周囲の人間
やや残酷な描写あります。あと視点もコロコロ変わります。酔わないようにご注意を。
「お嬢様、お茶が入りましたよ」
窓辺に座り外を眺めていたサラは声の方に視線を向けた。
フワフワの明るい茶色の髪を軽く耳にかけ、砂糖菓子のように甘く細める彼の瞳の色は変わらず、違うのは伸びた背丈に合う均等のとれた体格と服装と――サラの呼び名。
「……ありがとう、アオ」
公爵家に連れ戻されてめぐるましく変化した日常の中で、サラを1番驚かせてくれたのはアオだった。
軟禁生活初日の朝。何故か起こしに来たのはアオ。
『おはようございます、お嬢様』
『……オハヨー?』
……待て待て待て、とサラは寝ぼけた頭に待ったをかけた。何故に爽やか笑顔のアオが公爵家の執事服を着て私を起こしに来ているのかと。いや似合ってるよ?美少年から予定通りイケメンに成長したアオに品のある黒い執事服は涎が出るほど似合ってるけれども。
アオに手を引かれて起き上がり、侍女に手伝われて着替えたサラは一気に目が覚める事実を朝食に迎えに来た兄によって知らされた。
サラ専属の執事兼護衛(兼見張り)
サラはジャーナルに抱っこされながら後ろを歩くアオを見た。何だソレは。公爵家にきてから連絡を取らせてもらえなかったから詳しくはしらないが、サラの叔父に引き取られて狩人をしているのではなかったのか。驚くサラにアオは笑顔を返すだけだった。
組織にも属さずたった1人で様々な仕事をこなす優秀な闇の仕事人だった男が作り上げた‘鬼子’――それがアオの裏での通り名だった。サラ母娘の身辺調査をしていて母娘が拾った少年がまさかの鬼子とわかり、さすがの公爵家の密偵も驚いたものだ。もっともアオが徹底的に隠滅したその事実をにシッカリと行き着くあたり、さすがは公爵家の優秀な手足である。
「公爵家の旦那だけでなく鬼子まで引き寄せるとかもうそれ魅力っていうより呪いだよね」と、その優秀な密偵は母娘を隠れて見ながら思わずポツリ。
あの日、公爵家がサラ母娘を連れていこうとした時アオは公爵家の人間を皆殺しにしようとした。そのアオを止めたのは四方から自分に向けられる公爵家お抱えの暗部の殺気――ではない。その暗部の何人かが自分にではなくサラとサラ母に武器を向けていると気付いたからだ。
『鬼子が手を出しそうなったら母娘の足を狙え』
そう指示を出したのは爵家当主カイルだった。彼はサラ母が歩けなくても構わない、むしろいなくなる心配がないからいいかもとすら考えている。ただ、サラ母の綺麗な足に傷が付くのは嫌だなとも思っていた。
だからやるなら傷が残らないようにという条件付。
実行して万が一傷が残ろうモノなら冗談抜きでこの場にいる暗部全員処分確定だ。古参だとか幹部だとかは関係ないだろう。それ故にコントロールが得意だという理由で母娘狙撃組に選ばれた2人の暗部のプレッシャーは半端なかった。いや勿論出来る。常時なら痕を残さないように切るなど簡単だ。だが“主人である公爵家当主の前”で“主人の初恋の相手”に実行するのは絶対常時ではない!
仲間からの「外すなよ!?外したらわかってんだろうなテメェ!!」という無言の声までくるのだから堪らない。じゃあテメェ等がやれよ!と言いたいが、仮に代わったとしてソイツが外したら結局は自分も処分されるのたからやっぱり自分でやった方がいいと結論付けるしかなかった。
だから少年が公爵家の人間に向けていた殺気を消した時、久々に神に心から感謝したのは言うまでもない。ありがとう少年!
手に入れるためなら好きな相手が傷付いても構わず、あまつさえそれを盾に敵の弱さに漬け込む人間と、命令されれば誰であろうと傷付けられる人間と、好きな相手が傷付くのが嫌で敵を殺せない暗殺者。果たして1番人でなしは誰だなのか。
拾った当初は表情がなく身体も細かったアオは、サラの家で傷を癒してから結局親がわからなかったのでサラの叔父夫婦に引き取られる事になった。優秀な狩人であるサラ叔父に狩りを習いながらサラの家に遊びに行く内に笑えるようにもなり、母娘と叔父夫婦は喜んでいた。……今では完璧な貴公子スマイルを常時装備してるけど。
この国で王家特有の蒼眼、または同系統の青眼は王家か王家の血を引く貴族に多い。よって、たまに平民がそれらの眼を持って産まれると大変違和感があるのだが、アオには関係がないようだ。出逢った時はまだ10歳未満だったくせ落ち着いた大人の雰囲気を持っていたかつての美少年は、しばらく会わない内に貴公子スマイルと大人の余裕を手に入れて(スーパー)執事の美青年になっていた。
朝の起床から始まりサラの主な世話は全てアオがする。作法も勉強もダンスもアオが教えてくれるので、何故淑女の作法やダンスの女性パートを知っているのとか疑問は尽きない。ひとえに鬼子を作った男が完璧主義だったからに他ならないのだが。何なら刺繍や料理も完璧だ。完璧主義にも程がある。女子か。
「――お嬢様? 」
「ゴメンナサイ」
更に読心術も装備されていた。
滅多に部屋の外に出れないサラだったがアオがいてくれたから気を紛らわせた。昔みたいにアオと一緒にいられて嬉しいのも確か。
ーーでも何かが違う。
「……アオ、お外に行きたい」
「いけません」
「庭でいいの、少しだけよ」
「サラお嬢様」
名を呼ばれて見つめられると責められている気がしてサラは視線をそらした。
何故ここにいるのか、叔父夫婦はどうしたのかという質問には答えてもらえず、ただ側で世話を焼かれる日々。外に出たいとさえ言わなければアオはどこまでも優秀な執事だった。むしろ最近ではサラのお願いは何でも叶えてしまうのでお嬢様に忠誠を誓った騎士、もしくは従順な犬のようだ。それを本人に言ったら犬の方でと言われてしまった。誉めてと言うので昔みたいに頭を撫でてやると眼を細めて気持ちよさそうにするものだから余計にだ。サラは心の中でため息をついてアオの頭を撫でる他なかった。
――執事服に隠れて見えないが、アオの首に奴属の首輪が付いているのは知っている。
「公爵家の首輪を着けるならサラの側にいさせやろう」
サラ母娘が公爵家に引っ越して1週間後、カイルがアオの前に現れて言った。
「勿論お前が前に付けていたモノより強力だよ。あの男が作ったにしては甘い気がするが、鬼子の力は期待できる。もっとも、その見目は勿体ないがお前が男として役に立つままであったら身辺調査の段階で殺していたけどね。そうでないならよい駒だ」
クツリと嗤うカイルをアオは無表情で見た。
アオを作った男にどういう意図があったのかは知らない。だが閨の技術まで仕込んでおいて、ある日いきなりアオは男に子を残せない身体にされた。無理矢理、麻酔もなく、身体を拘束されて痛みで叫ぶアオなど全く眼中にないとばかりに冷静に処置していった男。あの時ばかりはさすがに気が狂うかと思った。男とアオ以外知る筈がないソレを目の前の公爵家当主は何故か知っているようだが別に知られても困らない為構わない。
「話を飲むなら首輪を着けてからしばらくは暗部で教育を受けてもらう。あの男に色々な作法等は仕込まれているんだろう?勿論確認はするが使えると判断したら時期を見てサラ付きの執事にしてやろう」
「……何を望む」
サラの側にいられるのは嬉しいが目の前の男は危険だ。綺麗な顔と上品なたたずまいで他を圧倒する貴族オーラを発してはいるが、普通の人間が何も知らない母娘を狙うものか。殺すのを諦めたてサラ母娘が馬車に乗り込むのを見ていたアオは確かに見た。こちらを向いて笑っていたこの男を。自分を作った男と同種の笑いをする人間に碌な人間はいない。絶対だ。
あの時と同じ笑顔でカイルは言った。
「サラを逃がさないように見張れ。サラがいればカロリーナの枷となる。……ああ、もしお前が母娘共々ワザと逃がすような事をした場合は必ず見つけ出してあの母娘の足の腱を切る。勿論お前は処分だ。なんならカロリーナ達の前で処分してあげようか?そうすれば2度と逃げようとは思わないだろう?」
ほら、やっぱり碌でもなかった。「カロリーナが僕に向かって歩いてくる姿が好きだからまだ見ていたいし、サラは小さいから走れなくなるのは可哀想だろう?」とのたまうこの男がこの国の筆頭公爵家当主兼宰相らしいからこの国はヤバいと思う。
ーーまぁでも。
碌でもないとわかっていても頷く自分もやっぱり碌でもないのだろう。側にいたい。たとえあの小さいが暖かいパン屋でなく、豪奢な檻の中であっても。むしろこの檻ににいればもう置いていかれる事はないのだと仄暗い安堵すらしている。そんなアオの内心を見抜いたかのように目の前の碌でもない人間が嗤った。
その後、男の言ったしばらく暗部で教育の「しばらく」が4年かかりアオは何度キレかけたかわからない。お陰で何故か暗部の幹部集団から「お前には借りがあるからな!」と言われ、幹部達曰わく「可愛がっている」らしい恩返しとばかりの指導ーーと言う名の地獄のしごきをミッチリ受ける羽目になった。精密な攻撃が得意な技術組からは特に可愛がられ、アオはいい迷惑だった。公爵家お抱えなだけあって、かなりの精鋭揃いの暗部幹部達は1対1で無い限り反撃は難しく本当にストレスが溜まる4年間だった。
サラ母が亡くなった時は悲しくて悲しくて涙が止まらず、サラに会いに行きたかったがカイルの許しが出ずに無理だった。クソ主人が。
そしてか狩人の格好をしてて偶然を装いサラの前に姿を見せたあの日。地の利がある上に、恐らく隣国の知人とやらから入手したと思われる道具を使用されたせいでサラを見失ったため暗部で手分けして探すこととなったあの日。そんなに遠くへ行ってていないはず。知り合いならサラの行きそうな場所わかるんじゃないかという理由でアオも捜索に参加を命じられた。わかるかって?勿論わかるさ。
「ーー見つけた」
久しぶりに見たサラは凄く綺麗になっていた。身体に着いた小さな傷に眉を寄せる。逃げたいのか。あの檻から出たいのか、サラ。
もうサラ母はいない。……逃げようか。2人で逃げてしまおうか。
『ダメだよ、連れていけない』
しかしその思いはサラによって否定される。
また?またサラに置いていかれるの?
……嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!
やっぱりサラはあの檻の中にいなくちゃダメだと結論を出した青年は、そうして笛を吹く。もう1人の主人である次期筆頭公爵家当主を呼ぶ為に。
さあ、帰ろうサラ。
わぉ。いつの間にか予定の6話とっくに過ぎてました(゜Д゜;)
あと2~3話で終わります。多分。