5、江戸しぐさは現代的価値のある「哲学」なのか?
実を言うと江戸しぐさの「これ、江戸時代のものじゃないんじゃない?」という疑問はいろんな方のツッコミによっていろいろと明らかになっています。それをすべてここで紹介するのもアレなのでググって頂くとして、わたしが紹介した範囲でも江戸しぐさって相当怪しいものなんだ、ということをご理解いただけたと思います。
でも、たぶんこう思っていらっしゃる人もいるんじゃないかなー、と思うのです。
「江戸しぐさが江戸発祥でなくたっていいじゃない。江戸しぐさっていいこと言ってるじゃん!」
確かに一理あるご意見です。たとえば、仏教の世界では明らかに釈迦が説いたものではない経文が釈迦の筆によるものとして伝わっているわけですし、剣術などの流派では、天狗に教わっただの神様の示現で開眼しただのというトンデモが語られています。ある意味、成立時期のねつ造というのは歴史上いろんな場面で行なわれてきたありがちな商法ともいえましょう。
でも、そういうことを言う人に言いたい。
「江戸しぐさって、いいことを言ってますか?」
と。
NPO江戸しぐさが発表しているコラムに、「椋鳥」というものがあります。
詳しくは実際に読んでいただきたいのですが、論旨をまとめると、
「当時の江戸には椋鳥と言われる人々が利に群がってやってきて、利がなくなったら去っていった。江戸っ子たちはそれを無粋なことと馬鹿にしていた」
という内容です。
でもこれ、随分とひどい話です。
江戸にちょっと詳しい人なら、この「椋鳥」なる人々がどういう人たちなのかを知っています。彼らは、農閑期に食い扶持がなく江戸に奉公にやってきた季節労働者のことなのです。
ちなみに、江戸の町人たちは確かに彼らを「椋鳥」と呼んで馬鹿にしていました。しかし、江戸の商人たちは安い労働力である彼らを重宝しました。むしろ、搾取した、と言い換えたほうが適切でしょう。江戸の商人たちは、安い労働力である季節労働者をあこぎに使いながら、裏では「椋鳥」と馬鹿にしていたのです。
はてさて、これって……。
安い労働力であるところのハケンを使って会社を大きくしておきながら、「近ごろの若者は勤労意欲に乏しい」とか述べるどこぞのブラック企業の社長さんみたいですね。
これだけ労働環境がヤバいと指弾される世の中で、この「椋鳥」なんていうコラムを恥ずかしげもなく出すことのできる団体のいう「哲学」とやらのどこに「いいこと」があるのでしょう?
逆に言えば、このコラムを読んで不快感を覚えない人はどういう人かといえば、そういう労働者たちを使い捨てに出来る「哲学」をお持ちの人々です。わたしに言わせれば、そういう「哲学」を信奉する人々とはお友達になりたくないし、一緒に仕事もしたくないです、ええ。
と、実は江戸しぐさは、こういった批判も禁じています。
江戸しぐさに「逆らいしぐさの禁」というものがあります。「でも」「だって」などの言葉を言わず、年長者の意見はしっかり聞いて実行しろ、という教えです。つまるところこれは、「若者は年長者のためのロボットになれ!」という教えに他なりません。一切の疑義を抱かず誰かの意見に追随する大人になれ……。おやおや、なにやら軍靴の音が聞こえて参りました。ってか、まんまワンマン社長の命令に従わされるブラック企業社員の図……。
世の中、年長者の意見が正しいとは限りません。もちろん経験を積まれている年長者の御意見に耳を傾けるべきだとは思いますが、話を聞いたその瞬間に「それは無理筋だろうよ」と思わず口走ってしまいたくなるようなご意見もあるのですよ。そう、たとえば……(では皆様ご一緒に)。
江戸しぐさとかね。