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ヒポクリフトが次に目を覚ました時、眼前にガンスレイブの獣顔があった。
「起きたか?」
「うわぁッ!!」
ヒポクリフトは大きな声を上げ、ソファから転げ落ちる。鈍い痛みが、全身に伝わる。そこでやっと、ヒポクリフトの意識とは、完全に覚醒するのだった。
「すまない、驚かせるつもりはなかった」
ペコリと、ガンスレイブは頭を下げる。
「い、いえ、こちらこそ、変な声を上げて申し訳ありません…」
どうやら自分は、いつの間にか眠っていたらしい。ヒポクリフトは起きてすぐにも、自分が未だ小屋内にいた事を知り、その事を悟る。
小屋内は、相変わらず落ち着いた雰囲気のままである。ただ変化があるとして、そこに家主の姿はどこにもなかった。
「バ、バードさんは?」
「さぁ、俺が戻ってきた時には、どこにもいなかったが…大方、散歩にも出かけたのだろう」
ガンスレイブはどうでもいいとは言いだけの、そんな口振りで屈伸をした。どうやら身支度は既に済ませており、いつでも出れる様子。
つまりは、そういうことなのだろうとヒポクリフト。慌てて荷物を纏め出した。
「…ガンスレイブさんは、休めましたか?」
「休む?それはつまり、寝るという行為を指すのか?」
「いや…まぁ、それも含まれるとは思いますが…」
そう言ったヒポクリフトの言葉を受け、ガンスレイブは乾いた笑い声をあげる。
「俺は人間とは違い、休むということをしない。それは、疲れもこないからだ。理解したか?」
「はい…」
理解できるわけもない。だがヒポクリフトに、その事について言及する意思はなかった。ガンスレイブを近くでヒポクリフトには、彼に自分の常識が全く持って当て嵌まらないと、理解していたからである。
ヒポクリフトは身支度を整え、腰を上げた。次にガンスレイブに視線を送る。それは、いつでも出れると無言の合図である。
「では、いくか」
ガンスレイブは呟いて、踵を翻した。
「えっと…バードさんの事は、待たなくていいのですか?」
「どうして?」
「え!?いや、だって、ガンスレイブさんとバードさんは、昔からの仲なようですし、別れの挨拶ぐらいした方がいいかと、そう思うのですが」
「…何を言い出すかと思えばそんな事か。関係ない、奴は奴の生活がある。俺は俺の、やり方がある。そこに妙な馴れ合いなど、不必要だ」
やけに冷めた言い方だった。
ヒポクリフトにはガンスレイブのそんな言い方に、どこか薄情さを感じてならなかった。
別にそこまで言わなくていいのにーー
人間と違うのはわかっている。だけど、人間と接しているのは確かだ。だったら少しぐらい、人に対する愛情というものがあってもいいのではないか?
そんなヒポクリフトの思いを無視して、ガンスレイブはサッサと一人、小屋を出て行った。腑に落ちずとも、ヒポクリフトはガンスレイブに続く他はない。
ヒポクリフトは小屋を出る手間、ふと、振り返り、無人の小屋に別れを告げる。
「お世話になりました。いつか、また…」
無論、返事はない。
◆◇◆◇
血の滲んだ衣服に、煤けて痩けた顔。
それはかつてのガンスレイブが見た、少女の姿である。
少女はダイスボードの地下5階層にて、虚ろな目をガンスレイブに向けていた。
少女の周りには、朽ちた屍が転がる。どれも無残に肉体を引き裂かれ、食いちぎられていた。それがどういう意味を表すのか、分からないガンスレイブではない。
「魔物に襲われたのか」
ガンスレイブは少女に尋ねた。が、少女は反応を示さない。ただ正気を失った瞳を、ガンスレイブにぶつけるのみ。それは、そこいらの屍と何ら変わりない、死んだ目に等しい。
ガンスレイブは少女に尋ねるのをやめた。これ以上は無駄である事を、悟ったからである。
そうして、ガンスレイブは少女に背を向け、無言では歩き出した。もう二度関わることもあるまい、ガンスレイブには少女の事なんて、どうだって良かった。
死のうが、生きようが、それは己が意思によって決まる。死の運命を認めた者に、ガンスレイブの契約は成立しない。何故ならば、生きる意思のない者とは、死者と何ら違いはないからである。
コツコツと、一人、ガンスレイブの足音が迷宮に鳴る。それはいつもと何ら変わりない、ガンスレイブの生き様。孤高に生きるガンスレイブの後に続く足音など、いつだってありはしなかった。それは昔から、そして、これからも、ずっとーーー
その時だった。
コツコツ。
足音が迷宮に鳴る。ガンスレイブのものではない、足音。魔物を除く生命など、ガンスレイブとその少女を他に於いていない。だったら、その足音の正体が何なのか、分からないガンスレイブではなかった。
「何だ?」
ガンスレイブは振り返る。そして、少女を見た。相変わらずその眼に、光はない。だが、少女は確かに立って、ガンスレイブの後ろを続いていた。
ボロボロの体を起こして、しっかりと、生者の歩みを見せていた。
「あなたは、だぁれ?」
少女は声を出した。たどたどしい、無垢な少女の声をガンスレイブに聞かせる。
「俺か?俺はこの通り、化け物だ」
と、ガンスレイブは自身の獣顔を指差し言った。
「化け、者?」
少女は目を丸くさせる。意味が分からないと、その目で応える。
「…要するに…お前の仲間を殺した魔物達と、同じという意味だ」
「仲間って、誰?奴隷商の、おじちゃん達の事?」
「奴隷、商?」
ガンスレイブは少女の言葉を聞いて、自ずと理解した。
「では、お前の周りに転がっていたのは、奴隷商のものだったと、そうか…」
「そうだよ。あたしは、お母さんに売られたって、俺達は奴隷商だって、おじちゃん達言ってた。奴隷は、男の人と交尾するものだって、そう言ってたよ?」
少女の口から、悍ましい台詞が発せられる。少女に何ら戸惑いはない。つまり、少女は自身の言った言葉の意味に対し、何ら疑問すら抱いてない。
「お前は…あいつらの性奴隷だった、と?」
「せい、奴隷?なにそれ?」
「……知らないならいい。それを知ったところで、お前にそれを理解する意味など、もうないのだからな」
ガンスレイブは遠く後ろの、奴隷商だった者達の屍を見る。
「もう、あれらはただの肉だ。肉に、お前という人間をどうこうする権利は最早ない。少女よ、これからはお前の自由に生きるといい」
「自由?」
「そうだ。自由だ。ただ、今のままでは…駄目だな。少女よ、名を何と言う?」
「名前は…ないんだって」
名無し、奴隷に名前すら与えないと、奴隷商達はそういう人間達だったのだろう。別にそれを悪いとは思わないガンスレイブではあったが、憐れみはしていた。
故に、
「じゃあ少女よ、俺がお前に名を授けよう。そうだな…」
「???」
「……よし、では少女、お前は今からバードと名乗れ」
「バード…鳥?」
どうしてバードなんだろう、少女は疑問で仕方がなかった。翼もない、また嘴もない、なのに何故バード?
少女の乏しい知識では、言葉の意味を素直に受け取ることだけで精一杯な様子。
そんな少女に対し、ガンスレイブの噛み砕いた説明は入る。
「別にお前を鳥と思っているわけではない。つまりだな…お前は自由に、鳥のように、どこまでも自由に羽ばたけと、そんな意味合いを込めて、バードだ」
我ながら良い妙名だと思う反面、少しこっぱずかしそうにはガンスレイブは顔をしかめる。
「と、とにかく、お前はバードだ。口答えは許さん!」
「……う、うん、わかった。私は、バード!」
「そうだ、バード。それでいい、では、行こうか」
「行くって、どこへ?」
バードは首を傾げる。
「小屋だ。確かこの階層には、朽ち果てた小屋があった筈だ。そこで、お前にここでの生き方を教えてやる。三年だ。それから先は、自分の意思に従い、そして決断しろ。ダイスボードを出て地上で生きるも、この場所に永住するも、お前の好きにするといい…」
ガンスレイブは、バードに手を差し伸べた。
「では、行こうか?」
それはかつての、50年前に結ばれた獣顔のガンスレイブと、奴隷であった少女、バードとの間に結ばれた契約である。それから3年間、ガンスレイブとバードの共同生活は始まった。その果てにどういう結末を迎えたかは、彼等だけしか知らない。
ただ言って、そこに強制がなかったのは、確かであろう。




