ぴいちゃんと俺(1)
前の週に戻ります。
4月18日、水曜日。
放課後、部活に出る前にぴいちゃんと話をしようと思っていたら、早瀬が教室に走り込んで来た。
教室のうしろの入り口から、ぴいちゃんめがけて一直線!
廊下に出ようとしていた生徒が、あわてて道を空ける。
「陽菜子、ごめん!」
そう叫びながら、バタバタという音の正体を見ようと座ったまま体の向きを変えたぴいちゃんの首に抱きついた。
いちいち抱きつかないと、何も言えないんだろうか・・・。
教室に残っていた生徒から、驚きのつぶやき声。
「響希、重いよ・・・。」
早瀬にのしかかられる状態になっているぴいちゃんが、早瀬の背中をたたきながら言った。
その声を聞いて、ぴいちゃんから腕をほどいて立ち上がる早瀬。
いつもの生意気な言葉もなく、下を向いている。
「どうしたの?」
ぴいちゃんの尋ねる声を聞きながら、俺は彼女の隣に行って、早瀬と向き合った。
俺がいるときには、お前の勝手にはさせないからな!
・・・あれ?
「どうした?」
思わず尋ねてしまうほど、悲しそうな顔。
いつの間にか、俺の隣に長谷川も立っている。
「俺が・・・、俺が陽菜子の自慢をしたから、面白半分で陽菜子を見たいって奴らが天文部に何人も行ってるって・・・!」
そんなことになってるのか?
ぴいちゃんも目を丸くする。
長谷川を見ると、俺とぴいちゃんの視線に気づいて、可笑しそうにうなずいた。
でも、早瀬はもっと深刻な顔・・・っていうよりも、泣きそう?
「陽菜子は注目されるの苦手なのに、ごめん。俺、何にも考えないで・・・。」
こんなにしおらしく謝るなんて、けっこう可愛いところあるじゃないか。
「響希。大丈夫だよ。そのくらいなんとかできるから。」
ぴいちゃんが微笑みながら言う。
「でも。」
「まーちゃんは知ってたのに、あたしに何も言わなかったんだよ? まーちゃんは、あたしが平気だって分かってたんだよ。ね?」
そう言って長谷川の方を向くと、長谷川が笑いながら言った。
「ぴいちゃんを驚かそうと思って、黙ってたのに・・・。そうだよ。ぴいちゃんが驚くのは間違いないけど、だからってショックで寝込んじゃったりすることはないから大丈夫。響希が思ってるより、ぴいちゃんはたくましいよ。」
「ほらね? だから心配しないで、響希も部活に行きなさい。」
そう言いながら、ぴいちゃんは立ちあがって、早瀬の頭をぐりぐりと撫でた。
・・・ちょっと嫉妬。
また一瞬、早瀬が泣きそうな顔をしたかと思うと、もう一度、ぴいちゃんに抱きついてから教室を出て行った。
「吉野。部活、大丈夫か?」
「うん。まーちゃんがいるし。」
「じゃあ、俺ももう行くよ。何かあったら連絡しろよ。」
「わかった。頑張ってね。」
ぴいちゃんに見送られて廊下に出ると、教室2つ分くらい先をとぼとぼと歩く早瀬の後ろ姿を見つけた。
急いであとを追う。
「早瀬。」
階段近くで追い付いて呼ぶと、振り向いた早瀬は俺を見て睨みつける。
それくらい元気があれば大丈夫だな。
「何ですか? 俺、陽菜子のこと、あきらめませんよ。」
初めからケンカ腰か・・・。
立場上、仕方ないけど。
「そんなことを言いに来たんじゃないよ。吉野は大丈夫だって、俺からも伝えておこうと思って。」
「なんで言い切れるんですか、そんなこと?」
相変わらず睨んだまま。
「去年ずっと見て来たから。吉野は確かに注目されるのが苦手だけど、そういうことも逃げないで乗り越えて来たよ。今回のことも、長谷川がついてるし、吉野ならどうにかできるから心配するな。」
「もし、ダメだったら?」
「そのときは俺が彼女を支えるよ。」
そう言うと、早瀬の表情が気弱なものに変わり、視線を床に落としてしまった。
「お前が、もっとずるいヤツだったらよかったのに・・・。」
なんだか、ため息が出るな。
「そんな男じゃ、吉野に相応しくないだろう?」
まったく、何考えてるんだよ!
「・・・・そうか。」
くるりと背を向けて、階段を上り始める早瀬。
「元気出せよ!」
その背中が淋しそうで、思わず声をかける。
すると、早瀬が振り向いてひとこと。
「うるさい! 陽菜子を守るのは俺なんだ!」
それだけ大きな声が出るなら大丈夫だな。
部活が終わってカバンを開けると、携帯にぴいちゃんからのメールが来ていた。
『無事終了。先に帰ります。藤野くんも気を付けてね!』
どうやら乗り切ったらしい。
早瀬はあんなに動揺していたけど、俺も長谷川と同じように、たぶん大丈夫だと思っていた。
ぴいちゃんは周りに騒がれることに慣れていないけど、最初の戸惑いを越えれば、彼女の中でそれを整理して対処することができる。
でも、それが厳しいときには・・・そのときは俺の出番。
今夜、一応、電話しよう。
「藤野。今日、コンビニに寄りたいから、そっちから帰る。」
岡田が声をかけて来た。
岡田の家は駅から東の方に行ったところ。
バスのときは駅から乗ってくるけど、自転車だとななめに突っ切って通うことができる。
ただ、住宅街や畑ばっかりで、店がないらしい。
買い物をしたいときや、腹が減って何か一口っていうときには、俺たちと一緒に帰る。
・・・それに、去年、ぴいちゃんを送って行ってたときも。
岡田と俺がぴいちゃんを争っていたとき、部活のない日の行き帰り、岡田は駅を回って通学していた。
ぴいちゃんに警戒されないように、偶然を装って一緒に通学するために。
今でも、ぴいちゃんはそのことを知らない。
学校を出たときには5人いた部員も、次々と別れて今は岡田と俺だけ。
前を走っていた岡田がコンビニの前で止まりながら、店の前で話しているうちの生徒を見ている。
「あれ? ぴいちゃん?」
「あ! 岡田くん!」
え?
「吉野? あれ? 茜もか?」
一緒にいる男は・・・東と内田か。
どうして?
「残念。本命登場か。」
内田が肩をすくめる。
俺が来たことにも、全然動じてない。
つまり、下心はない?
・・・いや、この2人は要注意のような気がする。
「じゃあねー♪」
東も、自転車を出すぴいちゃんと茜に明るく手を振っている。
微笑みを返しながらぴいちゃんが俺たちに近付いて、ほっとした表情をする。
「よかった、2人が通りかかってくれて。帰るって言うタイミングが見つからなくて。」
本当に。
調子のいいあの2人相手じゃ、ぴいちゃんはちょっと大変だったな。
4人で走り出してから、岡田が茜のことを誰だと尋ねた。
「ええと、藤野茜です。あの、」
「うちの妹。」
俺が横から付け加える。
「藤野の妹?! うちの生徒?! そんなの初めて聞いたぞ!」
「そうだっけ?」
「ぴいちゃんも知り合いか?」
「部活が一緒なの。」
岡田がしきりと感心する。
自分にだって妹がいたはずだけど?
岡田は4人兄妹の2番目だ。
「藤野。今日は俺がぴいちゃんを送って行く! 久しぶりなんだから、いいだろ?」
なんで、いきなりその話になるんだよ!
「だめ。行くのはいいけど、俺も一緒。」
「お前、妹を連れて帰れよ。」
「茜は大丈夫。」
「いや、危ないかもしれないぞ。」
「じゃあ、岡田が送って行けば。」
「藤野と帰る場所が一緒なのに、なんで俺が送るんだよ?」
岡田が理屈をこねる。
何言ってんだよ!
お前がコンビニに用があったのを黙っといてやってるじゃないか!
「あの、大丈夫です。空手がありますから。」
お。
茜、よく言った!
「空手?」
「はい。小学生からずっと。」
「空手かあ・・・。これ以上言っても無理か。まあ、いいや。ぴいちゃん、久しぶりに一緒に帰ろうね〜。」
俺もだぞ!