あれ? ちょっと・・・変?(1)
「茜ちゃん。」
事件の翌日、天文部に着くなり、心配顔の笹本先輩に話しかけられた。
「きのうは大変だったね。大丈夫だった?」
ああ。
吉野先輩のことを心配しているのか・・・。
連絡してあげればよかったかな。
「はい。あたしが帰ったときにはもう起き上がってましたし、一緒に夕食を食べてから、お兄ちゃんが送って行きました。」
「一緒に夕食・・・?」
「はい。うちの母が是非にって言って。」
「あの・・・早瀬くんも?」
「え? ええ。母が早瀬のことを気に入っちゃって。」
まったく、「おばさま」なんて呼ばれて舞い上がっちゃって、恥ずかしかったな・・・。
「そう・・・。」
あれ? 先輩、もしかしてショックを受けてる?
・・・しまった!
吉野先輩がうちでご飯食べたなんて、言っちゃいけなかったよ・・・。
「笹本先輩! ちょっと教えてほしいんですけど。」
奥の机からミュウたちに呼ばれて、笹本先輩がふらりとそっちへ向かう。
大丈夫かな?
「奈々。あたし、余計なこと言っちゃったみたい。」
言いながら隣にいる奈々を見たら、奈々は下を向いて・・・笑ってる?
あたし、笑うようなこと言ったっけ?
「・・・どうしたの?」
「なんでもない。吉野先輩、元気になってよかったよね。」
「うん。」
そういえば、笹本先輩、早瀬を知ってたみたいだけど・・・?
もしかしたら、前に奈々が先輩のことを話したときに、早瀬が会いに行ったのかも。
あれからずっと、先輩には変わった様子はなかったけど・・・。やっぱり大人だね、笹本先輩は。
奈々と健ちゃんには、きのうの夜に電話で事件の説明をした。
健ちゃんには早瀬から連絡してもらおうと思ったのに、早瀬は吉野先輩を送るから遅くなるという理由をつけて、あたしに押しつけた。
送るのはお兄ちゃんに任せておくことも・・・できないよね、早瀬には。あんなに心配してたんだから。
奈々は冷静に話を聞いて、田所先輩の計画の甘さを指摘した。
健ちゃんは、電話口で怒ったのなんのって!
大事な吉野先輩を傷つけるようなことをした田所先輩のことを、すごい勢いでののしった。
でも、全部吐き出したら機嫌が直ったらしくて、「じゃあね。」って言うときにはすっかり元気だった。
あたしたちの『守る会』は、いったん活動休止。
この会では吉野先輩を守りきることができなかった。
あたしたち、何の役にも立たないことをやっていたんだろうか・・・?
「わからないところはない?」
いつもの観測と記録の作業を笹本先輩が見回っている。
今度の中間テストが終わったら、部長は2年生の川村先輩に代わる。
笹本先輩の部長さんは今日で終わり。
夏休みの初めにある合宿までは、先輩たちは顔を出してくれるそうだけど・・・。
「あ、大丈夫だと思います。」
「あーちゃんがわからないのは数学だよね。」
横から奈々がからかう。
「やだ、奈々。今、言わなくてもいいじゃん。」
「茜ちゃんは数学が苦手なの?」
「そうなんです。中学のときからだよね?」
もう・・・、言わないでよ。
それに、どうしてあたしの代わりに答えるの?
「俺でよかったら、教えてあげようか?」
「え?!」
やだ!
そんな・・・。
「いえ、あのっ、大丈夫です。自分でなんとか。」
「遠慮しなくていいよ。俺、数学は得意だよ。明日から部活も休みになるし、放課後に一時間くらいなら。」
「あ、あの、でも、先輩は受験生だし、ご自分のお勉強が・・・。」
「高1の数学ならちょうど復習にもなりそうだからいいよ。窪田さんも一緒にどう?」
あ、奈々が一緒なら・・・。
「すみません。あたしは家庭教師が来るので帰らないと。」
うそ?!
「家庭教師?! そんなこと初めて聞いたよ?!」
「言ってなかったっけ? お母さんが妹のついでにって、今月から。」
「そう? じゃあ、茜ちゃん、明日から放課後に図書室で一時間でいい?」
え・・・?
やることに決まったの?
「・・・はあ。よろしくお願いします・・・。」
おかしいな?
どうして、こんなことになってるんだろう・・・?
次の日。6月8日、金曜日。
気後れしながら、放課後に一人で図書室に向かう。
笹本先輩に勉強を教えてもらうため・・・なんだけど、未だにどうしてこんなことになったのか、よくわからない。
たしかに、あたしは数学が苦手で、それを奈々があの場で言ったことが原因なんだけど・・・。
「先輩がわざわざ時間を割いてくれるんだから、さぼっちゃだめだよ。」
一緒にくっついて帰りたいあたしに、奈々は恐い顔をして言った。
ため息をつきながら廊下を歩く。
図書室って苦手なんだよね。
静かで、みんながちゃんと自分がすることをわかってて、みたいなところが。
自分が場違いな感じがするから。
入り口の戸をそっと開けて中を・・・。
「茜ちゃん。ちょうどよかった。」
後ろから声をかけられて、飛び上るほど驚いた。
「笹本先輩! どうも・・・。」
焦ってしまって、言葉がうまく出て来ない。
「さあ、時間がもったいないよ。」
笹本先輩に背中を押されながら中に入ると、手前に並んだ机では、すでに何人か勉強している人がいる。
「あそこがいいかな。」
先客たちとは少し離れた場所に決めて、2人ずつ向かい合わせの4人掛けの机に先輩が荷物を置く。
「ああ、こっちに座って。そっちだと声が届かないから。」
先輩の向かい側に座ろうとしたら、隣の席を指定された。
たしかに向かい側だと、身を乗り出すか、声を大きくしないと聞こえない。
でも、隣って・・・かなり仲良しに見えちゃうような気がするけど・・・。
いいのかな?
教科書の最初の方にある練習問題をやってみてと言われ、あたしは問題を睨む。
・・・おかしいな。
どうやるんだっけ?
あれ?
落ち着けば、きっと・・・。
やっぱりわからない!
どうしよう?
ただの計算問題なのに!
先輩に、ものすごく勉強のできない後輩だと思われちゃう!
パニックになりかけたところで、先輩の声が。
「忘れちゃったかな? 俺が先に解いてみるから見てて。」
先輩があたしのノートを引き寄せて、問題を解いていく。
素早いシャーペンの動きが、次々と数字や記号をノートに並べて。
解き方よりも、その速さに感動する。
それに、ほっそりした長い指がきれい・・・。
「ね? 思い出した?」
はっ!
しまった!
手の動きばかり見ていたから。
ええと・・・。
「ああ!」
思わず声を上げながら手を打ってしまい、静かにしなくちゃいけなかったんだと思い出す。
「はい。思い出しました。この法則を使うんですよね?」
今度は小さな声で。
ほっとした気分で先輩の方を向くと・・・、近いよ!
いつもの優しい笑顔でうなずく先輩と目が合って、一気に心拍数が跳ね上がる。
―― 今日は紺色のメガネだ。白いワイシャツには、この色が合うね・・・。
笹本先輩が不思議そうに首をかしげる。
やだ!
ぼーっと見ちゃったよ・・・。
「ええと、次のを解いてみます。」
急いでノートに向かう。
手は震えてない。大丈夫。
問題は・・・今のと同じ形式。
ってことは・・・。
「そう。正解。」
やった!
と思ったのと同時に、
ぽん。
え?
頭に手が・・・なでられた?
あの・・・、ちょっと・・・、恥ずかしい・・・ですけど。
先輩の方を向くことができない〜!
「あのっ、じゃあ、次の問題、やってみますね。」
静かにしてよ、心臓!
ここは静かにしなくちゃいけない場所なんだから・・・。