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「よく寝ているな」
そう言ったバードの声は静かだった。
それはスヤスヤと、穏やかな寝息を立てるヒポクリフトを思ってのことだろう。
ソファに横になるヒポクリフトとは、いつの間にか眠っていた。
疲れがドッと押し寄せてきたのだろうと、バードは眠るヒポクリフトの体に毛布をかける。
今日は様々な事があった。ヒポクリフトには衝撃的で、ショッキングな一日だったに違いない。今も尚テーブルで平然そうな顔を受けべるガンスレイブと違い、ヒポクリフトは普通の冒険者なのだから。
「なぁガンブ、あんた、この子をどうするつもりなんだい?」
テーブルに戻って、バードは言った。
「どうするとは?」
「だから、この子を一緒に動向させるのかと、そう聞いてる」
「はは、まさか。8階層だ。そいつとはそこまでの付き合いで、それ以上はない」
当たり前だろ、ガンスレイブはそうは言いだけに、ヒポクリフトの横顔を覗く。
「彼女はまだ若い、ここで死なせるのは酷というもんだろう?」
「あははは、何だい、それは老いた私に対する嫌味かい?」
「まさか、お前はそんな玉でも在るまい。少なくとも俺の知っているバードという人間は、な」
途端に、ガンスレイブの声は低く、またその眼は鋭い眼光を放つ。眼光を向けた先に、バードとは映る。
「まだ、あれをやっているのか?」
あれ、その呼び名な意味は、ガンスレイブとバードにしか分からない比喩としての呼び方である。この迷宮ダンジョンに於ける比喩での呼び方とは、直に呼ぶには些か物騒に聞こえてしまうからだ。要するに、他人が聞いたら気分を害する言葉、ということである。
暖かな小屋の中に、不穏な空気が流れ始めていた。外に広がるダンジョン同様には、どんよりとした雰囲気。
バードの表情に、濃い闇が見え隠れする。
「言わせるなよ、ガンブ。私がまだ生きているってことは、そうに決まってんじゃないか?ああ、やってるとも、やってるさ…だからさ、」
バードはヒポクリフトをチラリと見た。
「てっきり、この子は私の為のご馳走か何かと、そう思ったじゃないか…」
ご馳走、バードは確かにそう言った。その言葉の意味について、ガンスレイブはよく理解してようである。
「馬鹿言え、何故俺がお前のカニバリズム(食人)に手を貸さねばならん」
カニバリズム(食人)、それは人が人を食うという、狂気を孕んだ食行である。この世界に於けるカニバリズム(食人)とは、狂人の為せる愚行とは呼ばれていた。
人間を生み出した神に対する反逆行為として、もしもカニバリズム(食人)を行なっている人間を見つけた場合、重刑を処されても文句は言えない。少なくとも、地上ではそうである。
それを、このバードは繰り返し行なっている。ガンスレイブはその事実を知っていて尚、バードを普通の人のようには接する。
何故ならガンスレイブもまた、人の理を外れた異端者であればこそ、バードのカニバリズム(食人)を黙認していたのであった。
今いるこの場所がダイスボードであればこそ、人の定めた法など適用されない。ガンスレイブはそう事をよく理解している。
「ガンブ、あんたは変わらないね」
「お互い様だ。だからこそお前と俺は、こうして合間見えた」
「はは、じゃあわざわざ聞いたりするな。捻くれ者め」
バードは笑って、マグカップの中身を唆る。中身は普通の水、だが今の話を聞けば、人はそのマグカップの中身が、人の血か何かと不審がることだろう。
「どうだ、最近の冒険者達は?手強いか?」
「まさか。この老体で屠れる程には優しいもんだよ」
「そうか。なら、そこの娘は、やはり俺が連れて行かねば死んでしまうな」
「だろうね。何だいガンブ、やけにその娘に入れ込んでるようじゃないか?」
「違う。彼女との間に、契約が結ばれてしまっただけの事。本意ではない」
「そうかい?私には、あんたが自分の意思でその子を守っているように見えるけど?」
「まさか、俺はただ契約に従い、その娘を守ってやってるに過ぎない」
「どうだかね、それに、あんたの言う契約だって、私は信じちゃあわけじゃないだからね?」
バードのガンスレイブへ向けた眼差しが、一層に、険しくなった。
「”死に行く運命を辿る冒険者を見つけてしまった場合、その冒険者の運命を覆さなければならない”。あんたは昔、私にそう言っていたが、今いち腑に落ちないんだよ。大体、あんたはそれを自身をこのダイスボードに堕とした神との、その契約とは言うが、神って、一体なんだい?」
「人間に理解できる話ではないし、神は神だ。お前達人間を生み出した創造主にして、この世界の超越者たる存在。それ以上でもそれ以下でもない」
淡々とガンスレイブは言って、席を立つ。そのまま小屋の入り口まで足を進めると、大剣を背負った。
「どこへ行く?」
「ダンジョンマスター(階層主)を探してくる、そいつと行動を共にするより、一人の方がずっと楽だ」
「成る程ね…でもいいのかい?私がその子を、食べてしまうかもしれないよ?」
「はは、仮にそうだとしても、俺はお前を責めたりしないさ。それに、俺の知っているバードという奴は、」
「そんなことはしない…だろ?」
「……ふん、では、ヒポクリフトを頼む」
言い残して、ガンスレイブは小屋の外へと出て行った。ズシズシと、重たい体を揺らして、ゆっくりと足音は小屋から遠ざかっていく。
バードはガンスレイブの足音に耳立てて、かつての彼もまた、今のようにはぶっきらぼうに去っていったなとは、懐かしく思っていた。
次にバードはヒポクリフトへと視線を移す。やはり、よく眠っていた。
「人間はさ、このダイスボードじゃ良いタンパク源なんだからさ、仕方ないだろう?」
そんな声とは、ヒポクリフトに届くことはなかった。