陽菜子のまわりの男たち(3)
水曜日。
1年生の遠足で、キャンプ場に来ている。
山登りと川遊びを少しずつと、バーベキュー。
学校の指定ジャージ ―― 学年別で、俺たちは紺 ―― の集団だ。
入学してひと月半。
クラスメイトの顔と名前もだいたい一致して、クラスの雰囲気に慣れてきた。
話したことがない相手でも、元気なヤツか、おとなしいヤツかくらいはわかる。
俺は、特に仲がいい友達はいないけど、孤立してるわけじゃない。誰とでも話すし、誰でも俺に話しかけてくる。
男子には、俺みたいなのがけっこういる。
「早瀬。きのう、うちの部の先輩からきいたんだけどさ。」
石を積んで囲んだかまどに火をおこそうと一緒に悪戦苦闘しながら、近藤が話し始めた。
近藤は、俺が陽菜子の関係者だと知ってから、よく話しかけてくるようになった。
はじめは、陽菜子の情報が欲しいのかと思って警戒していたけど、そういうわけじゃなかった。
近藤は、おしゃべりなんだ。
嬉しいことや、面白いことを、誰かに話さずにはいられないらしい。
だけど、陽菜子に関係がある話題は誰にでも話すわけにはいかなくて(一応、陽菜子のことを考えて。)、そういうときは、俺や藤野茜に話しかけてくる。
俺と藤野茜なら、陽菜子についての変なうわさを流したりしないって知っているから。
(許婚のうわさは、断じて “変なうわさ” じゃない!)
「何を?」
薪を積み直して、その隙間に細い枝やねじった新聞紙を詰め込みながら近藤に訊く。
近藤は軍手をはめた手でマッチを擦ろうとして、さっきから何本も折ってしまっている。
「岡田先輩のことなんだよ。」
ようやくマッチに火がついて、俺が渡した新聞紙に火を移しながら、近藤が言う。
岡田先輩の話?
「岡田先輩がどうかしたのか?」
近藤が新聞紙を薪の間に差し込むのを見守りながら尋ねる。
近藤はちょっとのあいだ、無言でかまどの中を覗き込んで、今度は火が消えずにいるのを確認してから顔を上げた。
「岡田先輩って、去年ずっと、吉野先輩のことを好きだったらしいぜ。」
「岡田先輩が?」
「うん。藤野先輩と、何か月も争ってたんだって。」
何か月も?!
「今の彼女は・・・?」
「詳しいことはよくわからないけど、バレンタインに告白されて決まったって聞いた。」
「告白された?!」
岡田先輩とあのきれいな先輩のカップルだったら、絶対に岡田先輩から申し込んだと思ってた。
岡田先輩って、実はすごい人なのかも・・・。
陽菜子が藤野先輩と付き合い始めたのは3月のはじめのころだ。
でも、俺は前の年の秋に、真悟から藤野先輩の名前を聞いていた。
先輩が陽菜子に電話をかけてきて、男から電話がかかってきたのを知った真悟が、陽菜子の電話を取り上げて、直接話したんだ。
そのとき藤野先輩は、凄んだ真悟に堂々と名前を名乗ったそうだ。
もしかしたら、その頃は、岡田先輩も候補者だったのかもしれない。
「ほら、吉野先輩のバイトの写真、岡田先輩だけが持ってるって言っただろ? あれって、岡田先輩が吉野先輩と仲がいいからなんだよ。」
そうだろうな。
陽菜子も岡田先輩のことを、すごく信用してるみたいだったし。
「今、そうやって仲がいいのも、岡田先輩と藤野先輩が牽制しあって、吉野先輩を入れた3人で一緒にいることが多かったからなんだって。」
陽菜子、全然気付かなかったのか?
・・・そうなんだな、きっと。
だから、今でも岡田先輩と仲良しのままなんだ。
「火はついたの?」
鋭い声に慌てて振り向くと、窪田が俺たちを見下ろしていた。
急いでかまどの中をのぞき込むと、さっきの火がうまい具合に薪に移っている。
「大丈夫。ちゃんと燃えてる。」
窪田は近藤の言葉を聞いて「よし。」とうなずくと、うしろの調理場に向かって大きな声で命令する。
「利根ちゃん。野菜と肉!」
「了解!」
まるで軍隊だ。
窪田って、見た目も普段の言葉遣いも、いかにも “女の子” っていう感じだったのに、最近はちょっと変わってきた。
この遠足の計画でグループリーダーになったときから、仕切ること仕切ること。
優秀な・・・っていうより、怒らせたら恐そうなリーダーだ。
たぶん、こっちが地なんだ。
うちのグループは男女4人ずつの8人。
男は俺と近藤のほかに柔道部の2人がいるけど、誰も窪田には逆らわない。
女子同士はちゃんと団結しているから、俺たち男はまるっきり家来みたいなものだ。
まあ、それでうまく治まるんならいいけど。
野菜と肉を焼き始めたところで、火の番を柔道部の二人に代わってもらい、いったん手を洗いに行く。
「先輩たちが去年の修学旅行でユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったとき、吉野先輩と小暮先輩が他校の生徒につきまとわれて、藤野先輩たちのところに逃げてきた、なんてこともあったらしいぜ。」
近藤が、さっきの続きを話し出す。
「小暮先輩って・・・岡田先輩の彼女のことか?」
「うん、そう。見たことあるか?」
「あるよ。美人で上品な感じの・・・。」
「USJでは、吉野先輩と小暮先輩は、2人で行動してたらしいんだ。」
あの2人なら、一緒にまわりたいっていう希望者がたくさんいただろうに。
「岡田先輩と藤野先輩はほかの野球部の先輩たちと一緒だったんだけど、逃げてきた吉野先輩たちが、岡田先輩と藤野先輩を見つけて駆け寄ってきたんだって。」
「ふうん。」
その時点で、藤野先輩たちは安心できる相手だったってことか。
でも、あの2人に助けを求めて駆け寄られたりしたら・・・ものすごく頑張っちゃうな、俺。
「そこで吉野先輩たちも野球部の先輩に合流して、そのときから吉野先輩のことを『ぴいちゃん』って呼んでる先輩が何人かいるんだよ。小暮先輩のことは『里緒ちゃん』って。」
ああ・・・。
いるのか、うちの3年生にも。
陽菜子、人気ありすぎだぞ・・・。
「そうそう! この前、俺たちの写真を吉野先輩に送ったんだぜ!」
「なんだ、それ?」
「岡田先輩が撮った藤野先輩の写真を送るついでに、自分たちのも一緒にって言って、希望者の集合写真を送ったんだよ。10人くらいいたかな?」
変なの。
陽菜子はそれをどうしたんだろう?
きっと、捨てられなくて、そのままにしてるんだろうな・・・。
屋外にある水道で近藤と並んで手を洗っていたら、うしろで叫び声がした。
驚いて振り向くと、藤野茜が恐ろしそうな顔をして俺たちの方を見ている・・・?
「うっ、動いちゃダメ! あ〜っ! 飛んだ! やだ!」
そう言いながら、何かを避けて、うろうろしている。
・・・モンシロチョウ?
蝶がこわいのか?
2匹のモンシロチョウがひらひらと頼りない独特の動きで、藤野茜のまわりの草むらを飛び回っている。
その動きを目で追いながら、なんとかこの場を通り過ぎようとする藤野茜。
「しょうがないな。」
近藤がつぶやいて前に出た。
モンシロチョウを追い払おうと、蝶と藤野茜のあいだに割り込む。
ただ見ているわけにもいかなくて、俺も。
「ほら、あっち行け。」
「ひゃ〜。来る、来るよ、こっちに。」
大騒ぎする俺たちの横を、何人かの生徒がくすくすと笑いながら通り過ぎていく。
誰もモンシロチョウなんかを恐がっている生徒はいない。
なんとか逃げ道を見出して、藤野茜が駆け抜ける。
蝶たちは俺たちにはまったく注意を払わずに、ひらひらと好き勝手な方向に飛んで行った。
「ああ、もう、恐かった・・・。」
「蝶がこわいヤツなんて初めて見た。」
俺が呆れて言うと、藤野茜は真剣な顔で近藤と俺を見た。
「全然ダメなの。どんな蝶も、蛾も。写真も。リアルな絵も。ああ、考えただけでも気持ち悪!」
「それは気の毒に。」
近藤が笑いをこらえながら言う。
「笑いごとじゃないんだよ! 蝶ってどこにでもいるんだもん。中学の理科室には標本があったし。今日は山だから嫌だったんだよね・・・。」
深刻な顔でブツブツ言う藤野茜。
気が強くて、物怖じしない彼女にこんな弱点があったなんて。
窪田といい、藤野茜といい、みんな見かけだけじゃわからないな・・・。
そうだ。
岡田先輩も、笹本先輩も。
おしゃべりな近藤だって、さっきは迷わずに藤野茜を助けに行った。
みんな、見かけだけじゃわからない。