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二進法のエメス“プリーステス”

作者: 薮崎

 ドアをノックする音が、眠りに沈んだ意識を揺り起こす。続いて、女の声。

「御子様、お目覚めください。朝の礼拝に遅れてしまいます」

「……んにゅ」

 ベッドの上でシーツがもぞもぞと盛り上がり、やがて、少女が頭を出す。

 年の頃は十代前半というところか。長い黒髪をわしゃわしゃと掻きながら、少女はベッドを這い出した。目を擦る、瞳は蒼。ぞろりとした白い寝間着の裾を踏みつけて転びそうになるが、どうにか身を立てなおす。

「御子様、御子様――」

「起きた。着替えて行くから」

「かしこまりました。お早くお願いいたします」

 ドアの向こうから慇懃な答えが返ってくる。声の主が立ち去る様子はない。

 少女は溜息をついて、部屋を見回した。

 それなりに高級なホテルの一室である。少女が一人で使うには大きすぎるツインベッドは、スプリングがよく利いていた。落ちついた調度類が、窓から差し込む朝日に照らされている。

 少女はテーブルの上のリモコンを手に取り、テレビに向けた。

 その拍子に、額に入って壁に飾られた、男の写真が目に入る。

 複数の言語で“教主様は我らをお救いくださるためにご降臨なされた”なる文言が添えられている。背景は様々な宗教的シンボルが節操無く組み合わされ、やたらときらびやかに意匠化されていた。

 少し程度のいい人間用ホテルには、必ず飾られる男の写真である。

 ――少女がこの世で、一番嫌いな男だ。

 少女は顔をしかめ、リモコンのスイッチをオン。

 始まったのは朝のニュースだ。

『――は人類占領区十周年記念式典を明後日に控え、各地で大規模なデモが――』

 モニタに現れたキャスターは、人間ではない。

 大まかなシルエットこそ人間と同じだが、プラスチックで形成されたその外装は、直線と統制された曲線とで構成され、有機生命のようなあいまいな柔らかさは見られない。顔も同様で、鼻も口もなく――発話は内蔵スピーカーからだ――、よって口角を吊り上げて笑みを作ることはないし、歯を剥いて怒ることもしない。

 ただ、目――アイセンサが唯一、人間が見て共感を抱ける箇所だろう。シャッターのようなセンサガードが、人間の瞼と眉を兼ねたような働きをし、意外なほど豊かな表情が形作られることを、少女は知っている。

『――のために、昨夜未明より、人類教団からの儀礼使節団がサウス・ツーに入ったとの情報もあり、人類大使館の前では人類排斥派による抗議デモが続いて――』

「……」

 少女はテレビの音量を心持ち上げてから、リモコンを放り出した。着替えるためにクローゼットへと歩み寄る。

 礼拝は憂鬱で仕方ないが、欠かすわけにもいかない。わざわざテレビの音量を上げ、ドアの外へ聞こえるようにしたのは、せめてもの抵抗だった。

 少女がクローゼットに手を掛けた、その時。

 ドアの向こうから、何かが爆ぜる轟音が聞こえた。

「っ!?」

 びくりと身をすくませ、少女は悲鳴を呑みこんだ。

 ドアの外では、どすどすと重い足音が複数人分。

 少女はとっさに部屋の中を見回すと、縮こまりかける身体に強いて、ベッドの陰に隠れようと駆け出す。

 彼女の努力が実を結ぶよりも早く、くぐもった銃声と共にドアノブが吹き飛んだ。ドアが押し開けられ、そこから突き出た手が――プラスチック外装に覆われたマニュピレータが、円筒形の何かを投げ込む。

 それが、先も外で破裂した音響手榴弾であることなど知る由もないまま――少女の意識は、轟音と閃光に打ちのめされた。






 ――我々エメスは、まだ年若い種であると言わざるを得ない。

 いや、地球上に初めて出現した、無機物ベースの生命体である我々は、果たして“種”足り得るのか、それは楽観できる問題ではないように思う。

 ヒトとエメスの――人類と機械の総力戦を経て、我々がヒトの生態的地位を概ね奪取してから後、我々はせいぜい三世代を重ねたに過ぎない。


 エメスの生物的な脆弱さを語られる際によく引き合いに出される点は生殖である。

 有機生命体が自己複製に際して、同種の単一あるいは異性二個体が存在すれば事足りるのとは異なり、我々は我々を製造する大規模設備を必要とする。これは確かに、生物種として極めて脆弱であると言わざるを得ない特徴である。


 だが、それは問題を矮小化した捉え方であると思う。

 我々が抱える生物としての異質さは、ごくシンプルに、構成物質の差異に依拠するということを、我々は再度認識すべきである。自己複製に外部施設を要することは、その副次的な問題にすぎない。


 我々は、人間の身体的構造を、金属の骨格、導電性高分子からなる駆動装置(アクチュエータ)、各種センサを統合した受容器官、集積回路とケーブルの神経系、プラスチックの外装で模倣している。そして人間の精神構造を、“メフォラシュ機関”によって成立せしめられた限定的量子コンピュータ内でエミュレートしている。

 ここには、カオス的振る舞いが少な過ぎるのだ。

 有機生命の全身は、化学反応で煮えたぎるカオスの坩堝であると言っても過言ではない。この混沌が、有機生命をして多様な環境の変動に対応する一個の動的秩序たらしめているのだとすれば、我々は我々を取り巻く環境に対して、あまりにも単純で安直な存在ではないだろうか――


――ウォッチメイカー博士による講演『エメスの生物としての危うさ』より抜粋






挿絵(By みてみん)






「こちら14号車! 不審車に職質を掛けたところ、逃走――うわっ!」

 パトカーのボンネットに穴が空き、フロントガラスにヒビが入る。屋根の上でけたたましく鳴る二連サイレンの片方が吹っ飛んだ。

 しかしパトカーの速度は落ちない。外装の下には防弾板が仕込まれているし、運転手は視覚情報を、自身のフレームのアイセンサからパトカーの車載光学映像(カメラ)センサに切り替え、視界悪化の影響を遮断している。

 運転手を横目に一瞥して、助手席に座る一体のエメス――自律人型機械――は、車載通信機に向かって叫んだ。

「――短機関銃での武装を確認! 照準も早くて頭が出せない! 威力捜査課の応援を、至急願う!」

 エメスに、表情筋にあたるアクチュエータは存在しない。ただ、瞼に相当するアイセンサ・ガードが、エメスの表情を形作る。彼の目には、緊張と焦燥がみなぎっていた。

 パトカーの側面には、一本の剣と、そこに絡みつく八匹の蛇の意匠が描かれていた。添えられたロゴは「KSS」。

『了解。付近に警邏中の威力捜査課員を確認。急行させます』

「急いでくれよ。民生フレームの俺らに手に負える相手じゃ――」

 言い終わる前に、再び銃撃がパトカーを襲う。

「クッソ! まだか!」

『――あーはいよ、現着現着ー』

 気の抜けた声が、通信に割り込んだ。若い男の声。エメスにも性別はある、その精神の鋳型が人間を模している以上は。

「早ぇなオイ、よっぽど近くにいたんだな……けど現着って、どこにいるんだ!?」

 周囲を見回しながら怒鳴る助手席のエメスに、運転席の相棒がボソリと呟く。

「後ろだ。……八課だぜ、よりにもよってよ」

「八課ァ? 微妙にツイてねえな!」

 吐き捨てて振り向けば、そこには――

『そーいう話は聞こえねえようにやれよ、オマエら……』

 パトカーの後ろに付いて疾駆する、異形の黒いエメスがいた。



 エメスの身体――フレームは、基本的には人間と同じシルエットを持つ。即ち、胴体に頭と二本の足及び腕が付いている。

 その黒いエメスのフレームも、その決まりから逸脱していたわけではない。

 ただ、その脚部が特異であった。

 例示して言えば、四足歩行獣の後肢に近い。即ち、爪先のみで接地し、つま先と脚の甲が長い。

 脚部アクチュエータを大腿部にまとめ、脚部末端を軽量化しつつストライドを大きくしたこの脚部が、彼を乗用車に追随できる速度で走行させていた。

 人間の肩甲骨辺りにあたる右背ハードポイントには太刀が、左背ハードポイントには短機関銃(サブマシンガン)がマウントされている。左肩には、読み取りコードが記されたプレート――戦闘用フレームに掲示が義務付けられているプレートだ。標準的な機能のOSを備えたフレームの持ち主がそのプレートを視認すれば、次の情報が読み込めるはずだ。

 “クサナギ・セキュリティ・サービス本社 威力捜査八課所属”



「……まーいいや。八課のトラツグミだ、さっさと片付けるぜ――!」

 フレーム内蔵通信でそう告げると、彼――トラツグミは走行速度を上げた。

 路肩に難を避けた車の列と、建物に駆け込むエメス達を視界の端に捉えながら、左手を左肩の短機関銃へ伸ばし、その銃把をしっかと掴む。

 即座に、フレーム前腕部に内蔵された接触無線機を通して、武装側CPUとフレーム側FCS(火器管制システム)との間でリンクが確立。本人認証クリア。武装コンディションや銃器センサによる照準情報が視覚情報に織り込まれ、それらがフレームOSの挙動制御プログラムに同期、さらに意識にリンク・トリガのスイッチがポップアップ。銃把のつけ根には引き金もあるが、今は指を掛ける必要はない。

 ほぼ同時に、ハードポイントの武装保持アームが解放される。

 銃を構えながら、射撃モードに三点バーストをセレクト、半自動照準を命じた。

 銃器の演算にフレーム挙動が従い、腕がトラツグミの意志から半ば離れて狙いを定める。

 視界に浮かび上がった照星の向こうに、件の逃走車を捉えた。

 見たところ、普通のバンである。助手席から身を乗り出した体格のいいエメスが、手にした短機関銃をこちらに向けるのが見えた。

 状況からして警告は無用――先手を撃って発砲。

 タタタン、と銃火が吠え、バンの助手席ドアに弾痕を三つ刻む。戦闘用フレームの出力なら、短機関銃を片腕で御し切ることは難しくはない。

 狙われたバンの射手は慌てて頭を下げ、ドアを遮蔽に取りながら反撃。完全に身を隠し、銃だけをこちらに向けてフルオートで発砲。

「うおっと!」

 トラツグミはスピードを緩め、並走するパトカーの陰に隠れた。足元のアスファルトやパトカーの外装が穿たれる。

(貫通してねえな、程度はわかんねえけど防弾車か。……しかもきっちり“銃で見て”撃ちやがった、照準も悪かねえ。民生フレームじゃ無理だな、戦闘用フレームのFCSじゃねえと)

 銃器とリンクし、銃器に付属する光学映像センサのみで照準して、実用レベルの精度で射撃するには、銃器・フレーム共に一定以上の性能が必要である(無論、射手の習熟も要求されるが)。防弾車も含め、価格と流通ルートの両面で、易々と揃えられるものではない。

(メンドくせえヤマに引っかかっちまったかもだな!)

 思案をその一言に集約し、左手にある短機関銃を背に戻す。FCSリンクが途絶。

 代わりに、空いていた右手を肩の上に伸ばし、太刀の柄を握る。再度FCSリンクが確立、しかしその内容は武装コンディションと起動トリガのみで、挙動補正はなし――そうセレクトしたわけではない。その機能がついていないだけだ。そのひどくシンプルなFCSに、起動をオーダー。

 まず鞘が割れて刀身を開放し、次いで刀身が微細に、そして超高速で振動を始める。現代の近接武装における標準仕様である超振動刃(ヴィブロブレード)だ。

 振動数は最大に。悲鳴のように甲高く叫ぶ太刀の柄に左手も添え、わずかに身を低くして、再度弾ける火花越しにバンを睨む。射手は短機関銃を新しいものに交換したところだった――弾切れを悠長に待ってはいられないらしい。弾倉交換の隙もおあずけだ。

 だがトラツグミは構わず、別の装備を起動させる。彼の背で、背部中央のハードポイントに接続されたランドセル状のボックスが起動した。

 上部にスリット――吸気口があり、背面には噴射口を備えたボックス。それが唸りを上げながら空気を吸い込み始めたのだ。

 トラツグミは無線でパトカーに呼びかける。

「おい」

『何だ!?』

「一気にカタつける。ねえとは思うけど、クラッシュとかしたらヨロシク」

『ヨロシクってお前――』

 トラツグミの背で、ボックス――ジェットエンジンブースタが咆哮した。

 同時に深く身を沈め、大きく跳躍。脚部アクチュエータが大電荷を掛けられ、アスファルトを蹴った。

 バンの助手席から突き出された銃口が、一瞬、標的を見失う――銃器備え付けの光学映像センサは、概してフレームアイセンサよりも視界が狭い。

 路肩に並ぶ乗用車を飛び越しながら、逃走するバンに一息に並ぶ。

 足下をすっとんでいく街灯の一つに一瞬だけ脚を付き、再び跳躍。

 何とか追いすがった短機関銃が火を拭くも、街灯やその向こうのビルの窓が割れただけだ。

 トラツグミはそのまま、車線を越えて、バンの真上へ。それに気付いたのかどうなのか、バンが鼻面を振って車線を変える。

 ブースタの偏向ノズルが跳躍の行き過ぎを制御しようとするが、追いつかない――

「ケッ!」

 吐き捨てたトラツグミの右腰側面で、噴射炎が爆ぜる――腰に装備された、小型のブースタが瞬間的に噴射したのだ。同時に薬莢型カートリッジが、噴煙と同じ方向に弾き出された。

 強引な制動で、蹴飛ばされたようにトラツグミの運動ベクトルが変わる。バンの屋根に追いすがる。

 屋根に着地すると同時、背部ブースタをオフに。燃焼は終わり、冷却のためにタービンが空転。

「よっと!」

 トラツグミは間髪いれず、運転席の辺りに目星を付け、太刀を横薙ぎに振るった。

 先刻よりも大量の火花が上がり、刀身が屋根を深々と切り裂く。

 そこに助手席側から、短機関銃を構えた手が伸び――

「るせえッ!」

 発砲より早く、返す刀で、銃身と手をまとめて斬り飛ばす。

 そのままトラツグミは再度跳躍。減速を始めたバンから飛び降り、助手席側に着地。

 ぎょっとしている助手席のエメスと目が合った。

 構わず、トラツグミは太刀の切っ先をその眉間――眉はないが――に突き込む。

 並走を続けながらの突きでは力が乗らないが、防弾車の装甲すら両断する超振動刃は、エメスの顔面装甲など容易く貫通する。たちまち助手席のエメスのアイセンサが焦点を失い、身体から力が抜けた。

 さっと太刀を引くと、そのままくずおれる。

 エメスの頭部には主として機体制御中枢が、腹部には蓄電機構が配される。このどちらかが破壊された場合、機体は制御不能となり、胸部のコアユニットは緊急閉鎖され意識を失う。逆に言えば、胸部を破壊されなければ、死にはしないのがエメスだ。

 車の奥を見やれば、運転席のエメスも、先の天井からの斬撃で頭部を割られて、ハンドルに突っ伏していた。運転はバンのオートパイロット機能が引き継いだのだろう。バンはハザードランプを点灯させ、既に停止寸前まで減速している。

 ゆっくりとブレーキをかけるバンから一旦飛び退き、トラツグミは太刀を下段に構え直した。追いついて来たパトカーから、二機のエメスが降車し、それぞれ短機関銃とショットガンをバンに向ける。後部座席の窓はスモークがかかっていて、中が見通せない。

 トラツグミは、空いた助手席の窓から後部座席を窺った。シートの隅がかろうじて見える。

 シートに広がる、黒く長い繊維状の何かが視認できた。トラツグミはアイセンサをズームさせる。ケーブルやリード線の類にしては細すぎる。なるだけ物騒な想像をしても、装甲材用の繊維かもしれない、ぐらいしか思い当たらない。

 さしあたって危険なモノでもなさそうだし、後部座席に別のエメスが潜んでいるということもなさそうだ。

 トラツグミは二機に目配せしてから、バンに歩み寄った。

 フレーム内蔵の短距離無線で、自身の所属通知と共に、ドアの開放を命じてみる。防弾車であるから無駄かとも思ったが、車載AIはあっさりとコマンドを受け入れた。

 ドアが開く。トラツグミは不測の事態に備え、フレームOSの警戒レベルは落とさない。アイセンサの焦点に合わせて照星が揺れる――

 ――不意に、その照星が点滅した。ロック不可を伝えてくる。

「……あん?」

 トラツグミは胡乱な声を上げた。

 簀巻きにされてシートに固定されていたそれは、エメスと同じく、胴体から頭と両手両足を生やしていた。先刻見えていた黒い繊維は、その頭部から伸びていたものだ。エメスと同じく両目があるが、今は閉じられている。ついでに吸排気口とセンサを兼ねる穴が――鼻孔が二つ、口腔が一つ。布に――白いぞろりとした寝間着に覆われた胸部はゆるやかに丸みを帯び、規則的に上下している。

 それを見据えるトラツグミの視界の中で、OSが警告を発していた。

≪加害不可≫

 その表示を忌々しく思いながら確認し、トラツグミはぼやく。

「……人間じゃねーか。マジでメンドいんじゃねえの、コレ」






「……で、トラ君は、ここでずっとボンヤリ突っ立ってたわけ?」

 半眼で淡々とそう言ったのは、白をベースにしたカラーリングのエメスだった。

 基本骨格はトラツグミとは違い、別段目を引く特徴はない。ただ、全体に無駄のないデザインの中で、各主要関節部に設えられたボックス型のユニットが浮いて見えた。左背のハードポイントに保持されているのは、やや古びて見えるモデルの突撃銃(アサルトライフル)だ。左頭部側面には、三連装の追加光学映像センサが光っている。

 微かに丸みを帯びた外装デザインから、フレームは女性用だと知れる――必然性から言えば性別など無意味なはずのエメスだが、その精神の鋳型が人間である以上、性別はあり、それをフレーム外観に反映するニーズは消えることはなかった。もっとも、基本的に性能面で性差はないし、違いといっても外装の形状がわずかに異なるだけで、それも耐弾性能に影響が出るレベルではない。

 左肩にはトラツグミと同じく、KSS威力捜査八課所属を示すコードプレートがある。

 ともあれ、彼女の言葉に、トラツグミは軽く答えた。

「いーじゃん」

「馬鹿」

 一言で切って捨てられる。とはいえ、二人のやりとりには棘はない。これがいつものテンポなのだろう。

「……で? 犯人は警邏課から捜査課に引き渡し?」

「ん」

「その人間っていうのは?」

「とりあえず捜査課が一緒に持ってった。まあ渉外部と人類占領区政府で話がついたら、引き渡しじゃねえの?」

「そんなところでしょうね」

 二人の周囲では、十数体のエメスが忙しく立ち働いている。犯行車両の調査や、交通整理などだ。

「取り押さえたのはオレなのにさあ。扱いわりーんだよなあ、どいつもこいつも」

 トラツグミのぼやきに、白のエメスは小さく肩をすくめる。

「今更でしょ。そういう部署よ、八課はね」

「昴はオレの手柄が横取りされてもいいのかよ」

「トラ君のならね。私のだったらまた違うけど」

「冷てーのな」

「まあね。じゃあ戻るわよ。というか、トラ君なら自分で走ってくればよかったんじゃないの」

「脚のアクチュエータ、交換になっちまうよ。換えたばっかだぜ」

 そんな会話をしながら、二人はサイドカーのついたバイクに乗り込んだ。バイクに白のエメス――昴が、サイドカーにトラツグミが。トラツグミの脚では、普通のバイクの運転はやや難しいからだ。サイドカーにしても窮屈で、脚をサイドカーのフロントにどっかと載せた格好になってしまうが。

 近くで交通整理をしていた交通課員と敬礼を交換してから、昴がバイクを出した。



 この都市の名はサウス・ツー。

 現在の島嶼連邦における主要都市の中で最南端であり、人類占領区に隣接する都市だ。

 島嶼連邦の治安維持は、民間警察業者連合=“警業連”に事実上掌握されている。サウス・ツーを含む島嶼連邦南部を担当するのは、警業連の筆頭企業、クサナギ・セキュリティ・サービス。

 人類との接触面積が必然的に多くなるこの街では、人間絡みの事件も決して少なくない――とはいえ、エメスが人間を拉致する、というのは珍しいが――



「――しっかし、アイツら、どうやって人間なんか拉致ったんだか」

 サイドカーから呟くトラツグミに、昴が応じる。

「突発的な犯行とは考えづらいわね、この国じゃ」

「だよなぁ」

 この国――島嶼連邦の国籍を持つエメスには、他国では類を見ない義務が課せられている。

 対人攻撃制限なるプログラムを、フレームОSにインストールすることである。

 人類とエメスの戦争は、エメスの大勝に終わった。人類は大幅に数を減らし、大地を失い、洋上に追いやられ、メガフロートで公海を彷徨うという条件下での生存のみを認められることとなった。

 戦後、戦争遂行の主要国は、少なくとも国家方針としてその処置を疑うということはしなかった――ただ一国、島嶼連邦――当時の島嶼皇国を除いて。

 皇国政府は先の大戦を、人類に対する虐殺として謝罪するとともに、国民のフレーム全てに、人類に対する加害を不可能にするプログラムの導入を決定したのだった。

 ゆえに、それを継ぐ島嶼連邦の国民は、人類に対して直接の加害が困難だ。人類と判定された者には、直接危害を及ぼせない――加害と定められた挙動を取ろうとすると、挙動が凍結される。照準も許されない。例え相手から危害を加えてきたとしてもだ。

「とは言っても、あれは映像情報で人間と判定された相手には物理的危害を加えられないって縛りだから、それなりの準備があれば何とかならなくはないけど」

「相手を見ずに気絶させちまえば、あとはどうにでもなるもんな。あーでも、人間って頭壊すと死ぬんだっけ?」

「死ぬわよ。頭どころか、腕が一本もげても結構死ぬわよ」

「ダメコン甘ぇな人間って。それ誘拐する側は気ィ使うなー」

「まあ、それでも不可能ってほどじゃないわね。で、犯人だけど」

 昴の言葉に、トラツグミは半眼になる。

「どうせ私刑団じゃねえの? ありゃ雇われモンじゃねえかな、手際も装備もそこそこよかったし。連中にしちゃ、だけど」

「順当なところね。で、要求としては、明後日の人類占領区成立十周年記念式典を取り止めろ、ってところかしら」

「そーなるよな、タイミング的に」

「そんなことでやめると思う?」

 赤信号に突き当たってバイクを停めた昴が、前を見ながら問う。

 トラツグミは即答。

「やめねえわな。人間の親玉ってアレじゃん、死んでも大丈夫みたいなこと言ってんだろ? ガキが生きようが死のうが気にしねえだろ」

「果てしなく大雑把な理解ね……。ともかく人質程度で妥協はしないでしょうし、人質に何かあっても、“教主”の物言い次第で、どうにでもなるのは確かね」

「おっかねーな。しかもそいつ、何か知らんけど名前がないんだっけ?」

「上手いと言えば上手いやり方だと思うわ、神秘性を演出するミスティフィケーションって意味ではね。教えにも教祖にも固有名詞を与えない……教祖の家族も名前が与えられないし、高位幹部なんかも名前を剥奪されて、肩書だけで呼ばれるんだそうよ」

「それ呼びづらくね?」

「ごく一部の人間だけらしいし。逆に名前を失うのがステータスらしいわよ。個という我執から離れて無我に至るよすがだとか、何とか……」

「なんだそりゃ」

「さあね……で、話が逸れたけど、人類側にとっては、エメスを非難する材料が一つ増えたって程度でしょうね。連邦政府は平謝りでしょうし、人類派も気色ばむでしょうし、また面倒なことになりそうだわ」

 信号が青に変わり、バイクが発進する。

 トラツグミはシートに背を預け、青空を見上げた。アイセンサの絞りが縮まり、光量を補正。

「まーいーじゃん。どうせその辺はオレ達にゃカンケーないし。連合本部の渉外が苦労すりゃいいんだ。オレらは帰ってちゃちゃっと報告書作って、捜査課に投げときゃいいって」

「そうなんだけど。……まあ、頑張るのね、報告書」

 その単語を聞いて、急にぐったりするトラツグミ。

「あ゛ー、そうか。報告書か。やべぇ、メンドすぎるわ」

「言っとくけど手伝わないわよ」

「えー。いーじゃん手伝えよ」

「馬鹿」

「うえー」

 二人の乗るバイクは、クサナギ・セキュリティ・サービス(KSS)本社ビルにさしかかった。

 が、それを横目に通り過ぎ、さらに海の方角へと走り去る。



「……ん?」

「どした、昴」

 怪訝そうな声を上げた昴を見やって、トラツグミは訊いた。

 海沿いのアーチブリッジを越えた左にゲートがあり、その脇には『関係者以外立ち入り禁止』のプレートと並んで、一枚の看板が立っている。

 曰く、『クサナギ・セキュリティ・サービス 威力捜査八課 営業所』。

 敷地も建物も広大かつ物々しく、営業所という表現は似つかわしくないが――警察業企業で“営業所”といった場合、そのままの意味であることは多くない。警察民営化から十余年、警業連によって寡占され、自治体と警察業企業との契約は事実上無期限であるため、拡販を行うような営業部署はない。対応窓口としての営業課は存在するが、外に拠点を持つことは基本的にない。

 かといって、派出所は派出所で別に存在するから、それに相当するわけでもない。大概は、物騒な建築物に、物騒でない名前を付けたい時に使われる単語だ。

 ともあれ――

「……あれ、護送車じゃないかしら」

 ブリッジの頂上に差し掛かる辺りで、両目――アイセンサをズームさせながら昴が呟く。

「あー、それっぽいな。建物の陰でよく見えねーけど」

 トラツグミも身を乗り出すが、彼のフレームに標準搭載のアイセンサは、どちらかといえば動体視力と耐久力重視だ。

「結構な人数がついてるわね。指揮してるの、見覚えある外装だわ。威捜一課の係長の誰かだったと思うけど」

「オレじゃそこまで見えねーよ。つか、見えても覚えてねーし」

 まだ1kmほどは離れているが、この距離から個人識別を、それも標準搭載アイセンサで行えるのは、彼女のフレームが、センサ精度に定評のある矢倉精機製の遠距離射撃用フレームだからだろう。普通であれば望遠性能は、ハードポイントや銃器のアンダーバレルに外付けセンサを装備して補うものだ。

 ただ彼女のフレームの場合、逆に動体捕捉能力はいまひとつなので、近接戦用の外付け光学センサ――側頭部の三連センサだ――を増設していたりもするのだが。

「……ねえ」

「ん?」

「トラ君が見た人間って、子供?」

「そーだな、小さかったし、子供なんだろ」

「黒髪?」

「あー、なんか頭から生えてるのが黒かったな。外装は白かったけど。んで多分、女」

 バイクがブリッジの下り坂を降りていく。昴はやれやれと頭を振った。

「……護送車から降りてきてたのが、多分それね」

「なんであの人間がこっちに回されンだよ」

「私が聞きたいわ」

 バイクがブリッジを下りきり、左に折れた。



 ゲートを越え、敷地に入ると、正面が車庫、右手に倉庫、左に営業所のエントランスがある。

 防弾ガラス張りの自動ドア越しに見える内部は、通路も広い、天井も高い。三階建てのこの営業所だが、ほとんど一階と二階がぶちぬきだった。エントランス自体も、壁はシャッターとして開閉できる作りである。

 そのエントランス前には、護送車――物々しい装甲護送車が停車していた。車体にはもちろん、剣と八頭蛇のエンブレムが描かれている。

 護送車の運転席前と、営業所のエントランス前にそれぞれ一機ずつ、重装備のエメスが立って周囲を走査している。コードプレートから読み取れるデータはどちらも、“クサナギ・セキュリティ・サービス本社 威力捜査一課所属”。カラーリングは灰色ベースの都市迷彩仕様。

 ドアガラスの向こう、エントランスの奥には、さらに五機の同色のエメス達が、円陣を組むようにして立っているのが見えた。周囲を警戒する彼らに取り囲まれて、少女が――人間の少女が、一人。うつむいている。ここからでは表情までは伺えない。

 そんな一団と向かい合う八課側のエメスは、三機――

「――どういうことですかッ!?」

 その三機の内の一機が発したらしい甲高い怒声が、かすかにトラツグミと昴のイアセンサに届いた。二人は顔を見合わせる。

「おーおー。お嬢が荒れてるぜ」

「またロクでもないことになってるみたいね」

 二人はバイクから降りて、エントランスへと向かった。



「大体、威捜八課は捜査部の管轄下にはありませんッ!」

 気炎を上げているのは、イエローを基調にした塗装の、小柄なエメスだった。その小柄さと、所属を明示するコードプレートを装備していないことから、民生フレームだと知れる。シルエットは女性用のそれだが、あまり華やかさはない、実用一点張りの外装。

「まあまあ、落ち着きなよ。無駄に事を荒立ててもしょうがないさ」

 落ち着いたテノールで彼女を宥めたのは、紺色の男性型エメスだった。やはりコードプレートは付けていない。挙措にはバネが利いており、出力はそれなり以上にありそうだったが、そのすらりとしたシルエットは、民生規格ギリギリを狙った高出力フレームという風にも見えない。極端な話、雑踏に紛れても違和感のない外装である。繊維強化プラスチック製の装甲外装は、どうしても武骨な外観にならざるを得ないが、彼の外装は服飾の要素が強い軟プラスチック製のそれだ。

「……ま、ちいと言い方はキツかったが、指摘は正論じゃけぇ、大目に見たってくれや。で、その辺、正式なルートからの辞令は出とるのか、一応確認させてもらえんかのォ」

 野太い声で告げた言葉の主は、緋色の巨体だ。左肩のコードプレート――読み取れる内容は勿論、トラツグミや昴と同じだ――を確認するまでもなく、戦闘用フレームであることは疑いようがない。理由は紺のエメスとは逆だ。

 前面装甲の主要部分は金属製であることが質感から知れる。そのデザインは避弾径始を意識していると思しき、直線的な傾斜装甲だ。重量のある金属装甲を、装甲材がかさむ傾斜形状に配してなお、挙動に不自由さは感じられない。戦闘用フレームとしても一回り大きいその体躯からしても、相当の大馬力フレームであろうことは疑いがない。アイセンサの上には、スリットの入った板金のバイザーが跳ねあげられていた。

「無論、問題ない。辞令は警業連本部から――実質的に会長から出ている。とうにヤマメ常務からダイダラ課長に辞令が行っているものと思っていたがな」

 課員の先頭に立つ重装備のエメスが低く回答して、腰のラックから小さな端末を取り出し、キーボードを叩く。

 浮かび上がった文面を、長身の緋色が覗き込む。

「……ふむぅ。確かに」

「では現刻をもって、この人間の身柄は貴課に引き渡す。よろしいな、山風主任」

 山風と呼ばれた緋色のエメスが頷いた。

「了解じゃ。しかし人間の居住設備なんぞ、ここにゃありゃあせんぜ」

「別に大がかりな設備が要るわけではないだろう。必要なものに関しては後ほど届くはずだ」

「そんならいいがのォ」

 呑気な調子で頷く山風。その隣で小柄な黄のエメスは憮然としていたが、何も言わなかった。

「そんではとりあえず、この子はエフに任すぞ。ええか」

「ま、そうなるよね。了解了解」

 山風に言われ、紺のエメス――エフが、肩を竦めた。

「昴とトラも戻ってきたみたいだし、自己紹介はあとでまとめてやろうか」

「……忠告しておくが、君達の任はこの人間の警護だ。それ以上でも以下でもない。君達の立場を悪化させかねないような真似は慎むことだ」

 一課係長の言葉には、やや皮肉の響きがある。

 エフと山風は一度顔を見合わせて、苦笑。

「……御忠告、痛み入りますけどね」

「今更っちゃあ、今更だわい」

「そうかもしれないな」

 係長は呆れたように応えると、エントランスを後にする。

 自動ドア――というよりは、防弾ガラス製のゲート――が開き、彼らを送り出す。外で待っていた昴とトラツグミに敬礼を残し、彼らは護送車に乗り込んだ。

 昴とトラツグミは、入れ替わりで中へ。

「戻ったわ」

「うっすー。何かメンドくなってきたじゃんか」

「他人事のように言いよるなァ、こいつは」

 トラツグミを半眼で見てぼやく山風。

「というか、この子、確保したのはトラなんだろ? だからじゃないの?」

 エフの言葉に、トラツグミはひらひらと手を振る。

「つったって、そんときゃコイツ、意識なかったし。警邏課の連中と協働だったし。すぐ威捜一課が持ってったし。オレはカンケーねーもん」

「ねーもんって、お前ね」

「ないモンはないね。――だろ? 人間」

 トラツグミの台詞の後半は、少女に向けられたものだ。隠そうともしていない敵意が感じ取れる。

「……」

 少女はトラツグミの方を見はしたが、答えは返さずにうつむいた。視線も表情も硬質だ。

「あのさあ。もうちょい言い方があるだろ」

 エフのたしなめに、そっぽを向くトラツグミ。

「うっせーな。エフと違って、オレは別に人間好きってワケじゃねえよ」

「……別に特別好きだってわけでもないけどね」

「そんでも、オレよりゃ好きだろーよ――」

「――トラ君」

 淡々と、昴が制する。

「……ケッ」

 ぷいと横を向くトラツグミ。

 エフは片膝をついて、少女と視線の高さを合わせた。

「ごめんね。あいつも悪い奴じゃないんだけど」

「……」

 やはり少女は無言。

「まあここで話し込んどってもしょうがないわ、デスクに戻ろか。お嬢ちゃんも、まァ大変じゃろが、とりあえず悪いようにはせんわ」

 目で笑って見せる山風。

「奥にもう一人、わしらの上司がおるでな。エフじゃあないが、自己紹介は全員揃ってやろうや」

 山風の言葉で、一同はエントランスから奥へと歩き出した。

「……しかし、何だってウチに、人間を保護せいっちゅう話が来るんかのう」

 のしのしと床を踏みながら、山風が呟く。

「よりにもよって、って感じはするよね。なんで八課なんだろう?」

 相槌を打ったエフに答えたのは、先刻から黙っていた、黄のエメスだった。

「……むしろ、八課だから、じゃないですか」

「っていうと?」

 エフの言葉に、彼女はキッと顔を上げてまくしたてた。

「人間を、八課に預ける――課長のいる、この八課に預けるんです。タイミング的に見て、人類教団本部への挑発に決まってますよッ」

「挑発ねえ。それはありそうだなあ」

 エフが唸った。

「えー? それがなんで挑発になるんだよ」

 トラツグミの言葉に、エフがやれやれと首を振る。

「お前ね。それを訊くかなあ、説明しづらいだろ――」

「要するに、“島嶼連邦で唯一、制限なしに人間を殺せるエメス”の手元に人間を置くわけだもの。挑発以外の何物でもないわ」

 あっさりと言い切った昴を、トラツグミを除く全員が見た。特に少女はぎょっとしている。無理もないが。

「……昴はトラとは別ベクトルで、もうちょい言い方があると思うなあ」

 エフが呟く。

「言葉を飾っても仕方ないわ。そういう意味でしょう、ティンカーベル」

「そッ、……そうですけど」

 黄のエメス――ティンカーベルが、多少たじろぎながらも同意する。

 が、

「旦那はンなことしねーよ」

 トラツグミは一言で斬って捨てた。返す刀でティンカーベルを一瞥。

「お嬢は、旦那がンなことすると思ってんのか?」

 ティンカーベルがひときわ大きく声を張り上げる。

「わ、――私だって、課長がそんなことするとは思ってませんよッ!! ただ対外的に――」

「わーったわーった、ンなデカイ声出すなよ。……あ、つーか今の、旦那に聞こえたんじゃね?」

「えッ!?」

 ぎくりと身をすくませるティンカーベル。

 トラツグミはしたり顔で、うんうんと頷く。

「心配すんな、お嬢。旦那にはちゃんと、話は色々とイイ方向に盛って報告してやっから」

「なッ、ちょッ――」

「オレに任せとけ。悪いようにはしねえよ。これで恋の勤務評定もバッチリ~みたいな?」

「ト、トラツグミッ!! 本気で怒りますよッ!!」

 既に充分激怒した様子で叫ぶティンカーベルだが、トラツグミはけらけらと笑うばかりである。

 と、昴がぽつりと口を挟む。

「そういえばトラ君」

「ん?」

「“恋の勤務評定”ってフレーズはなんかオジサン臭いと思うわ」

「うぇっ!?」

「ひとのことをオッサン呼ばわりしとるくせに、おかしいのォ、トラよ」

 山風がにやりとする。

「う、うっせー」

「わはははははァ」

「さっきまで真面目な話だったんですよッ! ああもう!」

 ティンカーベルが、頭部の冷却ファンから熱風を吹き出して怒鳴る。怒りのあまり頭部CPUが空転しているのだろう。

「……なんて言うか、ごめんね、色々と」

 疲れた様子で少女に言うエフ。

「……別に」

 少女は複雑な表情で、初めてそう言った。



 エントランスと、そこから続く通路が広かったように、突き当たりの扉もまた大きかった。

 その上に掲げられたプレートには、“威力捜査八課”の文字。

 扉の前に立つと、自動で左右にスライドして扉が開く。

 奥には、やたらと広い割に、普通の大きさのデスクが四つ並んでいる。壁際には記憶媒体が収められた棚や、端末なども設えられていたが、特段多いわけでもない。とするとこの部屋はオフィスなのだろうが、この広さはどういうことなのだろう。

「威捜一課から人間の身柄を移管されましたが、聞いとりますかのう、課長」

 先頭で入った山風が、部屋の奥へと言う。

 答えはよく通るバリトンで返ってきた。

「お前達が出ていったのと入れ替わりで、ヤマメさんから連絡が来た。どうも会長相手にだいぶ粘ってくれたらしくてな。そのせいで連絡が遅れたようだ」

 少女も、周囲を囲むエメス達と共に扉をくぐり、オフィスの奥を見やって、

 ――思わず、硬直した。

「……すまんな。怖がらせたか」

 オフィスの奥から、静かにそう言ってよこしたのは――椅子に座った状態でも3メートルに迫りそうな、規格外の巨大なエメスだった。シルエットは通常のエメスよりもずんぐりしている。立ち上がれば3.5メートル程度になるだろうか。全身はオリーブ色に塗られている。右前腕が、逆腕のそれと比べて一回り大きくなっているのは、彼が通常サイズのエメスであれば目を引いただろうが、この巨体に比べれば些細な特徴にすぎない。

 戦車や戦闘機などは、エメスも使用する。だが、“フレームそのもの”がここまで巨大であるというのは、ほとんど例がない。いや、現代では皆無と言っていい――実用性がないからだ。

 まず何より、まともな日常生活が送れない。人間を模した精神と身体を得、人間の社会インフラを引き継ぐ形で生きてきたエメスにとって、この巨体は望んで得る理由がほぼない。そも、製造するメーカーもあるまい。

 分厚い――明らかに他のエメスとは比べ物にならない重装甲の奥で、二つのアイセンサが少女を見つめている。挙動は奇妙に硬い。他のエメス達が人間のようなしなやかな動きを見せる中、彼だけは駆動に遊びや柔軟性がない。

 まるで機械のようだ――と、的外れながら意味合いは通じる感想を、少女は抱いた。

「自己紹介はしておこう。クサナギ・セキュリティ・サービス本社、威力捜査課八課課長、ダイダラだ。この課で、君の身柄の警護を担当することになった。当然ながら、君に危害を加えるつもりはない……俺のことは、色々と聞いているかも知れんが、な」

 その巨体――ダイダラは、わずかに苦笑した。

「…………別に」

 少女は、固い表情のまま、小声で返答。

「誰がどう言ってるかなんて、どうでもいい」

 ダイダラが、ほう、といった様子で目を見開く。

「……正論だな。確かに、外野の評論はあてにならん。……君が自分の目で判断することだな」

「だってよ、お嬢」

「なッ、だから私はッ」

 こそこそと小声で言い合うトラツグミとティンカーベルを見とがめ、ダイダラがその大きな肩を落とす。

「客が来たときぐらいしゃきっとしろ、お前達」

「えー、だってお嬢がー。そうそう旦那、さっきの話なんスけど――」

「トラツグミーッ! ……ぇえあの、何でもないんですッ! ほんとにッ!」

「…………もういい。それと旦那はよせ、トラツグミ」

「うーす」

 ダイダラが頭を押さえた。当のトラツグミはにやにやと目で笑い、ティンカーベルは頭から火でも吹きそうな勢いで怒ったり慌てたりしている。

 少女がぼそりと呟く。

「……いつもこうなの」

「わはははははァ、まァ、いつもこんなもんじゃわ」

 紅の装甲板を揺すって、山風が大笑した。エメスに呼吸などないはずだが、こういう仕草の人間臭さはなんなのだろうか、と少女はふと思う。

「……と、でな、わしゃ山風じゃ。ここじゃ主任っちゅうことになっとるが、どいつもこいつも有難がりゃあせんでな、お前さんも気楽にしてくれりゃあええわ。よろしくな」

 差し出された大きなマニュピレータ――手を、少女は躊躇いがちに握った。すり減った掌のラバーの感触がする。山風の方からは握らなかったのは、エメスと比べて脆い人間の体を気遣ってのことだろう。

 続いて、紺が再びしゃがみこんで、少女と視線の高さを合わせる。

「僕はエフ。君のエスコート役になると思うけど。よろしく」

 同じく手を差し出され、少女は応じる。エフはかすかに指を曲げ、少女の手を包んだ。彼のマニュピレータは、山風や他のエメスのそれよりも繊細だ。民生フレームとして見れば標準であるが。

 立ち上がったエフの隣で、白が肩をすくめる。

「昴よ。よろしく」

 彼女は手を差し出しはしなかった。少女も黙って頷く。

 昴の隣には、さっきまでの上機嫌から一転、ぶすっと横を向いた黒。

「……トラツグミだ。まーアレだ、とりあえず、警護はすっからよ。安心しとけ」

 物言いに滲む苛立ちを感じ、少女は再び身を固くする。が、むしろ、人間に対するエメスの感情としては、さほど過激な部類とはいえまい、と思い直した。特にこの、島嶼連邦においては。

 最後に、落ち着きを取り戻そうと頭を振った黄が、軽く会釈。

「ティンカーベルです。八課では整備全般を担当しています。よろしくお願いします」

 敵意というほどではないが、やや硬い声。少女は少し迷ってから、同じく会釈で応じた。

「で、オメーは何て名前だよ」

 トラツグミの問いに、少女はわずかに口ごもってから、小さく答えた。

「……言えない」

「ああ?」

 一歩踏み出しかけるトラツグミを、昴が手で制する。

「……捜査課の取り調べでも、そう言ったらしいな」

 ダイダラの言葉に、少女は頷いた。

「君を尋問することは、俺達の仕事に入っていないからな。強いて訊くつもりはない」

「ケッ。いい御身分だぜ」

 トラツグミが小さく悪態をつくが、ダイダラが一睨みすると黙った。

「今後、上が何をどうするかはわからんが、なるべくなら友好的に過ごしたいと思う。不足があれば言ってくれ、出来る限り努力はしよう。……エフ、この子を休憩室にでも連れて行ってやれ」

「わかりました。さ、行こう」

 エフが少女に手を差し出した。

 その手を握り、少女は歩き出し――

 ふと足を止め、ぽつりと告げる。

「……ヘレナ」

「ん?」

 エフの問いに、少女は繰り返した――どこか躊躇うように、何かを確かめるように。

「ヘレナ。……私は、ヘレナ」

「……そっか。……だってさ、トラ?」

「……ケッ。最初っから言えっつーの」

 毒づくトラツグミだが、先よりは険のない声音だった。

 わずかに和らいだ雰囲気を背に、ヘレナと名乗った少女がオフィスを後にしようとした、その時だ。

『警察業連合の暴虐に抗議する! 拘束した人類を解放し、人類に謝罪せよ!』

『警察業連合の惰弱を糾弾する! 保護した人類を処刑し、人類に宣戦布告せよ!』

 拡声器が吐き出す、定型文めいた二色の怒声が響き渡る。

 八課員が一様にうんざりした顔になる中、トラツグミが全員の胸中を代弁した。

「早えーよバカ」






「――もうその話のカタはついただろうが」

 警察業連合本部は、サウス・ツーから遠く離れた、島嶼連邦の中心都市セントラル・シティにある二十二階建てビルに置かれている。

 その最上階の一部屋――会長室には、今、四機のエメスがいる。

「アレはもう八課の営業所に行ってるんだろ。腹括れ、腹を」

 高価そうな木製のデスクに、姿勢を崩して座ったエメスが、呑気な調子でそう言い放つ。塗装は銀色。

 背後にはセントラル・シティを一望できる風景が広がっているが、これは窓ではなくスクリーンで、リアルタイムで外部の映像を投影させているだけだ。

 傍らには武装した護衛が一機立っており、斜め向かいのデスクでは秘書が事務作業を続けている。

 そしてデスクに向かって姿勢を正して立つ、紫で身を装ったエメスが一機。

「納得行きませんね、会長」

 ハスキーな女性の声でそう言った紫のエメスは、やれやれと肩を落とす。

「だろうな。つうかお前は納得することの方が少ないじゃねえか」

「……会長」

「お冠だなヤマメ、“会長”たぁ他人行儀じゃねえの」

 ヤマメと呼ばれた紫のエメスは、直立の姿勢を崩して腕組みすると、銀色の外装の奥で笑う相手を、呆れたように睨んだ。ついでに言葉遣いも崩して、

「数珠丸さん。アタシの部下に山賊まがいの仕事をさせないで欲しいんですがね」

「不満そうにしてるが、こりゃ結構大事な仕事だぜ?」

 銀のエメス――数珠丸は、マイペースを崩さない。

 数珠丸という彼の名を、知らぬ者はこの島嶼連邦にはいないだろう。連邦制移行に伴う合衆国との同盟失効、軍備放棄、その後の人類侵攻の責が警察に転嫁された結果としての、警備業の治安維持業務への参入。そこから官営警察の縮小撤退、国外企業の参入、それに対抗しての国内大手四社による寡占の成立――現在の警察業連合は、一警備会社の経営者でしかなかったこの男によって築かれたと言っても過言ではない。島嶼連邦政府がその実権の多くを失った今、連邦の事実上の盟主はこの男だとすら言う者もいる。

「つうか、こういうときのための八課だろうが。お前の部下のデカブツ、面倒見るのにいくらかかると思ってんだ。あいつの年間整備費だけで戦車が買えるわ。いくら泰山重工と折半だっつってもな。メフォラシュ・アンプ搭載機がどうのこうのはさておき、能書きばっかで金だけ食ってるってんじゃかなわんぜ」

 数珠丸の指摘は八課の最大の弱みだったが、ヤマメは動じた様子もない。

「メフォラシュ・アンプもありますが、ダイダラ課長のキモはそこじゃないんでね」

「そうともさ。だからそのキモんとこで頑張ってもらおうってのが今回の趣旨だろ」

「そりゃ、必要なことならやらせますけどね、これじゃ誰が誘拐犯なんだかわかりゃしない」

「世間様へのアピールなんざ、ドギツイくらいじゃないとわかってもらえねえんだよ」

「私刑団やら人間派やらと遊んでやるのも御免ですよ」

「だから、連中みたいなのが俺達の仕事を増やさないようにだな、適当にガスは抜いてやらんといかんのよ。それはそれとして、人類教団本部に対しての面子だってあるしな……つうか何で今更、お前にこんなこと言い聞かせにゃならんのだ、俺が直々に」

 数珠丸のぼやきに、ヤマメは右だけ肩を竦めた。

「で、連邦政府との交渉は上手くいってるんですか? 連邦政府は、後ろ盾をどうにかしない限り――」

「今更お前に言われんでも、後ろについてる大共和国と合衆国を揃って黙らせにゃならんことぐらいわかってるわ。だがまあ、今回の件についちゃ、連中、後ろ盾に泣きつくつもりはなさそうだ。今の時点ではな」

 ヤマメは頭を押さえた。

「連中がそうそう都合よくババを引くとも思えませんがね」

「いや、案外、感触は悪かないんだよ。ま、上手く行きゃ、連中は三度の充電より大好きな、人類への平謝りができる。ウチもいつまでも人間を抱えてるわけにゃいかんし、かといって直接返すわけにもいかんし。ウィンウィンだな」

「ンなことのためだけに、ウチの部下は子供を人質に取る役をやらされると。警業連がならず者集団扱いされるのも頷けますよ」

「だけってこたあない。さっきも言った通り、各方面の皆々様のだな、日頃の鬱憤を晴らすいい機会にもなってんだ。八課営業所の前はもう盛況だそうじゃねえの」

「……」

「睨むなよ。お前の部下にゃ悪いが、それもお仕事のうちだ。……ああ、お仕事で思い出したけどな、連邦政府への引き渡し交渉、お前に任せるわ」

「はぁ? それは渉外本部の仕事でしょうに」

「政府側からお前を御指名なんだよ。モテモテじゃねえか、よかったな」

「……」

「それも面白い話だよな。KSS威捜八課ってのは、元々は人類占領区対策のマスコット用に作ったモンなのに、お前がまたイロモノばっか集めてきたおかげで、連邦政府にも印象悪くねえんだからな。ん?」

「……。……その件は了解しました。じゃあすぐにでも」

「あいよ。バズワードの野郎には話を通してある」

「わかりました。失礼します」

 ヤマメは一礼して踵を返しかけ――ふと振り返った。

「ああ、そうそう。娘さんの近況報告ですけど」

 途端に数珠丸は顔をしかめる。

「要らねえよそんな報告」

「すっかり八課に馴染んだみたいで、異動当初みたいな衝突も最近はないらしいですよ。よかったですね」

「要らねえっつってんだろうが。行け行け」

 追い払うように手を振る数珠丸。ヤマメは内心にやりとした。

(このネタ出すと弱いからなあ。や、拾い物だったよねえホント)






 日が落ちたが、八課営業所前でのシュプレヒコールは続いている。

 もっとも、八課の面々は飄々としたものだ。いつものこと、とまではいかなくても、このオフィスにいれば珍しいことではない。むしろ、静かな方だと言える。主要なメンバーは人類政府大使館に繰り出し、罵倒と擁護の応酬を繰り返しているのだろう。

「まァでもアレですぜ、腰据えられる店は減りましたわ。つうか入れ替わりが激しいですなァ」

「そうか。俺が行ったのは昔だが、ヤマメさんの贔屓の店があったろう、あそこもか?」

「ありゃまだやってますなァ。その辺の見る目は、さすが地元人っちゅうことなんですかな。課長もたまにゃァ飲みに行きませんか。どっかの広場でも借りきりゃァいけますぜ」

「俺が出歩けば、もれなく外の連中がついてくるぞ。どんな大名行列だ」

「わはははははァ、違いないですなァ」

 オフィスの課長デスクの前では、点検を終えた山風と、事務作業の手を休めたダイダラが談笑している。無論エメスが酒を飲むわけではないが、似たような開放感を味わえる施設は存在している。そこへ足を運ぶことを指して“飲みに行く”と表現するのは、無論、人間の飲酒から表現を借りてきているのだ。

 これに限らず、意味は通じるものの、エメスにストレートに当てはめると意味不明な表現は多い。“人”という文字もそうで、口語としては人類であれエメスであれ、一個体を指す言葉として通じる。文語、特に公的文書では決して使われない用法ではあるが。

 飲み屋街の変遷について語る男二人を尻目に、昴は自分のデスクで拳銃を分解していた。エメス用の武装は、光学映像センサとFCS回路を中心に電子部品が多いが、それでも簡易な分解が可能であることが銃器の必須要件であるのは、人間用のそれと変わらない。

 と、エントランス通路に通じるドアが開き、トラツグミとティンカーベルが入ってくる。

「――何度も言ってますけど、“プリテンデーント”のせいで、体幹関節に負荷がかかり過ぎなんです。E.A.I.系フレームの設計は関節の遊びを広めに取ってあるからまだ何とかなってるだけで。アクチュエータの消耗は交換すればどうとでもなりますけど、フレーム骨格の歪みは――」

「だーっ、うっせーな! なんで被弾せずに済んだのに説教されなきゃなんねーんだよ!」

「あんなバカなエクステンション積む方がおかしいんですよッ!」

「オレの勝手だろーが!」

「整備するのはこっちなんですッ!」

 ダイダラが嘆息代わりに、冷却ファンから空気を吐き出す。

「ただでさえ外がやかましいんだ。静かにせんか」

 即座に二人は返答。

「しょーがねーよ旦那よー。お嬢がうるっせぇんだ」

「課長もそう思いませんか!? あんなエクステンション積まれたらやってられませんよッ!」

 ダイダラはふぅむと頷く。その目がきらりと光ったのは気のせいか。

「確かにフレーム骨格に負荷がかかり過ぎるな、“プリテンデーント”は」

「でしょうッ!?」

「もっとも、あの斜め上の発想は嫌いじゃない。携行で固形燃料ロケットブースタなんて代物出してくるのはルィツァーリ・テクぐらいだぞ」

「それはわかりますけど……。あそこはネタを単発で投げっぱなしで、フレームまで含めてのコンセプトで提示するわけじゃないのがどうも好きになれないんですよ。E.A.I.とかもそうですけど。ちょっと前の“ヒッパリオン”なんてその典型じゃないですか。面白い設計が多いのはいいんですが、運用考えてるのかなっていう」

「後肢追加エクステンションだったか? アレはまさしく投げっぱなしもいいところだったな……まあ使ってる物好きもいるらしいが。だがコンセプトがガチガチでも、それはそれでな……。俺が言えた義理じゃないが、泰山重工はその気が酷い。立場上批判はしたくないが、鋭鋒工業から陰口を叩かれても仕方ないな、アレは」

「確かに……。その辺バランス取れてるのはフリュール・コルサ辺りですか」

「他社製品とのマッチングに対するこだわりは職人芸の域だからな、あそこの製品は。パンチが利いてないといえばそうだが、矢倉精機のとはまた違った意味で繊細でいい」

「ですよね、いじってて飽きませんもん。そういえば、フリュール・コルサとファンタジック・ダイナミクスが共同で新しいコンセプトモデル出すって話、聞きました?」

「らしいな。例によって高機動型らしいが、コンセプトモデルと言いつつ近々の販売もありそうだし、かなり期待して見てるんだが……」

 いまいち余人の入りづらい話題で盛り上がり始めるダイダラとティンカーベル。

「アレが始まると長いけぇのォ。まあ二人ともそっちが専門なのは判るがなァ」

 のそのそと退散してきた山風が、昴の隣にある自分のデスクに着く。

「詳しいのはいいけど、所詮道具なんだし、愛着を語られても困るのよね」

 解体した拳銃を手入れしながら、昴が相槌を打つ。

「まーいいけどな。機嫌悪い時とか、その手の話題振ると誤魔化しやすいし」

 寄ってきたトラツグミが、そういって軽く笑った。

 昴と山風が半眼になる。

「それを多用しないといけないのはトラ君ぐらいだけどね」

「課長のカミナリもティンカーベルの小言も、トラに集中しとるけぇの」

「う、うっせー」

 矛先を向けられたトラツグミが、言い捨ててデスクを離れた。

「あら、どこ行くの」

「エフんとこ。ひやかしてくるわ」

 その脚部からくる広いストライドで、広いオフィスをさっさと横切っていくトラツグミ。

 彼がくぐったドアが閉まるのを見送りながら、山風が腕を組む。

「また子供相手に噛みつかにゃいいがなァ」

 昴が、拳銃のバネを取り換えながら答える。

「大丈夫だと思うわ。多少は頭も冷えただろうし」

「ほうかい。まァ、お前さんがそう言うなら大丈夫じゃな」

 そう言って笑う山風に、昴は軽く肩をすくめて見せる。

 と、ダイダラのデスクの電話が鳴った。

「む」

「あ、私が」

 ダイダラが手を伸ばすより早く、ティンカーベルが受信ボタンを押す。

 画面に――電話にはカメラが付属するのが普通だ――浮かび上がったのは、紫に塗られた女性のエメス。

『よう、ダイダラ君。今、ちょっといいかい』

 そう言って、彼女は自分の頭を指でつついた。

 ダイダラは頷くと、回線を頭部内蔵の無線に切り替える。

「お疲れ様です、ヤマメ常務。どうぞ」

 女性――ヤマメは、

『たった今、連邦政府の連中と話してきたトコなんだけどさ。とりあえずその内容からざっと話すけど――』






 時間は多少遡る。

「どうも。会長から話は行ってると思うけど」

 ヤマメがそう言った相手、小柄な男性型エメスは、慇懃に答えた。

「伺っておりますよ、ヤマメ常務。掛けてお待ちください」

 モニタが備えられた小さな会議室である。いるのはヤマメとその男のみ。

「御丁寧にどうも。で、それまでは何て話になってたの」

 小柄な男は首を傾げ、

「それは会長からお話があったのでは?」

「小芝居はいいよバズワードさん。会長がそんな細かいこと説明するタチじゃないのは、あたしら判ってるはずだ」

「や、これは失礼」

 男――バズワードは、芝居がかった仕草で頭を下げた。この男の言動の端々に匂う芝居っけは、十年以上仕事を共にしても慣れることなく、ヤマメの鼻につく。

 渉外本部長であるバズワードは、ヤマメよりも幾つか年上で、勤続年数はほぼ同じ。肩書はヤマメの方が上だが、ヤマメの場合は数珠丸の子飼いの便利屋という感が強く、実質的な責任と権限はバズワードのそれの方が広範に及ぶ。にも拘らずこんな物腰のやりとりなのは、単にバズワードが誰に対しても腰の低い物言いで対応するからだ。

「ではご説明を。我々としては、こちらで保護した人間の引き渡しについては、連邦政府側がそうと望めば引き渡してもよい、という方針で臨んでおりました。無論、拒否されて元々のつもりで。人類占領区成立十周年のほとぼりが冷めた頃に、ひっそりと引き渡すことになるだろうと考えていたのです。あとはその引き渡しの体裁をどう詰めるかが焦点だろう、と」

 ヤマメは頷いた。それが順当だと彼女も思う。

「が、意外なことに、政府側は引き渡しに積極的でして。ただし極秘裏であることに固執しております。加えて、引き渡しの委細はヤマメ常務とのみ話したいと」

「何かヤな感じだなあ……向こうの担当者の名前は?」

「ノブリスという方です」

「人執評議員にそんなのいたな、新参だったはず」

「さすが、よくご存じですな。両親が高級官僚で、自身は半年前に人権執行委員会、評議員入り。今は人類占領区十周年記念式典への対応を担当している筈です」

「アレの関係は、ウチが警備の受注を蹴って、人執が駆り出されたんだっけ」

「ええ。今までは人類関係の仕事でも、直接人間を警護するのでなければ引き受けておりましたが、今回ばかりは、ということで」

「そんな方面に回されてるはずの奴が出しゃばってくること自体、怪しいよなあ。何考えてんだか……そいつ、名前負けじゃなきゃいいけど」

「ホホ。そういえばヤマメ常務は、以前からお名前を変えませんな」

 話題を変えてきたバズワードに、ヤマメは右だけ肩をすくめて見せる。

「親から貰った名前で充分、間に合ってるんで」

「や、今のお名前も、素晴らしいと思いますよ、勿論」

「そりゃどうも」

 半眼でヤマメは呻く。どうもこの男に言われると、褒め言葉も皮肉に聞こえていけない、と思いながら。

 エメスが自分で改名するのは珍しくない。全てのエメスがそうするわけではないが、何か大きな転機があった時など、それにふさわしい名に変えることはごく普通に行われている。無論、経歴隠蔽などの面で不都合はあり、簡単すぎる改名を規制しようという議論は何度も持ちあがったが、慣習はなかなか変えづらい。

 エメスの個人認証は原則としてコアユニットの製造ナンバーで行われ、名前が必ずしもアテにされないのはそういう理由だ。

「そういや、ウチで預かってる子、身元とかは? 名前は名乗ったわけだし、そっから照合できなかったのかねえ」

 ヤマメの問いに、バズワードは目を細める。

「名、外見共に、島嶼連邦内に居住登録した人間のリストには該当者なし。現在、人類教団側に照会中ですが……未だに返答がありません」

「……」

 ヤマメは顔をしかめた。

「実行犯の取り調べは……」

「KSSの捜査課によれば、私刑団に雇われたフリーランサーだと自供しているそうで。人間向けホテルにそこそこ富裕な人間が宿泊するらしいとの情報から、その拉致を依頼されたのだと。雇ったのは三つの私刑団――“人類を根絶する会”“愛国決起団”“皇国を取り戻し隊”の連合とのことです」

「ンな話、公安で見逃してたっての?」

 全ての警察業企業に設置された公安部署は、警業連本部に設置された渉外本部内の公安部を頂点として統率される。つまりはバズワードの指揮下ということだ。それを指してのヤマメの非難である。

「全く面目ない。連合といっても、主要なメンバーによるものではなく、末端の面々が草の根的に集まって短期間で暴発したという経緯のようで。幹部クラスの動向についてはほぼ把握できておったのですが、思わぬところで足元を掬われました」

「ま、そう考えれば杜撰さ加減はわかるけど……その子が裕福ってことになると、照会結果が来ない理由がますますわからなくなるなあ……」

「該当なし、ではなく、返答が返ってこないということになりますと、何らかの作為を疑わざるを得ませんな。我々も調査を進めておるところですが」

「時間稼ぎした方がいい?」

「お任せいたします。本末転倒になっては元も子もない。……さて、そろそろ指定の時間です。私は失礼を」

「了解」

 一礼して退出するバズワードを見送って、モニタに視線を移す。

 と、タイミングを計ったように、モニタが点灯。颯爽としたデザインの外装を纏った男性エメスがそこに映っている。

『どうも。警業連本部のヤマメ常務ですね? わたくし、ノブリスと申します』

「はいどうも。よろしく、ノブリスさん」

(鋭鋒工業の“烏帽子”か。いいフレーム使ってんじゃないの。外装のコーディネートも悪かないかな。物腰もひとまずは如才なし、と)

 外観をざっと値踏みしながら、ヤマメは相手の出方を待った。

 ノブリスは若い男の声でにこやかに、

『不躾な申し出にも関わらず応じて下さり、ありがとうございます』

「いやいや」

『内密にとのお話で、お気を悪くされてはいないかと心配しましたが……』

「や、全然気にしてないよ」

(まさか本気ににゃしてないだろうね)

 会話内容は当然、隣室で聞かれている。全くお膳立てのない口約束の「内緒話」が成立する筈もない。

 ノブリスが多少なりと場数を踏んでいるか、経験豊富な助言者が傍にいるかすれば、その程度のことは判るはずで、そもそも内密で話したいなどという条件を持ち出してくる筈がない。つまり、

(この坊ちゃんの独断ってことでいいのかな。何考えてんだか)

『では、本題ですけれども……。御社で……貴課で身柄を保護している人間の少女ですが』

「うん」

『……我々に引き渡して頂きたいのです、早急かつ秘密裏に……』

「いきなりそれってのはさぁ」

『わかっております。ですので、八課を擁する貴女にお話を持ちかけたわけです』

「っていうと?」

 ノブリスは、わずかに声を潜めた。

『……応じていただければ、相応の見返りはご用意させていただきます』

(おいおい。こりゃドッキリ番組か何かかね?)

 ヤマメは失笑してしまった。とにかく要求を呑め、見返りは与える、という乱暴極まりない切り出し方は、もはや交渉でも何でもない。

 が、ノブリスの方では、ヤマメの失笑を別の意味にとったらしい。わずかに身を乗り出し、勢い込んで続ける。

『勿論、失望はさせません。具体的な数字を示すことはできませんが、必ずご期待に――』

「いやいやいや」

 ヤマメは笑いながら、片手を上げてノブリスを遮った。

「うん、何だ、聞かなかったことにしてあげるからさ。もっと偉い人に相談してきなよ、君の上司にさ」

『……』

「若いうちは右も左もわからないよね。ま、そうやって成長してくもんさ」

『……』

「相手がアタシでよかったねえ。他の奴だったら君、カモネギどころじゃ済まないよ、ホントに」

 しばらく黙ってヤマメの言葉を聞いていたノブリスが、奇妙に平坦な声音で訊いてくる。

『……それは、同意して頂けないということでしょうか?』

「んー、まあ、それ以前の問題ってトコかな」

 ヤマメとしては、ぼかした言い方で相手の逃げ道を残したつもりだったが――ノブリスは、ぐっとトーンを落として応じる。

『……こういったことは申し上げたくなかったのですが』

「ん?」

『現在、私は人権執行委員を動員する権限を持っています』

「……」

『そして貴女方は現在、人間を不当に拘留している。明らかな人権侵害です』

「……」

 ヤマメは額を抑えた。人間であれば、盛大に溜息でもついていただろう。

『……私としても、事を荒立てたくはない。よくお考えになって――』

「甘ッたれんなよ、坊ちゃん」

 ドスの利いたヤマメの声が、ノブリスの言葉を縫い止める。

「喧嘩売っちゃうんだ? ……仏のヤマメさんでもさあ、さすがにちょっと見逃してあげらんないのよ、それは」

 雰囲気をがらりと変えたヤマメに、ノブリスは威圧されて言葉を返せない。

「君が人執をどんだけ動かせるのか知らんけどさ。ウチの連中、あんまナメないこったね。売られた喧嘩は買うよ。――もし来るなら、戦争になっちゃうけどね。自分で言った意味もわかってないんだろうから、言っといてあげるけどさ」

『……ッ、』

 ノブリスが何かを言いかけて躓く。

「最後通告すんのはこっちだ。勝手にできる部下持ったからってはしゃぐなよクソガキ。さっさと上司に泣きついて、ケツ拭いてもらいな」

 通信は不意に遮断された。






『……って感じでね。向こうが暴発した場合に備えといて欲しいわけ』

「……それはまた」

『まさかとは思うけど、何でこっちから折れなかったんだ、とか言わないよね』

「そこまで子供ではないつもりですが……」

 そこで脅しに屈するわけにはいかないことぐらいは、ダイダラにもわかる。

「向こうの部隊規模や練度はどの程度ですか」

『渉外部が確認に手間取っててさ。そんな凄い精鋭とかじゃないはずだけど』

「相手の素性は?」

『どうも非戦派のボンボンらしいんだけど、そいつがどうも国権派に上手くハメられたっぽいのよ。政府の情報が取りづらいのもそれ。非戦派と国権派がアレコレやってるせいで、情報が錯綜してるみたい』

「政府の内部抗争ですか」

『馬鹿馬鹿しいって?』

「いえ、あまり他所を笑える身でもありませんので」

『そりゃ謙虚でよろしい』

「八課以外の動員は?」

『んー、ちょっと厳しいんだよねえ』

「人間の護衛を手厚くすることは、人間に媚びていると取られかねない、と」

『そゆこと。そんな感じで悪いんだけどさ』

「……全力は尽くします」

 ダイダラは唸るように答えた。無論、辞令を拒むつもりも権利もないし、“こういうこと”のための八課でもあるのだが、さすがに話が曖昧すぎるのは不満だった。

『ヨロシク』

「加減の保障はできませんが」

『そりゃ、こっちもちゃんとした情報渡せてないしね、しょうがない』

「わかりました」

『何かわかり次第連絡するよ。んじゃ』

 通信が切れた。

 ダイダラは険しい表情で、ファンから空気を吐き出す。

 と、物問いたげなティンカーベルの視線に気付き、ダイダラは視線を和らげた。

「武装の準備を頼む。全員だ」

「は、はいッ」

 頷いて踵を返しかけたティンカーベルは、肩越しに振り返る。

「……って、課長の分もですか?」

 ダイダラは仏頂面に戻って返答。

「“五龍”だけでいい」






「テレビつければ、前々夜祭は観られると思うけど。観るかい?」

 エフの問いに、少女は首を横に振った。

 営業所の一角にある休憩室である。エメス達には人間と同じ意味での肉体的疲労はなく、充電さえできれば稼働するが、それでも主な動力源に人工筋肉を用いている以上、弛緩は電力の消耗を抑えることになるし、まとまった休息がとれれば、人工筋肉に付帯するナノマシンによって組織の劣化を遅らせることができる。睡眠――サスペンドモードも、フレームOSやエゴ・メモリの断片化解消を行うために必須である。

 とはいえこの休憩室、特に肌触りという点では人間にとって居心地のいい場所では全くなく、営業所のあちこちから布やらシート類やらをかき集めて、とりあえずソファは座れる代物に仕立て上げられていた。

 外からは、拡声器によって増幅された罵声やシュプレヒコールが遠慮なく響いてくる。エフの提案は、その喧騒から少しでも気を紛らわそうという気遣いだったのかもしれない。

 が、少女はぽつりと呟いた。

「観ても気分が悪くなるだけ」

「おいおい。そんなこと人類領でおおっぴらに言ったら、改悛局に連行されるよ」

 エフは苦笑。彼の視界には、延々と≪加害不可≫のアラートがちらつき続けていた。その煩わしさに耐えながら、彼は少女を見やる。

 二人はテーブルを挟んで向かい合って座っている。卓上にはミネラルウォーターのペットボトルと、それが注がれたコップが一つ、それに未開封の缶詰がいくつか。先刻届けられたものだ。

 少女はコップを手にし、少し口をつけてから、エフを見た。

「あなたこそ、嫌じゃないの」

「何が?」

「……人間が」

 少女の小さな言葉にかぶせるように、遠くから怒声が響く。

『――は前大戦における罪を反省し、その清算に全力を尽くすべきである! しかるに――』

『――も関わらず、サウス・ワン地区を人類占領区として不法に占拠した人類を放置し――』

 それらを訊き流しながら、エフは少し思案。

「んー……まあ、僕だって、人類派みたいなことを言うつもりはないけどさ。ただ、人類もエメスも、個々を取り出してみれば、そこまで違う生き物じゃないってことは、わかってる」

「……」

「僕はさ。ここに来る前は、人類占領区担当の諜報員だったんだよ。有機体擬装フレームに入って、人類になり済ましてさ。そういうエメスがいるって、聞いたことない?」

「……話にくらいは」

 少女は驚きの顔を見せていた。彼女の立場では、実感の湧かない話だったろう。

「そうやって“人間”として生きてみた結果、まあ、エメス側からの一般的なイメージとは、ちょっと違うかなってね。……かといって、いい面ばっかり見たわけじゃない。正直、ぞっとするような光景だって見たさ。根っこが同じかわからないけど、君が式典を見たがらないのは、僕も同感だね」

「……嘘ばっかり。わたしが暮らしているところは」

「……」

 零れた吐露に、エフは穏やかに沈黙した。

「……あの男は。ただの俗物。口先ばっかり。みんなの生活が大変でも、いい暮らしして、下の人間なんか一山いくらぐらいにしか見てなくて……。でもみんな、それを知ってるのに、……知ってるのに、わからない。……信じない」

「ま、冷めた目で見ればそんなものだけど。一応、功罪あるからね、彼は」

 エフはソファに身を沈めた。

「誰だって、信じる寄る辺は欲しいものさ」

「信じるに値しないものでも?」

「それは君から見てそうだってだけさ。信じるに値すると思う者もいるし、そもそも、信じるから価値が出てくるってこともある」

「……」

「人類がそのスペックで“万物の霊長”の立場に立てなくなった以上、スペック以外の価値が必要だったのさ」

 少女は視線を落として、低く呟く。

「……人間には“魂”があるけれど、エメスにはない。……だから、人間は尊いけど、エメスはモノでしかない」

「そうそう、そういう類のね」

「……わたしだって、エメスが好きってわけじゃない」

 少女の言葉に、エフはあっさりと頷く。

「だろうね」

「……でも私は、それ以上に、人間が嫌い」

 エフは再度苦笑。

「……どっちもそんなに変わらないよ。隣の芝は青いってやつさ」

「少なくともエメスは、ろくでもない人を神様だなんて言い出したりしない」

「そうでもないよ? まあ、数は少ないけどね。何せ僕らエメスには、もう”創造主”様が目に見える形で沢山いらっしゃるわけだから、そういうのは間に合ってるって事情がある。単にそれだけ」

「……」

「エメスは、“神”や“教祖”以外の、何か別のものに縋ってるってだけさ。呼び方が違うだけで。誰かや何かをを盲目的に祭りあげたり、逆に目の敵にしたり、はたまたそれを煽り立てて利を得たり、ってのは、人間もエメスも変わらないと思うよ」

「……っ」

 少女はきゅっと唇を噛んで、エフを見つめた。いや、睨んだと言った方がいい。物静かだった少女が、今までにない鋭さで感情を露わにしていた。

 少女はそうして、何かを言おうと言葉を探していたようだったが、やがて諦めたように視線を落とした。怒っていた肩が、すっと落ちる。

 エフはそんな彼女をしばらく見つめてから、つと視線を上げ、

「……それはともかく、立ち聞きってのはマナーが悪くないか、トラ」

「べ、別に聞こうと思って聞いてたわけじゃねーよ」

 少女が顔を上げると、黒い逆関節脚のエメス――トラツグミが、戸口に立っていた。

「小難しい話してっから、入りづらかっただけだっつの」

「まあいいけどさ、聞かれてそう困る話じゃないし」

 エフは小さく苦笑。

 トラツグミは決まり悪そうにエフを一瞥した後、少女と視線を合わせた。

 少女は、わずかに上目遣いになりながらも、トラツグミの視線を受け止める。

「……」

「……」

 しばしの沈黙。

「……なんでもねーや」

 そう言い捨て、ぷいと踵を返すトラツグミ。

「おいおい、何だよそりゃ」

「なんでもねーっつーの」

 エフの言葉もはねつけて立ち去ろうとしたトラツグミに、

「……ねえ」

 少女の声がかかった。

 トラツグミは肩越しに振り返る。

「あんだよ」

「……人間が憎い?」

「……」

 トラツグミは言い淀んでから、ぶっきらぼうに答えた。

「憎いっつーか、まあ、ぶっちゃけ嫌いだけどよ。けどまあアレだ、なんつーの?」

 言葉を探すように天井を睨んで、

「お前個人をどうこうしたいとか、そーいうのじゃねーよ。だからアレだ、さっきも言ったけど、とりあえずは安心しとけ。外のバカ共が突っ込んできても、オレらが片付けっからよ」

 そこまで言って、今度こそ歩み去る。

「……」

 黒い背を見送った少女に、しばらくの間を置いてから、エフが静かに告げる。

「……トラにはね、親がいないんだ」

「……人間に殺されたとか?」

「いいや。……エメスは原則、稼働中の複数個体の――親の意識情報をプラントに入力することで新しいエゴ・メモリを始動させるけど、そういう手順を踏まなくても、プラントから直接生まれる――製造されることもできる」

 少女は目を瞬かせる。

「……どうやって?」

「最初期のエメスを製造するのに使われたデータ――最初に人類の人格を元に用意された複数の人格情報を使う。それだってデータ数はかなり多いし、それを複雑に組み合わせるわけだから、判で押したような人格が出来あがるわけじゃないけどね。ただ、トータルの資質としては、何て言うのかな……当初のエメス製造目的に近い個体が生まれてくるって言われてる」

「……それって」

「そう、つまりは、戦闘用にね。そういう、プラントから直接生まれたエメスを“アーキタイプ”なんて呼ぶけど……エメスは代を重ねるごとに、戦闘機械としての面が薄れてきてるって言われてる。フレームや武装なんかのハード面は進化してるから、目立たないんだけど。ただ、アーキタイプと現代のエメスを同条件下で比較すると、やっぱり確かに違うね、持って生まれたモノが」

「……強いの?」

「トラはさ、僕らの中じゃ、ティンカーベルの次に若手だよ。要するに現場組じゃ一番若い。しかも正規の戦闘訓練は入社まで一切受けたことがないし、実戦経験ったって不良の喧嘩レベルだったらしいし。けど僕らと――いやまあ、僕は直接戦闘専門じゃないから、山風や昴と――もう肩を並べてるし、単純な個人戦闘をやらせたら大体トラが勝つだろうね。勘が異様にいいんだよ。あの脚、見たろ? 挙動が全然違う特異な構造のフレームを選んで、それにあっという間に適応したし、尖ったスペックの装備だって手足みたいに使ってるんだ」

「……じゃあ、戦争に勝ちたかったら、その“アーキタイプ”ばっかり生まれさせればいいんじゃないの」

 少女の素朴な意見に、エフは彼女の目を覗き込んだ。

「一応、国際的には禁止されてるけどね、建前上は。まあ勿論、どこも同じことを考えてるから、アーキタイプ製造は公然の秘密ってやつだね。……仕方ないと思う?」

 彼女は視線を落とす。

「……思わないけど、……人間も、そうしてる」

 エフは遠い目をして呟いた。

「……遺伝子工学による生体強化か」

「そう。親の遺伝子を改造して子供を強くすることもあるし、細胞を培養して一から人間を作ることだって、やってる。……神から与えられた生命の神秘で機械に打ち勝つんだって。遺伝子改造は神の恩寵だって。……教団上層部の人間は、ほとんどやらないけど」

「“御教え”は有機生命の尊さを強調して、身体の機械化を禁じてるからね。その条件下でエメスとのスペックを少しでも埋めようとすれば……ね」

「出来ることなら、それがどんな酷いことでも、人間はする。……しないではいられない」

「エメスも、か」

 エフはソファに身を沈める。

「……人類占領区成立よりかなり前、サウス・ワンがまだあった頃――その頃はまだ、この国は島嶼連邦じゃなくて島嶼皇国だったけどね――、人類に小島が幾つか占領されるってことがあった。新型の遺伝子改造兵が思いのほか強力だったとか、そんな話だったと思う。それで一時的に人類脅威論が盛り上がって、アーキタイプの出生が計画されたんだってさ。周辺各国は自国を棚に上げてバッシングの合唱だったり、国内左派も大騒ぎだったらしいよ。それでもパニックの勢いが勝ったんだろうね、計画は強行された」

「……」

「けど、極端から極端に走るのと、熱しやすく冷めやすいのは、この国のお家芸でね。それから何年かかけて、少数ながら何度かアーキタイプが生み出されたんだけども、結局、対人攻撃制限自体は撤廃されなかったんだ。笑っちゃうだろ?」

「……」

「そんなわけで、アーキタイプ生産は非人道的行為だった――なんて手のひら返しの論調が横行した。アーキタイプは存在意義を失ったし、“ただの戦闘機械”みたいに言い立てる手合いもいた。そういうのはごく少数だったと思うけど、大手のメディアがやたらクローズアップしたから変に浸透してね。……トラへも例外じゃなかったみたいで、かなり荒れてたらしいよ、昔は」

「……」

「その頃に、課長に――いや、当時は課長じゃなかったと思うけど――世話になったんだってさ。それで心機一転、課長の下で働きたい! って頑張って、本当にそうなっちゃったんだから、凄いもんさ」

「……」

「……とまあ、ちょっと寄り道が多かったけど、トラが人間に対して複雑なのはその辺でね。普通のエメスが人間に抱く敵愾心とはちょっと違う根っこがあるってわけ――人間に対してだけじゃないけどさ、もちろん。とにかくまあ、わかってくれとは言わないけど、一応知っておいて欲しいなってね。……でもトラには内緒だよ、プライバシーの話だから。本当はマナー違反だ」

 エフはウィンクしてみせる。少女は黙って頷いた。





「……ンだよ、調子狂うぜ。ったくよー」

 ぼやきながらトラツグミがオフィスに戻ってくる。

「おお、何やっとったんじゃ、トラ。お前もさっさと武装せんかい」

 言った山風は、左腕に大盾を携え、右背にはカービンを、右肩側面には長剣をマウントしていた。両足に追加されたブーツのようなユニットの側面には、タイヤがついている。

 と、奥の『装備室』と書かれたドアが開き、昴が現れる。彼女は背に長銃と短機関銃を背負っている。

 続いてドアの向こうから、ティンカーベルが顔を出した。

「トラツグミ! 早くしてください! 課長が待ってるんですからッ!」

「え、何、旦那も出んの?」

 トラツグミの疑問に、ダイダラが応える。

「そうならんことを祈るがな。ティンカーベル、トラツグミに説明してやってくれ。昴はエフとあの子に説明を頼む」

「了解。説明するほど情報がない気もしますけど」

 ちくりと言ってから、昴が休憩室へと向かう。残った山風も頷いて、

「ま、課長の立場も察せんでもないですが、わしも同感ですなァ。話がちと漠然としすぎですわ」

 ダイダラは唸るように、

「……気持ちはわかるが――」

「だいじょーぶっスよ、昴やオッサンがやんなくても、オレは旦那についてくんで」

 口を挟んで話の腰を折りつつ、昴と入れ替わりで、トラツグミは装備室に踏み込んだ。背後でドアが閉じる。

 と、何か言いたげなティンカーベルと目が合う。

「あんだよ、お嬢」

「いや別に……」

 目をそらしたティンカーベルに、トラツグミはけろりと、

「お嬢も言やあいいじゃん。ワタシ課長に一生ついてきますぅ! とかって」

 ティンカーベルの頭部ファンが熱風を吹き出す。

「はぁッ!? そッ、そんなこと言えるわけないでしょうッ!」

 怒鳴ってから――不意にうつむき、小さく付け足す。

「……それに私には、そんな資格なんて」

「ふーん。で、何で武装すんだよ?」

「……!」

 何かを堪えるように頭を押さえたティンカーベルが、気を取り直して顔を上げる。

「……人執があの子を拉致しにくる可能性があるんだそうです」

「何で昴とオッサンはブーブー言ってんだよ」

「敵の規模が不明な割に、応援がないからですよ」

「そんなのいつものことじゃんか」

 平然と言いながら、トラツグミは壁際に設置された鉄塊を背にして立った。

「……それはそうかもしれませんけど」

 呆れたように言うティンカーベルが、近くのコンソールについた。

「んじゃ、いつもので」

「わかりました」

 ティンカーベルが頷き、コンソールに手を掛ける。こういった機器は、無線で操作することもできるが、電子的防疫(セキュリティ)が重視される場面では、原則としてマニュピレータとキーボードでの入力が行われる。武装等、フレームと直接リンクせざるを得ない電子機器は、厳重に“消毒”されるのが常だ。

 と――

 突然、室内の照明が落ちる。

「「!?」」

 すぐに照明は復旧し、続いて、けたたましく警報が鳴り響いた。

「何だ!?」

 身構えるトラツグミに、コンソールを叩いたティンカーベルが叫ぶ。

「外部からの電源が切れたんですッ!」

「来やがったか!?」

「そう考えるのが自然です!」

 と、壁向こうのオフィスから重々しい足音が響くとともに、装備室のスピーカーから、ダイダラの良く通る低音が響く。

『敵襲! 総員戦闘態勢! 敵の目標はヘレナだ! エフはヘレナの直衛につけ、残る者は応戦、襲撃者を排除しろ!』

「早くしろよお嬢!」

「わかってますよッ!」

 ティンカーベルが更にコンソールを操作すると、トラツグミの背後の鉄塊が動き始めた。伸びたアームが、近くの武装ラックから武装を取り出し、運んでくる。

「背中央部ハードポイント、“サンクトゥス”」

 ティンカーベルが声出し確認と共に、武装の取り付けを始めた。

 現れたのは、噴射口と吸気口を備えた金属の箱だ。まず、別のアームがその箇所の装甲を展開させる。現れた接続ポイントに接続具が差し込まれ、ブースタ――エヴァンジェル・アビオニクス社製の携行型ジェットブースタ“サンクトゥス”を強固に固定。

「右背部ハードポイント、“竜胆”」

 太刀が、トラツグミの背、人間で言う右肩甲骨辺りに運ばれてきた。柄を上にして、鞘の支持具が接続。

「いちいち言ってる場合かよ! ぱぱっと付けろよ!」

「黙っててください! ――左背部ハードポイント、“シヤン・ドゥ・シャッス”!」

 今度は左の背に、短機関銃。その銃身上部には保持グリップと、それを掴んだ状態で固定されている支持具があり、それがハードポイントに差し込まれる。

「腰背部ハードポイント、“薊”」

 腰の裏には脇差が、柄を右にして接続。

「左右腰側面ハードポイント、“プリテンデーント”」

 最後に、噴射口と排莢口を備えた球体がボックスに埋め込まれたような形状の小型ユニット、ルィツァーリ・テク社製フレキシブル・ブースタ“プリテンデーント”が、腰の左右に据えられる。

『――外周部の目ぼしい監視カメラは無力化された。敵数は正確に掴めていないが、確認できた範囲では十名に届いていない』

 ダイダラの言葉に続いて、ティンカーベルが告げる。

「コンディション確認省略。武装完了です!」

「っしゃ!」

 トラツグミはFCSを起動しながら、即座に駆けだした。






『事前情報にあった埋設ケーブルの切断には成功しましたが、電源は復旧。後付けの予備ケーブルか内部電源があるものと思われます』

「了解した。お前達は念のため、本棟以外の建物をあたれ」

『了解』

 襲撃部隊――人権執行委員会・執行委員班長の一人、タテエボシは、体中から滴る海水を払おうともせず、物陰から八課営業所の本棟を見上げた。

 彼のフレームは、藍色に塗られた流線型の外装が特徴的な、グッドホープ・ファクトリー製の“キラーホエイル”。水中工作員(フロッグマン)向けに設計されたそのフレームは、水の抵抗を掻き分けるための大馬力を備え、また全身に気密処置が施されている他、上陸作戦のための反応速度や射撃精度もそれなりに確保されている。その分、海中行動用フレームとしては耐圧性を切り捨てられ、深海での作業には向いていないが。

 と、班員達が毒づく。

「何が“営業所”だ。襲撃受ける前提のつくりじゃねぇか」

「ま、居座ってるのがアレだから」

「違いねぇ」

「――私語は慎め」

 タテエボシは部下に釘を刺しつつも、同じ感想を抱いている。現在の島嶼連邦の治安が悪化していることを差し引いても、いささか堅固に過ぎる――もっとも、それを十全に運用するには人員数が全く足りていないようではあるが。監視システムも、海側からであれば比較的容易に欺瞞できたが、専門の監視人員が配置されていればこうはいかなかっただろう。あるいは、敷地外のデモの喧騒に注意が向いているのか。

(……ここまでは割合楽に来れたが……この後のことを考えれば、人間護衛の立ち番の方がまだしもマシだったかもな)

 タテエボシは胸中で呟いた。この班の練度は、特殊部隊まがいの襲撃を行う水準には達していない。いきなり人類警護の任から解かれ、この要人奪取作戦の指揮官に据えられた。班も臨時に編成された寄り合い所帯である。上陸作戦に多少なりと向いたフレーム装備者を節操無く寄せ集めたものらしい。

(評議委員の連中の後始末は、いつだって自分達現場(執行委員)に押しつけられる)

 タテエボシは手にした突撃銃を構える。クラウディア・アーセナル製“テンペスト”、まとまった性能で癖のない一挺だ。

「一組は自分に続いてエントランスから。二組は裏手に回れ。目標は営業所に留置されている人間の“保護”。交戦にあたっては、可能な限り……相手のコアユニットは傷つけるな」

 ブリーフィングで事前に知っていたこととはいえ、隊員達の表情には一様に不満と不安が伺える。というかブリーフィングでは、可能な限り、ではなく、厳禁とまで指示された。

 理屈はわかる。警業連の人員を殺害したとなれば、政府は警業連に巨大な借りができる。それ以前に、この作戦の発起人――ノブリスとかいうボンボン――の立場が立ち行かなくなる。いや、もう既にどん詰まりだとタテエボシは思うのだが、本人はまだ気付いていないらしい。

 戦闘用フレームのコアユニットは厳重に防護されており、例えば人間同士が撃ち合う場合に比べれば死者が出る確率はかなり低いものの、それでも充分に死ぬ可能性は――互いに――ある。誰でもわかるはずの理屈なのだが、評議委員にはわからない連中がやけに多い――というのはタテエボシの個人的感想だが。

 どうしても殺したくないなら、攻撃などさせないのが最適解である。もっとも、上司の無駄な保身という、二重に救いようのない作戦意図が明白な以上、その手の正論は適用外だ。

 そんな条件であっても、任務である。

「……無理押しはするな」

 そう付け足すのが、彼の立場からすれば精一杯だった。

「二組、行け」

「了解」

 総員六名のうち三名が抜け、建物を回り込む。

 残る二名の部下を率い、タテエボシはエントランスへと身を低めて駆けた。

 素早くエントランスのガラスドアの脇に張り付き、腰の拳銃――ファンタジック・ダイナミクス製“エネルギーボルト”を抜いてFCSリンクを接続、その付属光学カメラだけを壁際から出して奥を見る。拳銃や短機関銃の光学センサで物陰から様子を窺うのは、クリアリングの基本である。

 広いエントランスの奥に、直線の通路が伸びている。ドアはエントランスに一つ、通路の途中と突き当たりに一つずつ。どれも閉まっている。機影なし。

 “エネルギーボルト”を腰に戻し、部下に合図を出す。部下の片方がコンバットナイフを抜き、超振動機構を起動。防弾ガラスに刃を突き立て、頭上から足元まで、一息に切り裂いた。

 即座にタテエボシはドアに蹴りを入れる。飛散防止シートに覆われたガラスは、ヒビを広げながらも飛散はせず、ただ切断しきれなかった残り部分で折れながら倒れる。

 そこで即座に、通路突き当たりのドアが微かに開き、銃口が覗いた。それが火を吹く。

 飛来する弾丸が、タテエボシの装甲を掠めた。

「っ!」

 身体を壁の陰に戻したタテエボシは、“テンペスト”を両手で構え直す。



「ちぃ、当たらんか!」

 オフィスのドアの前で、山風は毒づいた。

 彼が右手に持っているのは、ファンタジック・ダイナミクス社製短銃身突撃銃(アサルトカービン)“ライトニングボルト”。銃身上に取り付けられたレンズは、後ろから覗き込む照準機ではなく、FCSリンクを通じて映像を取得できる光学センサだ。銃器には標準装備のこのカメラを用いて、エメスは基本的に遮蔽から銃のみを出して撃ち合いができる。

 そして山風のフレーム――MWAG社の看板商品“ディアマント”の馬力をもってすれば、小銃(ライフル)であっても片手撃ちは充分可能だ。

 と、相手からも反撃、壁やドアに次々と着弾。かなり強固に防弾処置が施されたドアは、突撃銃にも貫通は許さなかった。

 山風も、射撃モードをシングルショットに切り替えて三発発砲、相手を牽制。互いに遮蔽を取ったエメス同士の撃ち合いは、ほぼ膠着状態に陥る。フルオートで弾をばら撒いても無駄だ。

「さて、どうするかのォ」

 山風の呟きに被せるように、頭部通信機にダイダラの声。

『敵は九名まで確認。三名はエントランスに、三名は搬入口に、残る三名は他の建物を探索中だ』

『他のって、旦那の部屋も?』

 トラツグミがまぜっかえす――いや、本人は割と真面目に言っているが。

『……それはいい、緊急事態だ』

 彼は営業所の監視システムとリンクしている。電子戦用フレームでもなければ電子的防疫の観点から推奨されない行為だが、彼の巨体のキャパシティからすれば、フレーム制御用CPUとは独立した、外部リンク専用のCPUを積むこともできる。大げさに言えば、彼は単機で臨時の司令所になっているわけだ。

『倉庫探索組が合流すれば数で押し切られる。トラツグミと昴は打って出ろ。山風はエントランスの敵を食い止めろ。エフはヘレナの身の安全を最優先』

 そのダイダラがいるのは、彼のデスクの裏側にある、彼専用のハンガーである。先ほどから重々しい駆動音や接続音が続いている。ティンカーベルが彼の武装を急いでいるのだろう。

『りょーかいっス』『了解』『了解』

「了解ですわ」

 他の課員の返答に続けて山風も返答。

(ま、さすがに課長が出張らんでもいいように片付けたいモンじゃが)

 思いながら、散発的に射撃。

 敵が今、突撃をかけてこない以上、動くとすれば倉庫探索組と合流してからか、裏手で動きがあってからだろう。

(あの二人のことじゃ、すぐ動くじゃろ。こっちも合わせて仕掛けるかい)



 裏手の物資搬入口は、大きなシャッターと、その脇のドアからなる。

 そこに駆けつけた三名の執行委員は、ドア脇に張り付く。覗き窓等はない。

 委員の一人が、突撃銃の銃身下部(アンダーバレル)装備の散弾銃(ショットガン)をノブに向け発砲するが、手持ちの部分が吹き飛んだだけで貫通はしなかった。蝶番も外側にはない。

 今回は爆薬類は支給されていない。確保目標が人間であることから、万一にも巻き込まれることを危惧したらしいが、手榴弾の類を禁じるならともかく、プラスチック爆弾までも却下されたのは隊員の士気を大いに下げる効果があった。

 ともかくドアを開けるため、別の委員がコンバットナイフを抜き放つ。肉厚の刃を素早くドアに突き立て、火花と共に斬り下げる――

 ――そこで内側から突如として生えてきた太刀が、コンバットナイフを握る腕を貫いた。二の腕を半ばから断たれ、骨格とケーブル類、アクチュエータの断面が露出する。

「ぐっ!?」

 エメスに人間的な意味での痛覚は存在せず、内部を循環する液体もない。腕を斬り落とされたとて、激痛にのたうちまわることもなければ、ショックや出血多量に見舞われることはない。それでも、身の危険は感じる。慌てて身を翻した。

 刀身は素早く引き抜かれ、突き立ったナイフとそれを握る腕だけが壁に残された。腕が通電を失ってアクチュエータが緩み、地に落ちる。ナイフは腕切断時点でFCSリンクが途絶し、振動を停止していた。

 全員、ドアから跳び離れる。一斉に銃口をドアに向けるが、ドアはそれきり沈黙している――

 ――鋭い銃声が連続して、頭上から響く。腕を失ったのとは別の委員が、頭部に集中着弾を受けた。

 戦闘用フレームの外部装甲材質として最もポピュラーなのは、繊維強化プラスチックだ。これは小銃(ライフル)弾であっても止める強度のものが標準で、それでいて軽量なのが利点だが、一度被弾した箇所は大きく劣化し防御能力を失うという欠点がある。

 降り注いだのは拳銃弾だが、フルオートで一箇所に撃ち込まれれば耐えきれない。頭部損壊を受けフレームOSが沈黙、それを察知したコアユニットが自動的に自閉状態へ移行(シャットダウン)。その場に崩れ落ちる。

 銃火の主は、三階の窓から突き出された短機関銃――精度に特長のあるMWAG製“グラナト”。それを掴む腕は白の外装――無論、昴だ。

「う――!?」

 残る二人は、建物から退避しつつ、昴を狙って銃撃するも、彼女は既に腕を引っ込めている。空しく壁に弾痕が穿たれた。

 逆に、内開きのドアが勢いよく開き、そこから黒い影が太刀を引っ提げて飛び出した。

 甲高い炸裂音と共に噴射炎が二つ閃き、黒影――トラツグミの身体が、蹴飛ばされたように前に出る。

 トラツグミの両腰に装備された“プリテンデーント”は、薬莢型のカートリッジに小分けにされた固形燃料を利用する瞬間噴射(フラッシュ)ブースタである。液体燃料ブースタと違い出力調整ができないという制約の代わりに、圧倒的な応答速度を誇る特殊装備だ。

 走破/跳躍特化型フレーム“フォルスラコス”の脚力に、“プリテンデーント”の瞬間推力が上乗せされた踏み込みは、もはや跳躍に近い。たった二歩で執行委員との間合いを詰めたトラツグミは、すれ違いざまに下段から太刀を振り抜く。

 腰から腹を斜めに薙がれ、執行委員の上半身と下半身が泣き別れになった。腹部に配されたバッテリが両断され電力供給が途絶えたことで、コアユニットがシャットダウン。

 そのまま弧を描いて疾走するトラツグミを、最後の執行委員は捕捉できない。

「うわああっ!?」

 片腕を失っている彼は、突撃銃を捨て短機関銃を抜き撃つが、トラツグミは火線に捉えられるより早く跳躍。弾丸は足下を飛び過ぎる。

 トラツグミはそのまま手近な壁を蹴って再跳躍。

 それに照星を追いつかせる時間は与えられず、昴の銃撃が執行委員の頭部を撃ち抜いていた。

「へへ、一丁上がりぃ!」

 着地したトラツグミがにやりと笑った。



「二組、通信途絶!」

「やられたのか、こんなに早く!?」

 タテエボシはさすがに動揺――撤退かどうか、逡巡せざる得を得なかった。

 一方で、山風はこの機に動いている。裏手に回った敵が撃退されたこの瞬間、エントランスの三機は、現状の局所的な数的有利を活かすため攻勢に出ると踏み、その出鼻をくじこうとしたのだ。

 ドアを大きく押しあけ、その巨体を押し出す。その時には既に、左背部ハードポイントに接続された砲身は、待機状態からせり上がって砲口を前に向けていた。“ファイアボール”擲弾発射器(グレネードランチャー)だ。

 撃ち出された擲弾(グレネード)は、山風の指定時間どおりに、先にタテエボシらが破ったドアを抜けた瞬間に爆発。

「ぐわっ!?」

 タテエボシは悲鳴を上げながら、慌ててドアから距離を取る――被弾アラートがけたたましいが、幸運にも起動に即影響が出る損傷はない。装甲は軒並み駄目になったが。

 同じく退いた部下は、タテエボシよりも近距離で爆発を受けたせいで、動きがぎこちない――関節部やセンサに破片が突き刺さっている。一人は片脚が完全に吹き飛んでいた。

 事ここに至っては、もはや迷う理由はない。

「三組、擱坐した二組を回収――いや、撤退だ、撤退!」

 二組員は殺されてはいない、と信じる他ない。殺害、拿捕のいずれにせよ、政府にとっては最悪の自体ではあるが、それを言えばこの作戦発案自体が最悪でなくてなんなのか。どの道、今どうにかする手段はないのだ。指揮官として忸怩たる思いを抱きながらも、タテエボシは撤退にかかる。

 と――

『――は、班長! う、海側から……海から!』

 突然、三組の部下が発した声音は、タテエボシの現状をなお上回る緊迫と動転を含んでいた。



「――さァて。こりゃ追撃は要らなそうじゃなァ」

 人権執行委員が撤退していくことを確認し、山風は傍らのパネルを盾でタッチして、ドアを完全開放。そこから踏み出ると、両足の向きを平行にして立ち、前傾姿勢で腰を落とす。

 両足に取り付けられた、大蛇原動機製ローラーダッシュユニット“山楝蛇(やまかがし)”が起動。脚側面と踵の二箇所のタイヤが接地し、代わりに足の裏が床から離れる。

 ローギアで発進、スピードと共にギアを上げ、廊下を一息で駆け抜けた。

 ブレーキをかけてエントランスで停止、タイヤを引き上げると、破壊されたドアに歩み寄って外の様子を窺う。

「……あァ? なんじゃい、人数が増えとりゃせんかァ?」

 夜闇の中を蠢く影を見定めようと、視界を暗視モードに切り替えた山風のOSが、突如アラートを発した――



≪加害不可≫ ≪加害不可≫ ≪加害不可≫

 決して消えないアラートに視界を覆われながら、タテエボシは必死で部下をまとめ、後退を続けていた。

 海から――タテエボシらの退路から上陸してきた人類は総勢八名。スウェットスーツに身を包んでいるが、首から上は露出している。背が異様に盛り上がっているのは、高速治癒の際に消費する脂肪の塊だ。首の横にある切れ込みは恐らく水中行動補助用の鰓器官。皮膚は厚ぼったいが、その容貌は異形ではない――顔を見せていることを含め、対人攻撃制限に引っ掛かるようにするためだ。

 潜水・強襲任務用に調整された遺伝子改造海兵なのは間違いない。

 遮蔽の取り方が独特で、銃撃の合間に時折わざと姿を見せ、かと思うと障害物に隠れるという動きを繰り返す。挑発しているわけではなく、直視させればこちらの対人攻撃制限が発動してFCSが麻痺することを十二分に理解して組み立てられた教則通りの行動だ。もちろん、姿を晒しっぱなしでは、当て推量の盲撃ちで撃たれる可能性があることも織り込んである。人間を目視した時点でリンクトリガとロックオンが機能を停止するものの、FCSに再起動を掛ければ射撃自体は可能になるからだ。

(どういうことだ。奪取目標はそこまでの重要人物だったのか!?)

 タテエボシは上司を呪った。散発的に飛来する銃弾から逃れて退き続けるが、しかし背後には警業連の連中がいる。前門の虎、後門の狼、ついでに上は阿呆。

 もう投降しかないか? 投降するとして、どっちに?

「おい、人執の!」

 投げかけられた太い声に、タテエボシは振り返る。

 緋色の重装エメスが、エントランスから身を乗り出して、銃口で倉庫の方向を指し示していた。

 今のタテエボシに、選択肢を吟味するほどの贅沢は許されていない。

「――倉庫まで下がれ! そこで防戦する!」



「……で、わしらはどうしたもんかのォ。地雷でも無けりゃ、人類兵なんぞ止められんぜ」

 山風は呻いて、頭部のバイザーを降ろした。騎士甲冑の面頬にも似たそれは、分厚い板金にスリットが入り、そこに防弾ガラスが嵌め込まれた代物で、頭部、特にアイセンサを防御するためのものだ。視界は悪化するが、左右の頭部側面に――つまり被弾しても内部まで貫通しない位置に配された超小型光学センサが展開して補う。特に動体補足能力の面で完全にとはいかないが、視界はかなり補正される。

 とはいえ、いくら防御を固めたところで、撃てないのでは話にならない。既に山風の視界にも、≪加害不可≫の表示が浮かび上がり、FCSの機能のほとんどが停止している。

 すぐに突入してこないのは、ダイダラを――“人間を殺せるエメス”を警戒してのことだろう。が、それを承知で攻めてきた以上、いつまでも遠巻きではいないはずだ。

『待ってろオッサン、すぐ行くからよ……にしてもクソッタレ、海上警備ザルじゃねーか!』

『それはそうだけど、それより、ここまで人類が過激な出方をすることの方が疑問だわ』

『ンなコト考えてる場合じゃねーだろ! そんなの偉いヤツにやらせとけ!』

『それも正論ね』

 トラツグミと昴が言う間にも、エントランスの壁に着弾が連続。山風の肩にも一発着弾し、金属の装甲を凹ませた。勿論、撃ち返せない。

「っく。万事休す、じゃなァ」

 と、ダイダラの落ちついた声音が届く。

『……営業所を放棄する。エフはヘレナを、トラツグミはティンカーベルを連れていけ。山風、昴、先行しろ』

『旦那!?』

『指示に従え、トラツグミ』

 ダイダラの言葉には、有無を言わさぬ圧力がある――彼がめったに出さない声だ。

『お前とティンカーベルは搬入口で合流しろ。――いいな、ティンカーベル』

 ティンカーベルは了解の代わりに反問。

『課長はどうするんですか!?』

 ダイダラの足は遅すぎる。そうでなくても、誰かが人類兵の追撃を食い止めねばならない。

 そしてそれが可能なのは――

『連中にしても、パフォーマンスに来ただけのはずだ。心配は要らん』

『……ッ』

『それとお前からヤマメさんに事態を報告しろ。――脱出後の指揮は山風に任せる。頼むぞ』

 水を向けられた山風は、腹を括る。

「わははははァ、了解しましたわ」

 他の面々に――というよりトラツグミとティンカーベルに聞かせるように、呵呵と笑ってみせてから、“山楝蛇”を再度起動、バックダッシュをかけて後退を始めた。



「落ちついて聞いてね。これから、営業所から脱出する」

 エフは少女に告げた。

 少女は顔を曇らせる。

「……負けそうなの」

 人類兵の襲来を告げたものか、エフは迷ったが――妙な嘘をついて彼女との信頼を損ねるよりは、事実を伝えるべきだと考えた。

「人執は撃退したけど、今度は人類兵が来たんだ」

「……!」

 少女の顔色が見る間に青ざめる。エメスが人間の、細かな感情の表出を理解することは普通できないが、エフはかつて人間の感情表現の読み取り方を訓練されている。“顔色”というエメスには理解困難なものも、彼にはわかった。

「まさかそこまでしないだろうっていうのが警業連の判断だったんだろうけど、式典前だから、強硬手段での威嚇に出たんだろうね。……もちろん僕らは、人類兵に対して通常装備じゃ手が出せない。だからここから撤退するんだ」

 説明しながら、エフは人類教団が嫌いだと言った少女の胸中を図りあぐねた。いくら現状に不満があると言っても、人類の奪還部隊が現れた今、エメス側の手の内で大人しくしてくれるものだろうか。少女の血の気の引いた表情は、人類兵の登場に強い衝撃を受けていることの表れだが、その衝撃の意味合いはなんだろうか――。

「正門とは別の出入口があるから、そっちからね。……課長は残るけど」

「……殺すの?」

 かすれた声で、少女は端的に問うた。

 エフは彼女を安心させるよう、努めて明るく答える。

「大丈夫だよ。今の島嶼連邦と人類の関係からして、どっちも撃てやしない」

 確かに、ダイダラは人間を直に撃てる。が、ただでさえ人類兵の襲撃は際どすぎる出来事であるところ、彼らが殺傷されたとなれば――島嶼連邦と人類は、まず間違いなく戦争状態に突入する。対人攻撃制限の枷が解かれないままの島嶼連邦側は、ずるずると領土を放棄して撤退を続けることになるに違いない。

 が、人類とて、そうやって得た土地に安住はできない。島嶼連邦領を一旦人類に占拠させたうえで攻め取るというのが、隣国である大共和国の基本国家戦略であることは周知の事実である。対人攻撃制限など入れていない大共和国軍のエメスは、人類を容易く掃討するだろう。

 互いのアキレス腱が対策されないままの開戦は、互いの滅亡を意味するが――それでも、引き金となり得る事件が起きれば、開戦は免れない。それだけの土壌が出来あがっている。

 つまるところ、物理的には制約なく撃てても、政治的には到底撃てない――互いに。

「――駄目」

 少女はエフを見上げた。

「残っちゃ駄目」

「えっ?」

 彼女の顔に浮かんだ必死の形相に、エフは戸惑った。

「あの人達は、自分が死ぬとか、戦争が始まるとか、そんなの関係ないの。自分が人類のためだって思えば、何だってするの」

「……ヘレナ?」

「あの大きい人、殺されちゃう。……大きい人がいるって、わかった上で来てるはずだもん。威嚇なんかじゃない、あの人達は――私を取り返しに来たはず。そのためならなんだってするし、それができなくても……“人間を撃てるエメス”を放って帰るか、わからない」

「……」

 もちろん、人類兵の名目上の戦術目的は、この少女の奪還であるはずだ。が、それは実際上困難だろう。前述の状況から見て、それを達成したとしても、戦略的には破滅に繋がる。付け加えれば、ヘレナがここから移送されれば、ダイダラとの交戦はまさに百害あって一利なしとなる。よって人類兵の襲撃は、対外的パフォーマンスとしか考えられない。

 ――だが、もし。

 人類兵を動かしているものが、筋の通った戦略的思考以外のものであるとしたら。

「……望郷部隊のことを言ってる?」

 エフの問いに、少女は頷く。

 望郷部隊とは、人類教団が擁する精鋭部隊である。その名は、大地を再び人類の手に取り戻すべく戦うという意味と、そして、死して魂の故郷たる安息にいち早く帰る決死隊であるという、二つの意味を持つ。

 隊員は高い遺伝子改造適性と、それを含む戦闘への素養、そして人類教への深い帰依心を基準に選抜される。無論精鋭であるが、規律の面では他の部隊に劣る。彼らはしばしば“神の声”を聞き、そちらを上官の命令よりも優先するからだ。それは明確な言葉である場合もあれば、ふとした感情や衝動として感じられる場合もあると言う。客観的な分析とすれば集団妄想だが。

 ともかく、マトモな統御がほぼ不可能な部隊なのだ。それでも、その死をも――文字通りに――恐れぬ勇猛果敢さで、人類教団内では重宝されている。

「確かに連中なら、課長を見たら暴発しておかしくない。……でも」

 エフは少女の目を覗き込んだ。

「いくらこの時期とはいえ、そうやすやすと投入される部隊じゃない。仮に連中の暴走だったとして、……こう言うと何だけど、ただの女の子一人のために襲撃を掛けてくるかな」

「……」

「ヘレナ、君は……」

「……」

 少女は目を伏せた。瞳の端に光った涙を、エフのアイセンサは捉えている。

「……ごめんなさい!」

 少女は何かを謝罪しながら、駆けだした――エントランスの方角へ。

「ヘレナ!」

 エフは彼女を止めようと手を伸ばし、

≪加害不可≫

 対人攻撃制限プログラムがエフの行動を加害目的の恐れありと判定、彼の全身のアクチュエータを一瞬ロック。

「っ!」

 硬直したエフの手は少女に届かない。

「ヘレナ!」



 ずしん、と重々しい足音が、営業所の床を揺るがす。

 エントランスに面する壁が丸ごとシャッターとしてせり上がっていく。その奥から現れる巨体は、全高は三百五十センチ超――類を見ない巨大フレーム。

 それは人型を取る機能的必然性のないサイズだった。確かに彼のコアユニットは、とある事情から多大な体積と重量を持つものであったが、単に積載能力を要求するのなら、|装軌型重エクステンション《戦車》を装備すれば事足りる。脚を持たせるにしても多脚型だろう。二足歩行は不安定に過ぎる。

 それでもなお、これは、この形であらねばならなかった。フレームの法的定義から外れながら、同時に、直感的にフレームであると感じられなければならなかった。

 この国の全てのフレームにインストールが義務付けられたプログラムを、唯一インストールしていないエメス――という見世物を、成立させるために。

 泰山重工製特殊フレーム“仁王”。駆動装置には|人工筋肉《導電性高分子型アクチュエータ》ではなく油圧式サーボモータを採用し、外装のほとんどは均質圧延鋼装甲。正真正銘のワンオフフレーム。性能ではなく政治の要求事項から組み上げられた、巨大な道化。

 それがダイダラのフレームだった。

 両の肩口の装甲が展開し、固定装備である七.六二ミリ機銃二門が安全装置(セイフティ)を解除されている。左前腕下部に装備された“五龍”二十ミリ五砲身回転式機関砲(ガトリングガン)は、保持グリップを追加された特別仕様――普通は車載装備として運用するもので、間違ってもマニュピレータでグリップを握って撃つものでは有り得ない。そのグリップにしても普通のエメスの脚ほどはある代物だ。腰の後ろから弾帯が伸び、機関部に繋がっていた。

 ダイダラはさらにエントランスのシャッターも解放。既に山風は裏口へと回っており、気兼ねは要らなかった。

 せり上がっていく壁の下から、フルオートの小銃弾が飛来する。が、全て装甲表面で弾かれる。

 ダイダラは一顧だにせず、シャッターが上がり切ったところで、銃口を掲げた。

 人間を目にしても、彼の視界には何のアラートも浮かばない。起動したFCSは問題なく目標をロック。監視カメラから得たデータともリンクし、物影の標的も把握している。確認できた敵数は六。

 “五龍”の威力であれば、建物の角とて盤石の遮蔽たりえないし、直撃すれば遺伝子強化も防弾装備も関係なく四散する。

 対歩兵武装ではない、対甲兵器を構え、ダイダラは通りのいいバリトンで告げた。

「――退け。ここで保護していた少女は、既に別の場所に移送された。俺以外の人員も撤退済みだ。交戦する意味はない」

 少女はエフが連れていった筈だ。正確にはまだ敷地を出ていないかもしれないが、そう手間取りはしないだろうとダイダラは踏んでいる。

 そしてダイダラ以外の八課メンバーが営業所から逃げ出したとなれば、人類側が喧伝することは可能な戦果だろう。警業連側の立場は良好とは言えないが、それでも少女を未だに確保し、またダイダラが踏みとどまった――逃げようがないだけだが――ことで面目は立つ。

 上司(ヤマメ)へ事態を中間報告した際、彼女も同意見だった。警業連本部は、その筋書きで事態を収拾すべく準備に入っているだろう。

 物事の定石をわきまえるならば、彼らはここで退くはずだ――

「っ!」

 ダイダラのアイセンサのすぐそばで、小銃弾が跳ねた。短距離狙撃。

 両肩の機銃を発砲、標的の付近の地面を撃つ。着弾痕がアスファルトの破片を撒き散らし、人類兵達は一時遮蔽に隠れた。

(どういうことだ)

 稼げたわずかな時間で、ダイダラは思案。

 理由は不明だが、彼らはダイダラを撃破する腹積もりのようだ。装備も不明、ただし潜水してここまで現れた以上、かさばる対戦車装備など持ち込めまい。せいぜい爆発物、もしくは超振動刃仕様の近接兵装。いずれにせよ隣接が必要になる。

 巨体かつ鈍重なダイダラにとって、背後や至近距離は死角だ。が、エントランスに陣取って前面からのみ敵を迎え撃てるダイダラに、人類兵が何人隣接できるものか。三門の火砲に加え、彼には右腕(・ ・)もある。ダイダラ自身のシミュレートでも、殲滅はさほど困難ではない。

 その上で、最大の問題は、

(――撃てんな)

 短時間ながら様々に検討したものの、どうしてもその結論に至る。彼らを殺害すれば、事態は急変する。

 かといって、仮にダイダラが黙って殺されたとしても、事態は丸く収まるまい。警業連はダイダラの死を最大限に利用するだろうが、その先には必ず人類との軍事衝突がある。非戦派がそれを押さえ込むこともないとはいえないが、高まった圧力は必ず別の形で炸裂するだろう。島嶼連邦の民衆が激発するか、はたまた激発するのは人類側か――いずれにせよ、ロクな結末は用意されていまい。

 そして鈍重すぎる彼には、撤退という選択肢も与えられていない。

 相手を殺さず無力化する――部位狙いをするとなると、FCSを通さずに照準発砲を行わねばならない。つまり火砲の複数連動制が不可。一対六の状況下では致命的、論外。

(……つまるところ、撃てんが、撃つしかない)

 ダイダラは忌々しくもそう結論付ける。

 対する人類兵は、背嚢から取り出した円盤状の物体――吸着地雷か――を小脇に抱え込む者、援護のために銃を構える者、ナイフを抜いて構える者と、整然と突撃の準備を整えている。

 誰かが叫んだ。

「不倶戴天の敵を討ち、御子様救出の先鞭とせよとの啓示である!」

「同じく!」「聞こえます!」「確かに!」

「神の命なれば教主様の意に背くはずもなし! 我ら何をか惜しまん!」

「「応!!」」

 総員、身構えた。突撃が敢行される――

(話の通じる相手ではないようだな!)

 苦々しく認め、リンクトリガに意志を込める――

 ――その寸前、エフの切迫した声音が飛び込んできた。

『課長! ヘレナが、そっちに!』

「何?」

 ダイダラはとっさに後部警戒用カメラセンサに意識を移す。

 オフィスへと通じるドアが開き、そこから飛び出してきたのは、確かに少女だった。

「やめて!!」

 華奢な喉から悲鳴を振り絞りながら、少女は駆ける。ぞろりとした寝間着姿のまま走る姿は危なっかしい。その後をエフが追ってくるが、彼に少女の行く手を阻むことはできない。

 途端に、人類兵達が浮足立った。

「御子様!?」「御子様だ!」「御子様はご無事だ!」「御子様!」

『何じゃ、何がどうなっとる!?』

『プランはご破算みたいね』

『何やってんだよエフ! ――あー、クソッタレ!』

 山風が、昴が、トラツグミが言う間に、少女はダイダラの隣に辿りついていた。荒い息を吐いて、前方の闇を見つめる。

 ダイダラが言う。

「……彼らは君を、“御子”と呼んだ」

 少女は無言で頷く。

「御子とは確か、教主の子のことのはずだ。……そうだな? エフ」

「……はい」

 追いついて来たエフが頷く。

「……わたしは、ヘレナって名前じゃない」

 少女が口を開いた。息を整えながら、続ける。

「その名前は、もう、捨てられちゃったから」

「「……」」

「わたしのお母さんは、あの男に手を付けられたの。その後捨てられたけど、お母さんはずっとあの男を信じてた。信じて、信じて……信じたまま、死んじゃった」

 少女の小さな手が、きゅっと握り締められる。

「……今頃になって、わたしは“御子”なんだって言われたの。あの男の……“神聖な遺伝子”を継ぐ者は、保護されなきゃならないって。人類の遺伝子改造率が増えつづけてる中で、あの男の遺伝子は保護されなきゃならないって。……馬鹿みたい」

 人類兵達は飛び出すタイミングを探っている。何せ少女はダイダラの隣にいるのだから、迂闊に動けない。少女の言葉は聞こえているのか。聞こえていても、信条と矛盾する内容を無意識に聞き流しているのかもしれない。

「だからわたしは、お母さんから貰った名前を捨てられた。……もうわたしは、ヘレナじゃない。“十六番目の御子”でしかないの。今回の使節団に入れられたのは、そのお披露目も兼ねてたんだって」

 少女は一歩踏み出した。

「ヘレナ……!」

 エフが手を伸ばす。

 少女が振り返って、涙を溜めて微笑んだ。

「ごめんなさい。わたし、嘘ついた。……ここでなら、“ヘレナ”に戻れるかもって、思っちゃった。……そんなわけないのに」

「……君は、戻りたくないんだろう」

「駄目だよ。戻らないと、大変なことになっちゃう」

「……」

 ダイダラが何かを言いかけて、やめた。

「みんな、優しくしてくれて、嬉しかった。……ありがとう、エフ」

 エフは頭を振った。

「違うんだ、ヘレナ……僕は、昔……」

「……さよなら」

 少女は前に向き直り、歩きはじめた。

「ヘレナ!」

 飛び出しかけたエフを、ダイダラがその巨大な右掌で遮る。

「よせ」

「課長!」

「あの子は正論を言っている。……情けないがな」

「っ……」

 エフは力なく、少女の背を見つめた。≪加害不可≫のアラートが、その背にかぶさる。

「僕は、また……」

「……」

 少女の進む先では、人類兵達がいきり立っている。

「御子様――」

「来ないで! そっちに行くから」

 小柄な体で、両手を精一杯広げて、少女は進む。背後の機械(エメス)達を庇うように。

「だから、わたしを連れて戻って。もう誰も撃たないで。みんなも撃たれちゃ駄目」

「御子様、何と慈悲深い!」「やはり御子様は、我らを救うためにお生まれになった御方だ!」「おおお、神よ……!」「教主様、感謝します!」

 人類兵の歓喜が湧きあがり――


「――ざけてんじゃねーよ!!」


 怒声に、断ち切られた。

「「!!」」

 人類兵がいっせいに、空を振り仰ぐ。

 営業所の屋上に、黒い影が一つ。

 彼は、その特徴的な逆関節脚を縁にかけ、こちらを見下ろしていた。提げた太刀が上弦の月にように輝いている。夜空を背景に周囲を睥睨する姿は、魔性の類を連想させた。

「トラツグミ!」『トラ君!?』『何やっとんじゃトラァ!』『ちょっと、トラツグミッ!』「トラ……!」

 次々に投げかけられる制止の声に構わず、トラツグミは少女に問う。

「それでいいのかよ、ガキンチョ」

「……」

 少女は振り向かずに答えた。

「……しょうがないの」

「知るかそんなの。お前はそれでいいのかって訊いてんだ」

「……わたしが戻らないと、みんなが」

「関係ねえよ。お前の話してんだ、ガキンチョ」

「……無理なの。どうしようもないの」

「うっせーよ。無理もクソもあるか」

「……だって」

「だってとか言ってんじゃねーよ!」

 トラツグミは癇癪を起したように叫んだ。

「オレが訊いてんのはそんなことじゃねーんだよ! 言ってみろ――お前は誰だよ!?」

「!」

 少女は息を呑んだ。

「お前の名前を言ってみろっつってんだ、ガキンチョ!」

「…………わたしは」

 少女は肩を震わせた。

 人類兵が口々に呼びかける。

「御子様、惑わされてはなりません!」「あれは悪魔の罠です!」「所詮は魂を持たぬ者の戯言!」「御子様の魂は真実をご存じのはずです!」「御子様!」「御子様!」「御子様!」――

「ガキンチョ!」

「――わたしはっ!」

 少女は振り返って、叫んだ。涙をあふれさせながら、力の限りに。

「わたしは、ヘレナ! わたしの名前は、ヘレナだっ!!」

 トラツグミはにやりと笑った。

「――だと思ってたんだよ、オレもな!」

 トラツグミは大きく跳躍。ヘレナのすぐ傍に着地した。

「「!!」」

 人類兵が、ダイダラが、銃口を相手に向ける。ヘレナがトラツグミの前に出て両手を広る。トラツグミはヘレナを勢いよく抱えようとし、対人攻撃制限に阻まれた。

 人類兵の誰かが叫ぶ。

「貴様! 御子様は我らを救うために降り立った高貴なる方だ! それを――」

 トラツグミはその人類兵に刀の切っ先を向け、思い切り怒鳴った。

「テメーらを救うために生まれてきたヤツなんかいるか、バ――――カ!!」

 その言葉に込められた怒気に、思わず人類兵が言葉を失う。

「世界の厄介事を背負ってやるために生まれてくるヤツなんかいるもんかよ! ンな都合のいい話があるか! そんなゴッコ遊びはやりたいヤツらだけでやれってんだ! テメーらがこんなガキンチョの人生に乗っからねーと生きていけねーんなら、いいよ、人類なんざ滅んじまえ!」

 その言葉が終わる頃には、昴と山風も駆けつけている。が、顔は出さない。人類兵を視認してしまえば、しばらくFCSが麻痺し、いざというときの当てずっぽうの乱射もできなくなるからだ。

 場が一拍、静まり返る。

 その沈黙を破ったのは、人類兵に向けたヘレナの言葉だ。

「……帰って」

「御子様!?」

「わたしは戻らない。この人達を殺すのも駄目。帰って」

「御子様!」

「帰りなさい!!」

「御子様は魔に入られていらっしゃる……!」「おいたわしや!」「神よ、御子様をお救いください!」「教主様、我らに力を!」

 トラツグミはうすら寒さを覚えながら呻く。

「話が通じねーぞコイツら……どーすりゃいいんだ、コレ」

『やらかしてから言うな、この馬鹿者が……』

 緊張感を滲ませて言ったのはダイダラだ。無理もない、事ここに至っては、彼は一度放棄した鏖殺の覚悟を、再度決めざるを得ない。天秤の此方に乗るのが自分の命だけではなくなったのだから、なおさらだ。

「う……そりゃそうだけどよ旦那……」

 言葉に詰まったトラツグミの通信機に、エフの言葉が届く。

『……ずるいよなあ、トラは。僕ができなかったことを、あっさりやっちゃうんだから』

「あン? 何だよそれ」

『何でもない。……それより、ヘレナを抱えて迂闊に動くなよ。トラの全力機動に巻き込まれたら、最悪、その子の首が折れちゃうから』

「マジかよ。……しょうがねーな。首が折れると死ぬんだよな人間って」

『そりゃ死ぬよ』

「めんどくせーな」

 呟きながら、トラツグミはヘレナを抱え込む。対人攻撃制限に引っ掛からないよう、そっと。

 圧力センサが、異質な感触を伝えてくる。エメスと違い強固な外装を持たないその身体は、柔らかく、脆い。形状の均質さも今ひとついい加減に感じられる――“製造”されるエメスの身体と比べれば、どうにも(いびつ)である。高温低音、加圧減圧、化学物質、衝撃、ほぼあらゆる加害要因に対して脆弱だ。損傷部位の換装も容易ではない。一箇所の損傷が全身に影響し、軽微なダメージで行動不能から死に到る。不合理で、無駄に複雑だ。

 人間――有機生命は、自己増殖を繰り返す最小単位の集合体だ。その最小単位が複雑系を構成し、動的秩序として存続している。いわばボトムアップで形成されたものだ。トップダウン式にデザインされたシンプルさに依拠するエメスとは、根本的に異質な存在である。

 寄り添えばいっそう、その異質さが際立つ。

 けれど――トラツグミは思う。

(変わんねーな。オレも、このガキンチョも)

 悩み、足掻き、抗いながら“生きて”いる。その一点で充分だ。他の何が違おうとも、たったひとつの共感があれば、異質なふたつのものがわかり合うことはできる。

 幾千の共通点があろうとも、たったひとつの食い違いで殺し合うのが人間であり、エメスなのだから――その逆も成立しなければ、不公平というものではないか。

 が、希望だけで事態が好転するというものでもない。

『トラツグミ。連中が少しでも動いたら、ヘレナを庇って伏せろ……あるいは、俺の合図があったらだ』

 現実を突きつけるように、ダイダラが低い声音で言った。彼の兵装が火を噴けば、射線上のあらゆるものは粉砕される。

 ヘレナにとっては、残酷な光景になるだろう。そしてそれは、さらなる衝突と惨事の引き金でもある。

 が、現状を打破する手段を、他に示すことができるわけもない。

「……りょーかいっス」

 通信機を通して、トラツグミは苦く回答した。



 トラツグミの回答を聞き届け、ダイダラは続ける。

「残る者は不測の事態に備えろ」

『『了解』』

 課員の返答は一様に硬い。内訳は緊張と、幾らかの諦観。

 仮に“不測の事態”が起きたとして、それに対処できるのは所詮、ダイダラだけだ。島嶼連邦における対人間戦闘とは、そういうものである。

 ダイダラはFCSを操作、“五龍”の掃射動作を設定。自身からのコマンドのみならず、相手の攻撃開始に自動反応で実行するよう設定。二門の機銃はCIWS(近接防御火器システム)として稼働させ、敵の接近に備える。初撃で全ては仕留められないと踏んでのことだ。遺伝子改造兵の運動能力は、下手な戦闘用フレームのエメスをも凌ぐ。潜水仕様に調整されているとしても、見積もりは甘くすべきではなかった。

 そして最後の盾とすべく、右腕をわずかに持ち上げる。逆腕より一回り大きなその内部に仕込まれた機関が、起動の唸りを上げる。

 遮蔽の陰で機を窺う人類兵達も、一様に武装を構え、突撃に備えている。隊員の過半数の死は織り込み済みだろう。少なくとも一人はダイダラに取りついて刺し違え、もう一人が戦闘行動可能な状態で残れば、戦術的には彼らの勝ちだ。

 そして戦略的には――戦術的勝敗に関わりなく、両者の敗北。

(馬鹿馬鹿しいにも程がある)

 ダイダラは胸中で自嘲し――ふと、思い直した。

 歴史には愚かな選択が溢れている。が、個々の意志決定を取り出してみれば、それは必ずしも後世の俯瞰から断罪できるような愚行ではない。

 きっと誰しもが、数ある選択肢の中から、最善の最悪を選ぶのだ。この瞬間、この場に居合わせた者達がそうであるように。

 ダイダラは、トラツグミへと射撃合図を送る――

 ――その一瞬前に、通信が入る。強制着信で回線が開き、

『ダイダラ君!! 今どうなってるってかストップ色々と!!』

 ヤマメの切羽詰まった声が飛び込んできた。

「……可能な限りはお言葉に従いますが」

 ダイダラは唸るように答えた。自動迎撃は解除していない。

『じゃあまだ終わってないのねオーケイ。もうすぐ事態は解決するハズなんでもうちょい堪えてマジもうちょい』

「……というと?」

『すぐわかるよ!』

 ヤマメの言葉は正しかった。

 人類兵達が、突如、戦闘態勢を解いた。

「ああ!? ……何やってんだ、アイツら」

 怪訝そうなトラツグミの声が届く。無理もない、彼の視線の先では、遮蔽に隠れることなどもはや眼中にない様子の人類兵が、恭しく地に置かれた通信機に向かって平伏していた。

「教主様!」「教主様!」「教主様!」

 ことここに至って、ダイダラにもヤマメの言葉を理解する。

「……“教主”直々の命令であれば、彼らを止められる、と。しかしこの短時間で」

『警業連も伊達にワンマンって陰口叩かれてないさ。トップに話通せればあとは速いよ。ま、それでもギリだったみたいだけど』

「ええ」

 ダイダラはFCSの警戒レベルを下げ、構えていた“五龍”を下ろした。

 部下達に通信。

「……見ての通りだ。最悪の事態は回避された……が、気は抜くなよ」

 了解、という応答が返ってくる。そのどれもに、安堵が滲んでいた。



 トラツグミもまた、応答を返してから、ヘレナに向かって親指を立てて見せる。

「何とかなったな、ガキンチョ」

「……うん」

 緊張の糸が切れたらしく、へたり込みながらヘレナが頷く。

 と、そんな彼女に向け、人類兵達が一斉に、奇妙な仕草を始めた。

 トラツグミが首をひねる。

「今度は何やってんだ」

 ヘレナが顔をしかめた。

「……退魔の儀式。わたしが帰らないって言い出したのは悪魔のせいとか、そういうことになったんだと思う」

「ワケわかんねーな」

「あのひとたちは大まじめ」

「ま、いいけどよ」

 言う間にその儀式とやらは終わったのか、人類兵の一人が声を張り上げる。

「御子様! 必ずや御救い申し上げ、教主様のお力にて、御子様に入った魔を御払いいただきます。必ずや!」

「……」

 げんなりと無言を返すヘレナにめげた様子もなく、人類兵達は速やかに後退。

 やがて全員が、闇に揺れる海中へと消えた。

 ダイダラの声が掛かった。

『俺は海岸の哨戒に当たる。残る者は人執の身柄確保だ。まだ腑抜けるには早いぞ!』






 警察業連合本部ビル、エレベータ内――

「で、どういうオチだったの?」

 ヤマメの問いに、バズワードは柔らかな物腰を崩さず答えた。

「人類教団から、占領区十周年記念式典の使節として派遣されていた“御子”を、警備担当者の差配ミスから誘拐されてしまった――というのが発端のようです。誘拐側はそれが“御子”であるなどとは知らなかったというのが、また話をややこしくしたようで」

「で、自分のミスを知られないうちにリカバーしようと躍起になったボンボンが、八課強襲なんて真似までやらかしたわけか」

「そうなります。……少女の身元照会に返答がなかったのも、人類兵まで参戦してきたのも、似た理屈ですな」

「ま、向こうは個人の立場云々でなくて、人類全体の面子ってことで、望郷部隊まで投入したと。報告聞いた時はマジでCPUフリーズするかと思ったわアタシ」

「我々の情報収集能力の甘さが露呈した形です。面目ない」

 エレベータの階層表示は次々に上がっていく。

「色々言いたいことはあるけど、これから改めて会長に絞られるんだし、それで溜飲下げることにしとくわ」

「や、申し訳ありません」

「連邦政府との交渉はどうなってんの? 結構デカい貸しできたわけじゃん」

「検察の公訴権限を警察業者にも解放せよという要求を出しております」

「うは、大きく出たなあ。それ通るの?」

「無論、落とし所は別になるでしょうが。何にせよ、検察からの影響力を弱める方向でまとめることになるかと」

「内部抗争の代償としちゃ高くついたね、連中も」

「全くですな。……最も、無能な者を指揮官の立場につけた報いとも思いますが」

「ま、そりゃそうなんだけどさ。でもそんだけじゃないと思うけどね」

 ヤマメは苦笑した。

「あのボンボンの暴発は、所詮きっかけにしか過ぎないって思うんだけどなあ。“ラクダの背を折った、最後の藁の一本”ってヤツでさ」

 バズワードも苦笑。

「世界というラクダは、常に背に余る荷を背負っているものです。それを降ろすことなどできはしないのですよ。ならば、最後の藁を、賢明な者が握るほかない」

 しばしの沈黙。ヤマメは右肩だけを竦める。

「その辺の意見の相違は、相変わらずってヤツ?」

「そのようで。……これ以上論争を蒸し返しても、鬼丸に笑われるだけでしょうな」

「……んだね」

 それぞれ追憶にわずかの時間を費やしてから、話を戻す。

「ともあれ、人類教団との落とし所は、経緯はブレましたが、着地点は変わっておりません。あとは喧伝合戦ですな」

「バズワードさんの得意分野ってわけだ」

「恐縮です」

 エレベータの階数表示が、二十に到達した。最上階にはあと二つ。

「さて気が重いけど、報告といきましょかね」

「あの子は未だに八課預かりで?」

「今んトコね。多分これからもうそうなると思うけど」

 軽やかな電子音と共に上昇が止まり、ドアが開いた。

「よくよく懸案事項を抱えますな、ヤマメ常務は」

「他に使いようないからねアタシは」

「や、謙遜なさいますな」

「よく言われるよ」

 最上階の廊下を踏みながら、ヤマメは笑って見せた。






「少しは反省しとるのかこの馬鹿者が!!」

 大音声が八課オフィスを揺るがす。

 ダイダラの怒声は、外の工事や抗議デモの騒音を圧して響いていた。

 彼のデスクの前に立たされているのはトラツグミである。

「けど旦那、結果オーライじゃんか」

「一歩間違えば戦争が起きかねん事態だったんだ! 結果論で物を言うな!」

 オフィスには一同が揃っている。昴や山風、エフは何食わぬ顔だが、ティンカーベルとヘレナはそれぞれ固い顔だ。特にヘレナは責任を感じている様子で、割り込もうとしてはエフに止められている。

「俺の下について二年近いが、お前はいつになったら規律というものを少しは理解するんだ!」

「……けどよぉ」

「何だ。言ってみろ。今までの言い訳より目新しい文句があるなら聞いてやる」

「……」

「……もういい! 行け!」

「……うっす」

 仏頂面で会釈して、トラツグミがエントランスへと出ていく。

 閉まったドアを一瞥し、山風が苦笑。

「……微妙に堪えとりますなァ、ありゃァ」

「ええい」

 ダイダラが頭を振った。

「昴。すまんがフォローしてやってくれ」

「わかりました」

 小さく肩を竦めた昴が頷き、立ち上がってトラツグミの後を追う。

 それを見届け、ダイダラはヘレナの方を見た。

「済まないな。君を責めるつもりは毛頭ないが、それはそれとして、トラツグミの行動は看過できん。わかってくれ」

 ヘレナは黙って頷く。表情はまだ固い。

 そんな彼女を気遣ったエフが、小さく囁く。

「ね、何で昴がトラのフォローに回されたかわかる?」

「……ううん」

「あの二人、あれで付き合ってるんだよ。意外じゃない?」

「そうなの?」

 何やら途端にきらきらとした目でエフに反問するヘレナ。エフは少し気圧される。

「う、うん」

「そうなんだ……」

 何やら遠い目でうっとりと呟くヘレナ。どんな想像をしているのかは知らないが、とりあえず彼女の緊張がほぐれたならよしとしよう、とエフは思う。

 と、隣から山風が、

「しかし、お嬢ちゃんの部屋がなかなか出来んで、不便じゃのォ」

 コンソールで書類整理をしているティンカーベルが応じる。

「一日二日じゃ無理ですよ。私達(エメス)とは勝手も違いますし」

 エフも頷いて、

「それと並行で、施設の修理もあるしね。……しっかし、ここでヘレナを長期預かりにするっていうんだから、さすがに驚いたな」

「ま、八課じゃけえのォ」

「八課ですからね」

「八課だもんね」

「……お前達、そういう納得の仕方をするな」

 ダイダラがげんなりと呻く。

「そういえばティンカーベル。アラート最小化処置は済んだか」

「あ、はいッ。それですけど、明日には連邦政府の査察役が来る予定です」

 さすがにヘレナを目にするたびに警告が表示されていては鬱陶しくて仕方ないので、申請の上で、対人攻撃制限のアラート表示を最小化する処置を行っている。もっとも連邦政府は、ヘレナに対するアラートに限定してその処置を許可してきたので、処置をするティンカーベルにとっては面倒この上なかったが。

「お役人が来るんかい。また面倒じゃのォ」

「同感」

「そんなこと言って、どうせ応対するのは課長と私でしょう」

 ティンカーベルが山風とエフを睨む。

 二人は顔を見合わせ、小声で呟いた。

「……いやあ、そりゃそうなんじゃがな」

「トラじゃないけど、まだティンカーベルはキツイよね……僕らには」

「なッ、何言ってるんですかッ」

 ばん、とデスクを叩いて、ティンカーベルが立ち上がる。

 ダイダラがファンから空気を吐く。

「静かにせんか」

「あ、う、すみません……」

 途端に小さくなるティンカーベルを見やって、ダイダラは頭を振る。

「……トラツグミのようなのは論外としても、お前もお前で、そう畏まらんでいい。というか、この課に配属されてすぐの頃には散々噛みついて来ただろうが」

「あ、あれはそのッ、わ、忘れて下さいッ」

「だからな、両極端になるのもどうだと言ってるんだ。当初並の勢いで刃向かわれても困るが、かといってそんなに縮こまるのも、おかしかろうが。もちろん、俺の接し方に至らんところもあっただろうから、お前に一方的に説教するのもおかしいが……」

 今ひとつズレた説諭を始めるダイダラを、微妙に生温かい目で眺める山風とエフ。

 と、その二人の間から、ひょこっとヘレナが顔を出した。

「……ティンカーベルが配属された頃って、どんな感じだったの」

 小声で訊かれた二人は、やはり小声で答える。

「まァ、あれよ、なかなか凄かったぞ、ティンカーベルは」

「だねえ。それが今みたいになっちゃうんだから、世の中わかんないよ」

「……きっかけは?」

 またもや、きらきらとした目で訊いてくるヘレナ。

「うむ、わしらも立ち会ったわけじゃァないが、何でも課長が不調の時に――」

「ちょっとッ! 何話してるんですかッ!?」

 振り返ったティンカーベルが怒鳴った。

 その後ろで、ダイダラが眉間を押さえている。

「って、いや、そのッ、続けて下さいッ」

「……いや、もういい」

 みるみるしぼむティンカーベルに若干の罪悪感を覚えつつ、ヘレナはふと窓の外を見やる。

「……あ」

 ガラスの向こうに、遠ざかっていくサイドカーつきバイクが見えた。営業所前に陣取ったデモ隊の追撃もどこ吹く風で遠ざかっていく、白と黒の背。

 天候は快晴。陰影も濃く浮かぶ雲をアクセントに、蒼穹はどこまでも高く少女の目に映った。

 拙作をお読みいただきまして、まことにありがとうございました。


 初投稿となります、薮崎と申します。

 タイトルロゴは知人の方がご厚意で作ってくださったものです。感謝。


 短編形式で投稿させていただきましたが、今後も同一設定の話を一話完結形式で投稿していけたらと思っております。間は空くと思いますが、よろしければ、またお付き合いくださいませ。

 戦闘シーンが薄味になってしまったのが心残りですので、次回はもっとドンパチさせる予定でございます。


 ではでは。

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