24――三度目の正直
「……協力して、あいつを、斃すために」
先までの俺に対しての態度とは一変して真面目な表情になったバルサミナが言った。
目の前で女性が一人殺された。今もその死体を貪る三又のオオカミ――〈ルザーブ〉。それを目の前で見て、恐怖や驚愕といった感情よりも先に怒りがこみ上げてくるのは自然な事だと思う。そう、こんな風に簡単に人が殺されることが許されていいはずがない。
理不尽な暴虐を止められるのであれば、幾らでも協力しよう。
「ああ、勿論だ。俺にできる事ならなんでもする」
「お前だけじゃダメだ。そこの二人の力も必要だ」
それは……
「山茶花達も、戦わせるのか……?」
マルメロに戦う力があることはつい最近知ったし、山茶花に助けられたこともあった。だが、こんな凶暴な化け物との戦いに、小さな女の子を巻き込むことがはばかられた。
「……? 何を言ってるの? その盾は一体何の為に存在しているの? 私を仲間に誘ったのは戦う為に力が必要だからでしょ?」
「それは……」
今まで俺達がいた世界とは一線を何本も画している、凶暴な世界。甘い考えなど通用しない、気を抜けばいつ殺されるか分からないこの世界で生きていく為に、俺の意識はあまりにも緊張感に欠けていた事を、この光景を見て思い知らされた。
簡単に人の命が虐げられ捻じ曲げられる。こんな世界で、俺と、山茶花は生きていかなくてはならない。少なくとも、元の世界に帰るまでは。
その為には戦わなくてはならない。そうしなければ死んでしまうから。
「おにーちゃん、わたしなら大丈夫です。こ、怖くなんかありません」
そう言いながら山茶花は震えていた。
それでもこうして前に進む意思を見せている。
それなのに、俺が信じる事に弱気でどうするんだ。そうだ、生きる為には、戦わなければ。
「分かった。何をすればいい」
@
――〈ルザーブ〉は知能が高い。だから盾はただの飾りにしかならない。今はそれを利用する。まず、盾を持った人が対象に突進。すると頭のいいルザーブは盾を迂回して回り込むか、乗り越えて上から襲ってくるはず。
「行きます!!」
叫んだ山茶花が盾を構え、〈ルザーブ〉に突進を始める。まだ死体を貪っている今が唯一のチャンスだ。これを逃せばどんな乱戦になるか分からない。
やがて気が付いた〈ルザーブ〉は盾を六眸で睨み付け唸り声を上げる。
――この場合は上から襲ってくるとして、その瞬間に盾を持った人の後ろに張り付ていたもう一人が攻撃し、ひるませる。
――そのまま倒すのはダメなのか?
――奴の外殻は衝撃に強くできている。どれだけ強力な一撃を与えても即死にはならない。
「マルメロさん!」
「OK!! ――"Kaioo∴mikro"!!」
〈アズダハ〉と戦った時に使った火炎の柱を生み出す魔術のミニサイズをマルメロは〈ルザーブ〉に放つ。鼻先を焼かれた事で大きくよろめいた。
――後は、そこを一気に叩く。奴の弱点はそれぞれの喉の奥にある核。私の短刀とお前の剣で両サイドの口を突き刺して、真ん中の口にそこの魔女が魔術を当てればそれで終わりだ。なんだその目は。
――いや、案外単純なんだなって……
――うるさい。やらないなら死ぬぞ。
「行くぞバルサミナ」
「ああ」
物陰からよろめいた〈ルザーブ〉を確認し、小さく息を吐く。早鐘を打つ鼓動を感じながら、眼前の敵を斃すだけを頭の中にぶち込んでそれ以外を追い出した。
そして、バルサミナと同じタイミングで駆けだそうとした刹那だった。
「きゃッ!?」
「うぇええ!?」
ひるんだはずの〈ルザーブ〉が前足で無理矢理に盾を押し返し、バランスを崩した山茶花が倒れてしまう。それを好機と見た三股のオオカミは山茶花へと獲物を変えた。
身の毛がよだつ。女性の死体と山茶花の姿が重なる。
思考が沸騰する。
「山茶花ァ!!」
思わず駆けだした……が、
「落ち着け」
腕を掴まれ、そのままバルサミナに羽交い締めにされる。
「離せよ!! このままだと山茶花が!」
こうしている間にも〈ルザーブ〉は山茶花に喰いつかんと大口を開けている。
「今行っても何も変わらない。逃げられて被害が拡大するだけだ。このまま喰いつくのを待って、油断したところを狙うんだ。運よくまだこちらには関心がないようだしな」
「山茶花を囮にしろって言うのか!?」
「なんの為の治癒魔術だ。なんの為の魔術だ。ちょっとくらいの怪我なら治せる。ここで倒せれば、お前の妹の怪我と引き換えにこの街の皆の死を回避できるんだ」
今は、何もできずただ見ている事しかできない。妹が傷付く姿を。
「た、すけ……」
砕けるぐらい拳を強く握り締めた。そうしなければ暴走してしまいそうだった。
「耐えろ。そうすれば助けられる」
「……っ」
そう言ったバルサミナの顔は、何故か俺よりも怒りに満ちているように見えて――
「いいか。喰らいついた瞬間だ。捕食の瞬間だけは奴は気が散る。そこを元の作戦の通りに口内を攻撃だ。お前の妹の下敷きになって、魔女の攻撃ができないから一つ足りないが、大きな隙を作るには十分だ。そこをお前が剣を引き抜いて、もう一度突き刺せ」
「……分かった」
小さく首肯する。
一周まわって落ち着いた精神が、冷静な判断力を俺に与えてくれる。未だに怒りで手が震えていたが、すぐにそれはあのオオカミにぶち込んでやる。
「今度こそ行く。喰らいついた時、1、2、3で」
「ああ」
深く、深く深呼吸。
右手に握る西洋剣の柄を強く感じる。その先の刃を強く意識する。どう動くのかを体へ覚えさせる。
澄み渡った思考は、驚くほどの体の軽さを齎した。
そして、〈ルザーブ〉が獲物に、山茶花へと喰いついた。
痛々しい悲鳴を振り切り――
「1、2――
――3ッ!!」
助けを乞う声さえ切り裂き、油断した〈ルザーブ〉の大口に剣を突き込んだ。鈍い感覚が手に伝わり鳥肌が立つ。
金切り声のような悲鳴を上げる怪物。
あとはバルサミナの言った通り、この剣を引き抜いて……あれ?
何かに引っかかって剣が抜けない。このままでは間に合わない。
そのまま〈ルザーブ〉は両サイドの口を閉じ、いよいよ完全に抜けなくなってしまう。このままでは山茶花が……皆が、殺されてしまう……?
その時ふと、いつかの記憶が蘇った。
サマギで魔力で起爆する爆弾を買った時……確か俺も数個貰ったはず。アレを使えば。
だが俺は魔術師じゃない。魔力なんて持ってないはすだ。
「関係ねぇ!! おい!! 喰うなら俺の腕を喰え!!」
人の言葉が理解できるのか、咄嗟に叫んで突き出した腕に〈ルザーブ〉は反応し喰らいついた。
腕を奥へ押し込み、手の中の爆弾を強く握る。
「馬鹿お前……!!」
バルサミナの驚愕も無視し、拳の中にとにかく力を籠める。
何でもいい。魔力が何か分からないがとにかく念じた。
――そして。
〈ルザーブ〉の口内で爆発した事でその巨体は後ろへ吹き飛んだ。
俺の腕は肩から引き千切られ、爆発と共に四散した。
@
……おにーちゃん!! おにーちゃん!!
「あ……山茶花……?」
俺を呼ぶ山茶花の声で目が覚めた。
「ここは……」
「よかった……おにーちゃん……」
「ッ、山茶花、怪我は大丈夫か!?」
咄嗟にそう叫んだが、それと同時に頬をひっぱたかれていた。
「え……」
「おにーちゃんの馬鹿!! おにーちゃんの方が酷い怪我じゃないですか!! 死んじゃうかもしれなかったんですよ!!」
涙をボロボロと流しながら山茶花は怒っていた。当たり前、か。
「ごめんな……山茶花。お前を助けたかったんだ。ホントにごめん……」
「馬鹿……おにーちゃんの馬鹿……」
どうやら、山茶花の怪我は大した事は無かったらしい。治癒魔術のおかげか、見て分かる怪我はどこにもなかった。
そう言えば……俺の腕って千切れたんだっけ。と思いながら腕を確認する。
ん? 腕を確認する? ないのに確認できるのか?
「ある……」
すると、腕はあった。
治癒魔術恐るべし。なくなった部位まで再生できるのか。
なんて驚いていると、病室にバルサミナとマルメロが入ってきた。
ちなみにここは石造りの病室だ。どこかレトロな雰囲気を感じさせる病室だが、意外と薬品っぽいものが棚に置かれていたりした。
「……千切れてまだ時間が経っていなかったから再生できたの」
最初に会った時みたいに不愛想な感じのバルサミナがそう言った。
「時間経過とか関係あるのか?」
「……体が腕があった時の情報を覚えているから、その部位がなくなって数分なら再生も容易。時間が経つと情報が消えて元からなかったと体が覚えてしまう」
なるほど……と思いながら半分くらい分からなかったが、とりあえず腕が戻ってよかったよかった。
「ホーズキ。ごめんね……私がもっとちゃんとしてたら」
と、マルメロが深々と誤った。
「マルメロのせいじゃないよ。あ、山茶花のせいでもないからな」
「わ……はい」
バランスを崩した自分のせいだと言いだしそうだったので先に楔を打っておいた。
「……それにしても、なんであんな無茶をしたの。確かに、あそこで斃すにはアレ以外方法はなかったかもしれない、けど」
自分でもあんな事をした事には驚いている。いつもの俺ならあり得ないが、恐らく山茶花の事で頭が一杯で他の事が考えられなかったのだろう。
それに……
「俺にはマルメロみたいに魔術は使えないし、山茶花みたいに治癒魔術も使えない。バルサミナみたいに作戦を立てたり冷静な判断をしたりできないし、俺には特別なものは何もないからさ。ああでもしないと、この世界で誰かの役にはたてないよ」
「そんな……でもあの爆弾は魔力がないと起爆しないんじゃ……」
「……いや、魔力は作ろうと思えば誰にでも作れる」
山茶花の言葉にバルサミナがぴしゃりと言い放った。
やっぱりか……もしかしたら特別な才能があったりとかを期待していたけど、そんなに甘くはないか。
「……どちらにせよ、後先考えない自己犠牲は嫌い。まるで信頼されていないみたいだから。あの時は仕方なかったけど、でも、もうそんな事はさせない」
「じゃあ、まさか、バルサミナ……!」
「私はそういうのは許せないんだ。暫くの間だけだが、手伝ってやる。それに……」
「それに?」
「……何でもない。それより、外へ出るぞ。もう体は動くはずだ」
仲間になる話をする間もなく、俺達は外に連れ出された。
外は既に夜も更けて月が出ていた。この世界にも月はあるようだ。星空も満面に広がっていて、とても綺麗だった。
余裕を持って空を見たのはこれが初めてだったから、余計に綺麗に見えた。
だが、それ以外にも、夜闇を照らすものがあった。
病院を出てすぐある川に、明かりをともした小さい船のようなものが多く流されていた。
「これは……」
元いた世界でも見たことがある。
これは灯篭だ。
「〈ルザーブ〉だけじゃない。”ゼレーネ”は今まで多くの人々を殺してきた」
死者はたった一人。だが、川を埋め尽くすほどの灯篭は、ずっと先まで続いていた。たった一人の死に、これだけ多くの人々が、悲しみを覚えていた。
光で照らされた暗闇の中、うずくまり、泣いている少女がいた。その前には花が置かれている。
「ギルドに入るなら、あれくらいのゼレーネを幾らでも殺せる力が必要。そうしないと、多くの悲しむ人が増えていく」
――だから、もっと強くなれ、と。バルサミナの声が告げていた。
あの涙をもう二度と、見ないために。




