ぴいちゃんを守りたいのに・・・。(8)
家に着いて、ぴいちゃんには玄関の中で待っていてもらうことにした。
母親に声をかけながら奥へ進むと、雑誌を読みながら、ダイニングでおやつを食べている。
「どうしたの、こんなに早く? 試験前一週間って、あさってからじゃなかったっけ?」
「ええと、ちょっと・・・。」
いざとなると言い出しにくいな・・・。
「何? 学校から親に呼び出しとか来てるの?」
「いや、そうじゃなくて、ちょっと友達が具合が悪くて・・・。」
要領を得ない俺の説明に眉をひそめる母親。
しっかりしろ!
これくらいのことが言えなくてどうするんだ!
「友達が具合が悪くなったから寄ってもらった。俺の部屋で少し休ませるから。」
よし!
「友達? どこ?」
母親が俺の後ろをのぞき込む。
「え? 玄関で待って・・・、」
「ばかね! 具合が悪いんなら、すぐに入ってもらわなくちゃ可哀そうじゃないの!」
そう言いながら俺を睨んで、さっさと立ち上がると玄関に向かう。
「あの、母さん。」
ぴいちゃんだって言ってないんだけど。
慌ててあとを追う。
「あら?!」
玄関にいるのが女の子だと気付いて、母親が驚いて立ち止まる。
その母親に向かって、ぴいちゃんが丁寧に頭を下げた。
「初めまして。吉野陽菜子です。突然お邪魔してすみません。」
それから。
ぴいちゃんがくたくたと倒れてしまった・・・。
人が気を失うところを見たのは俺も母親も初めてで驚いたけど、ちゃんと呼吸をしていたからほっとした。
リビングのソファに寝かせる案は、起きたあとに話をすることを考えて断り、ぴいちゃんを抱き上げて、2階の俺の部屋まで運んだ。
母親の手前、平気な顔をしていたものの、本当のことを言うと、予想以上に大変な作業だった。
ぴいちゃんは小柄でそれほど重くはなかったけど、階段の幅が狭いし、落ちないようにうまく抱き上げるのが難しくて。
母親にここまで来るあいだのぴいちゃんの様子を話すと、
「緊張で疲れちゃったのね。しかも、あんなところで待たせたりして、気が利かないんだから。目を覚ましたらお茶を入れてあげるから言いなさい。」
と言われた。
それと、もうひと言。
「偶然だけどね、今日、青の部屋に掃除機かけておいたから。」
感謝します・・・。
俺のベッドで眠っているぴいちゃん。
静かな寝顔を見ていたら、安堵の気持ちが湧きあがってきた。
ここは、彼女にとって安全な場所だ。
ここにいる間は、誰もぴいちゃんを傷つけることはできない。
ベッドの横に座って、右手の指の背で、ぴいちゃんの額をそっとなでてみる。
指先に彼女の髪が触れる。
何が彼女をあんなに悲しませたんだろう?
何が・・・誰が?
話してほしい。
全部話して、ぴいちゃんの悲しみを取り除くことを、俺に手伝わせてほしい。
それができないなら・・・俺は何のためにぴいちゃんのそばにいるんだ?
(ぴいちゃん。)
声を出さずに呼んでみる。
右手を彼女の頬に当てると、少し身じろぎして、かすかに微笑んだ。
―― 俺が与えられる安心?
彼女にとって、どれほどの価値があるんだろう?
俺がぴいちゃんからもらっているものは、たくさんある。
元気。癒し。笑い。勇気。励まし。正しいことを見極めようとする目。
もっともっと、いろんなもの。
毎日の生活に欠かせないもの。
だけど、俺がぴいちゃんに与えられるのは愛情だけだ。
・・・量だけはたくさんあるけれど。
ぴいちゃん。
俺はぴいちゃんのために何か役に立っている?
俺はちゃんと、ぴいちゃんを支えることができている?
いつも守りたいと思っているのに、今回はそれができなかった。
田所さんのことでイライラして、ぴいちゃんから目を離してしまった。
そのうえ、緊張させて、こんなことに・・・。
「ぴいちゃん、ごめん。」
俺の言葉に応えるように、ぴいちゃんが目を開けた。
俺を見るとゆっくりと微笑んで、彼女の頬に当てていた俺の右手を両手で包みこむ。
・・・俺を気遣っている? そんな状態なのに?
「ごめん・・・。」
「どうして謝るの? 藤野くんは、いつもあたしのことを心配してくれているのに。」
「でも、」
「今日だって、あたしのために野球部の練習を休んでくれたでしょう? 部長さんなのに。」
「だけど、失敗ばっかりだよ。」
「失敗? そうなの?」
「そうだよ。今だって・・・。」
ぴいちゃんが優しく微笑む。
「ほら、そんなふうに、俺はぴいちゃんに慰められてばっかりで・・・。」
何もできないことが情けなくて下を向いてしまう。
俺の右手を握る手に少し力が込められて、ぴいちゃんが・・・指先をそっと唇にあてる。
「あたしは藤野くんが心配してくれるっていうことだけで嬉しいよ。」
「・・・心配するだけで?」
「うん。」
「・・・失敗しても?」
「うん。失敗しても、そばにいてくれればいいよ。そうすれば、あたしにとっては失敗じゃないから。」
ぴいちゃん・・・。
「大好きな人がそばにいてくれるだけで十分なの。」
のどに何かがつかえたようになって、無理に何かを言ったら涙が出そうで・・・、枕の上の青白い顔で微笑む彼女をただ見つめることしかできない。
そんな俺を見ながら、ぴいちゃんは満足そうにため息をつく。
こんな彼女がいるなんて、俺は幸せ者だ。
俺も、ぴいちゃんのために頑張らなくちゃ。
ぴいちゃんが俺を頼りにしてくれるように。
俺を頼りに・・・。
ぴいちゃんは話してくれるだろうか?
「・・・昼休みに、何があったのか話してくれる?」
俺の問いに、さっと彼女の表情が怯えるように変化する。
口を引き結んだかと思うと、俺の手から手を離し、掛けてあった肌掛け布団をおでこまで引き上げてしまった。
・・・拒否か。
軽くため息が出た。
少しは予想していたけど、やっぱり悲しい。
でも。
この布団、俺のなんだけど・・・。
夜、ぴいちゃんのこの状態を思い出したら、眠れなくなっちゃうかも・・・。
じゃなくて!
今はそんなことを考えてる場合じゃない!
「ぴいちゃん。俺は頼りにならないかな?」
そう言うと、彼女は少しだけ布団を下げて、俺を見ながら首を横に振った。
「俺はぴいちゃんが悲しいなら、それを取り除いてあげたいと思ってる。全部は無理でも、半分は一緒に背負うよ。だから・・・。」
話してほしい。
ぴいちゃんは少しの間、布団の隙間から、困ったような顔をして俺の顔をじいっと見ていた。
それから、仰向けになって両腕を出すと、ぽん、と布団を叩く。
ゆっくりと目を閉じ、大きく息を吸ってゆっくりと吐いてから、目を開ける。
まばたき3つ。
「本当は話したくないんだけど。」
困った顔で俺を見ながら、ぴいちゃんが言う。
「思い出すと辛い?」
その言葉だけで、また泣きそうになるぴいちゃん。
目を閉じて、涙をやり過ごしている?
「それもあるけど・・・、藤野くんに聞かせたくない部分もあるの。あまりにも酷いことだから。」
俺に聞かせたくない?
「だから、あんなに何度も『大丈夫』って、隠そうとした?」
「うん・・・。でも、話さないと、藤野くんはもっと心配する?」
「うん。」
「・・・じゃあ、話す。それに・・・もしかしたら、話さないと、ずっと記憶に沁み込んで残っちゃうかもしれないな。それもきっと、辛いかも。明日も学校には行かなくちゃならないし・・・。怒らないで聞いてくれる?」
「俺がぴいちゃんのことを怒るわけが・・・。」
「違うの。あたしのことじゃなくて。」
俺に聞かせたくないことをした相手を・・・なのか?
「それは、話を聞いてから判断する。」
ぴいちゃんは軽くため息をついた。
「そうだよね・・・。」