ぴいちゃんと俺(6)
5月3日。
ぴいちゃんとデート!
海の近くにあるショッピング施設に来た。
海側には大きな公園があり、近くには映画館もある。
地下にある駅から出ると、そこがすでにショッピングセンターの中。
広い通路と高い天井。大きな建物の中なのに、圧迫感がない。
さすがに人がいっぱいいるけど。
今日のぴいちゃんは、サラサラした砂色のワンピースにレモン色のカーディガン。
青や緑の鮮やかな初夏の景色に映える。
ぴいちゃんと2人でいろいろな店を見て回り、お昼はテイクアウトにして、公園で海を見ながら。
周りにたくさんの人がいても、知らない人ばかりだから、学校でのようにぴいちゃんは恥ずかしがらない。
たくさん話して、楽しそうに笑ってる。
もしかして、手をつないでも大丈夫かも・・・?
公園の芝生で、並んで昼飯を食べているとき、ふと思い付いた。
そうだよ。
チャンスじゃないか!
一度そう思ったら、そのことばかりが気になってしまう。
ほら、あの人たちも、こっちの人も、あそこでだって、手をつないでる人ばっかり!
こんなにたくさんの人が手をつないでるってことは、もう “当たり前” と同じってことだ!
いつ?
・・・やっぱり、歩いてる途中で、かな?
さりげなく?
それとも、訊いてみたほうがいいかな?
うーん、 “さりげなく” って、意外と難しそうだな。
「いい?」って訊いちゃった方が簡単かも。
たぶん、断らないよな?
「うん。」と恥ずかしそうに答える彼女を想像して、ドキドキしてしまう。
・・・よく考えたら、OKされたあとの方が恥ずかしいかも。
どんな顔して手を握ったらいいんだろう?
ガサガサと音がして、気付いたら、ぴいちゃんがゴミをまとめていた。
「ああ、ごめん。俺が。」
慌てて手を出したら、俺の指がぴいちゃんの指先に重なった。
「あ。」と思って、俺が手を引っ込めるよりも早く、ぴいちゃんが自分の手を引いて、胸元で握りしめた。
視線は落し物を探すように、おろおろと地面を行ったり来たり。
「ご、ごめん。あの。」
「あ、いえ、あの、大丈夫。偶然だもんね。」
そう言いながら微笑んでも、視線は逸らしたまま。
この様子だと、手をつなぐなんて、ぴいちゃんには無理・・・?
ゴミを捨てて、海際の通路をゆっくりと並んで歩く。
さっきの出来事のせいか、ぴいちゃんも俺も、ちょっと気詰まり。
話をしながら笑ったりするけれど、目が合うと、お互いにすぐに逸らしてしまう。
そして、何秒かの沈黙。
ああ!
どうしたらいいんだろう?!
せっかくのデートなのに。
ほんの一瞬、指先が触れただけなのに!
海に向かって張り出したスペースで、並んで手すりにもたれて、波やカモメを眺めてみる。
足元のコンクリートには波が規則正しく打ち寄せる。
その音と動きに、だんだんと気持ちが落ち着いてきた。
そうだ。
べつに、今日、どうしても手をつなぐ必要があるわけじゃない。
これからもずっと、ぴいちゃんは俺のそばにいるんだから。
そう思ったら、気分が軽くなった。
隣では、俺と同じように手すりにもたれて、夢見るような表情をたたえたぴいちゃんが水平線を見ている。
俺の視線に気付いたのか、ぴいちゃんが顔を上げた。
目が合うと、にっこり。
もう、いつもの彼女。
ぴいちゃんは海に視線を戻すと、くすっと笑った。
それから。
一歩、俺の方に。
彼女の肩が俺の右腕に触れる。
戸惑いながらぴいちゃんを見たら、ちらりとからかうような視線を返してきた。
“さあ、どうする?”
・・・試されてる?
少し迷ってから、俺はぴいちゃんの肩が触れていた右腕を、彼女を囲むようにして向こう側の手すりへ。
小柄なぴいちゃんは、俺の右側にすっぽりと収まってしまう。
―― はずだったのに。
俺が思っていたより腕が短かったのか、手すりが低いせいか、ぴいちゃんとの距離が予想外に近い!
密着っていうほどではないけど、体温が感じられるくらい。
右肩のすぐ前に彼女の頭があるし、右腕はすでに彼女の背中に当たってしまっている。
体だって、少しでも動いたら触れてしまいそう。
ぴいちゃんのまとめきれない髪が、潮風に吹かれてふわりと俺の耳や首をなでる。
どうしよう?!
こんなつもりじゃなかったのに!
心臓がバクバクしてきた。
でも、急に離れたら変に思われそうだし・・・。
「なんだか、捕まえられてるみたい。」
ぴいちゃんが、ちょっと笑いながら、体をひねって俺の腕を確認しようとする。
彼女が動くともぞもぞしてくすぐったい。
それに、ぴいちゃんの背中、俺の胸に当たってるよ!
背中だけじゃなくて・・・。
だめだ。
力が抜けそう。
他人に顔が見えない状態でよかった・・・。
そうだ!
深呼吸、深呼吸。
ぴいちゃんに気付かれないように、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
そのうちに鼓動が治まって、意識がはっきりしてきた。
もう少し右後ろに移動すれば、隙間ができそう?
でも、そうするとぴいちゃんが俺の体の正面にきて・・・いや、だめだ!
そんな態勢になったら、ぴいちゃんを抱き締めずにはいられない気がする!
こんな場所で、そんなことできないよ!
早瀬はよく学校であんなことできるよな。
やっぱり子供なんだな。
肩に手をかける・・・?
やっぱり無理! 恥ずかしい!
それより、ぴいちゃんはどうして平気なんだ?
さっきは指先が一瞬触れただけで、あんなに困った顔をしていたのに。
今の方が、もっとたくさん・・・なのに。
どうして・・・?
「あの、ぴいちゃん。」
ぴいちゃんが顔を上げる・・・やっぱり近い!
それに、動かれるとくすぐったい!
呼ばなければよかった。
なんだか息が苦しいし、また心臓が!
ああ。
彼女に伝わっちゃうかも・・・。
目の前の彼女の瞳から、もう目を離すことができない。
俺、変な顔してないだろうか?
そうだ、それより、何か言わなくちゃ。
「あ、あの、・・・。」
ぴいちゃんが「なあに?」と言うように、首を傾げる。
「い、今は恥ずかしくないのかな、と思って。さっきは、ちょっと手が、あの。」
どうして俺はわざわざこんなことを訊いてるんだ?!
もっと気の効いたセリフが出て来ないのか?!
「だって、」
俺の言葉に、ぴいちゃんがほんのりと頬を染めながら海の方に向き直って、手すりにかけた自分の手を見る。
こんな仕草にもドキリとする。
「だってね、手って、・・・直接なんだもん。」
・・・・・?
「直接」?
“直接触れる” ってこと?
だから、恥ずかしかった?
で、今は?
間に服があるから・・・ってこと?
ぴいちゃんの判断基準って、そこ?!
じゃあ、服の上からなら、何をしても・・・いやいやいや、いくらなんでもそんなことは。
でも・・・ちょっとだけ。
あ〜、もう!
ダメに決まってるだろ!
・・・うわ!
ぴいちゃん、動かないで!
「藤野くん。」
俺を見上げる顔が・・・近い。
ちょっと動いたら、おでこにキスできるかも。
「は、はい?」
声が裏返りそうになる。
深呼吸、ひとつ。
「もう少し、離れた方がいい?」
え?!
焦ってるのを見透かされてる?
こんなことを自分の彼女に言われるなんて、なんだか情けない。
それに。
焦ってる・・・けど、嫌なわけじゃない。
「そ・・・んな必要は、ないけど。」
精一杯のポーカーフェイス。
うまくいったか自信がないよ。
ぴいちゃんは海に視線を戻して小さく笑った。
それから。
え?
あの。
そんなにすり寄ってきたら・・・やっぱりダメかも!!
どうして今日はそんなに?!
もしかして、誘惑されてるのか?
いや、まさか、ぴいちゃんに限ってそんなこと・・・。
なんだか、息が苦しい!
深呼吸、深呼吸、深呼吸・・・・・。
動けない。
でも・・・・・幸せ。
脚の力が抜けて倒れたりしないように、それと、手が勝手に動き出さないように、手すりを握る手に力が入る。
ぴいちゃんが海を指差して何か言ったけど、それが頭の中で意味を成さない。
いろいろな “もしかして?” が次々と頭に浮かび、それらは全部、 “人前では無理!” のものばかり。
それから何分間か、ぴいちゃんが「行こうか。」と言うまで、もう波の音も動きも、俺の心を静めてはくれなかった。