、それが分かっていながらマルメロは魔術を行使したのか。
つまりそれは、それほどに想いが困窮していた事の表れ。そうでもしなければ、溢れた想いをどうにもできなかった事の証明。
それを、俺が相殺できていれば……!!
「ホーズキ。マルメロは暴走した訳ではないのじゃ」
「ルピナスさん……」
「昨日会ったあの男がいたじゃろ。奴は二人一組での見回りの途中で件のゼレーネ、〈デルラ・ハンザー〉と鉢合わせた、ここからかなり近い場所でな。何キロも離れた場所にいたはずだったのが、いきなり現れたもんじゃから相方の方がパニックになってな、発砲してしまった。デルラはそれを攻撃だと認識し返り討ちに遭あった。そして、それを知ったマルメロは二人を助ける為に戦った。二人は助かりデルラは撃退できたが、マルメロは……」
つまり、マルメロは助ける為に……だとしても、無茶をさせてしまった事に、変わりはない。
俺が悪くない理由がない。
「ホーズキ、ちょっと来い」
「お、おい! バルサミナ!?」
項垂れていた俺の襟首を掴んでどこかへと引きずっていくバルサミナ。
情けない俺の姿に業を煮やしたのだろう。ああ、なんだって言われてやるさ。
連れて行かれたのは昨日の休憩室だ。みんな、デルラやマルメロの事で人が出回っていて人っ子一人いない、静かさそのものだ。
立ち止まったバルサミナは、襟首を掴んだままの俺の体を壁に放り投げるように叩きつけた。喀血はしなかったが、空気が全部押し出されて器官が痛い。
「いってぇ……」
「すまなかった」
「――は、え?」
一体どんな説教をされるのか、そう思っていた矢先にこれだ、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
バルサミナはバツが悪そうに、壁に手をついてそっぽを向きながら、そう言った。
「さっきも言ったように、ホーズキのせいではない……これは、あたしのミスでもある」
「どういう、事だ?」
「どうもこうもない。ホーズキに任せ過ぎていた。もっと、あたしもマルメロに寄り添えばよかった。もっと、話を聴く事ができていればよかった。そう思っているのは、ホーズキだけじゃない」
「わたしも……! わたしも、同じです、おにーちゃん」
「山茶花……」
そう、だったんだな。
そうか、じゃあ俺は、この期に及んでまだ勘違いをしていたんだ。
マルメロを救い出せるのは俺だけだと信じ込んで、にも関わらず、中途半端にしか接していなかった。
自惚れていたんだな。
バルサミナも山茶花も、マルメロの仲間だ。だったら、心配するのは当然じゃないか。
「ホーズキ、心配とは依存じゃない。一方的な想いは相手にとってしんどいだけだ。互いに同じ目線で立ててこそ、初めて本当の意味で心配できる」
「……へっ、何度目だ。バルサミナに諭されんのは。もっと冷静にならなきゃな」
「ふん、萎れたホーズキは殴り甲斐がないからな。もっとしゃんとしろ」
『ホーズキくんのどこがしおしおだって?』
マルメロなら今、きっとこう言っただろう。
そう思うと、悩んでいるのが馬鹿馬鹿しい。
「マルメロの所に戻ろう。目が覚めた時に俺達がいないときっと寂しがるからな」
「はい……!」
「ああ」
@
マルメロの傷は治せるらしい。
だが、霧の中で魔術を発動したことによる拒絶反応は、全身をカッターナイフで深く裂いたような傷を幾つもつけており、出血も多量でほぼ死にかけだったことから本当に奇跡だったらしい。治療にも時間がかかる為、それまでに今回の〈デルラ・ハンザー〉の行動の意図について話し合うようだ。
またあの会議室で、昨日よりも人数はまばらだが、ルピナスを上座に話が進められていた。
「今回のデルラの移動には不自然な点が多い。とは言え、今まで目撃情報が極端に少ない個体じゃ、何が不自然で何がそうでないのか、分かりかねるが今はそれは置いておく。
さて、ここから数キロ離れた中央街の中心である噴水広場から一切離れようとしなかったデルラじゃが、今回は突然、この基地のすぐ近くにまで現れた。これは今までにない事例じゃ。これについて、何か意見があるものはおるか」
ルピナスの言葉に、素早くバルサミナが手を挙げた。
「……今までにない事なら、ほぼ間違いなく私達が来たから」
「ほう? 具体的には?」
「……それは分からない」
「ふむ。ホーズキ達にゼレーネを誘き寄せる要因があるとも思えんが……他に誰かおらんか」
その後、何人かが意見を交わし合ったが、目ぼしい事は分からなかった。
「ふむ、この題は今は置いておこう。次じゃ、これはかなり重要じゃな。今は救護室でスヤスヤ眠っているが、見回りが二人襲われた。だが、それを守る為にマルメロは奮闘した。この際、〈デルラ・ハンザー〉は”撃退”されている」
さっきは気が動転していて気が付かなかったが、今改めて訊くと驚きを隠せない。
周りの人達もざわついている。
「そう、デルラは今まで我々の兵器では傷一つ付けることが叶わんかった。それはひとえにすこぶる固い鎧のせいだと思っておったが、今回初めて魔術による攻撃を確認できた。乱れがあったが、見回り二人の通信の音声を解析した結果、魔術がデルラに直撃したことは間違いない。
つまり、デルラは硬い鎧に守られているのではなく、魔術以外を通さない特殊な防壁に守られている、こう考えていいじゃろうな。その弱点を補う為のものが、この赤い霧。これが、我々が出した結論じゃ」
「……なるほど」
バルサミナもそう呟いた。
ということは、魔術を使えば、デルラを倒せるって事か。
だが――
「そうじゃな。魔術を使えば霧の効果で拒否反応が起こり最悪の場合死に至る。霧自体は数分だけ吹き飛ばせるが……そもそもにおいて、デルラは攻撃されると異常なほど苛烈に反撃してくる。これにはどんな武装で挑んだ所で無駄じゃということは、先に突っ込んだ部隊が全て壊滅した事で承知のことじゃろう。それに、奴の感覚は超感覚と謳われる〈ルザーブ〉に引けを取らない。狙撃も無意味じゃったからな」
魔術が最大の弱点。
だが、魔術を使えば霧の効果でこちらが傷付き、攻撃どころではない。
霧は吹き飛ばせるが、そもそも、攻撃したが最後、強烈なカウンターを喰らい、それこそ攻撃どころではない。
八方塞がりか……いや、何かあるはずだ。サマギから逃げる時、森で戦った〈アズダハ〉のように、一撃で斃す事ができれば……だが、そのマルメロでも撃退がやっとだったと考えると、その時のマルメロの心の余裕を加味しても、一撃は難しいか。
どうにかして、正面から正々堂々と戦えれば。
「そう、か」
「ホーズキ、何かアイデアがあるのか?」
「あるにはあります。でもその前に、気になる事があるんです」
「なんでも訊け」
二人を助ける為に、マルメロはデルラの前に立った。
だが、その前に、二人の内一人はデルラに発砲している。ということは、デルラはいつものようにキレて暴れまわっていたはずだ。その状態でどうやってデルラと戦った?
その隙をついたからと言って、凄まじい超感覚を持つ敵を相手に、どうやって当てた?
「デルラと対峙した時、マルメロとデルラはどんな状態だったか、分かりますか?」
「……そう、じゃな。解析した通信履歴がある。キリ、持ってきてくれ」
「はい」
キリさんが持ってきてくれたのは、俺達のいた世界では今は昔懐かしのカセットテープ風の機械だった。そのスイッチを、キリさんが押した。
デルラの乗る馬の嘶きが聞こえ、それに驚いた男の声。その直後の発砲音。男を止める、昨日俺と会ったあの人の声。肉を断つ剣の音。
そしてその直後、マルメロの咆哮が聞こえ、凄まじい爆裂音と、地面を抉る音。
マルメロの反応から、デルラは避けたようだ。
この時、マルメロは切りかかられていない。マルメロがデルラに対して、『私が相手だ』と叫んだ。その後、マルメロが二人に逃げるように促すまでの間、デルラは攻撃していない……?
数秒の無音の後、再びマルメロの叫び声。
数度の爆発音と、苦しむ声。血が噴き出る音が鮮明に録音されている。
――そして、壁や地面に当たるのとは違う、鈍い爆発音が響いた。
恐らくデルラに当たったのだろう。嘶きと共に、蹄鉄が地を蹴る音が遠ざかって行った。
「ここからの音声はありません。恐らく、今のでデルラを撃退したのかと」
「ルピナスさん、今までここに来たギルドからの派遣や、デルラに挑んだ人の中に、”一人で”行った人はいましたか」
数秒の思案の後、別の部下を呼び寄せて何かを持ってこさせた。
「これは、ここに来たギルドからの派遣のリストじゃ。こ奴等と我らの部隊以外に、デルラに挑んだ者はいない」
ギルドは必ず複数の”パーティ”でなければいけない。
つまり、デルラに一人で挑んだ者はいないはずだ。二人以上で来て、一人で挑んだ者がいる可能性もある。
それについては――
「いや、それはないと断言できる。記録は全て残してあるからの。一人で赴いた者はいない」
なるほど、じゃあやっぱり――
「して、何か分かったか」
「まだ、本当に確実だとは言えませんが……このゼレーネ、〈デルラ・ハンザー〉は一騎打ちを望んでいるのだと思います」




