真昼待人
『薄暮過客』に関連する話。
はるか昔、その砂漠の果てには王国があった。
大昔から伝わるお伽話。あるいは人々の間で流行る風説の一つ。信じるのは子どもと、一獲千金を夢見る者のみ。
灰宮の廊下を童女が走り抜ける。中庭に面したそこは日が強く差し込み、熱く乾いていた。
「姫さま、そんなにお急ぎになると危のうございます」
女官の丁寧な諌めは幼子には届かない。
「ねー! ヤシュム、みなかった?」
ヤシュム、と言うのはこの宮の住人ではない。宮の外、どころか都の外まで出るお役目を持った女性である。身の上は全ての人物に伝えられているわけではないが、彼女たちの主人がその身分を保証し、宮への出入りを許可している。ゆえに定期的に、かつ気まぐれにあらわれていた。
灰宮は後宮の入口となる場所である。それゆえ、外からの訪問者は非常に限られていた。穏やかかつ静かな場所。それは遊びたいさかりの小さな姫には非常に物足りないのであろう。自然と広い世界を行き来する女性になついていた。
「ヤシュム殿、でございますか? さあ、そういえば最近はとんと見かけないで……あ、お待ち下さい、タートキア様!」
話している途中から走り出す姫君を何人かがかりで引き止める。
「だってーハナがさいたらくるっていってたんだもん!」
童女が指をさすのは庭木の一つ。確かに一輪だけではあるが真っ赤な花をつけていた。
女官たちは顔を見合わせた。確かに咲いている、が、この中庭を何度も行き来している自分たちですら今この瞬間まで気が付かなかったのだ。お役目で都を離れているであろうと予想されるヤシュムがすぐさま現れるのは難しいように思えた。
「ヤシュム殿はすぐには来られないかと……」
「やーー! ヤシュムとあそぶのっ!」
小さな体はあっさりと腕の中から抜けてしまう。再び廊下を走り出そうとするタートキア。向かおうとしているのは門であろう。
「姫さま、お願いでございます」
女官達が何度目かの捕獲に成功した時ーーつまりはそれだけ抜けられているのだがーー低く涼やかな声がかけられた。
「タートキア」
その場の全員が振り返る。そこに居たのはこの宮の主である人物、第三王女タウィーザその人であった。
無表情で固定された顔は何を考えているのかわからない。冷たい印象のその人に小さな姫君は迷わず飛び込んだ。
「かあさま! ハナがさいたの!」
「花?」
女官たちに示したように、タートキアは再び一本の木を指差した。
「ヤシュムが! さいたらくるって」
「ヤシュムが来ると言ったの?」
タウィーザはそっけない返事とともに娘に手を伸ばす。素直に抱きかかえられる姿を見て、取り押さえていた女官たちの緊張がほぐれた。
「では、間違いなく来るのでしょう。だから、部屋に戻りなさい。客人をもてなすのが迎え入れるものの義務なのですから」
「うん!!」
果たして、その日の夕方、姫君の待ち人は間違いなく現れるのであった。