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また、私しかいない世界で  作者: 井土側安藤/果実夢想
序章――Re:Bury
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0――数えきれない失敗の果てに

 息を尽かせぬ剣戟けんげきが少しずつ少年の命を削り取っていく。


 目と鼻の先で散る火花。

 鉄と鉄が打ち合い、鋼の音が環境音をかき消し、双眸が捉えるモノは倒すべき敵だけになっていく。


 ヤスリで削られたように、無理やり研ぎ澄まされた精神でただ無心に剣を振るう。


 薄手のグローブ越しに伝わる柄の感触を確かめながら、打ち負けない為に目一杯腕に力を籠める。


 一撃一撃が、互いの勝利を、敗北を、明確なものへと削ぎ落としていく。


 彫刻を手掛けるように、少しずつ。


「はぁ――はぁ――」


 何もない、暗雲に覆われた枯れた荒野。

 大量の墓石の立つ地に二つの影があった。

 その剣線はほぼ同じ。まさに鏡合わせ、全く同じものを書き写したように、二人の動きは似通っていた。

 確かに違うものはその気迫。


 ”必ず殺す”――その確固たる思いが、少年には足りていなかった。

 そもそも、少年にそんなつもりは毛頭ないし、そんな気すら起きるはずもない。

 だって、目の前の相手は言葉通り鏡合わせ。自分自身なのだから。

 自分自身が、今までの自分を否定しながら剣を振るい、その身を傷付ける。

 あまりに痛々しい。

 目も当てられないその姿に、少年は同情すら抱くほどだった。このまま、自分が負けた方がいいのではとすら思ってしまうほどに。

 可哀相だった。


 だが、少年とて負けられない理由が確かにある。

 守らなければいけないものがたった一つだけある。

 その為にここに立ち、ここで戦っている。今まで築き上げてきた全てを捨ててまで、守ろうとしたモノの為に五体不満足になろうとも折れることはなかった。


 故に、少年に殺気はなかった。

 代わりに生きる気力は十二分にあった。

 それこそ、生きることに絶望した自分の鏡合わせとは対照的な、対極に値する感情。

 数々の選択肢の上に、最期に選んだあまりに理不尽な選択。

 それが生み出した決して引けない生きる理由。

 少年は改めて噛み締めた。自分の後ろにいる者を確かめた。

 この剣を持つ理由、誰かを傷付ける理由、誰かの幸せを奪う理由、誰かの不幸を見逃す理由、それら全てを鑑みて、それに足る存在であることを確認する。

 そして、そうまでして守ろうとした存在なのだから、ここで負けることは許されないと決意する。

 何よりソレと共に生きる日々は他の何にも代えがたい。


「はぁあああああああ――!!」


 咆哮。

 心の底から叫んだ。思いを、決意を、何もかもこの世界にぶちまけて、遍く全てを壊してでも、絶対に、絶対に守ってみせると。

 一歩踏み出した。それは、鏡合わせの自分に大きな隙を見せた。自分ならその隙を決して逃さないと分かっていながら、少年は停滞を自らの手で破った。案の定、少年の影の切っ先は心臓を穿つ。それと同時に少年の剣もまた、影の心臓を貫いた。

 もう後の先はない。

 もう戻れない。

 生きろ、生きろ、生きろ、と念じる。あふれ出す。胸に空いた穴からごぼっと、大量の紅血が滝のように、馬鹿みたいに溢れてくる。血の気が引いて行く、視界が暗くなっていく。それを死ぬ気で押し殺す。生きなければならない。

 死への恐怖などとうにない。

 だが、生への渇望は嫌というほどある――!!


「いいのか――お前(オレ)も死ぬぞ……!!」

「いいや、俺は生きる。生きて帰るんだ……山茶花(さざんか)と一緒に。そしてこのくだらない連鎖も、俺がここで全部断ち切る――!!」


 少年は、突き入れた剣を引き抜きざまに振り上げた。

 左胸から肩口へ切り裂かれた少年の影は、卑屈な笑みを浮かべながら引き抜かれた自らの心臓と共に血の海へ沈んでいった。生気のない、動かなくなった表情は、その眼は最後まで少年を見続けた。恨めしいような、羨ましいような、影ではなく光として生きる自分の本物を憎むように。

 そんな自分の影に少なくない罪悪感を抱いたが、起きてしまったことを戻す気はない。これでようやく、求めていたものが手に入ったのだから。

 それが分かると全身から力が抜ける。

 少年の手からもう必要のなくなった鉄の塊が滑り落ちた。

 この手で倒すべき敵はこの世界にはいなかった。後は、そう、アイツと一緒に帰るべき場所へ帰るだけだ。


 帰るだけ――振り返る、晴れていく空の下、嬉しそうに悲しそうに笑う少女の姿。

 少年も笑った。

 もう全て終わったのだと、もう怖いものは何もない。この後に自分達に待っているのは恒常の幸せなのだと。


「じゃあ、帰るか山茶花。俺達の世界に」


 力の抜けた体をなんとか動かしながら、少年は最愛の妹に手を延ばす。

 扉は既に開かれている。

 二人の背後、晴天に輝く空の天長に純白がまたたいた。


「山茶花……?」

「嫌です。帰りません、わたしは帰りたくありません!」


 差し出した手は払われた。

 今までどれだけ傷付いても、決して折れることのなかった柱が瓦解していく。

 どうしてなのか理解できない。あれだけ、少年とその妹は元の世界に帰る為に死に物狂いで生きてきたと言うのに、何故拒絶するのか、少年には理解できなかった。


 みんなを犠牲にしてまで求めたこれを、どうして手に取ろうとしない!?


「なんで……何言ってんだよ、山茶花。おかしいだろ、そんなのおかしいだろッ!? 見ただろみんな死んだんだ! 俺達が殺したようなもんだ! その上に、その屍の上に立ってんだ!」

「この前言ったじゃないですか……気持ち悪いんですよ、ずっとわたしにくっついて、わたしは妹なんです。貴方の恋人じゃないんですよ」

「何を……そんな、俺はそんなこと思って、ない……」


 否定できなかった。

 今まで何度も辛いことがあった。心に穴が開くような苦痛が何度も。

 それを埋める為には妹にしか頼ることができないことが何度もあった。

 それらのスキンシップがもし、少年が気が付かない間に度を越えていてしまったら? それが積りに積もって、少年の中に恋愛感情が産まれることもおかしくはない。今までの行動を鑑みて、少年は山茶花の言葉を強く否定できなかった。

 絶望が心に渦巻いた。

 どうすればいいのかが分からない。

 全て完璧だった。

 色んな人を犠牲にした、犠牲に、犠牲に、犠牲に!!


 一介の高校生でしかない少年の精神状態で目の前で殺される人間を見捨てることで得る精神的苦痛がどれほどのものだったか。どんな自傷行為よりも、少年はそれを痛みに感じた。それを何度も経験し、果てには仲間まで見殺しにし、絶対に山茶花と元の世界に帰ると誓った。


「山茶花……」

「こ、こないでください! やっぱり、やっぱりおにーちゃんはわたしのことを変な風に見てます! 今帰ったら絶対に――

「――――――――――――」


 思考を黒い何かが埋め尽くしていく。

 前が見えない、耳が聞こえない、何も感じない。

 ただ、ただただ、絶望と悲しみだけが、少年の心の安寧あんねいのみを求めて、それを脅かすものを排除しようと躍起になる。

 このままでは完全に崩れてしまう少年の心を保とうと、目の前の、自分を否定する少女を殺そうと首に手をかけ力を入れる。

 小さな体に覆い被さる。

 親指が堅い喉仏のどぼとけを圧迫し、少女の顔が赤く染まっていく。


「あ゛――ぇ゛……おに、ちゃ……ん」

「あ」


 ぐちゅりと、少年の脇腹を抉る鋭利な何かがあった。

 水の中に赤い絵の具を落としたような痛みが広がっていく。眼前の死を垣間見ながら戦った、その時の痛みとは比べ物にならない、この世界でたった一人の肉親により与えられた痛み。

 錯乱した山茶花は止まれなかった。脇腹に刺したアサルトナイフを引き抜き、明確な殺意を以て動脈へ刺し入れた。

 自らの顔にかかる兄の鮮血など気にせずに。


「山茶花……そんなに、俺が嫌いだったんだな」


 先の戦いで体に限界がきていた少年はそれがとどめとなり命を落とした。

 もう二度と動かない少年の体を押しのけて、山茶花は大きく咽ながら意識と視界を取り戻していく。

 そして、はっきりと明瞭めいりょうな意識で最愛の兄の死体を見た。


「あ……あぁ、おにーちゃん……嫌――いやぁっ!?」


 ただ少し、怖かっただけだった。

 なにも殺したいほど憎いんじゃない。ほんの少し、変わってしまった兄が怖かっただけだったのに。

 寂しがっていたのは分かっていたのに、苦しんでいたのは分かっていたのに、自分が支えてあげなくてはならなかったのに。

 それなのに、最後に自分の為の選択肢を選んでしまった。

 救わなければいけないはずの兄を殺してしまった。


 そんな自分が許せなかった。

 そんな風にこの世界に存在を刻むことが耐えられなかった。

 だから、顔の肉を削いだ。

 これ以上、敦盛山茶花として生きたくない。

 兄を忘れず、自分を忘れる為に、自分という存在を捨てたのだ。


 世界は廻る。

 空は廻る。

 ずっとずっと、同じ空色を映し出しながら、少女は自分だけしかいない世界を廻り続ける。

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