妹と弟(1)
茜の機嫌は直ったのか?
さっきは隣の部屋で怒鳴ってると思ったら、壁に何かがぶつかってきてびっくりした。
帰って来たときも、足音がドスドス響いてたし、本当にうるさいったらないよ。
もしも、俺がそんなことをしようものなら、たちまち文句を言いに来るくせに。
思わずぴいちゃんに愚痴メールを送ったら、茜に電話してみるって言ってくれたけど・・・悪いことしちゃったな。ぴいちゃんだって、忙しいのに。
それにしても、茜と笹本って、急に進んだみたいだよな?
あの二人については、ぴいちゃんの読みが間違ってなかったわけだ。
彼女が画策していたことが実を結んだのかどうかは怪しいところだけど。
だけど、茜・・・賑やかだ。
土曜日は図書室で目撃されて、「あの笹本が女の子を連れて!」って、かなりウワサになってた。
笹本は “天文部部長” なんてインテリっぽい肩書きがついてるし(“野球部部長” とはえらい違いだ!)、成績もトップクラス。
それに、あの真面目そうなメガネと穏やかな性格で、みんな、笹本と恋愛話を結び付けて考えたことがなかったんだ。・・・俺はぴいちゃんの疑惑を持っていたけど。
だから、いきなりの女の子連れの登場が話題になったのも仕方がない。
1時間目が始まってから登校してきたから、ぴいちゃんみたいに窓から見ていた生徒もいたし。
それが、家に帰ってくれば、今度は “妹” の意味がわからなくて怒ってた。
ぴいちゃんのことまで持ち出して。
日曜日は笹本が迎えに来るって母親に言っておかないから、俺も笹本もあせったよ。
まあ、俺は笹本をからかって楽しんだけど。
二人とも嬉しそうな顔をして出かけて行ったから、てっきりうまくいったんだと思ってた。
・・・なのに、今日は不機嫌な様子で帰って来た。
で、壁に “ドスン!” だよ。
まったくもう、何をやってるんだか。
ぴいちゃんと俺のときは、もっと和やかだったはずだけど・・・。
まあ、ぴいちゃんと茜を比べてもしょうがないな。ぴいちゃんみたいな子は、ほかにはいないんだから。
「お兄ちゃん? いる?」
ドアの向こうから声が。
珍しいな。開ける前に声をかけてくるなんて。
「ああ、いるよ。どうぞ。」
茜がドアを開けて、部屋に一歩入ったところで立ち止まる。
そのままチラチラと俺を見ながら、なかなか話し出すことができないでいる。
まったく、いつもはずけずけと何でも言うくせに・・・。
「吉野から電話が行ったのか?」
助け船を出してやると、ようやく口を開いた。
「うん。あのう・・・、ありがとう。」
「いいよ。落ち着いた?」
「うん。吉野先輩って、いい人だよね。」
「今ごろ、何言ってんだよ。当たり前だろ?」
俺の彼女なんだから。
「ねえ・・・。吉野先輩とけんかしたことがあるって聞いたんだけど。」
「え?」
そんな話もしたのか?
「吉野先輩って、怒るとどんな?」
「え? ククク・・・。」
思い出したら笑いが・・・。
「笑ってるってことは、恐くないの?」
「いや。すごく恐いぞ。」
「どんなふうに?」
「俺を責めるような言葉はひとことも言わなかったけど、目つきと態度が、まさに怒ってるって感じで! もうダメかと思ったよ。」
「仲直りの飴って、なに?」
「仲直りっていうより、お詫びだよ。あのときは、一方的に俺が悪かったから。」
「飴をあげたの?」
「まあ、そんなところ。」
それ以上は秘密。
「ふうん・・・。」
「けんかしてるのか、笹本と?」
「ううん。今は違うけど、これからするの。」
「これから?」
「うん。吉野先輩が、先輩とか後輩とか関係なく、怒っていいんだって教えてくれたから。」
ああ、そうか。
それで壁に八つ当たりを・・・。
「気合い入れてけよ。」
「うん! じゃあ。」
嬉しそうな顔しちゃって。
ぴいちゃんが茜に言ったとおり、お互いに好きなら相手と対等でいい。
いいって言うより、対等じゃなくちゃ、きっといつか疲れてしまう。
俺とぴいちゃんは・・・たぶん、すごくうまく行ってる、と思う。
・・・ぴいちゃんの声が聞きたいな。
電話しちゃおうかな?
でも、テスト勉強の邪魔か・・・。
今まで、茜の話を聞いてくれていたわけだし。
でも、ちょっとだけなら。
「青ー! お客さんよ!」
俺に?
階段を下りる途中から、玄関で話している母親の笑い声が聞こえてきた。
うちの母親と楽しく話せる俺の友達?
・・・早瀬。
「あ、藤野先輩、こんにちは。」
「あ、青。上がってもらいなさいね、おやつ出すから。」
母さん、上機嫌だな。
「おばさま、どうぞお構いなく。先輩、ちょっと話が・・・。」
「いいよ、上がれよ。」
わざわざ訪ねてくるなんて、どうしたんだろう?
楽しげに台所に戻る母親を内心で恥ずかしく思いながら、あとについておやつと飲み物をもらいに行く。
母親がペットボトルのお茶とグラスを出しながら、早瀬に夕飯を食べて行くように勧めると、早瀬が、今日は両親が家にいるからと断った。
「でも、おばさまの料理はおいしいので、またお邪魔させていただきます。」
・・・よく言うよ!
この前の串カツは、俺たちが作ったんじゃないか!
俺の部屋に入ると早瀬はさっさとベッドに腰掛けて、2、3度ぽんぽん跳ねてから、すとん、と横になってしまった。
なんでコイツは、俺の部屋でこんなにリラックスしているんだろう?
そのまま早瀬が何も言わないので、俺も黙ったままペットボトルを開けて、グラスにお茶を注ぐ。
フードつきのTシャツにハーフパンツという普段着の早瀬は、制服のときよりも子どもっぽい印象だ。
真っ黒でくせのあるやわらかそうな髪が額にかかっている。
「ねえ、先輩。」
ぼんやりと遠くを見るような、それでいて真面目な表情で、早瀬が口を開く。
「なんだよ?」
「陽菜子が具合が悪かった次の日、田所先輩と八木はどんな様子だった?」
そんなことが知りたかったのか?
それでわざわざ?
「気になるのか?」
「うん・・・。朝は八木は来なくなったし、陽菜子には訊けないから。」
そうか。
あんなこと、なるべく思い出させたくないもんな。
「八木は吉野に謝ったらしいよ。放課後に吉野から聞いた。」
「ふうん。・・・田所先輩は?」
「金曜の朝は、俺にはいつもと同じようにあいさつしてきた。席が前後になってるから。」
「・・・藤野先輩は、いつもどおりにあいさつできた?」
「・・・できなかった。顔を見るのも嫌で、『うん。』くらいしか答えられなかった。」
そうだ。 できなかった。
彼女に対する嫌悪感でいっぱいになってしまって。
もともと嫌だった気持ちが、あの事件で決定的になってしまった。
「藤野先輩でも、そういうことあるの?」
「あるよ。俺は吉野みたいに心の広い人間じゃないから。」
ぴいちゃんはどんな相手でも、その人の気持ちを考えてあげることができる。
だけど、俺は・・・。
「陽菜子と田所先輩はどう?」
「吉野の話だと、田所さんは吉野には話しかけてこなかったらしい。もしかしたら、朝の俺の態度を見て、自分の計画が知られていることに気付いたのかもしれないな。」
「そう・・・。」
早瀬はため息をついて、ベッドに倒れたまま、ぼんやりとしている。
何かを考えているようではあるけど、いつもみたいな元気がないのが気になる。
「どうしたんだよ?」
「俺・・・、どうしても、田所先輩のことを許せないんだ・・・。」
ああ・・・、そうなのか。
「陽菜子は放っておけって言ったけど、俺は許せない。あのときは言わなかったけど、田所先輩は、陽菜子が体調を崩してしまうほどのショックを受けたのを喜んでいたんだ。」
「どういうことだ?」
俺の問いに、早瀬がゆっくりと起き上がってから答えた。
「自分の計画はうまくいかなかったけど、八木の言葉で陽菜子が傷ついたのはいい気味だ、みたいなことを言ってたんだよ。 陽菜子のことを『なんの取り柄もない子』って・・・、藤野先輩が八木のことで陽菜子に愛想をつかせばよかったのにって・・・。」
なんてことを考えているんだろう、田所さんは。
他人を傷つけて喜ぶなんて、考えられない。
「先輩。俺、田所先輩のことを許せない。八木は・・・利用されてた分を差し引いてもいいけど、田所先輩は・・・。」
「・・・そうだな。」
お前は、田所さんがぴいちゃんのことを笑っていたのを直接聞いたんだもんな。
その言葉に含まれる毒を、そのまま・・・。
「先輩は、これから田所先輩のことをどうするつもり?」
「どうするって言われても・・・。俺はもうあの二人とは関わり合いたくない。たぶん、クラスメイトとしても、ちゃんと話はできないと思う。もしも、また吉野に近付くようだったら、ひとこと警告するけど。」
「そう・・・。俺は・・・・、俺は仕返しをしてやりたい。」
早瀬はその色の濃い瞳に怒りを込めて、まっすぐに俺を見た。