忘れ物
それからトメが店に現れる事は無かった。
沙織と香奈はトメが抜けた分の仕事をこなさないといけないのでそれ成りに忙しかった。
しかしそれが幸いして一時的ではあるがトメの事を頭の隅に追いやる事が出来た。
そしてその忙しさが逆にトメの忘れ形見の様に思えて愛おしかった。
トメがいなければイベントまで漕ぎ着ける事は出来なかったし、何より「変な奴」からの金の無心も無くなり、運転資金の方も潤沢に回す事が出来る様になった。
全てはトメのお陰だ。ニコテスはブランドとしてヨチヨチ歩きだったのをトメの登場によって確固たるものへと成し遂げる事ができたのだ。
まるでお母さんの様にニコテスを育てくれた様な気がしてならない。
沙織はそう思うと店内にあるミシン台にそっと触れた。
その時同時にドアの開く音がした。反射的にそっちの方を見ると、一人の着物姿の老婆が立っていた。
珍しくニコテスに来客だ。しかし年齢から言って残念ながらお客ではなさそうだ。
「いらっしいませ」
沙織はそう老婆に声をかけながら近づいた。
近くで見て気付いたのだが年齢を感じさせない「凛」した雰囲気が印象的だ。
「忘れ物を取りに来ました」
老婆は微笑みながら沙織に話しかける。
「忘れ物?」
沙織は記憶の糸を探る。ニコテスに来客は滅多にない。客が忘れ物をすれば、それは必ず記憶に残ってるはず。
しかし、思い当たるものが無い。
老婆は沙織の困った顔を見ると、口を手で覆い
「フフフ」
と、ひと笑いした。
沙織は老婆のその仕草を見るとバラバラになっていたパズルのピースがまるで全て合って行く様な感覚に襲われた。
目をパチクリしながら再び良く老婆を観察する。
どこか懐かしさを感じる目線。
日本人が忘れかけている凛とした雰囲気。
加齢でシワがあるもののハッキリとした目鼻立ち。
沙織の視界が突然歪み目頭が熱くなる。胸の奥底から言いようの無い感情が湧き上がってくる。
彼女は顔を歪め頬に伝うそれをそのままにその場に立ち尽くした。
そして遂にありったけの感情をぶつける様に叫ぶと老婆に突然抱きついた。
老婆はそれを当然の様に受け入れると
「沙織さん、ちょっと苦しいわ。私はもうあの時のトメじゃないのよ。お婆ちゃんよ」
と優しく言い放つ。




