吉野先輩、変ですよ?(3)
着いたのは大きな建物だった。
全体は科学博物館で、その一角に大きなプラネタリウムがある。
座席は映画館のように傾斜していて、天井までの大きな丸いスクリーン。
1年生はプラネタリウムは初めての部員が多く、ドキドキしながら、おずおずと席へと向かう。
小学生がそんなあたしたちの横を駆け抜けていく。
上映時間は40分。
照明がふわっと落とされて、気付いたら真っ暗闇。一瞬、周囲に誰もいないような錯覚に陥る。
隣にちゃんと奈々がいるのか確かめたい。
何かを尋ねる子どもの声と、「しーっ。」という大人の声にほっとした。
解説の声とともに、天井に星空が浮かぶ。
星空・・・じゃなくて、宇宙?
スクリーンは消えて、深い、深い、どこまで行っても星ばかりの空間。
まるで、吸い込まれていくみたい・・・。
「茜ちゃん。」
深い声。
深い、宇宙の声。
あたし、宇宙から呼ばれてる?
「茜ちゃん?」
・・・呼ばれてる?
目、つぶってる?
ってことは、寝てた?!
無理矢理、目を開けると・・・照明がともった室内で、隣にしゃがんでにこにこ笑う笹本先輩が。
「あ、起きた?」
「はい!」
ああ・・・みっともない!
途中で寝ちゃったんだ。
あんまり気持ちがよかったから。
周囲を見回すと、最後の数人が出口へ向かっているところ。
しまった・・・!
ずいぶんぐっすり寝ちゃったんだな。みんながいなくなるまで気付かないなんて。
「すみません・・・。」
それに、先輩に寝顔を見られたよ!
「いいよ。立てる?」
笹本先輩はあくまでも優しい。
「はい!」
もう、あたしって、なんて、みっともないんだろう?
これは部活の一環で、遊びで来たわけじゃないのに。
周りがいなくなるまで気付かないほど、ぐっすり寝てるなんて・・・信じられない!
奈々、どうして起こしてくれなかったの?!
「わっ。」
くよくよ考えながら歩いていたら、段差でつまずいた。
転ぶ!
って思った瞬間、目の前に手が差し延べられて、同時に腕を支えられる。
「大丈夫? まだ、ちゃんと目が覚めてないのかな?」
すぐ耳もとで笹本先輩の声がする。
先輩・・・笑ってる?
寝ぼけてるせいだと思われてる?
わ〜ん。
恥ずかしい〜。
あたし、きっと耳まで真っ赤になってる。
髪に隠れて見えないといいんだけど・・・。
「あ、あの、すみません。」
顔が上げられない。
と・・・とりあえず、手を離さなくちゃ。
ん?
・・・あれ? 指先が?
「お嬢様。出口までお連れいたしましょう。」
「せ、先輩?!」
驚いて顔をあげたら・・・。
そんなに優雅にお辞儀なんて・・・やだ、もう!
それに、手・・・手を、あの、でも。
どうしよう?!
「大丈夫です!」
はい!
大丈夫です!
絶対に!
「まだ寝ぼけてるみたいだから、ご遠慮なく。」
「いえ、あの。」
寝ぼけてたんじゃないですし、仮にそうだったとしても、吹っ飛んで行きました・・・けど。
あせるあたしにお構いなしに、笹本先輩は楽しそうに微笑んで、あたしの右手を取って少し前を歩いていく。
王子様がお姫様をエスコートするように。
握られてるのはほんの指先だけなのに、はずすことができない。
先輩の力が強いのか、あたしの意思の問題なのか・・・。
もしかしたら、手が震えてる?
男の子と手をつなぐのは初めてじゃないのに。
やだ!
男の子って、先輩は・・・先輩はそんなつもりでやってるんじゃないよ!
出口まで、ほんの5、6メートル。
恥ずかしいよ!
ドキドキする!
どうしてこんなことになってるの?!
緊張で、頭がふわふわするし。
視界が揺れる。
本当に倒れそう・・・。
出口をくぐるとき、この向こう側にみんながいると思ったら、気持ちがしゃっきりして、ようやく右手を引き抜くことができた。
笹本先輩がふっと振り向いて、胸の前で右手を握りしめているあたしを見ると困ったような顔をする。
―― どうして?
「もしかして、迷惑だったかな?」
え?
そんな顔、しないでください。
あたしは・・・、あたしは・・・・。
「あの、そんなことありません。ご親切に、ありがとうございました。」
そう。
先輩は誰にでも親切なんだよね。
ペコリと頭を下げてお礼を言ったあと、頑張って笑ってみせる。
笹本先輩も微笑んだけど、なんだか・・・。
―― どうして?
先輩と並んでロビーに出ると、みんなから「熟睡だったよ。」と笑われた。
「お待たせしてすみません。」
みんなに頭を下げたあと、奈々に小声で抗議。
「どうして起こしてくれなかったの?」
奈々が起こしてくれてれば、あんなに恥ずかしい思いをしないで済んだのに!
「ごめん。吉野先輩が真悟くんの話を始めたから、つい。」
え?
「吉野先輩、あたしたちが弟さんと知り合いだって気付いてるの?」
「違う。偶然みたい。」
「そう・・・。だけど、奈々は友達よりも男ってわけ? 薄情者!」
「一応、起こそうと思ったんだよ。そしたら吉野先輩が、『毎年、眠っちゃった人のお世話は部長が担当だからいいんだよ。』って言って、笹本先輩に頼んでたから。」
なにそれ?!
毎年って、ホントなの?!
小声で話していたつもりだったのに、隣にいた牧村先輩が、あたしたちの会話を聞いて笑った。
「去年は寝ちゃったのがまーちゃんで、田中先輩がたまたま部長だったんだよ。ぴいちゃんがまーちゃんを起こそうとしたんだけど、先輩たちがふざけてぴいちゃんにそんな説明をして、二人を置いて、みんな出てきちゃったんだ。」
吉野先輩!
そんな説明をずっと信じているなんて、素直すぎますよ!
見回すと、吉野先輩は長谷川先輩とにこやかにお話し中。
あ。
笹本先輩も一緒に笑ってるよ。
だめだ。
もしも目が合ったらと思うと、恥ずかしくて見ることができない。
でも・・・、楽しそう。
やっぱり、吉野先輩と話しているときの顔は違う。
さっきみたいに困ったような表情はない。
・・・当たり前か。
吉野先輩と、だもんね。
そのとき、吉野先輩が一瞬こっちを向いて、目が合った。
と、思ったら、逸らした?
え?
目、合ったよね?
いつもならちょっと笑ってくれたりするのに、どうして?
それとも、目が合ったと思ったのは勘違い?
あたしの動揺を感じとった奈々が声を低める。
「あーちゃん、もしかして、笹本先輩と何か」
「ありません。何も。」
すばやく否定。
そう。
あんなこと、笹本先輩にとっては何でもないんだ。
吉野先輩に頼まれたから、仕方なく面倒をみただけで。
それに、今は吉野先輩の態度が・・・。
せっかくだからと、科学博物館も一通り見学。
小学生くらいの子どもでも、宇宙や電気のしくみを学ぶことができるような展示がたくさんある。
3年生は3回目だからブラブラ回っているだけだったけど、あたしたちには目新しくて、しかも楽しい!
1年女子全員で次々と実験セットを回って、驚いたり、笑ったり、小学生よりもにぎやかかも。
そんなあたしたちを見て、3年の先輩たちが笑ってる。
いつも楽しい牧村先輩が仲間入りして、ますます盛り上がる。
それにつられてほかの先輩たちも仲間入り。
笹本先輩も真琴と里佳に誘われて、楽しそうに参加。
何気なく視線を巡らせたとき、吉野先輩と長谷川先輩が目に入った。
壁際のベンチで、両側にニコニコ顔の清水くんと津田くんを従えて話している。
吉野先輩も長谷川先輩も威張っているわけじゃないんだけど、1年男子はなんとなく家来みたい。
それとも忠犬?
そのとき、吉野先輩がさっと視線を前に向けて何かを見ると、一瞬、眉間にしわを寄せた。
なんだろう?
すぐに長谷川先輩との会話に戻ったけど・・・。
吉野先輩が見ていた方には・・・笹本先輩?
さっきと同じように、真琴たちと一緒に展示を回りながら・・・え?
真琴と里佳が、先輩の両腕にひとりずつつかまってる?!
ちょっと!
やりすぎじゃない?!
笹本先輩、どうして何も言わないんですか?!
もしかして・・・嬉しいの・・・かな?
吉野先輩、笹本先輩を見たのかな?
それで、あんな顔を?
それとも、あたしの勘違い?
ああ、もう!
頭の中がぐちぐちゃだ!
「そろそろお昼に行こうよ。」
長谷川先輩がみんなに声をかけている。
吉野先輩があたしたちのところに来て、「行こう。」と促して出口へと向かう。
振り向くと展示室では、まだ何人かが遊んでる。
その中には1年女子に囲まれた笹本先輩も。
「あの、まだ遊んでる人が・・・。」
奈々の指摘に吉野先輩がひとこと。
「ほっとけば。飽きたら来るだろうから。」
え?
なんだか恐い。
もしかして、先輩、怒ってます・・・?