吉野先輩、変ですよ?(8)
5月14日、月曜日。
きのうの夜、笹本先輩からのメールに何て返したらいいのかさんざん迷って、返事を書くのにたくさん時間がかかってしまった。
だって、あたしが言いたいようなことはどれも・・・厚かましいような気がして。
よく考えたら、先輩から来たのは、単に謝るためのメール。
なのに、自分勝手にドキドキしちゃったりして、バカみたい。
そう。
メールの内容には、特別なことなんて何もなかった。
『次に私服で出かけるとき』?
べつに、あたしと一緒になんて言ってない。
『服を選ぶのって難しそう』?
だからって、あたしに選んでほしいわけじゃない。
『変な誤解』?
そうだよね。
笹本先輩は、吉野先輩が好きなんだから。
『話したくないとか思わないで』?
もちろん、部長としての言葉だ。
先輩は、何も特別なことは言ってない。
その行間に勝手に意味をこじつけて、・・・危なかった。
おかしな返事を書いて、恥をかくところだった。
『今日はいろいろ教えていただいて、ありがとうございました。店員さんに誤解されたことは気にしていません。間違えられたのは先輩のせいじゃなくて、あの場所のせいだと思います。明日からの部活も、今までどおり、よろしくお願いします。』
最終的に送ったメールはこれ。
送信ボタンを押したとき、ちょっとだけ胸が痛んだけど。
だけど・・・仕方ないじゃない。
朝食を食べに部屋から降りて、廊下でお兄ちゃんとすれ違うとき、吉野先輩のことを思い出した。
そうだった。
まずは一言、言わなくちゃ。
さりげなくね。
「笹本先輩って、吉野先輩にすごく優しいんだよ。」
そうだよ。
本当に。
お兄ちゃんがさっとこっちを向いたけど、知らんぷりして朝食を食べに行く。
お兄ちゃんは朝練のために家を出る時間。
吉野先輩のこと、大切にしてあげてよね!
昼休み。
奈々とあたしが話しているところに通りかかった早瀬が、立ち止まって話しかけてきた。
「きのう、陽菜子と出かけたんだって?」
「よく知ってるね。」
と、奈々が驚く。
「真悟くんでしょ?」
あたしの指摘に、早瀬がニヤリとする。
「当然。陽菜子の情報はちゃんと手に入るよ。」
ふうん。
「プラネタリウム、きれいだったよ。早瀬くんも一緒に行きたかった?」
奈々の質問を笑い飛ばす早瀬。
「べつに。部活だろう? みんなで一緒なら危ないこともないだろうし。」
「危ないことっていうわけじゃないけど、うちの部長さんがね・・・。」
奈々?
何を言い出すの?
「部長?」
「前からなんだけど、吉野先輩にはものすごく優しいんだよね。」
何秒か、早瀬の動きが止まった。
もしかしたら、息をしてなかったのかも。
「や、やだなあ、奈々。そんなこと言ったら、早瀬が驚くよ。」
「優しいって?」
早瀬の表情が変わってる。
目つきが鋭くなって。
「例えばね、『ぴいちゃん』って話しかけるときの言い方もそうだし、何かを始める前に、吉野先輩だけに『気をつけろよ』なんて声をかけるとか、吉野先輩が困ってるときにさりげなくサポートするとか。」
そんなに具体的に・・・。
奈々・・・面白がってるの?
奈々はあたしと目が合うと、いたずらっ子のような顔で「だって。」と声を出さずに言って、ちょっと舌を出した。
「は・・・早瀬。優しいって言っても、笹本先輩は吉野先輩と特別な関係なわけじゃないよ。」
特別な関係なのはお兄ちゃんだけだよ。
吉野先輩にとっては、お兄ちゃん以外はお友達や部活仲間なんだから。
「ほら、吉野先輩って、ファンがたくさんいるじゃない? 近藤とか、天文部の1年部員とか。お兄ちゃんがよその学校にもいるって言ってたよ。ああ、それに、岡田先輩だって、吉野先輩のこと守ってるみたいに見えるじゃない。それと同じだよ。」
なんで、あたしは早瀬をなだめようとしてるんだ?
「岡田先輩と同じ?」
「うん。そうそう。」
だから、笹本先輩に何かしたりしないでよ。
そんなことしたら、先輩が傷つくよ。
吉野先輩がお兄ちゃんのことしか見てないってわかってるんだよ、笹本先輩は。
それでも、・・・それだから、そばで見守ってることしかできないのに。
早瀬はちょっと考えてから、奈々に尋ねた。
「その部長って、彼女いるの?」
!
「彼女? いないよ。」
ああ、奈々・・・。
「・・・そう。貴重な情報、サンキュー。」
低い声でひとこと言って、早瀬はさっさと行ってしまった。
「奈々! どうしてあんなこと。」
「え? だって、面白そうじゃない?」
“面白そう” って、それだけで?!
「早瀬が笹本先輩に何かするかも・・・。」
「どんなことをすると思う? それで、どうなるんだろう?」
ああ・・・、だめだ。始まっちゃった。
ときどき思い付いたように出てくる、奈々の恐いくせ。
何か面白くなりそうだと思うと、わざとけしかけてみたりする。
きっと、あたしと笹本先輩のことが予定通りに進まないものだから、つまらなくなって思い付いたんだ・・・。
「あーちゃん、そんな顔しなくても大丈夫だよ! 笹本先輩って、大人だもん。」
そうやって笑ってるけど、奈々・・・。
先輩に迷惑がかかるかもしれないのに。
部室に行ったら、笹本先輩が来ていなくて、早瀬が早速何かしているんじゃないかと気になる。
先輩の教室に怒鳴り込んでいたりしたらどうしよう?
「遅くなってごめん。」
いつもの作業がだいぶ進んだころにようやく来た先輩が、いつも通りに落ち着いた様子なのでほっとした。
早瀬はまだ何もしていないらしい。
それとも、奈々が言ったとおり、笹本先輩は大人だから、早瀬のことなんか気にしないのかもしれない。
あたしと目が合ったときも、いつもと同じように微笑んでくれた。
それを見てほっとしたのと同時に、きのうのことを思い出す。
一度だけ、心臓がドキンと鳴った。
でも、先輩はいつもと同じ。
やっぱり、あのメールには特別なことなんてなかったんだ。
早とちりして、返信に変なことを書かなくてよかった・・・。
作業のあと、きのうの買い出しの品物を並べてチェック。
いろいろなものがある。
見たことがない工具や、何種類かのネジ、長さが違う金属の棒とか。
2年の先輩たちがあれこれ説明してくれるけど、具体的なイメージが思い浮かばなくて理解できない。
やっぱり半分以上、意味がわからなかった。
ミュウたちが笹本先輩の周りであれこれ質問をしている。
1年男子は工具類や材料に心を奪われているみたい。
「難しそうに見えるけど、大丈夫だよ。今年は人数がたくさんいるしね。」
長谷川先輩が奈々とあたしのところに来て、安心させてくれた。
「はい。」
と返事をしたけど、あたしの心に引っかかっているのは別なこと。
でも、それが何なのか、はっきりとは分からない。
何か、気持ちが揺さぶられる。
見つけそうになって、
“あ、もしかして・・・”
って思った瞬間に、消え失せてしまう。
“言葉にしちゃダメ。”
だからつかまえられない・・・。
次は響希編です。




