吉野先輩はお兄ちゃんの彼女だよ!(8)
あたしたちが『吉野先輩を守る会』を結成した翌日の朝、同じ西中から入学した由香里に廊下で呼びとめられた。
「ねえ、あーちゃんて、早瀬くんと同じクラス?」
「うん、そうだけど?」
入学して一週間で、ほかのクラスの女子にも名前を知られてるなんて、やっぱり人気があるんだね。
「早瀬くんてさあ、許婚がいるんだってね。知ってた?」
「え?」
そんな話題で知られてるんだ・・・。
許婚って、もしかして。
「あたしね、おととい吹奏楽部に見学に行ったんだ。そうしたら先輩がね、トランペットの練習をしてた早瀬くんを見ながら『あの子知ってる?』って訊いてきて、教えてくれたの。月曜日に先輩たちの前で言ったらしいよ。相手はうちの学校の3年生なんだって。」
そんなことをするなんて!
吹奏楽部って、女子ばっかりだよね?!
「由香里、名前も聞いた?」
「聞いたんだけど、忘れちゃった。」
名前も言ったのか・・・。
どうしよう?
「その話、何人くらいに話した?」
「え? うーん、きのうはうちのクラスで話して・・・10人くらいかな? どうして?」
「・・・それって、本当なのかな、と思って。」
「だって、本人が言ったんだよ! 本当に決まってるじゃん!」
誰だってそう思うよね・・・。
「あ。もしかして、あーちゃん、早瀬くんのこと気に入ってた? かっこいいもんね。」
「違うよ!」
あたしは被害者の立場に近いよ!
「そう? なんだか怪しいけど? あ、もう行かなきゃ。またね。」
早瀬のヤツ、なんてことを!
大勢の女子の前でそんな話をするなんて、姑息な手段を使ったりして!
月曜日の部活でってことは、火、水・・で、今日が木曜日、3日目か。
きのうは、吉野先輩もお兄ちゃんも、そんな話はなにもしてなかったけど、まだ知らないのかな・・・。
休み時間に『吉野先輩を守る会』として、奈々とあたしがどうやって早瀬と笹本先輩の邪魔をするかを相談。
すぐにとりかかれるのは笹本先輩の方。
部活中は吉野先輩のまわりに、あたしたちがつきまとうことにする。
吉野先輩と笹本先輩が話しているときには、奈々かあたし(なるべく奈々)が一緒に入るようにする。
奈々はとにかく、笹本先輩にがんばる。
早瀬は、昨日の朝の様子だと、毎朝、吉野先輩のところに顔を出しているらしい。
それと、どのくらい広まっているのかわからない “許婚” のうわさ。
早瀬が吉野先輩に会いに行くのをやめさせるのは難しそう。あたしたちの言うことなんかに、耳を貸さないだろうから。
でも、先輩の教室なら長谷川先輩がついているはずだから(それに一応、お兄ちゃんも)心配ないかな。
やっかいなのは、うわさの方だ。
今のところ、奈々とあたしで、聞いたときに否定することしか思い付かない。
ちょっと心もとないけど、やるぞー!!
今週はバイトが2連休だと言って、今日も吉野先輩が来ていた。
あたしたちは休み時間に決めたことを実行に移す。
・・・けど、それが意外に難しい。
それぞれ仕事があるし、3年生は1、2年生の質問や相談で動き回っている。
3年生同士で何かを検討しているときなんか、奈々やあたしみたいな初心者が入っていくなんて無理だ。
仕方ないか。
急には無理だよね。
それでも雑談の時間には、何度か邪魔することに成功。
割り込んだり、質問を作って呼んだり。
基本的に、先輩たちは親切だから、あたしたちの行動に疑問を持たないみたい。
おもに雑談で遅くなった部活の帰り、昇降口で靴を履き替えながら、ハタと気が付いた。
もしかして、確実に実行できることが1つある?
「吉野先輩。今日、お兄ちゃんと帰ってもいいですか?」
「あ、そうなの? じゃあ、気をつけてね。」
「違いますよ! 先輩も一緒に帰るんです!」
なんで高校生にもなって、兄妹で帰らなくちゃいけないの?!
「え? い、いいよ! べつに、あたしは・・・。」
吉野先輩があわてて遠慮する。
校庭からは運動部はもう引き上げていて、部室棟のあたりがにぎやかだ。
遠慮してる吉野先輩には気付かないふりをして、携帯でお兄ちゃんに電話してみる。
あたしだってわかっても、出てくれるかな・・・。
『どうした?』
出た!
「お兄ちゃん、今どこ?」
吉野先輩が止めようとしてるのがわかったけど、無視。
『学校。』
わかってるよ!
「学校のどこ?」
『部室で着替え中だけど・・・お前、どこからかけてるんだよ?』
「中庭。吉野先輩も一緒。」
吉野先輩が、“ああ、もう!” というように、両手で顔をおおった。
『え? 吉野って・・・なんで?』
もう! 鈍感だなあ!
「一緒に帰るから、早く来てよね!」
そう言って、さっさと電話を切る。
あれこれ言われても、聞かない方がいい。
「先輩はお兄ちゃんの彼女なんですから、一緒に帰れる日は一緒に帰らなくちゃ!」
吉野先輩にそう言い切ると、先輩はあきらめ顔であたしを見て、弱々しく微笑んだ。
「奈々。あたしと吉野先輩はお兄ちゃんと帰るから、奈々は笹本先輩と帰ってくれる?」
「そうなの? わかった。じゃあ、また明日ね!」
奈々は笹本先輩とゆっくり話すチャンスができたと、嬉しそうに手を振って去っていく。
笹本先輩は奈々から話を聞いて、あたしたちに手を上げて合図した。それに応えて吉野先輩も「またね。」と手を振る。
笹本先輩、ちょっとさびしそう?
でも・・・奈々、がんばれ!
大慌てのお兄ちゃんが来たのは、それから10分以上経ってから。
片付けやミーティングで、すぐには出られないらしい。
それまでのあいだ、吉野先輩はあたしと話しながらそわそわしていた。
そして、お兄ちゃんが到着すると、今度は真っ赤になって下を向いてしまった。
先週、帰る途中で会ったときにはこんなじゃなかったのに、どうして?
3人で自転車置き場に向かうときも、吉野先輩は口数が少ないし、お兄ちゃんじゃなくてあたしと並んで歩いてる。
そんなに恥ずかしがらなくても・・・。
今は部活の下校ラッシュらしく、自転車置き場にはたくさん人がいた。
お兄ちゃんは知り合いが多くて、何人もあいさつを交わす相手がいる。
吉野先輩に気付いて冷やかしていく人や、あたしのことを尋ねる人もいた。
何人か、吉野先輩に「ぴいちゃん、バイバイ。」なんて声をかける男の先輩もいて、ちょっと驚く。吉野先輩がその人たちにあいさつを返していることも。(にこっとして軽く頭を下げるくらいだけど。)
長谷川先輩は、吉野先輩は部活以外では男子とは話せないって言ってたのに。
1年と3年では自転車を置く場所が違うから、あたしだけ途中でいったん離れる。
「向こうで待ってるね。」
と言って歩いていく吉野先輩に、お兄ちゃんが振り向いて、何か話しかけた。
その横顔が・・・、やっぱり電話してよかった! あんな顔、家では見たことないよ。
正門のあたりで待っていてくれた二人と合流したときには、吉野先輩はだいぶ落ち着いていた。
自転車を支えて並んで待っている二人を見て、長谷川先輩が言っていた “ゆったりした空間” という雰囲気がよくわかった。その周りだけ、雑音が少ないような気がする。
前を通り過ぎていく人たちと言葉を交わしたりしているんだけど、その人たちはその空間を抜けていくだけ。風に飛ばされた葉っぱがひらひらと通っていくようなもの。そのひらひらを自然に受け入れている二人。通り過ぎるとまたおだやかな空間。
この二人は一緒にいるのが当然なんだ。
急にそう思って、『守る会』の活動をがんばろうと、強く決心した。
「どうして今まで、吉野先輩が部活に出る日に一緒に帰ってなかったの?」
先輩を駅まで送って帰って来たお兄ちゃんをつかまえて尋ねる。
「ああ。天文部は俺たちより早く終わる日が多いからな。吉野は遠くから通ってるから早く帰らせてやりたいし、一人で待たせておくのは心配だし。それに、俺たちまだ1か月だぞ。吉野が部活に出た日だって、そんなに何度もなかったよ。」
「そうか・・・。それなりに理由があるんだね。で?」
「なにが?」
「これからだよ。一緒に帰るの?」
「吉野が終わった時間によって決めることにした。・・・なんで茜にこんなこと説明しなきゃいけないんだよ。」
「心配してるんだよ。いいじゃん、これからのことを話すきっかけになったんだから。」
お兄ちゃんは変な顔をして、自分の部屋に行ってしまった。
たしかに、妹に自分と彼女のことを心配されるって変な気がするかもね。
夜、上機嫌の奈々から電話がかかって来た。
『あーちゃん、ありがとう!』
「その様子だと、楽しかったんだね?」
『そうなの! 笹本先輩とたくさんお話ししちゃった!』
「よかったね。」
『うん! ねえ、これからは吉野先輩はあーちゃんのお兄さんと帰るの?』
「ああ、それが、いつもってことにはならないみたい。ごめん。」
『そうか・・・。でも、あやまらなくていいよ。もともと吉野先輩が部活に出る日って少ないんだもんね。』
そう言われてみると、もしかして、邪魔なのってあたし?
なんか、複雑な気分・・・。
それから奈々は、笹本先輩とどんなことを話したか、楽しそうに教えてくれた。
それを聞いていたら、胸の奥がちくりと痛んだ。
笹本先輩は、本当は吉野先輩のことが好きなのに・・・。
いやいや、吉野先輩のことはあきらめてもらわなくちゃ!
笹本先輩、ごめんなさい・・・。
茜ちゃん編は、いったん終了です。
次からは藤野くん編に入ります。