検証事案:空気を遮断して火を消そう
俺の名前は、モンド。日本のサラリーマンだった。
異世界転生――俺はそれに巻き揉まれた。
彼女は、ラインさん。
俺が巻き込んでしまった、俺の相棒みたいな人……人じゃないけど。
人工の……いや、神工の存在。手足を機械化した人型の何か。誰もが振り返る至高の造形美を持つモノ。
グラスファイバーを思わせる光沢ある長い髪に。悪魔のような鋭く長い大きなきな機械の手。つま先立ちを強制するゴツゴツしたブーツと呼べないそれは、なぜか地面から少し浮いている。
機械的で無い部位は、ボディペイントじゃないのか思わせるほど、体のラインを惜しみなくエロい……本能が溢れた。知らしめている。
何一つ、特別な能力を持てなかった俺だが、ラインさんの能力を借りて、何とか毎日を生き抜いている。
そんな俺たちは今――
れきしてきな、じっけんをおこなっていた。
「皆さん準備は出来ましたか? これは歴史的な事実検証です。一生に一度の機会も無いことですよ。わかっていますか!?」
本当は薬学の授業の筈だったんだが、急遽、魔術研究の授業となった。
壇上の女性教諭は、俺達Cクラスで教鞭を振るう時には、小馬鹿にした上から目線な物言いスタイルが、興奮がそうさせるのか半トーン高い声で早口に捲くし立てている。
「これはSクラスの一人の生徒が教えてくれました! 彼こそ正に神童。魔術の申し子です! 皆さん彼と同じ時にこの学校に入れた幸運に感謝しましょう!」
Sクラスね。
この学校は、S・A・B・Cと成績優秀者から順番にクラス分けされている。
野郎がまた考えなしに余計な知識を、捏造というか植え付けをしたのか? 面倒な事にならなきゃ良いけどよ。
「特に、モンドさん! この機会に彼との違いをよーく理解しなさい」
は? なんで名指し? 俺ってそこまで嫌われていたのね。まだ、あの時のことを引き摺ってんのかよ。いいけど。
「桶の水は十分に張ってありますか? 浮かべたランプ皿の油に水が入り込んでいませんね! 錬金科で特製したガラスのコップは、この後別のクラスでも使いますから、壊さないように丁寧に!」
これって小学校の理科の実験で似たような事やった気がした。と、思ったよ。
結果は思った通りだった。
「はい。皆さんにやってもらう前に、まず私が実施します。よく見ていなさい。ああ、本当に彼は凄いわ」
あのチート野郎は、着実にハーレムを拡大してるみたいだな。
俺はといえば。
「どうしましたか?」
「何でも無です。所長先生」
くたびれた中年代表のようなこの男性教諭は、俺の入学実技試験の試験官だった人だ。
試験での事が気に入ったのか、入学後にこの先生が開いている既存魔術検証所とやらに誘われ、今は『所長先生』と呼んで、懇意にさせてもらっている。
「良いですか、皆さん! 火は“火の元素”で構成され存在していると考えられて来ました。でも、そうではなかったのです」
説明をしながら、卓上の水桶に浮かべたランプへ、魔術を使って火を灯す。
「なんと! “火の元素”は“風の元素”を糧として存在をしていたのです!」
です! って、あんたも教えられた口だろうに。
水に浮かべたランプ皿に、ガラスのバケツを逆さに被せる。
よくよく見てみれば、水桶の底に粘土らしき物で、バケツの口と同じ大きさの輪を作っている。
女性教諭は、その粘土へバケツの口を押し付けて、水桶の底まで沈めていく。
「良いですか? 今から、この密閉されたバケツの中から風素を抜きます。この魔術も彼が発明した新術式です」
魔術特有の、第三者へ詠唱内容を悟らせないよう迂遠した表現詠唱の後に、言い放った。
「“ばきゅーむ”」
おい!
ネーミングセンスねーな。中二病をこじらせてたのなら、もうちょっと頑張れよな。
「これが、証拠です!」
起動術語を放った直後、ガラスの中に隔離された水面が上昇を始めた。浮かべたランプ皿も一緒に。
「はん。確かに風素が抜けていくけど、この術はそれだけじゃないか」
そう言う理解になるのな。
横にいる『俺は本来Cクラスにいるような者ではない。この学校は間違っている』が口癖の、ヒキガエルよりもヒキガエル顔のボンボンが、鼻息荒くそう吐き捨てた。
今すぐ攻撃魔術としての使用危険を、考えなくても大丈夫そうだな。
あの野郎に言っても無駄だよな、仕方ない。また幼馴染のあの娘に説明して、拡散を止めてもらか。
また、泣かせるのかよ。
あの娘、なんのかんの言っても野郎に首ったけだしな。本来元凶の野郎に向くべき負のベクトルが、俺に代償行為として向けられるかも。
対策、考えておこう。マジで。
「見ましたか! 皆さん!」
すいません。考え事をしていて見逃しました。
見れば、水位はガラスの半分程度まで上がっている状態で、紐に灯された火が消えていた。
「この様に、風素が少なくなると火は消えてしまいます。ただ、私の実験だけでは、偶然と思う人もいるかも知れません。皆さんには、コレを小さくした実験装置で体感してもらいます」
何故か、挑発的な笑みを俺に向けてきた。
「では、別れて始めて」
俺達は実験の事前に、三・四名の班を作っていた。
各テーブルには、卓上の実験器具の十分の一程度の規模にした物が並んでいる。
「よろしくね。モンド君、ラインさん」
「よろしくな」
「はい。よろしくお願い致します」
「俺には、挨拶なしかよ」
「えっ、そんな事ないよカエル君」
「そうだぞ、ヒキガエル」
「俺の名前は“ガエル”だ! 『カエル』でもないし、『ヒキ』も付かね!」
ガエルは合ってんだからいいじゃんか。細かいな。
「えっと、あの魔術を使わなくても、この大きさなら勝手に消えるんだよね?」
「へんっ。そんなの、水がはねて消えたのを見間違えただけだろうよ」
おい、やたら絡むな。気になる子には、絡んじゃうタイプのヒキガエルなのか?
だけど、
「きれいな顔をしてるだろ? でも、男なんだぜ?」
「え。僕、男だよ?」
「突然、何言い出してんだ。このドボン」
俺はドモンだ! あ、モンドだ!
だって、こいつコレで男なんだぜ。まだ中性的な印象が強い七・八歳の体格。肩口で切りそろえた碧のボブカットな髪。ソプラノボイスの実年齢十八才。本物の“男の娘”が、今ここに。
こいつの凄さは、小人族とかに代表される長命種特有の若さではなく、平均寿命五十歳な人族という事だ!
けしからんっ。実に、けしからんっ。
俺がショタ属性に、目覚めたらどうする!
お持ち帰りさせてくれるのか? ああ!?
「モンド」
「あ、何? ラインさん」
「私も外見を変えたほうが、良いですか?」
「へ?」
「僕……女の子のほうが……」
「お前、何を言い出してやがんだよ。ショタってなんだ? ま、まさか……おおお前も、こここいつを?」
いや、気にしないでくれ。そのショタはお前にやるよ。ラインさんも、気にしないで下さい。そのままの貴方がいいです。
「だって、エロいから」
「おい、ドボン。建前と本音が逆転してねえか? お前」
「うわ~。本当に消えたね。ラインさん」
「はい」
カエルが俺にツッコンできたが、男の娘は無かった事にしたようだ。粛々とラインさんと実験を始めていたみたいだ。逆さにしたガラスのコップの中には、今消えたばかりと、白い煙がたゆたっている。
酸素の化学反応として、火が存在するのは間違いないようだけどよ。
この世界には魔力ってのがあるんだぜ?
魔力。この世界に存在する全てが内包するモノ。
以前検索した時、明確な説明がなされていた。その意味が理解は出来んかったけどな。
俺の中では不思議存在。
たしか、力で、波で、粒子で、場で、この世界に存在するが、この世界だけでは存在しないもの。万物であるが、万物にならないもの。
俺が知ったのは、このくらい。理解は無理。
そして、そんな世界の火は、一つでは無い。
不意に、あの女性教諭のしたり顔が脳裏を過ぎった。
少し困らせてやろうか。
「先生。済みません、消えないんですけど?」
「はあ? また貴方の勝手な考えで、実験のやり方を間違えたのではないですか?」
「え? モンド君。実験は成こウブブ、フガフガ」
はい、男の娘は黙ってようね。
「おい! 何をイチャチャしてやがんだ」
「黙れ、ヒキ!」
「名前の原型さえねえ!?」
「良いでしょう。私の実験装置でやってみましょう。大きさが違うと、失敗もあるのかも知れません」
もう一度実験を行う準備を俺達に指示せず、女性教諭が進んで始めた。
これって、愛しの野郎への思いがそうさせているのか? とも、ガラスのバケツを壊されたくないからか?
「じゃあ良いですか、点けますよ」
「あ、先生。俺に、やらせて下さい」
凄え胡散臭い目で見られた。
「先に言って起きますが、火が消えないように魔術を掛け続けても、私には判りますからね」
うわー、ドヤ顔。
「しませんよ」
点けるモノは、違うけどな。
「では、『ばきゅーむ』……は? 消えない」
先の実験と同じく、水位がバケツの半分程度まで上がっていった。
「ああ? 消えねーじゃん。やっぱ間違いじゃねえのかよ」
「そ、そんなはずは! 『ばきゅーむ』『ばきゅーむ』」
ヒキのクレームに、ムキになって女性教諭が魔術を繰り返す。
まあ、この厚みなら圧負けして、バケツが割れることはないと思うけど。
「あ!」
バケツは圧負けしなかったが、逆さにしたバケツのふちを覆っていた粘土がずれ、残りの水が一気にバケツの中へ浸入していく。
結果、火が水に触れ消えてしまった。
「そんなはずは!? 彼に間違いなんて……もう一度です」
種は簡単。
火を点ける事と、火を作る事では、その構成要素は違うという事だ。
また、火が消えない。
「もう一度!」
火をつける魔術は、着火。点いた火は、俺達の世界の火とほとんど変わらない。
俺が使ったのは、火を作る魔術。火の攻撃魔術とかに代表されるもの。
この魔術で作られた火は魔力の内包が濃く、酸素が無くても自身の魔力が枯渇するまで形成される。ただ、火であることは変わらないため、燃え移り等の似た性質を持つ。
水で消えるのは、窒息、冷却消火効果もあるが、水の元素と呼ばれる性質の反する魔力による打消し効果もある。
この火を消そうと思ったら、魔力構成を解きほぐす解術系か、水系の魔力で相殺する必要がある。
とはいえ、やりすぎたか。
今回は“着火”した為、はじめの実験通りに火が消えていく。
「ひょっとしたら、実験の手順に落ち度があったのかもしれません」
「そ、そうですよね。貴方達はもっと丁寧に実験を行うべきです!」
助け舟を、出すんじゃなかった……
「あれ、ラインさん火は?」
「しました」
「え? 何も見えないけど」
この展開はヤバイ!
「動くな!」
「えっ、突然どうしたの? モンド君」
「このっ」
俺は自分の班のテーブルで、実験を繰り返す男の娘を、後ろから抱きしめた。
「こ、困るよ。僕、女の子のほうがね? でも、こんなに真剣に求められたのは初めてだし……」
この誤解は、後世に大きく影響しそうだから全力で解きたいが、今は確認が先だ。
「やっぱり、何か危ないことになってるな」
実験装置の中に火は見えない。逆さにしたガラスコップの底も、火を点ける油皿の真ん中も、見えない。
見えないというか、無い。
穴が。なんだ? なにが起きてる?
「プロメテウスの火……」
「プ何とかはいいから、いい加減にそいつを離しやがれ!」
「あぶねえ!」
よかった。間一髪で、間に合った。
ヒキの野郎が、こともあろうに不思議空間の上に腕を伸ばそうとしやがって。
「何しやがる!」
「黙って見てろ」
実験用の鉄の大スプーンを、俺はラインさんが火をつけたという所に、そっとかざした。
「おいおいおいおい」
ヒキ、俺の心の代弁を有難うよ。
かざしたスプーンが、端か消失していく。音もなく、匂いもなく。
コレは俺の推測だが、ここには“火”があるんだと思う。
ただ、ここには顕現存在する何かが足りなさ過ぎて、事象だけが存在しているんだと思う。
つまり、この不思議透明炎を消せるのは一人。
「ラインさん、この火を消して下さい」
「どうやって?」
そうですよねー。
この後、男の娘がラインさんに何を言ったのか聞き出して、ソレを打ち消す説明を考えることに時間を費やすことになった。