門の向こう
「ほわああ──すごい」
ニーナは口を大きく開けて感想を漏らした。
目の前にあるのはどこまでも高い塀。よく乾いて白くなった日干しレンガはつややかで、故郷で使われていたものと同じものなのか自信がない。どう積んだら出来上がるのだろうという複雑な模様が組まれていた。
「ほら、そこで突っ立ってないでさっさと行くんだ。今日からあそこがあんたの仕事場になるんだから」
「はっ」
お城からの使いに急かされ、ニーナは先をゆく一行に小走りで追いついた。
後宮で働くものはどんなに卑しい仕事につくものであろうと美しい娘でなくてはならないらしい。顔が仕事をするわけじゃあるまいし、上の方が考える事はよくわからない。
ニーナがわかるのは毎日水瓶を運ぶ仕事をする人が足りなくなったということ。水瓶は重いから特に力がある者じゃないと大変で、同時に噴水や浴場の掃除もする汚れ仕事らしい。これは下っ端の中でも特に下っ端の仕事で、更に言うとそんな仕事をする人間でも下手な人間を雇い入れるわけに行かず、結果近隣の農村から推薦があるものが選ばれて来たということだ。
ああ、あと未婚じゃないとだめなんだったっけかな?
美人、かどうかはわからないけど、ニーナは村長の遠縁だった。村長の娘さんは既にお嫁に行ってたり、腕力が足りなかったりで行けなかった。
だから、ニーナに白羽の矢が立った。ニーナはとても元気だったから。棒を振り回してたくさんの子分を引き連れて回っていた。十二歳、と言う年齢も「仕事を覚えさせるためにできるだけ幼い方がいい」と言う条件に当てはまっていた。
「これは特別名誉のことなんですよ」そう言ったのは村長の奥さんか、はたまた牛飼いの隠居ばーちゃんだったか。
下っぱの下っぱが名誉になるってなんかやだなあ。
沢山の手下──と言っても仕事に行く親達から預かった赤ん坊のような子たちだったけど──を従えてたニーナには物足りない。
でも、お金がもらえるのはいい。
上手くお金が溜まったらメスの山羊を買いたい。できるだけ若い山羊だ。乳を絞ってチーズを作りたい。家は鍛冶屋だからあんまり大きい家畜はいっぱい飼えなかった。牛も居たけれど家畜小屋が小さくてぎゅうぎゅうだった。
ああ、それに鶏も飼いたいかも。卵もあるだなんて幸せな生活なんだろう。
「あなた方は常にこの門を使うことになります」
ここまでニーナと他の少女たちを引率してきた恰幅の良い女性は説明した。
「ここで兵による確認が行われた後、内門で今度は詳しい確認があります。あなた方は門を通ることも多くなる仕事でしょうから、詳しい説明はもう一度女官にされるでしょう」
塀に驚いていたけれど、内門を超えた先はもっとすごかった。
すごいというか、相変わらず白いレンガが続くのだけれども、複雑に配置された四角い部屋が何個も積み重なって、かと思えば空がよく見える開放的な広場があって、何故か三十歩位離れた場所にぽつんと立ってる建物があって、そこに行くまでの廊下は吹きさらしなのに屋根があって、とにかく……
「広い!」
「ほらそこ! 無駄口はきかないように。ここは市井ではないのですからね」
ちょっとした独り言にも叱責が飛ぶ。カツカツとサンダルの音が響いてニーナの前で止まった。
「ここは誉れ高きマルジャーンの白宮、お妃様方と姫君達が暮らす場所なのですよ? 馬小屋とは違うのです。今までとは全く違う規律にはすぐに慣れることは出来ないでしょうが、それでも少しでも早く馴染めるように頑張りなさい」
「お妃さまにお姫さまがいらっしゃる?」
「ええ、そうです。あなたそんなことも知らずにやってきたの?」
水汲み女ならそれでも良いのかもしれないけれど……と再び息継ぎなしの小言が始まるが、ニーナの頭は別のことでいっぱいだった。
「お妃さまにお姫さま……きっときれいなんだろうなあ。お城だけでも夢みたいにきれいなんだもの」
村で暮らしていた頃に姉や近所のおばさんに聞いたおとぎ話が頭をよぎった。
王子さまと精霊に同時に見初めれてしまったお姫さま。王さまと知恵比べをしてご褒美をもらったおさま。奴隷からお妃さまになった海の精霊。みんなびっくりするほどの美しさを備えていて、ニーナでは出来ないような難しいことをやり遂げる彼女たちは憧れだ。
「それはもう、皆とてもお美しくて……」
先程まで眉をつり上げていた女官もうっとりとしていた。
それくらい素晴らしいのだろう。
金銀財宝、玉に珊瑚、身を飾る装飾品はもとより剣なんかの武器、それにランプ。物語で出て来るニーナが心を踊らすものは枚挙にいとまがない。とりあえず入り口を入ってすぐだと言うのに、お城は現実ではないかのように白くて広くて既に夢がそのまま現れたようだった。
「うう──ん! 頑張ろうっと」
いつか物語のようなお妃さまとお姫さまを見るために。
ニーナは気合を入れ、ようやく黙るのだった。