あれ? ちょっと・・・変?(4)
トイレから戻ると、図書室にやってくる生徒で入り口が混んでいた。
2時間目が空き時間になっている生徒が到着しているらしい。
3年生全員が通り過ぎるまで待ちながら、トイレで自分に言いきかせてきたことを繰り返して気持ちを落ち着ける。
(笹本先輩は、あたしと誤解されたりするわけがないと思ってる。だから、みんなの前でも平気なんだ。)
(先輩が笑ったのは “そんなこと、ありえないよ!” っていう意味。だから、あたしも気にしないこと。)
人波が途切れてから中に入り、さっきの机に行こうと一歩踏み出したところで、そこに知らない人が座っていることに気付いた。
笹本先輩?! どこ?!
まさか、帰っちゃったとか?!
あわてて見回そうとしたら、すぐ横で声が。
「茜ちゃん、こっち。」
ほっとしながら先輩についていくと、大きな机のスペースから低めの本棚で区切った壁沿いに、横に長いカウンターみたいな席があった。
丸い木の椅子が6個並べてあって、奥の2席にあたしたちの荷物が置いてあるだけで、ほかには誰もいない。
「机が狭いし、椅子の座り心地が悪いから疲れちゃうかもしれないけど、ここなら周りの目は気にならないと思うよ。」
あたしが気にしてるから?
「とりあえず、2時間目はここを使って、疲れたら、次の休み時間に向こうに移ろうよ。」
話しながら、先輩が椅子を引いて勧めてくれる。
「・・・はい。あのう、あたしが集中してないこと、わかりました?」
「うん。なんとなく、気にしてるのはわかったよ。特に同じ机に座っていた人。」
「ああ、あの先輩は」
言いかけて、気付く。
「先輩、あの先輩とはお知り合いですか?」
「見かけたことはあるけど、知り合いじゃないよ。・・・何かあったの?」
さっきよりも、もっと小声で先輩が尋ねる。
まるっきり内緒話だ。
でも、ほかの人たちと区切られている安心感で、先輩と顔を寄せ合っても、さっきほどは恥ずかしくない。・・・もちろん、全然ではないけど。
「あの人なんです、吉野先輩にひどいことをしたのは。」
「ぴいちゃんに? ひどいこと?」
「はい。おととい、吉野先輩が倒れた原因の・・・。」
「ああ、あのときの。」
笹本先輩が悲しそうな顔をする。
そうだよね。
あの吉野先輩が倒れてしまうほどのショックを受けたなんて、笹本先輩だって悲しいよね。
「どうして、彼女はそんなことをしたんだろう? ぴいちゃんは他人に恨まれるようなことはしないと思うけど。」
どうしよう?
・・・笹本先輩なら話しても大丈夫だよね?
「目的はお兄ちゃんだったんです。」
「藤野?」
「吉野先輩をお兄ちゃんと別れさせて、自分がお兄ちゃんの彼女になりたかったんです。で、ほかの人を吉野先輩にけしかけて。」
「へえ・・・。」
笹本先輩が驚きと感心の入り混じった表情をする。
「そんなに藤野のことが好きだったんだねえ・・・。」
「先輩、怒らないんですか?」
吉野先輩にひどいことをした人なのに?
健ちゃんだって、あんなに怒っていたのに。
先輩は何秒か、あたしの顔をまじまじと見てから、くすくす笑い出した。
「ぴいちゃんには藤野がついてるんだろう?」
「そうですけど・・・。」
だからって、笑うなんて。
「俺だって、ぴいちゃんにそんなことをした彼女に腹は立つよ。ぴいちゃんは俺の大切な」
“大切な”・・・女性?
―― 聞きたくない。先輩の口から直接は。
「妹だから。」
・・・え?
“いもうと” って聞こえたみたいだけど?
「もちろん、本当の妹じゃないけど。」
先輩の目が可笑しそうに光る。
やっぱり “妹” だ。
「ほん・・・、本当の妹だって言われたら、それこそびっくりします。」
ちょっと笑いながら返してみるけど・・・。
(“妹” って、どういう意味ですか?)
訊きたいけど、訊けない。
「ぴいちゃんは怒っていた? 彼女のこと。」
え?
妹の話はおしまい?
「いえ、吉野先輩は『かわいそう』って・・・。」
「うん。ぴいちゃんなら、そう言うだろうね。」
吉野先輩のことをちゃんと理解している笹本先輩。
「あと、早瀬が仇を取るって言ったら、そんな必要ないって。」
「ああ。そうだね。何もされなくても、本人が罪悪感で苦しむだろうからね。」
言葉は違うけど、同じ意味だ・・・。
「・・・どうして、ですか?」
「ん?」
「どうして、吉野先輩が考えることが分かるんですか?」
“妹” って、どういう意味ですか?
そんなに心が近いってことですか?
「どうしてかなあ? 長いつきあいだから? あ、丸2年って、長い?」
「それほどでもないと思いますけど・・・。」
あたし、からかわれてます?
「そういえば、ぴいちゃんに似てるって言われたよ、早瀬くんに。」
「早瀬に?!」
思わず大きな声を出してしまって、あわてて手で口をふさぐ。
本棚の向こうは、相変わらず静か・・・。
「うん。俺とぴいちゃんの性格が似てるって意味だと思うけど? つまり、考え方が似てるんだね。」
早瀬に言われた?
そのときって、もちろん、吉野先輩の話をしたんだよね?
いったいどんな話?
「さあ、もう続きをやろう。」
先輩が机に向き直る。
そう言われたら、教えてもらっている身のあたしは逆らえない。
教科書とノートを広げようとして、またしても失敗に気付く。
逆に座ればよかった・・・。
1分か2分は、今まで話していたことが気になったけど、すぐに、そんなことを言っていられなくなった。
それほど、あたしの数学はひどい有様だったのだ。
先輩はあたしが問題を解いているあいだに自分の勉強をするつもりでいたと思うんだけど、ほとんどできなかった。あたしが問題を解くところも見ていなくちゃいけなかったから。
本当に申し訳なくて、泣きたくなってしまう。
2時間目が終わったところで、先輩に「あとは一人でやります。」って言ってみたけど、いつもの笑顔で一蹴された。
「俺が自分で引き受けたんだから、気にしなくていいよ。」
って。
「だけど、あたしのせいで、先輩の成績が下がっちゃったら・・・。」
すでに半泣きのあたしに向かって、先輩は笑う。
「俺、普段だって、一日中、まじめに勉強してるわけじゃないよ。」
それから、
「疲れちゃったのかな? ちょっと休もうか。飲み物を持って。ね?」
と、なだめるように、あたしの顔をのぞき込む。
これじゃあ、まるで小さい子の相手をしているみたい。
あたし、先輩に迷惑をかけてばっかり・・・、うわ、ヤバい! 涙が!
「先輩。あの、休憩にします。」
あわてて下を向いて、カバンの中を探すふり。何を探しているのか、自分でもよくわからないけど。
「どうぞ。」
・・・ハンカチ?
先輩は横を向いて、あたしを見ないふり。
涙を見られた・・・?
ハンカチはスカートのポケットに入っていたけど、それがその場を立ち去るきっかけになった。
急いで受け取って、廊下に出る。
トイレの洗面台で目を冷やしながら、鏡に映る自分を見つめて考える。
あんなことで泣いてしまうなんて、本当にみっともない。もう高校生なのに。
先輩もきっと、呆れてる。
・・・このくらいなら、泣いたようには見えないかな?
あんまり時間がかかると先輩が心配するだろうから、そろそろ戻らなくちゃ。
図書室の前の廊下に出ると、笹本先輩が窓から校庭をながめていた。
近付くと、先輩が気付いて微笑む。
「気晴らしに、校舎の中を散歩してみようよ。」
そうだ・・・。
気晴らしが必要かも・・・。