吉野先輩、変ですよ?(1)
5月8日、火曜日。
学校に行くのがちょっと憂うつ。
きのうの真悟くんの電話が原因だ。
「彼女として付き合ってほしい。」
ストレートに、はっきりと言われた。
あたしもはっきりと・・・断った。
「それはできません。ごめんなさい。」
奈々が真悟くんを好きだから、じゃない。
べつに嫌いではないけど、彼氏として考えることはできない。
吉野先輩の弟だというのは、関係ない。
名前を偽っていることも。
ただ・・・真悟くんは違う、と思った。
昨日の昼間、早瀬に答えたとおり、 “子供っぽい” っていうことも一つの理由。
あたしはもっと、・・・・・もっと、何?
本当は・・・・。
言葉にできない。
だって、言葉に表したら本当になっちゃう。
本当のことにはしたくない。
だって・・・、悲しいから。
朝の教室で、奈々や利根ちゃんたちと話していたら、早瀬に呼ばれた。
早瀬が自分の席以外であたしに話しかけるなんて初めて。
奈々の目が「あらら?」と言っている。
でも、あたしは真悟くんのことを思い出して気分が沈む。
廊下の突き当たりで、早瀬がまっすぐにあたしを見た。
早瀬って、あたしと背の高さがあんまり変わらない?
でも、お兄ちゃんみたいに、これからまだまだ伸びるのかも。
ぼんやりと、そんなことが頭に浮かぶ。
早瀬の様子、いつもと違うみたい。
目が・・・、ああ。
睨まれてないんだ。
「きのうの夜、真悟から電話があった。」
やっぱり、そのこと?
早瀬を見るのが嫌で、窓から外に目をやる。
「あいつ、もう大丈夫だから、気にするな。」
え・・・?
思わず早瀬に視線を戻す。
うそ?!
早瀬が、あたしに気を遣ってる?!
信じられない!
「あと・・・ウソをついてた。あいつの名前、本当は “吉田” じゃなくて、」
「“吉野” でしょ? 吉野先輩の弟さんだよね?」
今度は早瀬が驚いた顔をする。
「知ってたよ。」
早瀬のびっくりした顔・・・笑える!
あんなに目を丸くしちゃって!
可笑しい。
いいや、笑っちゃおう!
「・・・いつから?」
「初日から! 奈々がもらったアドレスに名前が入ってた。」
あたしは元気に笑い、早瀬はため息をついた。
「じゃあ、やっぱり、陽菜子の前で真悟の名前を出したのは。」
「当然、わざとだよ。」
そう。
キミたちより、あたしの方が一枚上手だよ。
「怒ってないのか?」
「最初はなんとなく気持ち悪かったけど、早瀬を脅す材料になると思って。」
「・・・恐ろしいヤツ。」
「アンタだって、あたしのことずっと睨んでたんだから、おあいこじゃない!」
早瀬は「睨むのと脅すのは、全然違う」とか、ブツブツ言ってたけど、あたしは笑い飛ばしてやる。
そのうちに、早瀬も一緒に笑い出した。
うん。
こうやって笑うと、今までのわだかまりなんて、みんな消えていく。
今日から普通の友達?
でも、吉野先輩は、早瀬には譲らないからね。
放課後、天文部に行くと、今度の日曜日に行くプラネタリウムの計画書が配られた。
午前中にプラネタリウムを見て、午後はお買いもの。
天体望遠鏡を作る材料と、いつも使っているカメラや望遠鏡用のあれこれ。
買い物のリストが配られて、今日は分担を決めるという。
買うお店も分かれるので、5つのグループに分けて、午後は別行動でそのまま解散。
笹本先輩がみんなの真ん中でノートに5つの枠を書き、メインの担当者をそれぞれ決める。
それからほかの部員が希望を言いながら分かれていくのだ。
「笹本。今回も、ぴいちゃんはよろしく。」
3年の野中先輩が笹本先輩に言うと、2年と3年の先輩たちが笑いながら口々に「よろしく。」と言った。
「OK。」
笹本先輩もくすくすと笑いながら応え、自分のグループに吉野先輩の名前を書く。
今日は吉野先輩はお休みだけど、この、何となく “みそっかす” みたいな言われようは、なに?
「まーちゃんは?」
笹本先輩が尋ねると、長谷川先輩が
「最後だから、あたしもぴいちゃんと一緒がいいな。」
と答えた。
「あの、あたしとあーちゃんも、長谷川先輩と一緒がいいです!」
奈々がミュウたちや1年男子に先駆けるように、急いで言う。
うわ、奈々。
まさか、また、あたしと笹本先輩を・・・とか、考えてるんじゃないでしょうね?
不安になって小声で尋ねる。
「何言ってるの? あたしたち、笹本先輩から吉野先輩を守るんじゃなかったの?」
そうだった!
あたしのことじゃなくて、吉野先輩だよ!
何を考えてるんだろう、あたしは?
こんな少人数のお出かけで、こういうときこそ、あたしたちの出番なのに。
奈々が笹本先輩の話を出すと、自分のことだと思っちゃうなんて、考え過ぎだよね!
「あーちゃん、やっぱり笹本先輩のこと気にしてるじゃん。」
奈々が小さい声で指摘する。
そんなこと言ったって、あんなに何度も言われたら、気になるのは当たり前じゃない?
「うーん、じゃあ、うちのグループには、あと1年男子を1人か2人。」
「あ、僕が入ります。」
笹本先輩の言葉に矢野くんが名乗りを上げて、決まり。
矢野くんは初めから天文部にいた人だから、吉野先輩のことを気にする必要はないね。
笹本先輩のことだけ注意していればいい。
活動の途中で牧村先輩と話しながら、さっきの吉野先輩の扱いのことを尋ねてみた。
どうして笹本先輩が吉野先輩の担当みたいな言い方を?
牧村先輩は笑いながら教えてくれた。
「ぴいちゃんは店で面白いものがあると、何分でもそこで止まっちゃうんだよ。」
「面白いもの、ですか?」
「面白いっていうか、普段、目にしないもの? 何でもいいんだ。望遠鏡とかカメラの付属品とか、こまごましたものを片っ端から手にとって見てたり、いつの間にかいなくなってたりするんだよ。1年のときに、いなくなったぴいちゃんを探して時間がかかっちゃって、去年からは笹本の担当ってことになったんだ。面倒見がいいから。」
面倒見がいい・・・か。
男子の先輩たちの目には、その程度にしか映らないのかな?
「でも、今年はまーちゃんが一緒のグループにいるから、笹本も楽なんじゃないかな。」
そうか。
長谷川先輩がいれば、笹本先輩が吉野先輩につきっきりになる理由がないよね。
そうだとすると、あたしたちはあんまり警戒する必要がないかも。
今日は、いつもの作業のあと、望遠鏡の仕組みを2年の先輩たちが説明してくれた。
本当に好きな人たちが集まっているから、そういう話をするのも楽しそう。
でも・・・。
屈折望遠鏡と反射望遠鏡。
対物レンズに接眼レンズ・・・くらいは意味が分かったけど、主鏡、斜鏡、焦点距離?
ニュートン? ガリレオ?
あたしたちって、そういう人たちの後を継いでるってことなの?
なんか、畏れ多い・・・。
ドブソニアンって、その形で望遠鏡?
え? ドブソンさん?
斜鏡がその位置にあったら、邪魔じゃないですか?
「主鏡の研磨からやろうかと思ったけど、時間がかかりそうなのでやめます。」
川村先輩の言葉にほっとする。
だいたい、凹面鏡を削って作るって、人の手でできるわけ?!
そんな数式を書かれても、チンプンカンプンなんですけど・・・。
先輩たちの流れるような説明は、半分以上わからなかった。
要するに、先輩たちが言うとおりに作業すればいいってことだけ。
あとは、材料をちゃんと買うこと。
そのあと、奈々とあたしが意味不明の会話をしているのを聞いた笹本先輩が笑って言った。
「メインの買い物は2年生のグループがやるから大丈夫。うちのグループの買い物は、電器屋でデジカメ用の付属品を買うだけだから心配ないよ。」
「あーちゃんたち、どんな服着て行く?」
帰る途中で真琴に尋ねられた。
そういえば、私服か・・・。
「決めてないけど。」
「せっかくだから、おしゃれして行こうと思って♪ でも、あんまり浮いたら逆効果だし。」
「逆効果って、誰かに注目してほしいってこと?」
「まあ、特定の誰かってわけじゃないけど、せっかくだから。」
真琴は天文部の1年女子の中ではかわいい方だよね。
一番かわいいのは奈々だけど・・・見た目だけは。
「プラネタリウムってちょっとロマンティックだし、もしかしたらってこともあるかもしれないでしょ? 男の子たちも私服だと学校で見るのとは違うかもよ。」
男の子たちの私服・・・。
ふっと浮かんできたのは、中1のときに塾で見た笹本先輩。
中3だった先輩は、今よりも頬がふっくらしていて、背も低かった。
細い金属フレームの丸っこいメガネをかけていて、お兄ちゃんと一緒に話しているときに、ときどき不思議そうな顔をしてあたしのことを見ていたな。
「・・・あたしはたぶん、ジーパンだな。」
あんまり女の子らしい服とか、持ってないし。
だいたい、あたしの性格が “女の子らしい” とは縁がない。
吉野先輩ならきっと・・・。
あれ?
あたし、どうして吉野先輩と自分を比較してるんだろう?
おかしいよね!
天体望遠鏡につきましては、次の本を参考にさせていただきました。
『天体望遠鏡の作り方』天文ガイド編集部編 誠文堂新光社
『天体望遠鏡のつくりかた ポプラ社の天文シリーズ18』藤井旭著 ポプラ社
『よくわかる天体望遠鏡ガイド』えびなみつる著 誠文堂新光社