4、江戸商人に哲学なんてあったのか
そもそも、当時の江戸商人たちに哲学なんてあったんでしょうか。
実は、ありました。
石門心学と呼ばれるものです。
これは何かと言いますと、江戸時代中期・享保年間(ちょうど徳川吉宗の在位中です)に京都で勃興した思想体系のことです。商人の誠心誠意の働きを説き、正直な商いを旨とする思想です。おや、これだけ聞くと、何やら江戸しぐさとも相性の良さそうな思想ですね。それもそのはず、江戸しぐさの人々も、その源流に石門心学を挙げ、なんとか石門心学とリンクさせようとしています。
けれど、この石門心学、江戸ではなく上方(京、大坂)で発生した学問なんですよ。もし江戸しぐさの皆さんが源流に挙げるのなら、じゃあ江戸しぐさも江戸しぐさではなく上方しぐさなんじゃない? ということになってもおかしくないのでは?
あと、考えなくてはならないのは、江戸時代、果たして石門心学はどれほど江戸の商人たちの間に広まっていたのか、石門心学はどういうものだと思われていたのか、という点です。
いや、一応寛政期には江戸で広まっていたようなんですよ。あの松平定信公が興味を持った、という記事もありますし。
でも、だからといって、まじめに受容されたかというと怪しい。
古典落語に『天災』という演目があります。
詳しくはググっていただけると分かりやすいのですが、怒りっぽい江戸っ子に業を煮やした大家さんが石門心学の先生を呼んでその江戸っ子を諭すところからこの噺が始まります。怒りっぽい男に、その先生は「丁稚から水をかけられても雨が降ったと思って諦めろ、天災には怒る相手がいないじゃないか」と諭します。それに納得した男はうんうんと頷き、戸も締めずに先生のところを辞去します。それを咎められると、男は「戸が閉まらねえのも天災だと思って諦めな」と返したのです。
これ、実は『天災』の前フリに当たる部分なのですが、この部分から、当時の江戸っ子たちが石門心学をどう見ていたのかが透けて見えるようです。この噺、どう見ても石門心学を茶化していますね。どうやら、江戸庶民にとって石門心学は胡散臭いものだったみたいです。
もちろん落語は創作物なので誇張が含まれます。これをそのまま飲み込むのは危険です。
なので、もう一例出しておきましょう。
江戸の文化期に書かれたとされる本に、『世事見聞録』というものがあります。武士階級が書いたとされるこの政論書によれば、当時の大商人たちがひたすら利潤を追求し、大旦那ともなれば仕事を部下に任せて毎日賭け碁や賭け将棋にうつつを抜かし、女を囲う在り方を活写しています。もちろんこの本に対する史料批判(武士という立ち位置から書かれたものなのである程度差っ引いて読まないとならない)はすべきですが、それにしても、寛政期に江戸に広まったとされる石門心学が、全然江戸商人の間では板についていないようなのです。「屏風と商人は曲がらねば立たない」という諺がしみじみと思い浮かぶ話ですなあ。
とまあ、当時の商人たちには石門心学がありましたし、江戸しぐさなるモノを信奉しているはずなのに、全然それらを活用している気配がないのです。