あれ? ちょっと・・・変?(2)
「疲れちゃった? ちょっと厳しかったかな?」
図書室から昇降口へと向かいながら、笹本先輩が尋ねる。
あたしの頭の中では、数字とローマ字がぐるぐる回っている。
解き方を忘れているというプレッシャーと、笹本先輩の隣に座っているという緊張とともに過ごした一時間で、すっかりくたくただ。
だってね。
本当に近いんだもの。
右利きの笹本先輩が右側に座っていると、あたしのノートに先輩が書き込みをするときにはあたしの方に体を寄せるか、半分こっちを向くようにしなくちゃならない。
もちろん先輩は必要以上に近寄って来るようなことはしないけど、それでも隣の席(っていうか、隣の椅子?)っていうのは普段より格段に近い。
もともと好きだった弦楽器の声がすぐ隣で聞こえて、それに・・・・ノートに向かっているときの先輩の横顔が・・・きれいなの。
そういうことを考えないようにするためには、ひたすら問題と向き合うしかなかった。
それが一時間!
身も心もくたくたになって当然。
今日は早く眠れそう・・・。
「明日はどこでやろうか?」
「え? 明日も・・・ですか?」
明日は土曜日、学校はお休みなのに。
「ああ。先輩は土曜講習で学校に来るんですね?」
そうだよね。
3年生は土曜講習がある。
お兄ちゃんも、吉野先輩も来てる。
「いや、俺は講習は取ってないよ。でも、茜ちゃんが図書室がよければ、朝から開いてるはずだから使えるよ。」
「いえ、あの、あたしはどこでも。」
・・・あれ?
明日も先輩と勉強するってことは、もう決定事項?!
でも、学校がない日にまでお世話になるのは申し訳ないよ。
「あの、先輩? 土日はお休みでもいい・・・。」
「だめだよ!」
「へ?!」
「少しずつでも毎日進めなくちゃ。テストまで間に合わないよ。」
「・・・ええと、じゃあ、宿題を出して・・・、」
「一人でできるの?」
・・・そうだった。
今日の練習問題、ほとんど全部、解き方を忘れていた。
先輩に教えてもらったところは思い出せたんだけど、その先となると・・・。
中学のときも、塾の先生に頼りっきりだったもんね・・・。
「そうだ。うちに来る? よく考えたら、学校よりも近いよね?」
先輩の家?!
無理無理!
絶対に、落ち着いて勉強なんてできない!
「いえ、あの、学校でお願いします。」
「そう? じゃあ、午前中でいい? 8時半にバス通り沿いのコンビニで待ってるよ。」
えっ?!
待ち合わせ?!
そりゃあ、同じ通学路なんだけど、待ち合わせなんて・・・どうしよう?!
でも・・・断る理由が見つからない〜!
「はい・・・。よろしくお願いします・・・。」
どうして、こんなことに?
「明日はお昼までやろう。よかったら、数学以外も持っておいでよ。俺も自分の勉強道具を持って来るから、遠慮しなくていいよ。」
先輩・・・、張り切ってますね。
だけど、あたしが先輩と一緒に勉強だなんて。それも、学校がない日まで。
あたしって、そんなに教え甲斐のある生徒なんだろうか?
ホントに、どうしてこんなことになってるんだろう・・・?
よく考えたら、帰り道も先輩と二人きり。(今だってそう。)
いつもなら天文部のみんなやほかの部の生徒が周りにいる道も、部活休止期間の今日は普通の通行人ばっかりだろうな。
もしかして、制服姿って、目立つんじゃないかな?
二人きりだと、カップルと間違えられちゃうかも・・・。
どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・?
やっぱり、断るべきだったのかな?
でも、先輩は親切で言ってくれてるのに。
ああ、だけど!
「茜ちゃん?」
「はっ、はい?!」
「1年生の下駄箱、向こうじゃなかった?」
ひゃー!
ぼんやりしたまま、先輩のあとにくっついて来ちゃったんだ!
恥ずかしい!
もう! どうしよう?!
笹本先輩と二人きりだと思うと、動揺しちゃって・・・ああ、もう!
ほっぺたが熱い。
こんな顔のまま、先輩の前に出られないよ!
だけど、待ってるよね・・・?
ちょっと、下駄箱の陰からのぞいて・・・やっぱり。
早く行かなくちゃ。
昇降口のガラス扉から出て、中庭を見ながらのびをしている先輩のところへ。
「お待たせしました。」
顔を上げると、笑顔の先輩と目が・・・合わせられない!
どうしよう?!
これじゃ・・・、これじゃ、まるで・・・。
「ええと、自転車を出してきます・・・。」
まるで先輩から離れる言い訳みたい。
でも、ウソをついてるわけじゃない。
どうしてこんなにドキドキするんだろう?
先輩はいつもと同じなのに。
勉強のできない後輩のために時間を割いてくれる親切な先輩。
でも、二人きりって・・・やっぱり、いつもとは違うよ。
部活のときと同じ気持ちではいられない。
どうしても・・・。
どうしても、・・・何?
だめ。
今は考えちゃいけない。
まだ、今は。
早く行かなくちゃ。
笹本先輩が待ってる。
自転車を出しながら深呼吸を繰り返し、外の風に吹かれて、どうにか鼓動も治まった。
大丈夫。
笹本先輩は、天文部の先輩。特別じゃない。誰にでもやさしい。
お別れする交差点まで、楽しい会話が続く。
いつもと変わりない景色。
今日は、一緒に勉強するなんていう初めてのことに緊張して、いろいろと余計なことを考え過ぎてしまったのかも。
「茜ちゃん。」
「はい。」
「中間テストまで頑張ろうね。」
「はい!」
ほらね。
心配することなんて、何もない。
心配? ・・・じゃなくて、 “緊張” だ。
「じゃあ、また明日。お疲れさま。」
さわやかに手を振って、信号を渡って行く先輩。
その背中に頭を下げる。
「ありがとうございました。」
そういえば、今日は吉野先輩のことを思い出さなかった。
見守る必要もなくなったし、自分のことで精一杯だったからね。
笹本先輩も、「ぴいちゃん」って、一度も言わなかったな・・・。
まあ、心の中では想っていたのかもしれないけど。
よし!
明日もがんばろう!
青信号に変わった交差点を、元気よく自転車をこいで渡る。
そうだ。
明日はほかの科目も持っておいでって言ってくれたっけ。
お昼まで3時間くらいあるけど、今みたいな感じだったら大丈夫かも。
やっぱり今日の図書室は、慣れないことばっかりで勝手に緊張しちゃったんだな・・・。
・・・!
ちょっと待って! やっぱりダメ!
明日の朝は待ち合わせ。
先輩と一緒に学校に行くために。
やっぱりそれって、帰りに一緒に帰って来るのとは、ちょっと意味が違うよね?!
・・・いや、そんなことない。
通学路が一緒なんだし!
学校での用事が同じなんだし!
それになによりも、笹本先輩が気軽に言ったこと。
余計な意味なんてあるわけないよ!