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ガンスレイブの足行きは、やたらと明確な意思を帯びている。まるで行き先は決まっているようには見え、実際にも、ガンスレイブにはダンジョンマスター(階層主)の気配を感じ取ることが出来た。
それは神がガンスレイブに施した、異能の力の一部であり、ガンスレイブにはその階層の、どこにダンジョンマスター(階層主)がいるか探知できるようになっていた。
ガンスレイブはその異能を、『悪魔の囁き』とは呼ぶ。どうしてそう呼ぶかについて、ガンスレイブにとって、迷宮の奥から伝わるダンジョンマスター(階層主)の不気味な反応とは、気持ちの悪いものでしかなかったからだ。故に『悪魔の囁き』.被虐的な意味合いとして、ガンスレイブは『悪魔の囁き』を酷く嫌う。
ただそうは言っても、ガンスレイブは長い月日、その悪魔の囁きに耳を傾けてきた。それはガンスレイブの使命にして、唯一の目的であればこそ、ガンスレイブのダンジョンマスター(階層主)を駆逐する日々は終わらない。
「見つけた…」
ガンスレイブの視界先で、無数の魔物が蠢く。
グール、人の形を成した魔物である。元は人であり、このダイスボードにいるということは冒険者だったのだろうが、今では醜い化け物として、ガンスレイブの敵となる。
数は10体。各々のグールは姿格好は違い、また性別種族と様々だ。ただその中に於いて、一際大きなグールはいた。
キンググール、奴らグールの親玉に違いない。またこの5階層のダンジョンマスター(階層主)である。
キンググールといっても、ただのグールが大きくなったに過ぎない。少なくとも低階層であるグールからすれば、そういうことである。
「殲滅、開始」
ガンスレイブは駆け出し、グール達との距離を詰める。グール達はガンスレイブの足音に気づいて、光の失った眼をガンスレイブへと向けた。
グール達の眼に、ガンスレイブとはどのように映ったのか、またその様子を側から見た場合、果たしてどちらが魔物であるのか、その様子を見てしまった誰かは、疑問に思う事だろう。
偶然にも、その誰かはその場に居合わせていた。
群がるグールに体をグチャグチャに食い散らかされ、次の瞬間にも絶命するだろう、そんな誰か。冒険者の少年は、迫るガンスレイブを見て、新手の魔物が現れたと絶望に落ちていた。
ただ、そんな絶望が希望に変わるのは、ガンスレイブがグール達を瞬く間に駆逐していくからである。
身の丈以上もある鉄の塊のような大剣を、まるで棒切れを振るかのようには軽々と振り回し、一体、また一体と切り裂いていく。襲い来るグールの鋭い爪を拳で砕き、頭突きで跳ね飛ばし、粉砕する。大蛇のようには太い足を鞭の如くしならせ、グールの腐った肉体をいとも容易く破壊する。
それはガンスレイブとグール達による死の舞踏会。主役はガンスレイブにして、華麗な舞踏の如き闘い様を見せつける。
他の演者達であるグールとは、ガンスレイブの引き立て役に過ぎない。役目が終わった演者とは、ただ、舞台を降りるだけ。役不足な演者は、その舞踏会に相応しくない。
ガンスレイブの闘劇を前にして、グール達に成す術など、どこにもありはしなった。
それは最後に残った大型のグール、キンググールとて例外ではない。一介の冒険者からすれば脅威大のキンググールさえ、ガンスレイブからすれば、肥えたグールが無様な腹を晒しているようには見え、またその分、不快感もより一層には高まっている様子。
「失せろ」
一言だけ、ガンスレイブはキンググールにそれだけを伝える。ガンスレイブの大剣がキンググールの手足を削ぎ落とす。ただ壊すのではなく、その行為には理由があった。
次に、ガンスレイブの口から発せらる呪文のような言葉を受け、キンググールの体はドロドロと、液状化しては溶けて亡くなっていった。
そして、
「他愛もない」
ガンスレイブの手に、赤いオーブの塊が握られていた。それが何なのか、地下5階層までやってきた冒険者に分からない訳がない。何せ、その絶命寸前の冒険者とは、今まさにガンスレイブの手にある赤いオーブを求め、グールに挑み、そして死にゆくのだから。
「…冒険者か…」
ガンスレイブの声が鳴る。そして鳴った声の先に、死の運命を辿るだろう冒険者はいる。
「あ、あなたは…」
「……死神だ」
「死…神?」
「そうだ。お前の死に様を拝みに来た、獣顔の死神。少なくともお前には、そう映るだろう?」
”死の運命を辿る冒険者を救わなければならない”、それは先ほどバードとの会話に出てきた、神とガンスレイブとが交わしたとされる、契約の内容である。
契約に沿うのであれば、ガンスレイブはその絶命寸前の冒険者を救わなければならない。ただ、今回は契約外であると、ガンスレイブは理解している。
「お前もう助かりはしない。最早それを、死の運命だとは言わない。必然だ。だから俺は、お前を見殺しにする。かつての俺のようには、死を呼ぶ獣として、お前の最後を見届けてやる」
「……そう、ですか…」
自身がもう助からない事ぐらい、傷を負った自分が一番よく分かっている…冒険者は口に出さずとも、己が顛末は悟っていた。
故に、ガンスレイブの言葉を今更、否定したりはしない。また、彼が誰で、何を言っているのか、そんな事はどうでもよく思っていた。死にゆく者に、生者の素性、もとい言動は無意味、無価値。
「時に冒険者よ、名を明かせ」
「……え?」
冒険者は、耳を疑った。
彼は、何を言っているのだろうか?
「俺が憶えて於いてやると、そう言っている。嫌なら構わんが」
「………」
冒険者は迷う。果たしてこのやり取りに、意味はあるのだろうか、と。ただ、意味のあるなし関係なしに、少しばかりの延命を施してくれたかの獣顔に、名ぐらい明かしておこうとは思う冒険者。また、憶えておいてほしいとは、何故だか涙を浮かべる冒険者。
冒険者は、一筋の涙を流し、ガンスレイブに答える。
「……ヒューイ、です」
「冒険者ヒューイ、それがお前の名か?」
「…はい」
「そうか…分かった。では、冒険者ヒューイよ、俺はお前の最後を、忘れない。また、その顔、その声を、この身朽ち果てるその時まで、現世に繋ぎ止めておくと、ここに誓う。だから、俺からの願いも、聞いてくれるか?」
ガンスレイブは言う。願いを聞いてくれ、と。
冒険者は無言で、コクリと一回、頷いた。
「冒険者ヒューイよ、もしも、死んで、神に合間見える機会が訪れたとしたならば、伝えてほしい。このガンスレイブが、いつか絶対、貴様の喉元に剣を突き立ててやると、だからそれまで、首を長くして待っていろと、そう伝えてくれ…」
「………」
返事はない。それもそのはず、既に冒険者はこの世界を去った後であった。虚ろな眼をガンスレイブへと向け、果たしてその耳に、ガンスレイブの願いが届いたのか、
それは、誰にも分からない。